境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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森樹の里:ビオタリア

85.こんなつもりじゃ、

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 蜥蜴とかげ、というのは失礼かもしれない。けれど肌を覆う鱗に縦割れの瞳孔、蛇に似たその顔から手足のついた身体が生えた様子は蜥蜴、としか言いようがないのだ。ご丁寧に尻尾までしっかりと生えている。
 ヒトの種類についてそこまで明るくないヴェルには、相手の種族に見当が付かない。蜥蜴人リザードマンという種がいたはずだが彼らは皆、赤い鱗だったはずだ。補習でやらされた部分なので間違いないはずである。

 そんなヴェルでも、ひとつだけわかることがあった。相手は男だ。晒された下半身を見れば一目瞭然だった。


 そう、相手は何も身に纏っていなかったのだ。
 がある、とは、つまり見てくれに差し支えがあるということらしい。


「な、なぁもういいか?風があると"毒"が散ってこの有様なんだよ。オイラ……オイラ、あいつに見つかる訳にはいかネェんだ……!頼む、匿うって約束してくれ!」

 鱗に覆われた細い指を落ち着きなく揉みながら、その男は落ち着きなく鏡像の方へと目を向ける。揺れる瞳が怯えを隠しもしていなかった。

 鏡像の悲鳴が上がる。

 びくり、と大仰に肩を揺らした男はヴェルの胸ぐらを掴んで迫った。

「頼む!頼む!あんたらの世界って、他の奴らが行けねぇほどにややこしいトコにあるんだろ!?守護者って、ヒトを守るために居るんじゃないのかヨォ!?」
「……っ」

 力一杯に、頭を揺らされてヴェルの顔が歪む。ここまで来てまだ彼の声が出ないのではないかと思い至らない男は、その表情を怒りだと受け取ったらしい。
 口元を戦慄かせながら男はへたり、と座り込む。途端に腰から下はボヤけて輪郭を失った。男の言うように、風の影響を受けにくい地面では"毒"とやらの効果が発揮されるのかもしれない。

「なぁ、あんたもう、分かってんだよな?オイラがエルフのガキどもを拐ったって、分かってるから怒ってんだろ?人間どもをあんな風にしたのも全部、分かってるからオイラを見捨てようとしてんだよな……?」

 男の言葉で疑念が確証に変わった。
 シルヴィアが遭遇したというのも、先ほど人間の里から逃げていったのも、全てはこの男で間違いはないのだ。見捨てる、というのが何のことかはわからないが。

 男が全てに関わっていると理解した瞬間、ヴェルに湧き上がったのは激しい怒りだった。

 死んだのだ。
 すでに1人、目の前で。

 鏡像の所業といえ、誘拐が起こらねば避けられた事態だったはずだ。備蓄庫で散らばっていた破片も人間がもっと騒いでいればアルヴィンに、或いは担当の守護者に伝わって何かの手段が取られていたかもしれない。
 それを、人間たちのあの様子ですら自分の仕業だと言うのだ、この男は。

 極めつけには子どもの安否はまだ分からぬまま。
 目覚めた時に怯えを見せていたエリンの姿が脳裏を過ぎる。自分の弟や妹と変わらない幼な子に対して、あんな思いをさせているのだ。この男は。

 ヴェルは服を掴む男の手首を握った。鱗に覆われて硬く、けれど握り込める細さの軟弱な腕だ。

「痛ぇ!痛ぇよ!!」

 目一杯に力を込めるだけで男は情けない悲鳴を上げた。



「ぜんぶ、はなせ」

 思わず口をついて出た、まだ掠れた、まだ吐息のような、自分でも聞き苦しい声。
 それでも、低く怒りを乗せたその言葉は男の体を震え上がらせるには十分だった。

「わかった……。全部、全部話すから……」

 ヴェルの服を弱々しく掴んだまま、搾り出すような声で男は話し出した。








 ───曰く、男は種族の中でも劣った個体だった。

「オイラの毒は不可視の毒だ。誰かに使うんじゃなくて、自分の周りに纏うモンだ。一度使えば毒が消え去るまでオイラにも制御できネェ……さっきみたいに風で散らされなきゃ、誰かに満足に見つけてもらうことすらできやしネェ」

 個体ごとに異なる”毒”を持つ彼ら種族の中で、男は自分の”毒”すら満足に扱えぬと厭われ、嘲られていた。

 祖を辿ると類を同じくする蜥蜴人リザードマン。彼らに似た姿で生まれる、所謂"先祖返り"とされる見た目もそう。同様に嘲りの対象だった。

 自分の能力を使って同族から隠れるように生きる日々。
 そんな彼の毒を厭わず、話しかけてきた同族の男がいたという。


「丁度、風でオイラの毒が散った時だった。アイツはオイラを見つけると嬉しそうに笑って言ったンだ……この力を使って、稼がネェか?って」

 蔑視され、社会的地位も低く貧しい男にとってその提案は単純でありながらも魅力的であった。
 嘲られ続けてきた男にはそれなりの警戒心もあったが、前金だと言って差し出された報酬の大きさはその警戒心を押して余りあるものだったという。相手が自分の身分を証明するために見せたものも、男の警戒を解くには十分だった。

「あんたらが協力者に渡すっていうコヴェ……なんちゃらって石があるだろう?アイツはそれを持ってたんだよ」

 それには、瞳を険しくしていたヴェルも思わず目を見開いた。
 コヴェナント───サポーターに支給される、ポータルを使うための道具だ。それを持っている相手といえば、サポーターに他ならないだろう。

「だからオイラ、あんたら守護者関連の仕事だと思ってホイホイついて来ちまったんだ。オイラにもひとつくれたよ、ほら、1回だけしか使えなかったけど……」

 男が口に手を突っ込む。
 唾液と共に差し出されたそれを受け取りたくはなかったが確認しないわけにもいかず、ヴェルは嫌々に指先でつまみ上げる。

 一見、ただの石だ。
 乳白色ではあるのだが、色だけで判別がつくほど特徴のあるものではない。本当にコヴェナントであれば、色を失ったこの石は再び血を吸わせるまで使い物にならないだろう。だからといって、確認するために血を吸わせる気は元よりなかった。

「最初はただこの力を使って、エルフや人間の動向を観察して報告するだけで良かった。それが……」

 鏡像が再び悲鳴を上げた。終わりが近いのかもしれない。
 途端に男は震え出す。

「オイラ……っ!オイラ、こんなつもりじゃなかったんだ!だけど、アイツの指示を拒否した奴が目の前で殺されて……っ……なぁ!分かるだろ!?誰だって自分の命は惜しいよな!?」

 ヴェルの服を握る手に力が入り、男の先割れの舌が暴れながら捲し立てる。

「オイラは真っ当な生き方をしてこなかったが殺しは別だ!人間とこの井戸にアイツの"毒"を入れたのも、殺しが目的じゃないって言ってたからだっ!!あんな、鏡像に喰われてもまだヘラヘラするなんて思いもしなかったんだ!!」

 唾が飛ぶほどの剣幕には流石なヴェルもたじろぐ。しかし、男の口は止まらない。

「ガキだってそうだ、最初は単に売っ払うっつってたんだヨ!それが蓋開けてみりゃどうだ?あんな、あんな……!」
「……っ」
「痛ぇ!折れちまうよ!!頼む、許してくれ、オイラがガキを拐ったのは最初の方だけなんだ……ッ、あのクソ強ぇ姉ちゃんにやられてから、使えねぇって判断されたのか補助に回されたんだヨォ!!」

 そういえばシルヴィアが誘拐犯の顔に一発お見舞いしたと言っていた気がする。顔の作りが違うので気付きにくいが、よくよく見れば男の鼻頭は少し歪んでいるようにも見えた。

「だからオイラがやってたのは……仲間がガキを連れてきやすいように、"毒"で隠れながら言われたタイミングで黒い石を撒くことくらいで……。そ、それだってまさか鏡像を誘き寄せるなんて思いもしなかったんだ!」

 ようやく、繋がり始めた気がする。
 それと同時に、さらなる混乱がヴェルを襲った。


 あの里の人間は"毒"とやらで思考力を奪われた。では、それは何故だ?
 鏡像を誘き寄せるモノなど聞いたことがない、黒い石とは何だ?
 組織的な誘拐だとして、それを指示する者がコヴェナントを持っていた。ならば、その相手は……?


「オイラたちは確かに他の種族よりも倫理観がイカれてるとか言われるが、それにしたってアイツは別だ。アンタだって近くにいて気付いてたろ!?」
「あい、つ?」
「アイツだよ!オイラと同じ……オイラは蜥蜴人リザードマンに似ちまったからわかりにくいかもしれネェが




 オイラと同じ蛇鱗人ナーガの───」










「随分熱く語りますねぇ」




 いやに耳に残る声は、気付けばすぐ近くから聞こえた。
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