境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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森樹の里:ビオタリア

84.透明な呼び声

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 アルヴィンが傷を与えた部分が地に落ちる。
 接合する前に繰り出された鉄球が、鏡像の頭部へと迷いなく飛ぶ。切り離されていた下半身が文字通り"身を挺して"頭を庇うが、それにより再び負った傷は確実に鏡像の身を削っていた。

 分断されていても体躯はある程度自由に動かせるらしい。くっ付くだけが能ではないようだ。

「オーベロンさんたちはどうされたのです?」
「み、皆さんは水晶樹をもう一度起こして、そこに……!」
「おや、一度崩された手段を再び選ばれたのですか」

 ヘイの疑問はもっともだ。

「話を聞く限りだと、お、おかしくなったのはこ、こ、子どもだけだったみたいだから大人なら大丈夫だろうって……!多分……!」

 しかし、アルヴィンは口調とは裏腹に力強く頷いた。榛色の瞳は里の方を気にかけることもなく、ただ真っ直ぐに眼前の敵へと向けられている。

「ここ、これはエルフの皆さんからも勧められたことなんだ。いくら疲れていても、自分の身は自分で守るから僕は自分の責務を優先しろって」

 肉でたるんだ口元が僅かに綻ぶ。
 状況は大きく変わらない。相変わらず子どもの行方はわからないままだ。けれど、ほんの少し傾いた天秤はそんな中でも彼らの信頼関係を強固なものにしたらしい。

「だから……皆さんが安心して子どもを探せるように、次こそこいつを倒すんだ!」

 覇気と共にアルヴィンが地を蹴る。やはり見た目からは想像もつかない速度で鏡像に迫ると、柄の部分だけを大きく振り回した。
 繋がった鎖から渦を巻くように鉄球が踊る。鞭のように叩きつけられる口吻は、いくらしなろうと硬い鉄球を穿つことはできない。弾かれる口吻の方が赤を散らせていた。

「おおおお!」

 アルヴィンが猛然と鏡像へ肉薄する度に、鎖は徐々に柄へ巻き付いて短くなる。やがて通常の棍といえるまで短くなった武器を大きく振りかぶって、彼は力強く、跳ねた。

「だりゃあっ」

 気の抜けるような吼え声に対し勢いよく振り下ろされた鉄球は、胴体を庇う脚を纏めて数本薙ぎ払う。
 脚で狙いが僅かに逸れても、凶悪なフォルムは外殻など無視をして鏡像の体躯を深々と抉る。千切れた脚は夜空に舞い、梢を散らしながら夜の森に落ちていった。

 つい呆然と見てしまっていたヴェルの目の前で、ガントレットを付けた手がひらひらと揺れ動く。
 
「アルヴィンさん、結構動けるヒトだって驚いてる顔っすね」

 シルヴィアがヴェルの眼前に指を突きつけた。
 まったく以ってそうなのだが、素直に頷くには失礼な気もして答えに困ってしまう。それすらわかってると言わんばかりに、彼女は指先でヴェルの鼻を軽く弾いて笑った。

「あのヒトあんなんだから見えない相手は本当にダメダメだけど、見えてる今なら百人力っすよ───私たちも援護に回ろ!」

 答えも聞かず、シルヴィアは駆け出した。

「ほら、ヘイも!」

 その呼びかけで、ヴェルはまだヘイが隣で微動だにしていなかったことに気が付いた。

 彼はニヤけ顔を崩していないが、アルヴィンが鏡像へ迫ってからは一言も発していない。喋らない彼はその大きい体躯と裏腹に、どこか気味の悪いほどに存在感が薄くなっていた。

 白磁の顔貌が予備動作も無しにぐるり、とヴェルへ向けられる。思わず肩をびくつかせてしまうヴェルを見ても、ヘイの笑みは変わらない。

「愉快ではありますけど、困りましたねぇ」
「……?」
「言ったでしょう?僕だってちゃんと考えることもあるんですよ、と」

 吊り上がった口角の端から、ちろりと先割れの赤い舌が覗いた。

「まあ、まあ、ろうするのが我々の役割ですから、不測に弄ばれるのもまた一興」

 ニヤけ顔の下に、何か怖気がするような暗さを感じる気がする。二の腕にふつり、と鳥肌が立った。

 ヴェルの様子を知ってか知らずか、ヘイはゆっくりとシルヴィアの背を追い始める。

「行かないんですか?」
「……」
「のんびりしていたら、アルヴィンさんに手柄を取られてしまいますよ」

 含みのある笑みを残して、ヘイの背中が遠ざかる。
 彼が何を言って、どんな意図を持って笑っていたのかヴェルには知る由もない。ただ、すぐに追いかけるには足が進むのを躊躇っていた。
 けれど、そう言っている場合ではない。鏡像が能力を使って再び消える前に、今度こそ倒さねば。

 そうだ、それで終わりだ。
 鏡像さえ倒してしまえば、応援要員の必要はなくなる。さっさとガイアに戻って、あとは姉や友の帰りを待って、またみんなでだらだらと報告会を開いて───……。
 示し合わせでもしない限りヘイに会うことなど、もうないだろう。

 勿論、シルヴィアも。

 もやり、鳩尾あたりで何かが蠢いた。
 自分の持っている語彙では説明できないような安堵と、寂寞の入り混じったような感覚。

 とりあえず、鏡像を倒さねば話は進まない。いま、何をどう思っていたとてヴェルの役割はアルヴィンと共に鏡像を倒すことなのだ。

 シルヴィアとヘイが素早い動きで翻弄しながら、アルヴィンが着実に黒い体躯を削っていく。勝負がつくのは時間の問題だった。



 追わねば。
 そう思って足を踏み出したヴェルの体がつんのめる。

 掴まれた。
 足首を握られた感覚に、ヴェルは咄嗟に振り返って構える。

「ま、待ってくれ!話を聞いてくれ!!」

 嗄れた声。どこか聞いたこともあるようなその焦った声は、彼の足元から聞こえた。

「あんた、守護者なんだろ!?おいらを保護して欲しいんだ、頼むよォ……!!」

 声の主は確かにそこにいる。そのはずだ。
 しかし、見えない。
 暗いからというだけではない。月光が届いているはずのヴェルのズボンの裾は、確かに何かに掴まれた形に歪んでいる。肝心なのは、その掴んだ手がだということだ。

「なぁ、なぁ……っ、返事くらいしてくれよ……!もしかして姿見せないから怒ってんのか?」

 返事もなにも今のヴェルは話せないだけなのだが、声の主はそれを知らないのだ。更なる無言を肯定と捉えてか、足元の声が焦りを帯び始めた。

「だっ、だって今の姿だとがあるからヨォ……!」
「……」
「わかった、わかったから!!ちょっと見てくれが悪いけど、も、文句言わねぇでくれよな」

 悲痛な色を滲ませて、声がゆっくりと移動する。
 ヴェルの足元から膝の高さへ、膝の高さから肩の高さへ───まるで、立ち上がったかのようだ。

 一陣の風が吹くとともに、目の前が朧げに歪む。
 その不明瞭な輪郭をヴェルは知っていた。

 人間の里で逃亡した影。顔の見えないその様子と、寸分違わず同じだったのだ。

 歪んだ輪郭が、風に吹かれて明確になっていく。

「へ、へへ……こんな姿で悪いけど……でっ、でも何も武器も持ってねぇし、敵意がないことはわかるだろ?」

 手品のように徐々に姿を現したのは───ひとりの蜥蜴とかげだった。
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