境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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浮遊都市・ルフトヘイヴン

48.泥中 -前-

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 ───きゃらきゃらと子供の笑う声がする。

 それは意識のずっと奥、夢にさえ出るのを忘れるほどに遠い記憶のような。
 見慣れた金糸が視界を舞う。
 覗き込むその顔は、自分にとてもよく似た───




 ぼやける思考が徐々に覚醒を認識する。
 背中が痛い。身を起こすのには少し苦労しそうだ。しかし幸いにも動けないほどではなかった。


 シリスはゆっくりと瞼を押し上げ、痛む背を無視してそっと身を起こす。

 薄暗がり。先程まで歩いていた通路とはまた違う静寂に満ちているが、風が吹き込んでいるようで静けさの中にも僅かな笛鳴りが聞こえた。
 どうやら別の通路らしいそこは幸いにも浮遊石の明かりで、暗くはあるものの視界は保たれていた。

「シリス……シリス!!よかった、起きなかったらどうしようかって心配で……っ!」

 起き上がったシリスに気付いたアーリィが飛んで来てその顔を羽で挟んだ。

「ごめんね。もしかして長いこと寝ちゃってた?」
「そんなことない!そんな事ないけど……ワタシを抱えたまま落ちたから……!」

 そのまま右に左に。角度を変えてはシリスの顔を覗き込み、その反応を見逃すまいと必死の形相のアーリィ。

「大丈夫?大きな怪我がないかは確認したんだけど、頭が痛いとかない!?」

 あまりに忙しない動きに、痛みも忘れて思わずシリスは笑った。

「大丈夫だよ、しっかりアリィの事もわかるから」
「ワ……ワタシ、ヒトを抱えて飛ぶことはできなくて……。シリスたちがさっき話してたから、風の魔術で衝撃を和らげたの。でも普段使わないから発動が遅くって」

 言われてようやく状況が掴めた。
 シリスが上を見上げれば、遥か遠くに歩いていた通路の白い天井が見える。どうやら、床下はこの場所と直接繋がっていたようだった。
 見る限りかなりの高度を落ちてきたはずなのに、痛みだけで済んでるのは幸運以外の何物でもない。

「そういえば、鏡像は───」
「落ちた衝撃でもう……。シリスの攻撃ですでに割れかけてたから……」
「それ聞けて安心したよ」

 敵を前に意識を飛ばしてたとあっては笑い話にもできないところだ。
 後ろ手をついて振り返った掌の下で、金属の擦れ合う高い音が鳴る。そこでようやくシリスは気が付いた。

「あ、やべ、壊れてる……」

 考えてみれば当たり前なのだが、落ちた衝撃でゲルダから渡されたは無惨な姿になっていた。破れたポーチから溢れた機械と羽の残骸が見るも痛々しい。

「背中痛いの、これかあ……」

 作品にそこまで頓着しているようには見えないゲルダだったが、流石に壊したとなっては罪悪感だって湧いた。

「ご、ごめんなさ……っ」
「アリィ?」
「ワタシが、ワタシがパパのことで、周り、見えなく、なっ……」

 アーリィが肩を振るわせて泣き始める。

「ワタシを庇って、シリスまで怪我を……っ」
「大丈夫だよ!?ほら、あたし丈夫だから全然動けるし!」

 ぼろぼろ涙を零す彼女を見て、シリスは慌てて立ち上がり腕を振ってみせた。───鈍痛を訴える背中は無視をする。
 それでもアーリィの涙は止まるところを知らない。

「みんなも巻き込んで……っ、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「ほんとよぉ。こっちは良い迷惑だわ」

 この状況で聞こえた声に、安堵すれば良いのか落胆すれば良いのか。
 間延びした声に苛立ちはない。代わりに心底うんざりした様子が混じっていた。

 シリスが再び振り返ったその少し先に、レッセが腕を組みながら太々しい態度で壁に背を預けていた。所々に見える汚れは土埃だけのようだ。

「……先輩も落ちちゃったんですね」
「その子が足引っ張るから、逃げ遅れちゃってさぁ。チビちゃんの羽、咄嗟に開いたは良いものの一緒に落ちた瓦礫に当たってよ」
「でも───怪我なさそうでよかったです」

 シリスの言葉に「ハッ!」と、鼻で笑って、彼女は自らの頬を指さした。

「怪我してるけど?」
「かすり傷じゃないですか。無事なら何よりです」
「さっきあんなにボロクソに言われて、よくそんな言葉が出るわねぇ。頭おかしいんじゃない?」

 他の面々がアーリィしかいないからだろうか。最初に比べてもレッセからの当たりが強くなっている。
 シリスは苦笑だけを返して、まだ泣きじゃくるアーリィの側に屈んだ。

「ほら。大丈夫だから泣かないで?」
「でも、でも……」
「アリィのお陰で生きてるんだしさ。良いことと悪いことと、これでチャラって事にしよ」

 もはやグローブでは拭いきれない涙を服の裾で拭う。目元を赤くしながら見上げてくるアーリィに、シリスは微笑んでみせた。

 実際に、あれだけの鏡像に襲われて大した被害もなく済んだのだから、幸運と言ってもいい。
 あとははぐれた仲間が無事かだけが気掛かりだ。

 シリスはゆっくりと瞳を伏せた───脳裏に鏡像を蹴散らしていた友人たちが浮かぶ。

「……あの2人なら大丈夫っしょ。道も崩れたし」
「シリス……?」
「ううん、こっちの話」

 心配でないと言えば嘘になるが、同期で成績のトップを争うような彼らだ。なんとかしているだろうという信頼もある。

 ゆっくりと瞼を持ち上げると、シリスはようやく涙がおさまり始めたアーリィのを取って立ち上がらせた。

「追いつくって言ったし、合流できるよう頑張らないと」
「あの、ワタシ」
「結局進むしか無くなっちゃったしさ。道中で何か、お父さんの痕跡が見つかったらいいね」

 諦めるにはまだ余裕ができたし、とシリスが頭を撫でればアーリィは硬いながらも笑顔を見せた。

「……うん」

 これ以上は何を言ったとしても、きっとアーリィの気持ちが晴れる事はない。それこそ、彼女の父の行方がハッキリとしなければ。
 シリスもそれをわかっているからこそ、話題を逸らすように視線をレッセに向けた。

「先輩、あたしが起きるまで待っててくれたんですよね」
「……正気?わざわざ巻き込んだんだから、アナタに先陣切って進んでもらわなきゃ割が合わないだけなんだけど。ゴミどもも居るみたいだし」
「了解でーす。じゃあ、あたしが前進みますね」

 シリスが素直に返事をして歩き始めると、レッセは面白くなさそうに鼻を鳴らしてその後を追う。

 ディランの言うように、どの道も目的とへと続いているのであれば追い付くという目的も果たせるだろう。もしも進んだ方向が入り口であったなら、また戻ればいいだけの話なのだ。
 その際にレッセが渋るようであれば、彼女だけ置いていけばいい。

 落ちる前の言動にしこりは残るが、この場でまた争いを始めるほどシリスも愚かではない。
 レッセの言動がまた彼女の地雷を刺激しなければ、だが。

 兎にも角にも、シリスは彼女をあしらって進むと決めた。

「んじゃ、行きますか!」

 返事はアーリィ1人分のみ。
 それでも、3人は先の見えない通路へと足を踏み出した。







「本部、聞こえるぅ?場所はルフトヘイヴン上空の島。なんでかゴミどもが沢山湧いてるんだけど───ええ、モヤとケモノね」

 シリスとアーリィの後ろをついて歩くレッセが、エーテルリンクに向かって怠そうに報告をしていた。

「馬鹿みたいにワラワラしてたからさっさと応援よこし……え、場所?だからルフトヘイヴンだってば。島がポコポコある場所……現地民?居たらもっと大事おおごとでしょうが」

 聞こえてくるのはレッセの声と、誰かの声。通話をしているような形なので、送受信ともに端末を持っているのだろう。その証拠に、彼女が指に嵌めたリングは2つともが僅かに光っていた。
 恐らく本部の守護者が相手なのだろうが、シリスの耳を持ってしてもはっきりとした会話は聞こえ辛い。

「はぁ!?優先度……ってこっちは怪我までしてんだけど!?1人増えたくらいじゃ何も変わんない───もしもーし!ちょっと!!」

 リングに向かって叫ぶレッセ。
 しかし、相も変わらずそのリング型の端末からは小さい声が漏れるのみだ。やがて光は消失し、微かに聞こえていた声もふつり、と途絶えた。

「ったく、コイツもどっかぶつけたかも。聞こえにくいのなんの……使えないわねぇ」

 どうやら相手の声が小さかったことも、エーテルリンクの故障によるものだったらしい。
 肺の中の空気を全て吐き出すほど深いレッセの溜息が途切れる頃、アーリィがシリスの耳に顔を寄せて小さく尋ねた。

「鏡像を倒すのって、守護者様が1番優先する目的じゃないの?」
「あー、そっか。そうなんだけど……普段、町とかで暮らしてると知らないよね」

 まだ文句を言い足りないのか後ろでエーテルリンクを弄り続けるレッセを横目に、シリスは通路の影から飛び出してきたモヤ型を一刀で斬り伏せた。
 先程のような数はないが、やはり鏡像もそこかしこに現れている。

「白の世界には排斥力───俗にいう自浄作用みたいなものがあるの。鏡像はただこっちの世界に現れただけだと、その排斥力によって数日で割れちゃうんだよね。ヒト型まで行くと、それが数ヶ月とかに延びるらしいけど」
「え、でも、それなら……」
「最悪、放置して凌いでたら良いって思うかもね。でもここで大事なのが、こいつらがヒトを食べるってところ」

 色を失って、パキパキと音を立て始める鏡像の身体をシリスのブーツが踏みしだく。分厚めのソールの下で粉々に砕けた破片が破裂するように散らばり、煌めきながら風に溶けていった。

「ヒトを食べた鏡像は、その排斥力の影響を暫く受けない。逆にいえばヒトを食べ続ければ、その鏡像は白の世界に留まることができる。鏡像がヒトを食べるのは憎さからって言われてるけど、そういう理由もあるのかもね……なんて」

 建設的な会話が出来ないからこそ、憶測で語るしかない。
 リンデンベルグでエミリオに成り代わっていたヒト型でさえも、「"なるべく"ヒトを食べずに」と言っていた。

 鏡像がどれだけ成長しても白の世界にとっては永遠に異物で───だからこそ、その排斥力に抗うことなどできないのだ。

 シリスは自らの存在を叫んでいた男を思い出
したが、すぐに頭を振ってその影を脳裏から追い出した。

「だから最悪、居住地から離れて現れた鏡像は放っておいても勝手に死ぬ。だけど運悪くそこから人里へ行ってしまう場合も考えなきゃダメ」
「だから優先度って話が出てくるのね」
「そ。守護者がどれだけ居ても、世界やそこに在る町とかの数には到底追いつかないからさ」

 あえて口にはしないがシリスは考える。
 だからこそ、この場所に鏡像がこんなに存在しているというのはおかしい事なのだ。

 1年の殆どを外界から隔絶された島。
 ヒトを喰らわねば短くて数日で割れてしまう鏡像の存在。

 あれだけの数が居たということは、あれだけの数を生み出せる鏡が今も存在するということだ。しかも、ケモノ型まで通過できるほどの大きな鏡が。
 そんなもの、話を聞いている限りでは1つしか思い当たらない。

 シリスはアーリィを盗み見る。
 行方知れずの彼女の父親が、関わっている可能性は決して低くない。その事実を口に出して指摘するには、アーリィはまだ不安定に見えた。

「どうかした……?」
「なんでもないよ」

 不確かなことを言うべきではない。少なくとも、もっと明確に全容が見えてくるまでは。

 不安そうにそっと伸ばされたアーリィの羽をシリスは出来る限り優しく、優しく握り返した。
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