境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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森樹の里:ビオタリア

83.明けの明星

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 風が、吹いている。
 

 シルヴィアのガントレットがヴェルに伸ばされた鏡像の脚を1本吹き飛ばす。それでもなお伸ばされるもう1本はヘイの蹴りによってあらぬ方向へひしゃげた。
 蒼い刀身が閃く。
 ガラ空きになった胴体に叩き込んだ刀身は、しかし顎同様の強度を持った外殻に阻まれ、硬い音を立てながら弾かれた。
 

「っ!」

 くそっ、と口の中で毒づく。ほんの少し、声が出た気がした。

 立て続けに襲いかかる2本の脚は身体を捻って繰り出した斬撃で宙を舞う。

「ははっ!あははは、ひひ、ひ!!」
「ッ……刃物とは相性が悪そうっす、ね!」

 ヴェルの着地と同時に降ってきた顎を、割り込んだシルヴィアが無駄のない動作でいなした。ガントレットの表面を鋭い顎先が滑り、金属が擦れ合うような不快な音が響く。

 鏡像の頭が、勢いのまま地面に沈んだ刹那。
 体勢を立て直したヴェルの突き出した刃が、今度は硬い外殻と外殻の間にある節に吸い込まれた。

 
 紛れもない手応えが柄を伝う。

 つんざくような悲鳴が鼓膜を突き刺すが、ヴェルは構わず剣をさらに深く押し込んだ。

「ヴェル!!」

 絶叫の合間でもクリアに聞こえる声。
 それが届いたときには、ヴェルの身体は大きく後方に弾き飛ばされていた。

「おっと、危ないですよ」

 浮遊感が生じたのは一瞬だけで、次いで感じたのは首元の圧迫感。
 急激に止まった体と、慣性の法則で酷く揺れた頭に思わず潰れた声が───漏れはしなかった。先ほど声が出たかと思ったのも気のせいかもしれない。

 クリアな彼女の声とは違う、何処か嫌に耳に残るテノールへ恨みがましい視線を向けると、彼は相変わらずの胡散くさい笑みを浮かべて首を傾げた。

「嫌ですねぇ、しっかりキャッチしたじゃないですか」

 ほら、とヘイが指差す方向へ視線を移すと、ヴェルが吹き飛ばされたであろう方向にはへし折れた木々があった。
 ご丁寧に破断面はこちらを向いていて、荒々しい棘が鋭利な尖端を向けている。

「ね?当たりどころが悪かったら失血する可能性があるでしょう?」
「……」

 無遠慮に襟首を掴んでヴェルを止めたらしいヘイは、悪びれもなく笑う。
 事実、助けられたヴェルは逡巡ののちにヘイの手を振り払った。素直に感謝をするのはどこか癪だったのだ。
 だからと言って、助けられて何もなしというわけにもいかない。姉に文字通り叩き込まれた礼儀が頭の隅をちらつく。

 結果、首を軽く曲げるだけの感謝を示した。
 ヒトによっては気を悪くするだろう簡素なものだったが、ヘイは笑みを崩す事はない。

「ヴェル!大丈夫っすか!?」
「問題ないですよ、血の一滴も流れてません」

 駆けてきたシルヴィアへ、ヴェルの代わりにヘイが答えた。

「良かった……。あいつ、確かに節の部分はまだ柔らかいんだけど、深追いはしない方がいいっす」

 示された先の鏡像は、まだ胴体に剣が突き立ったままであった。痛みに悶える様に蠢くさまはまさしく虫のそれなのだが、傷口の脇から漏れ出す液体は赤く、血の色をしている。
 持ち主の手から離れた剣はやがて青い粒子になって霧散する。漏れ出ていた”血”が溢れ出し、ぼとぼとと地面に赤い染みを穿つ。
 本来であれば守護者であるヴェルが与えた傷は治癒することなく、溢れた血は鏡像の命を刻一刻と奪っていただろう。しかし、だ。

「あ、あ、ア”ぁァァ”」

 呻き声と共に鏡像の体躯がぶるり、と震える。
 ヒトであれば鳩尾のあたりに位置するだろう傷の部位。胴体のおおよそ真ん中に位置するその部位が一層激しく震え───。




「……ほら」

 ぼとり。
 
 まるで最初から繋がってなかったかのように傷を負った体節だけが地面へと落下する。
 中心に位置していた体の一部を失い、二等分に分けられた体躯はしかし血を流す部位など存在せず、3人の目の前で失くした箇所を埋める様に重なり合い……やがて、元の長いひとつの胴体に成った。
 月光を鈍く反射する黒い外殻。もはや傷などひとつもない。先ほどと違いがあるとすれば僅かに胴部分が短くなったことくらいだろうか。

「こういうことっす。治らない部分は直ぐに切り離すの。1ヶ所だけなら大したダメージにはならないから、直ぐにああやって動き出す」

 シルヴィアが苦々しい顔で切り離された体節を睨み付ける。血を流すそれは徐々に色を失い、ぱきぱきと硬い音を立てながら少しずつ割れていく。その最中さなかもひとつの生き物のように脚を動かし、地面をめちゃくちゃにのたうち回る様子は生理的な嫌悪を催した。

「アルヴィンさん、もしかしてこの事も言って……ないっすよね、その様子だと」

 ヴェルが頷くより前に、シルヴィアが大きなため息を吐いた。

「説明不足にも程があるっす……」
「後輩と一緒の任務にあたったことがないと言ってらっしゃいましたが……まぁ、ヒトには得手不得手というモノがありますからね」
「苦手ならなおさら経験積んで治すべきじゃないっすか!?」

 シルヴィアのツッコミにはヴェルも大いに同意である。これ以上、言いそびれた事がないことを祈りたいが。

 そうこう不満を漏らす間にも、鏡像はヒトと虫を混ぜ合わせたような無数の脚を動かして森の奥へと向かう姿勢を見せる。
 エルフへの被害を避けるために徐々に水晶樹から引き離すように誘導はしていたが、既に里はやや後方に灯りをうっすら見せるのみ。

 眩しいほどの月明かりで視界は十分だが、感覚が鋭敏な今だからこそ分かることがあった。

 風の向きが変わっている。

 鏡像が飛び立った場合にすぐ対処が出来るよう、風向きを気にかけていたのも大いに関係があるだろう。
 風の強さも増している。当初は子どもが落ちたのでは、と思われた崖は案外この近くにあるのかもしれない。



「はぁっ!!」

 シルヴィアの打撃が鏡像の体躯を穿つ。硬い顎をも砕く一撃は堅牢な外殻へ亀裂を入れた。
 けれど守護者の血を持たない彼女の与えた傷は、瞬時に再生を始める。

「させませんよ」

 そこへ、ヘイの落とした踵が綺麗に吸い込まれる。完全に修復しきっていない外殻は完全に剥がれ、硬い殻に覆われていた柔らかな中身が露出する。
 上段から勢いよく振り下ろしたヴェルの剣が、剥き出しの中身を深々と切り裂いた。

「ア"あっ!ひ、ぃイ"ひひ!!」

 今度は、深追いはしない。
 ヴェルは迷いなく鏡像から距離を取る。

 たったいま彼が足場にしていた胴体部分に鏡像の脚が群がるが、何も掴めなかった指は空を掻いた。

 傷を負った部分が落ちる。すぐさまに切り離されていた胴部分が寄り添いあい、連結する。

「攻撃が通るといえ、先が長いっすよ……」

 もはや作業にも近い幾度目かの攻防に、シルヴィアの嘆きが零れた。

「回復される前に叩けばいいだけならまだしも、硬過ぎるんすよコイツ」
「我々、単眼鬼オーガ巨人族タイターンのような純粋な力だけで売ってる種族とは違いますからねぇ」
「やれない事はないっすけど、夜明けまでコースっすよ」

 そう、決定打に欠けていた。
 まだ柔らかそうな頭でも狙えると良いのだが、流石にそこまで知能は低くないようだ。頭を狙った時点で長い胴体が器用にうねり、換えの効く体が攻撃を阻む。

 ディクシアであれば……あるいは姉であれば外殻など、ものともしないかもしれない。単純にヴェルたちでは相性が悪いのだ。

 この場にいる3人では、地道に胴を削っていくのが確実な方法ではあった。

「それにしても、今回はなかなか消えないっすね?」

 シルヴィアの疑問は、ヴェルも感じたものだった。致命傷はないといえ、傷を何度も負った鏡像は逃げの姿勢を見せている。けれど、先ほどのように姿をくらます様子はない。

 何かがきっとあるのだ。鏡像が能力を使えないような、何かが。

 一際強い風がヴェルの頬を打った。





「ごごごごごごごめんね、お待たせしましまっっあっあっああああ!!!!」


 風切りの音。
 それは鏡像の口吻がしなるよりも重く、低い音。

 重量のある塊が、彼らの横を掠めて鏡像に深々とめり込んだ。

「ァハ"ッッ」

 押し出されたような短い悲鳴。多少は短くなったといえ、未だに長い鏡像の体躯が易々と吹き飛び、木々を数本へし折って止まる。
 あれほど硬かった外殻が粉々に砕け、中身ごと大きく抉られていた。

「あっ、や、や、やっちゃった……!また木を折りすぎって怒られる……!!」

 やはり、環境破壊しすぎると何かしら咎めは受けるらしい。

 
 赤い雫を撒き散らしながら"それ"がアルヴィンの手元に戻る。



 月光を受けて鈍く光を照り返すのは、ヴェルの頭より一回りも大きい鉄球だった。所々、棘状に尖り、そこから鏡像のものだろう赤い血を滴らせている。伸びる無骨な鎖は、アルヴィンの右手に携えられた鉄棒に繋がっていた。
 所謂、明けの明星モーニングスターと呼ばれるメイスの一種だ
 夜明けはまだ遠いというのに、輝いて見えるのはきっと月光の所為だけではないだろう。

 戻ってきた鉄球を軽々と左手で受け止めた彼は、付着していた血で赤く染まった指に情けない声を上げた。

「ひぃっ、き、気持ち悪っ……!!」


 ───輝いて見えたのは、やはり気のせいだったかもしれない。
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