境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

閑話 -過ぎ去りし日々に1-

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 時計塔の展望台は、私のお気に入りの場所だった。


 子供心にも、ここがつまらない場所だということは知っていた。
 展望台に辿り着くまでの螺旋階段はそれなりに長く、体力がないと上りきることすら大変だ。だからといって辿り着いた先の展望台は幅も狭く、見えるのは町並みと海ばかり。
 この町の名物である人形のパレードを見るなら地上の方が明らかに壮観であり、老いも若いも好んで何度も訪れる場所ではなかった。
 ここに来るとすれば、時折訪れる観光者や、時計守のお爺さんくらいのものだ。

 けれど私はその場所がとても好きだった。
 私に付き纏う男の子もいないし、いじめてくる女の子もいない。落ち着いていて何よりも静か……12時の鐘の音だけは別だけれど。
 とにかく、その場所には私以外がそう訪れることはなく、毎日息を切らせながら上るだけの価値があった。



 その日も図書館から借りてきた本を片手に時計台へ向かった。
 息を切らせながら一段ずつ踏みしめるように上って大きな鐘の横を通り過ぎる。私よりも何倍も大きい鐘は、今は静かに正午が訪れるのを待っていた。

 展望台へ続く扉を抜ければ、建物の中では感じ得ないほどの眩い光に包まれて目が眩む。

 一瞬白く染まった視界。

 瞳を瞬かせているうちに色を取り戻した世界が映し出したのは、いつもと同じ景色。
では、なかった。

「「あ……」」

 目が合った途端、お互いに思わず声を上げてしまった。
 後ろめたいことがあったわけじゃないのに、秘密の場所が暴かれた気がして私は思わず後ずさってしまった。───そんなこと、時計守のお爺さんや観光者に遭遇したときも思ったことなかったのに。相手が、同じ年頃の顔見知りだったからかもしれない。

 一歩引いた私の足は、不注意で階段を踏み外してしまう。

「あ、きゃっ……!」

 ぐらり、と傾ぐ視界。

 と、同時に脳内に階段の長さを思い出して芯から血の気が引いた。咄嗟に伸ばした腕は、手すりを掴み損ねて宙を掻く。

 落ちる。

 その一言が明瞭に頭の中に浮かんだ。



「危ない!」

 突然、重力に従っていた体が強い力で引き戻された。

 浮遊感と衝撃。

 階段を転がる痛みではなく、柔らかいものにぶつかった感覚。

 自分の中で早鐘を打つ心臓の音と、暖かなものに触れた耳から鼓膜を伝って聞こえる心臓の音。2つの心音が聞こえることに混乱して視線を彷徨わせれば、居心地悪そうな瞳とかち合った。

 私は勝手に驚いてしまった相手に抱き止められていたのだ。
 慌てて彼の腕から抜け出し、謝罪をした。

「ごめんなさい……。いつもはそんなに人が居ないものだから、驚いちゃって」
「大丈夫、僕こそごめん。人形たちの動きを上からも確認したくなっちゃって」

 彼はそう言って、特徴的な片眼鏡モノクルのズレを直した。

「君、もしかして隣のクラスの子?なんだか顔に見覚えがあって」
「ええ、ニーファよ。私もあなたの顔に見覚えがあるわ。───エミリオだったっけ?」
「当たり」

 彼は整えた片眼鏡の下で恥ずかしそうに目を細めると、展望台を指差した。

「もうすぐパレード始まるんだけど、僕もここ使っていいかな?」
「私に聞かなくてもいいじゃない。時計塔はみんなの物でしょう?」

 私がそう言えば、それもそうかと彼は笑う。
 無理矢理に話の糸口を探っている様子だった。人と話すのはそこまで得意じゃないのかもしれない。

 私たちは2人して展望台から町を見下ろした。
 いつも見るのと変わらない白と赤、2色に彩られた町。遠くに見える海と空の青が眩しいほどに素朴で、綺麗な景色。
 私たちが町を見下ろすのと同じタイミングで大きく鐘が歌い出した。

 相変わらず大きい音だった。
 私は耳を塞いで、わずか十数秒の歌の終わりを待つ。

 チラッと横を見れば、彼は鼓膜をつんざくほどの音の中に関わらず、目を閉じて鐘の音に聴き入っているようだった。

 冴えない顔にほんのり朱が差している。不意に、胸が高鳴った。

 余韻を残して鐘の音が消える。

「ほら、パレードが始まるよ」
「えっ!?う、うん!」

 彼の表情をずっと盗み見ていた私は不自然な返答をしてしまう。けれども階下の光景に釘付けの彼は、私の返答などなんの気にもならなかったらしい。

 今まで見たことがないようなキラキラとした横顔。
 愛しさをいっぱいに浮かべた優しい瞳。
 好奇心と感動がぜになった表情。

 なぜだか目が離せなくて、パレードが行われている間、私はずっと彼の横顔を眺めていた。私の視線にも気付かず、人形の動きを追いかけるその横顔を。パレードが終わるまで、
 ずっと、ずっと。



 それが、私とエミリオが初めて言葉を交わした日の話。









 時計塔での一件で私とエミリオは会話を交わすようになり、時間の経過に伴いお互いになくてはならない存在になっていた。

 ───少なくとも、私はそう思ってる。

「ニーファ、この書類だけど……」
「あら、これの期限は昨日までではなかった?」
「えええ!?ど、どうしよう、全然日付なんて見ていなかった……!!」
「ふふっ」

 書類とペンを手に、慌てふためくエミリオを見ていたら思わず笑いが溢れてしまった。

「嘘よ」
「……びっくりしたじゃないか……。私が小心者だと知っているだろう?そういう悪戯はやめて欲しいよ」
「ふふ、ごめんなさい?」

 新しく新調した片眼鏡の下から、恨めしげな視線が私に向けられていた。彼のこんな顔が見れるのは私だけだから、たまにこうやって思わず悪ふざけをしたくなってしまう。

 あの日から数十年。エミリオは時計守の名を継ぎ、時計塔と人形のために様々な改革を行なっていた。
 おかげでリンデンベルグは前よりもずっと賑やかになり、豊かになった。エミリオも人形と時計塔を愛するヒトが増えて満足そうだった。
私もそんな彼を見ているのは嬉しかったけれど、彼が自身の生活をおろそかにしてしまう事だけは不満だった。

「もうエミリオ、またご飯食べるの忘れてるでしょう!?」
「あ!ご、ごめん。今のところの調整、凄く集中力が必要で」
「せめてご飯は食べて!倒れては元も子もないんだから」
「ははは……。本当に君にはずっとお世話かけっぱなしだね」
「何を今更」

 忙しくて、大変で、不満はあれど充実していた。

「本当に、申し訳ないと思っているんだ。本来なら君に対してもっと責任を取らないといけないと思うけれど……、でも知っての通り私は時計塔のことになると生活すら忘れてしまう男だから」
「……」
「だから私に愛想を尽かしたら、いつでも───」
「それこそ、今更よ」


 エミリオの1番は時計塔と人形で、そこに私が入り込む余地はない。それでも、彼が私を必要としてくれて、あのキラキラとした少年のときのままの顔を見れるのであれば構わなかった。

 結婚なんて所詮、共に生きる関係性に分かりやすい名前をつけただけのものに過ぎない。一緒に居られるなら、どんな関係であろうが構わなかった。

 願わくばただ、これからも側にいられますように。私にはそれだけで十分だ。











 やがて彼が功績を認められ、町長へと立場が変わっても私たちの関係は続いた。エミリオが私を秘書に、と強い希望を出してくれたおかげで離れることもなく、私もそんな彼に応えるために仕事を必死で覚えた。

 ただの時計守よりも、町長を兼業しての日々は当たり前に忙しい。

 初めはなんとか2人で支え合って頑張れた。

 ただ、皮肉なことに私たちが頑張れば頑張るだけ町は発展し、それに伴って忙しさは増していった。
 その頃からだろうか?
 エミリオから少しずつ笑顔が失われていったのは。
 顔色が悪い日の方が多くて、人形に触れない日が重なったときには覇気すら失われてしまっていた。
 彼を元気付けたくて、私は隣町に出向いたときに彼への土産物を探して町中を歩き回った。

「あら、これ……」

 いっとう目を惹く黒い石を見つけたのはそのときだった。大きさもさることながら、欠けてしまったのだろう端の方があまりに美しい鏡面で思わず目を奪われた。最近のエミリオは人形の装飾にも力を入れたがっていたから、何かのパーツに使えるなら喜んでくれるだろうか?

 そう思い立てば私の行動は早かった。値は張ったが収納術が施された魔道具を買い、オニキスというその鉱石を土産に彼の元へ帰った。

 私からのお土産を目にしたエミリオは、久々に顔を輝かせて石をまじまじ眺める。

「凄い、ここまで黒の純度が高いものは見たことないよ」
「こういう鉱石ではないの?」
「ここまで大きければ、普通はもう少し白い層が混じっててもいいくらいのはずだよ。とても綺麗だ」

 エミリオがうっとりと呟き、口元に笑みを浮かべた。最近は沈んだ顔しか見ることがなかったから、彼の笑顔が見れたことが何よりも嬉しかった。

 オニキスを加工して作り出した人形の目は黒々と輝き、今までよりも生き生きしているように見えた。

 残ったものは削って加工して人形の収容室へ。
 彼らの姿が鏡のように映り込み、その挙動を余すことなく確認できたエミリオはとても嬉しそうに目を細めていた。

「ありがとう、ニーファ。君がいるから、私はこうやって明日も頑張ろうと思えるよ」
「光栄ですわ。町長様」

 冗談めかして言った後、私たちはどちらともなく声をあげて笑い合った。

 幸せだった。
 辛いことがあっても……そう、とても幸せだったのだ。










「どうして……!どうして!?私が1番、彼らのことを理解しているのに!愛しているのに!」
「エミリオ……」
「私はただ人形でこの町を、人形たちを、時計塔を、愛してもらおうと……!」

 更に時間が経ち、多忙な日々に追われる中。
 突如、町の有権者たちから告げられたのは私たちにとって耐え難い話だった。

「町の住民ですらなかった者に時計守の座を譲れと!?そんな奴に彼らの何がわかるっていうんだ!」

 荒れたエミリオは手近にあったインク瓶を壁に投げ付ける。
 乾いた音を立てて割れた瓶から黒いインクが弾け、執務室の壁を派手に汚した。ポタポタ黒い雫を落としながら広がる黒い染みが、今の彼の心境を表しているようで私は思わず壁から目を逸らす。

 時計守と町長という二重の責任。

 寝る間も惜しんで働く彼を見ていた町の人間たちが、何とか彼の負担を減らそうと画策していたのは知っていた。エミリオの能力ゆえに手に入れた地位ではあったが、能力とキャパシティはまた別なのだから。
 ただ……彼にとって最悪の方向に話が進んでしまっていたのだ。

「エミリオ、落ち着いて」
「無理だ!時計守を辞めるくらいなら、町長を辞める方が何倍もいい!私が何の為に……!」

 流れの技師が町に訪れた事は知っていた。その男は人形と時計塔の話を聞き学ぶのだ、と勢い込んでエミリオの元へやって来たから。
 人当たりのいい男ではあった。エミリオも教える事自体は楽しいのか、何回か時間を作ってやり取りをしていたのを見たこともある。

 そして、その男は皮肉なことに腕が良かった。

 一を聞いて十を知る人材だった。
 見る間に技術をモノにしていった男は、エミリオよりも優れた能力を持っているのだと有権者たちに知らしめた。
 時計守は町長と同じく、町の有権者たちが推して決める。何故なら時計守はリンデンベルグにおいて、なくてはならない存在だから。

 より腕の良い者が居れば、任はそちらへ。

 そう。エミリオの負担を軽くする為という名目で、彼らはエミリオから時計守の名を男に譲ることを決めたのだ。それがどれだけエミリオの心を抉るのか、想像もしていなかったのだろう。

「技術だけあっても……彼らの全てを知らなければ、魅力を引き出すことなんて出来やしないだろう!?」
「ええ、あなたの言う通りよ」
「今の鐘の歌声を……あれだけの声を出すのにどれだけの調整が必要か、それすらわかっていない男に奪われるなんて!」

 ぐしゃぐしゃと髪の毛を掴んで、慟哭どうこくするエミリオ。そんな姿を見ていると私の胸も締め付けられる。

 町長を辞めればいいという単純な話ではない。もはや町の人間が新たな技師に時計守を任ずるつもりであれば、エミリオが町長を辞めたとてそれが覆ることはないのだ。
 すでに相手には昨日のうちに話が通され、時計塔の作業室には手が加えられ始めているという。

 私も悔しかった。彼の調整する鐘の音が、彼の作り出す人形のパレードがとても好きだったのに。けれど、ただの秘書の私にもそれをどうにかする力はない。

「エミリオ……」
「すまない、1人にしてくれないか……」

 肩を震わせる彼をそっと抱きしめると、押し除けられることはなくとも柔らかな拒絶が返ってきた。

 あぁ、私ではこのヒトの傷を癒してあげることは出来ないのだ、と。その時ほど無力感を感じたことはない。

「分かったわ。向こうの部屋は使っても良い?」
「……ああ」
「エミリオ、私は───私は、あなたの作り出すものが一番好きよ」
「……」

 返事はない。聞こえるのは弱々しい嗚咽のみ。
 私は後ろ髪引かれる思いを抱えながら、執務室へ彼を残して寝室へと向かった。



 彼を1人にしてしまったこと。これから先、それを後悔しない日はないだろう。
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