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森樹の里:ビオタリア
76.八方モータリティ
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本来は備蓄庫なのだろう広めの空間に残る面影は、棚に残ったわずかばかりの野菜や水瓶だけだ。
「これって───」
「おや……物の見事に食い散らかされていますね」
足元に散らばる"破片"が微かな臭気を漂わせている。
赤、赤、時折混じる白や黄色。
どこがどの部分だったのか既に定かでは無い、元は身体の一部。野獣や家畜のものだと断言できればいいのだが、同じく散り散りに放り出された衣服の破片がそれを許さない。
ひとつひとつは小さな破片。しかし、同じ空間に凝縮されたそれは、耐え難いまでの饐《す》えたにおいを放っていた。
思わず鼻を覆うものの、このにおいの漂う空気を肺に取り込んでいるというだけで嫌悪感が胃から込み上げる。隣を見ればシルヴィアも袖で鼻を覆って顔を顰めていたが、ヘイだけはあっけらかんとした表情でこの惨状を眺めていた。
「き、ききき、来てくれたぁ……」
追いついてきたヴェルたちの姿を認めてか、両の握り拳を口元に当てて震えていたアルヴィンが泣きそうな声で呟いた。更に汗でべとべとの顔面は蒼白で、下手をすれば今すぐにでも倒れそうだ。
「な、なんか里の人もおかしいから、取り敢えず奥まで確認してようって思ったんだけど……こ、こここここの建物の屋根が壊れてて中を覗いたらこんな状おぼぼぼろろろろ」
後続を待つ間、外にいればいいものを律儀にこの場に留まっていたのか、それとも単に足が竦んでいたのかはわからないが長時間この臭気に晒され続けた結果だろう。
言葉の途中で勢いよく顔を背けたアルヴィンの足元から聞くに耐えない音がした。
「……なんだのだ……これは、一体……」
即座に動いたヴェル、それについて来れたのはサポーターの2人のみ。
一足遅れて到着したエルフたちは、今まさにこの光景を目にした。
茫然と立ち尽くしながら惨状に言葉を失う彼らを、シルヴィアが率先して外へ誘導する。
「取り敢えず、離れた方がいいっす。見るのも嗅ぐのもだいぶとキツいっすから」
促されるままに1人、また1人と筆舌しがたい現場から足早に離れていく。
「うぇっ、うぇっ、ひっ、ごべんなざい……。ぼっ、ぼくこういうの、駄目でぇ……」
もはや顔の惨状には言及するまい。
ヴェルが汚れていないアルヴィンの服の端を引くと、彼は素直についてくる。
備蓄庫を出たところで、むせ返るような腐ったにおいは一気に軽減した。壊れた天井から漏れてくる臭気はあるが、中とは天と地の差だ。
気分が悪くなったのか数人のエルフも顔色を悪くしている。幾人かは口元を押さえて蹲り、すぐには動けそうになかった。
「あれは、人間か?」
顔色は悪いながらも、平常を装おうとしているオーベロンはやはり長というべきか。彼の問いへは、最後に外へ出てきたヘイが答えた。
「そうでしょうね。服の残骸もそうですけど、獣の毛ではなく頭髪みたいなものも落ちていましたから」
ほら、と彼が雑に放り投げたのは短い茶髪の束だった。
───束なのは他でもない。付いているのだ。根本が。
「ひぃっ!!」
湿ったものが地面を叩く音にアルヴィンが大きく肩を揺らす。
「……ッ」
本当にヒトだったのだ。
破片だけでは現実味がなくて、においだけならなんとか耐えることはできた。けれど、"あれ"が元は自分と同じ形をしていたのだと実感すると、途端に自分の胃の中身も込み上げてくる感覚に陥る。
リンデンベルグではグレゴリーの配慮と姉の安否が気になり過ぎて、直視することは殆どなかった。
なのに今、モノのように扱われているヒトの残骸は紛れもない死を匂い立たせている。
「ヘイ!流石に配慮が無さすぎるっすよ!!」
シルヴィアの怒号に、ヘイが今までになく大きく目を見開いた。
「配慮……?だって、死んでるんですよ?」
「蛇鱗人がどうかわからないけど、私たちからしたら死人を雑に扱うのは冒涜っすよ」
「冒涜……」
困惑したような呟きが漏れる。
縦に長い瞳孔が自らが投げた破片の一部に吸い込まれ、暫しの沈黙が落ちる。
やがて───彼は再びゆっくりと目を伏せ、胸に手を添えて頭を下げた。
「失礼しました。皆さんの価値観を忘れるところでした。ここは人間の里、ですからね」
郷に入っては郷に従え。そう言ってヘイは放り投げた頭皮の残骸を拾い上げ、備蓄庫の中へと戻る。程なくして戻ってきた彼の手に"それ"はなかった。
「戻してきました。ちゃんと他の部分の横に添えておきましたよ、バラバラだと可哀想なんですよね」
「そういう……、───まぁ、良いと思うっす」
そういうことを言いたいのではないのだろう。シルヴィアの声は釈然としない響きを含んではいたが、追ってヘイを責めることはなかった。
死体に対する態度もそうだが、彼は先ほどのにおいの中に戻ることをなんとも思っていなかったのだろうか。
未だぐるぐると不快を訴える胃を抑えながらヴェルが考えていた時だ。脂汗を浮かべながら口元をハンカチで拭っていたアルヴィンが、震える声で問いかけた。
「へ……ヘイ君はよくそんなに平然としてられるね……?」
「種族柄、それなりの環境で育ってきましたからねぇ。同族がゴロゴロ死んでいるのも当たり前でしたし、腐った肉でも食べないと生きていけないときもありましたから───流石に鏡像のようにヒトを喰らう、なんてことはないですけど」
調子を取り戻してきたのか、最後は冗談めかして口元に指で×を作る。
生きてきた環境が違うこともあって、彼のいう状況を思い描くことは難しい。それでも、当初からどこか浮いた反応を示すあたりに、その片鱗が垣間見える気がした。
「これもあの鏡像の仕業なのか……?」
「我々、頑張って対処していましたので皆さんを食べさせることはなかったはずですし、なんとも……」
「それについては感謝している。しかし鏡像については其方らの方が詳しいだろう。彼奴らの食い荒らし方ではないのか?」
「奴らも形態によって千差万別ですから。ただ、マトモな獣や鳥の食べ方でないことは確かですよ、硬い骨もあまり残ってないので。そうですね、肉も骨も一緒くたに食べてしまうような獣でもいるなら別ですが」
「……心当たりは、ないな」
距離が少し離れてるといえ隣里。エルフに心当たりがない生き物が生息しているとは考え難い。
「で、でもおかしいよ!!鏡像がに……人間を襲ってるなら、救援の要請が届いてるはずだよ!だだだだだだってあのニオイは1日2日じゃ……ぅぷっ」
思い出して気分が悪くなったのか、アルヴィンが再度自らの口元を押さえる。幸い、今回は耐えきった。
「そのことなのですが、族長」
エルフの1人が顔を青白く染めながら口を開く。
「残っている人間たちの様子もおかしいのです」
「人間たちが……?」
「はい、あまりに無関心すぎるのです。我々がこの数で横を通り抜けて行っても見向きさえしない」
そう言って、ちらりと彼女が目を向けた先には特になんの変哲もない里の様子。
そう、なんの変哲もない。不可侵を築いていたはずのエルフが夜半にこれだけ一斉に里へ侵入してきても、これだけ里内で騒いでいても、誰も様子を観に来ることがないのだ。
起きていたはずなのに、誰1人として。
「確かに動かんだが……我々の行動に呆気に取られているだけではなく、か?」
「そっ、そ、それ!!ここの話だけじゃなくて、それもおかしかったんです!話を聞こうとしてるのに、皆さんどこかズレてるというか、い、1回話してみてください!全然通じないんです!!」
正直なところ、アルヴィンの訴えも何がどうなっているのか通じ難いのだが、住民がおかしいということだけは十分に伝わった。
ヴェルは隣のシルヴィアに視線を投げた。だが彼女から返ってきたのも困惑に塗れた視線だ。各々が各々、身近にいる物と顔を見合わせてはアルヴィンの話す内容の意図を理解しあぐねている。
「……わかった、先ずは会話を試みよう」
「ええ、ええ、お願いします。何人に話しかけても同じことだし、僕ももう心が折れそうで」
瞳いっぱいに涙を溜めたアルヴィンは、全身を使って強く頷いたのだった。
「これって───」
「おや……物の見事に食い散らかされていますね」
足元に散らばる"破片"が微かな臭気を漂わせている。
赤、赤、時折混じる白や黄色。
どこがどの部分だったのか既に定かでは無い、元は身体の一部。野獣や家畜のものだと断言できればいいのだが、同じく散り散りに放り出された衣服の破片がそれを許さない。
ひとつひとつは小さな破片。しかし、同じ空間に凝縮されたそれは、耐え難いまでの饐《す》えたにおいを放っていた。
思わず鼻を覆うものの、このにおいの漂う空気を肺に取り込んでいるというだけで嫌悪感が胃から込み上げる。隣を見ればシルヴィアも袖で鼻を覆って顔を顰めていたが、ヘイだけはあっけらかんとした表情でこの惨状を眺めていた。
「き、ききき、来てくれたぁ……」
追いついてきたヴェルたちの姿を認めてか、両の握り拳を口元に当てて震えていたアルヴィンが泣きそうな声で呟いた。更に汗でべとべとの顔面は蒼白で、下手をすれば今すぐにでも倒れそうだ。
「な、なんか里の人もおかしいから、取り敢えず奥まで確認してようって思ったんだけど……こ、こここここの建物の屋根が壊れてて中を覗いたらこんな状おぼぼぼろろろろ」
後続を待つ間、外にいればいいものを律儀にこの場に留まっていたのか、それとも単に足が竦んでいたのかはわからないが長時間この臭気に晒され続けた結果だろう。
言葉の途中で勢いよく顔を背けたアルヴィンの足元から聞くに耐えない音がした。
「……なんだのだ……これは、一体……」
即座に動いたヴェル、それについて来れたのはサポーターの2人のみ。
一足遅れて到着したエルフたちは、今まさにこの光景を目にした。
茫然と立ち尽くしながら惨状に言葉を失う彼らを、シルヴィアが率先して外へ誘導する。
「取り敢えず、離れた方がいいっす。見るのも嗅ぐのもだいぶとキツいっすから」
促されるままに1人、また1人と筆舌しがたい現場から足早に離れていく。
「うぇっ、うぇっ、ひっ、ごべんなざい……。ぼっ、ぼくこういうの、駄目でぇ……」
もはや顔の惨状には言及するまい。
ヴェルが汚れていないアルヴィンの服の端を引くと、彼は素直についてくる。
備蓄庫を出たところで、むせ返るような腐ったにおいは一気に軽減した。壊れた天井から漏れてくる臭気はあるが、中とは天と地の差だ。
気分が悪くなったのか数人のエルフも顔色を悪くしている。幾人かは口元を押さえて蹲り、すぐには動けそうになかった。
「あれは、人間か?」
顔色は悪いながらも、平常を装おうとしているオーベロンはやはり長というべきか。彼の問いへは、最後に外へ出てきたヘイが答えた。
「そうでしょうね。服の残骸もそうですけど、獣の毛ではなく頭髪みたいなものも落ちていましたから」
ほら、と彼が雑に放り投げたのは短い茶髪の束だった。
───束なのは他でもない。付いているのだ。根本が。
「ひぃっ!!」
湿ったものが地面を叩く音にアルヴィンが大きく肩を揺らす。
「……ッ」
本当にヒトだったのだ。
破片だけでは現実味がなくて、においだけならなんとか耐えることはできた。けれど、"あれ"が元は自分と同じ形をしていたのだと実感すると、途端に自分の胃の中身も込み上げてくる感覚に陥る。
リンデンベルグではグレゴリーの配慮と姉の安否が気になり過ぎて、直視することは殆どなかった。
なのに今、モノのように扱われているヒトの残骸は紛れもない死を匂い立たせている。
「ヘイ!流石に配慮が無さすぎるっすよ!!」
シルヴィアの怒号に、ヘイが今までになく大きく目を見開いた。
「配慮……?だって、死んでるんですよ?」
「蛇鱗人がどうかわからないけど、私たちからしたら死人を雑に扱うのは冒涜っすよ」
「冒涜……」
困惑したような呟きが漏れる。
縦に長い瞳孔が自らが投げた破片の一部に吸い込まれ、暫しの沈黙が落ちる。
やがて───彼は再びゆっくりと目を伏せ、胸に手を添えて頭を下げた。
「失礼しました。皆さんの価値観を忘れるところでした。ここは人間の里、ですからね」
郷に入っては郷に従え。そう言ってヘイは放り投げた頭皮の残骸を拾い上げ、備蓄庫の中へと戻る。程なくして戻ってきた彼の手に"それ"はなかった。
「戻してきました。ちゃんと他の部分の横に添えておきましたよ、バラバラだと可哀想なんですよね」
「そういう……、───まぁ、良いと思うっす」
そういうことを言いたいのではないのだろう。シルヴィアの声は釈然としない響きを含んではいたが、追ってヘイを責めることはなかった。
死体に対する態度もそうだが、彼は先ほどのにおいの中に戻ることをなんとも思っていなかったのだろうか。
未だぐるぐると不快を訴える胃を抑えながらヴェルが考えていた時だ。脂汗を浮かべながら口元をハンカチで拭っていたアルヴィンが、震える声で問いかけた。
「へ……ヘイ君はよくそんなに平然としてられるね……?」
「種族柄、それなりの環境で育ってきましたからねぇ。同族がゴロゴロ死んでいるのも当たり前でしたし、腐った肉でも食べないと生きていけないときもありましたから───流石に鏡像のようにヒトを喰らう、なんてことはないですけど」
調子を取り戻してきたのか、最後は冗談めかして口元に指で×を作る。
生きてきた環境が違うこともあって、彼のいう状況を思い描くことは難しい。それでも、当初からどこか浮いた反応を示すあたりに、その片鱗が垣間見える気がした。
「これもあの鏡像の仕業なのか……?」
「我々、頑張って対処していましたので皆さんを食べさせることはなかったはずですし、なんとも……」
「それについては感謝している。しかし鏡像については其方らの方が詳しいだろう。彼奴らの食い荒らし方ではないのか?」
「奴らも形態によって千差万別ですから。ただ、マトモな獣や鳥の食べ方でないことは確かですよ、硬い骨もあまり残ってないので。そうですね、肉も骨も一緒くたに食べてしまうような獣でもいるなら別ですが」
「……心当たりは、ないな」
距離が少し離れてるといえ隣里。エルフに心当たりがない生き物が生息しているとは考え難い。
「で、でもおかしいよ!!鏡像がに……人間を襲ってるなら、救援の要請が届いてるはずだよ!だだだだだだってあのニオイは1日2日じゃ……ぅぷっ」
思い出して気分が悪くなったのか、アルヴィンが再度自らの口元を押さえる。幸い、今回は耐えきった。
「そのことなのですが、族長」
エルフの1人が顔を青白く染めながら口を開く。
「残っている人間たちの様子もおかしいのです」
「人間たちが……?」
「はい、あまりに無関心すぎるのです。我々がこの数で横を通り抜けて行っても見向きさえしない」
そう言って、ちらりと彼女が目を向けた先には特になんの変哲もない里の様子。
そう、なんの変哲もない。不可侵を築いていたはずのエルフが夜半にこれだけ一斉に里へ侵入してきても、これだけ里内で騒いでいても、誰も様子を観に来ることがないのだ。
起きていたはずなのに、誰1人として。
「確かに動かんだが……我々の行動に呆気に取られているだけではなく、か?」
「そっ、そ、それ!!ここの話だけじゃなくて、それもおかしかったんです!話を聞こうとしてるのに、皆さんどこかズレてるというか、い、1回話してみてください!全然通じないんです!!」
正直なところ、アルヴィンの訴えも何がどうなっているのか通じ難いのだが、住民がおかしいということだけは十分に伝わった。
ヴェルは隣のシルヴィアに視線を投げた。だが彼女から返ってきたのも困惑に塗れた視線だ。各々が各々、身近にいる物と顔を見合わせてはアルヴィンの話す内容の意図を理解しあぐねている。
「……わかった、先ずは会話を試みよう」
「ええ、ええ、お願いします。何人に話しかけても同じことだし、僕ももう心が折れそうで」
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