境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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森樹の里:ビオタリア

72.クローバーを踏みしだいて

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「私もヘイと同じで何か辞令を貰ったわけじゃないっすけど……ここに来てすぐ、子どもを抱えた奴に遭遇したっす。明らかに怪しい風体だったし、子どもがすごく顔色が悪かったからおかしいと思って」

 文句は言いつつも、シルヴィアは話し出す。
 事実、彼女が語るように相手と少しでも対峙したのであれば、本人が説明する方がよっぽど理にかなっていた。

「念のため声をかけようと思ったんすよ。一応、

 顔を上げて話し始めていたシルヴィアがまた少し俯き加減にヴェルを窺っていた。

「だけど、声をかけようとした瞬間に目を潰そうとして来たから思わずやり返しちゃって……顔に一発お見舞いしたんすよね」
「それはやり返しちゃっても仕方ないよねぇ……」

 アルヴィンがしみじみと呟く声は静かな部屋によく通り、慌てて彼はふっくらした手で自らの口を塞いだ。
 同じ目に遭わされた身といえ、これについてはヴェルも完全同意である。むしろシルヴィアが初っ端から問答無用だったことにも、しっかりと納得がいった。

「多分浅かったんだと思う。そのまま相手には逃げられちゃって。気になるのは、そいつの顔がしっかりと見えなかった事なんすけど」

 その時の事を思い出そうとしているのか。
 シルヴィアは顎に手を当てて唸っている。

「ヴェルはそいつの顔、見たんすよね?」

 とりあえず、ヴェルは頷く。
 ヴェルの場合はしっかりと顔が見えなかったというより、相手が仮面を被っていたからに他ならない。だが、シルヴィアの口ぶりからするとどうも違うのだろう。
 しかし今は話の流れを遮るべきではないと、本筋を逸らす要素については口を噤んだ。

 もっとも、今のヴェルはそうでなくても話せないが。

「見たのか、相手の顔を」

 ざわり、と部屋の中がどよめきたつ。途端に落ち着きがなくなり、再び自身に集まる注目にヴェルは気圧された。





 ───やはり大勢に注目されるのは好きじゃない。

 とくに、警戒と敵意を込められていた最初よりも、今のように何処か期待を込めた眼差しが混じっていたほうがよほど不快だ。
 まるで、値踏みされているように感じる"それ"が、臓腑をねくり回しているようで気分が悪い。

「どんな奴だったんだ!?人間だったんだろう!?」

 思わず腰を浮かしたエルフの1人が、声を荒げる。それを皮切りに次々と周りのエルフたちが立ち上がり、ヴェルに向かって身を乗り出した。

「男か、女か?」
「髪の色は?瞳は!?」
「顔立ちはどんな感じだったんだ!?」

 
 割れた仮面の下から覗いた部分を知っているだけで、全体像を見たわけではない。
 顔の印象よりもポータルを通って逃走したという事実のほうが衝撃で、顔の印象なんてむしろ朧げだ。
 性別と大体の年齢程度は把握できていても、瞳の色なんてわざわざ意識して覚えていない。髪の色なんてなおさら、フードに隠れて見えてすらいなかった。
 ましてや人間かそうでないかなんて、ヴェルに分かるわけがない。

 ここで彼らの望む答えを返せなければどうなるのだろう。
 落胆したような目を向けて、言外に役立たずだというのだろうか。


 耳鳴りが、する。



 見るな。



 そんな目で、俺を見るな。









「ストーーーップ!!」

 一際大きな声が思考を現実に戻す。

 同時に、纏わり付いていた視線は切れた糸のように途絶え、ヴェルは思わず止めてしまっていた呼吸を再開させる。

「だから聞いても答えられないって!私が喉潰しちゃったんだから……何度も反省させないで欲しいっすよ、もー!」

 周りの視線を一身に浴びながらも朝焼け色の双眸は呆れたように細められていた。

「まずは順を追って説明すべきってオーベロンさんも言ってたじゃないすか。はやる気持ちは分かるけど、別にヴェルが逃げるわけじゃないんだし落ち着いて欲しいっす」
「……そうだな、申し訳ない」

 渋々といった体ではあるが、最初に身を乗り出していたエルフがシルヴィアの言葉に従って腰を下ろす。それに追従して他のエルフたちも席へと着き直した。

「すまない。皆、ここのところ何の進展もなく気を張り詰めていたのだ。新たな手掛かりが得られると思うとつい、な」
「し、仕方ない事だと思いますよ。でもああやって囲まれるのは僕でも普通に怖いので、その」
「ああ、そうだろうな。悪いことをした」

 なけなしの勇気を振り絞ったのだろうか。相変わらずビクビクと身体を小刻みに震わせながら、アルヴィンも横から助け舟を出す。
 オーベロンも彼の言葉に反論することもなく、素直に謝罪を述べて小さく頭を下げた。

「わざわざヴェルさんを詰めずとも、エルフの皆さんには心当たりがあるのでしょう?」
「確証が欲しいと思うのは当然だろう?」
「疑ってるも何も、隣里の人間たちで間違いないに決まってる!かつては我々を奴隷にしようとしていた奴らなんだぞ!」
彼奴きやつら、最近は妙に静かで中立区にすら現れやしない。何か企んでいるのではないか?」

 ヘイが肩を竦めると、また別の場所から声が上がった。先ほどよりは幾分かマシなものの、ざわりざわりと剣呑な気配が漂っては部屋の中をみたしていく。



 完全に自分から逸れていった空気に、ヴェルは気付かれないようそっと長く細い息を吐き出した。

 こんな感覚は初めてだ。元来、親しい者を除いて他人の目というものは好きではなかった。だがここまで顕著に嫌悪感を催すほどではなかったはずだ。
 何が今までと違うのだろう。こんなにも多くの視線を集めるのが初めてだったから、それが原因なのだろうか。はたまた、いつもであれば隣に立って視線を分散するはずの姉がいないことが原因なのだろうか。それとも、両方か。


「大丈夫?」

 小さく囁かれたはずなのに、その声はざわめきの中でよく聞こえた。
 気遣うようにそっと触れるシルヴィアの手が、硬く握りしめていたヴェルの右拳をゆっくりと解していく。

「顔色が悪いっすよ」
「……」
「まぁ、詰め寄られて気分良いわけがないっすよね。落ち着いて、ほら、吸ってー、吐いてー」

 自分の手が冷たいのか彼女の手が暖かいのかわからないが、確かにその体温はヴェルの痺れた思考を徐々にクリアにしていく。
 真剣に呼吸を促すシルヴィアの顔がなぜか面白くなって、思わず白い歯がこぼれるとつられて彼女も笑った。

 不思議だ。
 会って間もないというのに、夜明けを模したその色にはどれだけ見られても嫌な思いが全く湧かないのだから。



 ぱん、と乾いた音が響いた。
 それにより騒々しく飛び交っていたノイズはピタリと止み、部屋は静寂を取り戻した。

 オーベロンが眉根を寄せた顔でざわめいていた面々を見渡す。叱られた子供のようなバツの悪い顔で俯いた彼らは、騒ぎの口火を切った者たちなのだろう。
 彼らを言及することもなく、オーベロンは打ち合わせた手をゆっくりと下ろした。

「問題のひとつについては理解してもらえただろう。我々は子を奪われ、その原因を隣里の人間だと考えている。確証がないゆえ、今までなかなか踏み込むことが出来なかったが」

 刻まれた眉間の皺には、隠しきれないもどかしさが浮かんでいるようだ。抱えた苦悩までを解すかのようにゆっくりと目頭を揉みながら、彼は言葉を続ける。

「現在はお互い不可侵の関係を築いてはいるが、我々の間には決して埋まらないわだちが存在するのだ。いまもって話す内容ではないゆえ割愛するが……疑うだけの下地がある事は理解して欲しい」

 そう言って彼はまた深く嘆息した。


 ヴェルの価値観からすれば、すぐにでもその隣里とやらに乗り込み、真実を暴き、子を取り返せば良いのではと思うところだ。しかし彼らにとってはそうは行かないらしい。
 不可侵を誓っているからか。或いは違う理由でもあるのか。

 その答えは、ようやく自らも説明に加わろうと場を伺っていたアルヴィンによってもたらされた。

「エルフの皆さんがすぐに行動を起こせなかったのは、不可侵だからってだけじゃなくて、その……鏡像の所為なんだ」

 鏡像。
 その名が出て、ようやくヴェルはアルヴィンがこの里の問題に首を突っ込んでいる理由に察しがつき始めた。

「本当は早いうちに人間たちに話を聞きに行きたかったらしいんだけどね。彼らを問いただそうとした矢先に、運悪く奴が現れたんだ」

 ───はたしてそれは、"運が悪く"なのだろうか?

 訝しむヴェルの視線を感じ取ってか、アルヴィンは狼狽えて首を竦める。顎の肉に埋もれているが、流石に亀のように顔を引っ込めるには至らない。

「そ、そ、そんな顔しないでくれよぉ……。そりゃあ僕だってタイミング良すぎるとは思うけどさぁ……」
「しかし事実だ、アルヴィン殿」
「う、疑ってないですよ別に!皆さんが嘘をついて得することなんて何もないですし!!でも……だからこそ、気になるというか」

 窮屈そうに組まれた指がもじもじと動く。

「あのね、エルフの皆さんがいざ人間の皆さんのところに!って出ようとした直後にケモノ型が里を襲ったらしいんだ。まぁ、ケモノが出るのはそこまで珍しくもないんだけど……」

 そこはヴェルにも十分理解できる。先ほど隣里間での亀裂を示唆されたばかりである。種族間の諍いなど、どこの世界でも1番に起こりやすい不和の種だ。

 目に見える争いが起こっていなくとも、ヒトとヒトの間に生まれる不和が強ければ強いほど生まれる負の感情は多くなる。それはやがて鏡像を産み、増やし、己が世界を侵食する。

 現れる鏡像の数が多ければ多いほど、守護者の手もサポーターの手も不足する。ゆえにヒトを喰らった鏡像が、モヤからケモノまでの成長を遂げるのも容易に考えられることだった。

「そのケモノ型っていうのがどうも厄介で……シルヴィアさんとヘイくんの2人でも手に余るからってことで、ようやく僕の元へ救援の指令が出たんだよ」
「不甲斐ないっす……」
「いや、いや!あれは仕方ないというか、僕でも実際に面倒だったなっていうか」
「アルヴィンさんも盛大に攻撃外してましたからねェ」
「それは言わないで!!」

 ヘイについては分からないが、シルヴィアは間違いなく強かった。そんな彼女と守護者のアルヴィンが居てもなお、厄介な鏡像とはどのような相手だったのだろうか。
 泣きそうな顔をしながら、それでも今度ばかりはアルヴィンも他の者に助けを求めることはしなかった。

「えぇっと、とにかくその鏡像は厄介なんだ。それなりに知能があって、あまりに危険を感じると逃げてしまうんだよ。さっきもその所為でバタバタしててさ……だから正直、まだ倒しきれていないんだ。だから今回、応援要員として手の空いてる新人の君に話が行ったんだ」
「そしてその鏡像は何度も里に現れ───その度に、狙ったかのように子が拐われるようになった」

 静かで穏やかな声。
 だが確かに隠し切れないほど滲んでいるのは怒りだ。

「シルヴィア殿に一度見られたからかは知らんが手口は粗雑になった。我々が鏡像に手間取っている合間に、手薄になった守りを突破して奪っていくのだ。嘲笑うかのようにな」

 姿勢よく座してはいるが、机の上に置かれたオーベロンの拳は音が鳴りそうなほど握り込まれている。

「里の防衛に人手を割かれ問い正しに行くこともできず、鏡像に手間取る間に子は奪われる……。こんな都合よく事が生じるのに、それを人為的でないと考えぬ方がどうかしていると思わんか?」
「でっ、でも鏡像に関してはヒトがどうこう操作できるものじゃ……」
「だが彼奴らはどのように我々が襲われていることを知る?出来ぬとは言い切れんのだろう?白の世界は広く、其方そちらだけでは把握しておらん事も多々あるだろう」
「それはそうなんですけど……」

 なんとか体裁を保たんとするかの如くオーベロンはゆったりとした口調を崩さない。だが話を続ける度に声音に震えが混じっていく。
 話しているうちに抑えていただろう憤りが熱を持ち始めているのだ。流石にアルヴィンもこれ以上の否定はしなかった。

 シルヴィアが言っていた"ややこしい状況"とはこの事だったのかとようやくヴェルにも理解ができたが、だからといって成程わかったと簡単に返せるような雰囲気でもない。




 暫しの沈黙。




「だから、確認しに行くっすよ」

 重苦しい静寂を破ったのは、澱んだ空気の中でも凛然たる声。

「悔しいけど、どうにしろ子どもの行方は分からないままっす。人間が関係ないにせよ、近場に住んでるからには何か手がかりを持ってる可能性だってある。───初手から喧嘩しに行くつもりじゃないもんね、オーベロンさん?」
「……無論だ」

 答えは一拍を要したが、シルヴィアは満面の笑みを浮かべた。

「鏡像が出るかもしれないからには私たちの戦力分散もなかなか出来なかったんだけど、その問題もようやくなんとかできそうだし」

 そう言ってシルヴィアは上を指差した。
 天井は丸くくり抜かれ、そこからは周囲を覆う枝葉と夜空が垣間見える。落ちた葉が入り込んでこないところなどを見るに、何かしらの魔術が施されてるに違いない。雨風が吹き込まないかという疑問が湧いたが、杞憂なのだろう。

「なんてったって、今夜は待ちに待った満月っすから」

 黒い空には霞のような薄雲がたなびき、快晴とは言い難い。しかしその中でも欠けひとつない月だけは、中天に煌々とその存在を主張していた。
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