境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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浮遊都市・ルフトヘイヴン

40.翼の確執

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「本当にごめんなさい」
 
 階段を数階分降りた先の廊下。
 
 隣を歩くアーリィが、眉尻を下げながらシリスを見上げる。
 言われた当人のシリスはキョトンと目を丸くし、視線を彷徨さまよわせたあと、困ったように首を傾げた。
 
「何か謝られることしたっけ……?」
「はっきりと返事を聞く前に、色々決まってしまって。それに他の守護者の皆さんは、あまりワタシたちにいい感情を持ってなさそうだったから……」
 
 先ほどまでの強気だった様子とは一転、肩を縮こまらせる彼女に向かってシリスは笑みを見せた。
 
「大丈夫。元々、何か手伝えることはないかって思ってたんだよね。浮石車エアモーバー乗りのおじさんに色々話を聞かせてもらってたし」
 
 請け負う仕事を自ら願い出るか、向こうから与えられるかの違いしかない。ここにいたのがもしヴェルだったのならば別だが、役割を探そうとしていたシリスにとっては、降って湧いた状況でもある。
 
 シリスにとっては、だが。
 
「だから、気にしないで」
「僕は反対だよ」
 
 安心させるよう微笑むシリスとは逆に、彼女らの後ろを歩いていたディクシアは納得できない顔を浮かべていた。
 守護者、と一括りに案内されているため彼も付いて来てはいるが、最初からシリスの言い分には否定的だった。それはもう、不満なのだろう。
 
「勘違いしないでほしいんだけど、他種族が嫌いなわけじゃない。ただ、さっきフェール先輩が言ったように"その世界の問題は住んでいる住人たちが解決するべきだ"と、言いたいだけさ」
「ディクの許可がなくても、もう手伝うことは決めちゃったけどね」
 
 ディクシアの顔が歪む。崩れた表情を浮かべてもなお整った顔に、理解できないとありあり書かれていた。
 
「言ってることは分かるんだけどさ。ここに来る前にも言ったっしょ?ヒトの生活を守ることだって、言い換えれば世界を守ってるようなものじゃん」
「僕は詭弁きべんだと言ったはずだよ。たとえ君が干渉せずに儀式が今年も失敗したとして、この世界の存亡に関わる話じゃない」
「だけど、仕事無くす人が増えたら確実に鏡像は増えると思うよ。それを事前に防ぐのってダメな事なの?」
「線引きをしろと言っているんだ。何度も言うが僕たちは便利屋じゃない。必ずしも必要のないことを君が安請け合いすることが、守護者全体の評価に関わってくるといっても過言じゃないんだ」
「守護者全体の評価……ねー」
 
 それであれば、レッセの態度はどうなのだろうか。
 浮石車エアモーバー乗りの男はそもそも守護者に良い感情を抱いていないのだろう。彼の言動とレッセと顔見知りだったことを考えれば、以前にも衝突が起きていたことは察するに余りある。
 
 言外にそう告げれば、バツの悪そうなディクシアはそれ以上シリスを責めることを止めた。
 納得し切っていない表情。だからといって、先達せんだつをわざわざ槍玉に上げるのは憚るようだ。
 
 最後の望みとばかりにその瞳がクロスタへ向くが、彼からの返答は「諦めろ」の一言だけだった。
 
「アーリィさん、で良かった?」
「どうぞ気軽にアリィとお呼び下さい!お願いを聞いていただくのに、敬語を使われてはワタシの立つ瀬がないですから」
「じゃあ、一緒に"仕事"する仲なんだし、お互い気にかけずに行こう?あたしはシリスだよ、アリィ」
「───うん!お願いね、シリス」
 
 シリスが笑って差し出した手を、アーリィは一瞬の間ののちに両の羽で包む。可憐な顔に浮かぶ、はにかんだ笑みがまた愛らしかった。

  だが、その表情はすぐにまた眉を下げた鎮痛なものへと戻ってしまう。
 
「ねえシリス。さっきその……酷いこと言われたでしょ?」

 彼女は意を決したように語り出した。

「酷いこと……、───あぁ地落ちってやつ?」
 
 途端に、アーリィの顔はさらに悲しげに歪んだ。
 
「ワタシたち有翼種の中には、それ以外をそうやって呼んで蔑んだりするヒトもいる。大半はヒトと仲良くしてるわ。でも残念なことに羽のない人への偏見を前面に出す有翼のヒトもいるの。ここに来てから嫌な態度取られたりしなかった?」
 
 そう言われて、シリスの脳裏に浮石車エアモーバーでの出来事が蘇る。
 
 避ける態度もなく、向かってきた空翼人アラサリの女性。通り抜けざまに聞こえた舌打ち。
 
 あれが羽のないヒトに対する嫌悪だったのであれば、確かに聞き間違いではなかったのだ。しかし、それを今言ったとして何になるだろう?
 シリスは首を振って笑った。
 
「気にしてないよ。もともと、パッとしない言葉だったし」
「……それでも、傷付けるために悪意を持って吐き出す言葉が許されるわけじゃないわ」
 
 それは隣にいるシリスにしか聞こえないほどの小さな抗議。

 
 きゅ、と微かな痛みが胸を刺した。


 
「有翼種の中には同じように空を飛ぶ浮石車エアモーバーやそれに乗るヒトを嫌う者もいます。その中には浮遊石を充填するのは止めて、"空は有翼種われらだけのもの"なんて過激な奴らもいる」

 そこでアーリィの言葉を引き継いだのは、祭司長のすぐ後ろについていたディランだった。

「ご挨拶が遅れました。ボクはディラン・エリィ。アリィの従兄いとこで、副祭司をさせていただいております」



 彼はシリスたちの視線を受け、歩きながらであるものの優雅に一礼を見せる。従兄だと言われれば確かに、髪の色や顔立ちからアーリィとの血のつながりを感じることが出来た。

「有翼種は飛べる分、骨が軽いので重い物を運ぶのは苦手です。この高低差のある都市では特に、有翼種であっても浮石車エアモーバーの便利さに慣れた者が大半なのですよ」
「とにかく、浮遊石が使えないとワタシたちだって不便になって困るの。それに有翼のヒトは基本的に不器用だから、そういった利便性のあるモノづくりは無翼のヒトたちにお願いするしかないわ。有翼のヒトは浮遊石では行けない母なる島エンブリオスに行って儀式を全うする。無翼のヒトは充填された浮遊石を使って便利なものを作る。この都市は、そうやって今までやってきたのよ」
 
 アーリィが自らの翼をシリスの前で軽く振る。金鷲人ハーピーのように腕自体が羽の場合、特に細かな手作業などが困難であることは手に取るようにわかった。
 つまり彼女が言いたいのは、有翼種と無翼種で互いにデメリットを補いながら生きてきたということだ。確執はあれどこの都市、この世界はそうやって均衡を保っているのだ。
 
 アーリィの言葉が途切れると同時。
 
「ですが」
 
 簡素な扉の前で祭司長は立ち止まった。
 
「───ですがその便利さを捨ててでも、翼持つ者として"空を独占したい"という者がいるのもまた事実なのです」
 
 そう続きを口にしながら彼は扉の鍵を開けた。
 中は扉と同じく簡素で、中央に小さな台座のようなものだけが置かれた部屋だった。部屋の中へと皆を招きながら祭司長がその言葉を口にする。
 
「強行策として、今まで儀式の妨害をしようとする者も実際にいました」
 
 灰がかった碧眼の奥の色は明確に窺い知ることができない。しかしその語りは、それが1人や2人ではないことを物語っていた。
 
「アーリィ殿の言ったように、大半の有翼種は今の便利な生活を捨てようという気はないのですよ。むしろ、少数の過激な者たちの所為で無翼種との溝が深まることを恐れてすらいます───先ほど彼らが裏切りといったのは、そういう面もあってのことです」
「……パパは、裏切ってなんかいないです。鏡を割ったのだって、きっとパパじゃないんです」
「ええ、私もあの温厚なヴィクターがそんなことをするとは思っていません」
 
 祭司長は深く頷いたが、いまの話の流れでは実際の心中はわからない。アーリィもそれを分かってか、下唇を少し噛みながら俯いた。
 一同が足を踏み入れた部屋に束の間の沈黙が落ち、やがて口を開いたのはまたアーリィだった。
 
「ワタシの友達に、浮石車エアモーバーの修理工がいるんです。いつかこうやって浮遊石が使えなくなった時のこと、ワタシたちはずっと考えていました」
「あの風変わりなヒトか」
「そう、彼女。ディランは会ったことあるから知ってるでしょ?」
 
 ワタシ"たち"が誰を指し示すのか思い至ったらしい。黙ってついてきていたディランは、祭司長の後ろに控えながらアーリィと同じ金の瞳を彼女へと向ける。
 
「あの子とワタシとパパで、浮遊石が使えなくなってもみんなが困らないように、浮遊石に代わる何かを見つけようって決めたの。まだ成果はあんまりだけど、それでも今回シリスたちを連れて行くことくらいはできる算段はつけてるわ」
「……僕たちは行かないけどね」
 
 次の、シリス"たち"が自分たちを指し示すのだと思い至ったディクシアがぼそり、と呟く。おそらく口に出そうとは思ってなかっただろう程の小さな声に、シリスは彼に見えないように苦笑いすることしか出来なかった。
 
「パパもワタシも無翼のヒトを嫌う理由なんてないの、彼らは大事な友人だもの。だから、パパがわざわざ争いの種を蒔くようなことをするはずないわ」
 
 アーリィはポケットから僅かに見えていた紙の端を、両の羽で挟むようにして引っ張り出す。指がない腕で細かな動きをするのはなかなかに大変そうだ。もたもたと広げようとして、そのまま紙を床へ落としてしまう。
 それを拾い上げて開くと、複雑な図面が現れた。シリスは慌てて差し出されたアーリィの羽の上に、飛ばないようそっと紙を置く。
 
「あ、ありがとう」
 
 照れ笑いを浮かべた顔にすぐ力をこめ、表情を引き締めたアーリィは乗せられたそれを祭司長へ向かって差し出した。
 
「これは……」
「その子から祭司長さまへと預かってきました。これが、ワタシたちが考えた浮石車エアモーバーに代わるです。これを使ってみなさんを母なる島エンブリオスにお連れするつもりです」
 
 祭司長は小さく唸りながら紙に目を通している。先ほどと同じく瞳からは表情が読み取りづらく、上がった声が感嘆なのか難色を示しているのかは判断できなかった。
 
 やがて紙から目線を上げた祭司長はディランに何か耳打ちし、台座の上から何かを取り上げて彼へと差し出した。ディランは頷くと恭しく"それ"を受け取る。そして、アーリィの前まで歩み寄り羽をゆっくりと前に差し出した。
 
「収納魔術がかけられている。儀式を終えた鏡がそこに入っているから、現地に着くまでは決して開けないように。割れてしまっては元も子もないからさ」
 
 そこに乗せられていたのは、細かな刺繍の施された1つの布袋。
 あの大きな鏡が入っているのか疑わしいほどに小さい"それ"だが、よくよく考えればシリスたち守護者も自らの体内に同じ原理で武器を収納しているのだ。あまり大きなものを仕舞い込むには魔力の負担も大きいので試したこともないが、改めて言われると妙な気分にもなる。
 
「儀式が全て無事に終わった暁には、貴方がたの考えたそのが───皆に受け入れられるようになると良いですね」
「ディラン……祭司長さま……」
 
 祭司長は優しく微笑むと、そっとアーリィの頭を撫でた。彼女は感極まった表情を浮かべながら、何度も何度も頷く。
 有翼種である彼女が、どういう気持ちで同じ有翼種の2人に羽に変わるモノの提案をしたのか。それは、きっとシリスたちには理解できないことなのだ。
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