境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

31.痛みの夜明け

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 明けのリンデンベルグに残る昨夜の爪痕は、確かな痛みをありありと刻みつけている。

 露店は殆どが燃えつき、道脇には人形の残骸と、いくつかの布を被せられた塊。その前にヒトが座り込み、手を組んだり縋る様子が見て取れた。
 徐々に昇る太陽に照らし出されるその光景を、ヴェルはぼんやりと眺めていた。

「治療は済んだのか?」

 横からの声にヴェルが顔を向ければ、そこには心配そうな顔で彼を覗き込むグレゴリーの姿があった。

 問いかけたものの、ヴェルからの答えを待たずにグレゴリーは彼の横へ腰を下ろす。
 時計塔に背を預け男2人が座り込んでぼんやりと通りを眺める様は、どこか妙でもあった。だが今のリンデンベルグにそれを見とがめる者は居ない。

「結局」

 ヴェルがぽつり、と口を開く。

「シリスが聞いたのと合わせると、あの石板が人形をおかしくしたって話ですよね?」
「恐らくな。ザッと調べてもらっているところだが、人形の目を通して石板に制御用エーテルが吸い取られていたようだ」
「ニーファ……あのヒト、あいつの目的を分かった上で協力してたってこと?」
「それも本人が死んだ今、想像でしか語れんな」

 グレゴリーは足元に転がる人形の破片を手に取った。もはや、どこのパーツなのかわからない。
 ニーファの独白を聞いたのはヴェルで、エミリオの怨嗟をぶつけられたのはシリスだ。グレゴリーができる事といえば、更にそこから又聞きして情報を整理することくらいなもの。

 本人達の思いなど、彼の理解できるところではない。

「エミリオさんとニーファさんは幼馴染だそうだ」

 それでも、照らし合わせた情報からうっすらと見えるものは確かに存在する。

「爺さんがよく知ってたらしくてな。彼女はずっと彼の背中を追いかける女性だったそうだ。当の本人は、その愛情の殆どを人形に向けていたが」
「……なんつーか、報われねー話ですね」
「それでも仲睦まじく幸せだったそうだ。俺たち外野がどうこう言うもんじゃないさ。そんなエミリオさんが、自らの鏡像に喰われたと知った彼女の心中は、本人にしかわからん」

 そこで一旦会話は途切れ、2人はまた無言で通りを眺める。

 ヴァーストが共に連れてきた数人の守護者が、時計塔の地下から出てポータルの方へ歩いていく。彼らの手には両手で抱えられる箱。その中身を、ヴェルとグレゴリーは容易に想像できた。

「内務員もあの石板の研究で忙しいだろうな。鏡以外で経路になるなんて、今まで聞いたこともないから……暫く徹夜が続くだろうさ」
「うへぇ……」
「どうだ、内務員もなかなか大変そうだろう?家からあんまり離れたくないなら、俺たちみたいに指導員って手もあるぞ」

 その誘いに、ヴェルはこれ以上ないほど口角を下げて歯を食いしばる。あからさまな拒絶に、グレゴリーは少しだけ残念そうな顔をして見せた。

 伸びを一つして彼は立ち上がる。

「ただ話に来ただけすか」
「可愛い教え子がこっぴどく絞られてたから、慰めようとしただけだ。存外、こたえてないようで安心したよ」
「本格的なお小言は帰ってからって宣言されちゃいましたからね」

 グレゴリーが言うのは、ヴァーストからのお叱りのことだ。
 待機指示の無視や救援要請後の独断行動だけでなく、グレゴリーの指示にも反抗したどころか守護者の任を軽視する言動もあった。それはすでに、エミリオを倒したあとに一旦雷を落とされている。

「庇ってやりたいのは山々だが……俺も立場上、報告義務があるからな」
「分かってますよ。だからちゃんとグレゴリーさんが"指導員"だってことを再認識するために、言葉だって気をつけてるじゃないすか」

 距離感を間違えないように。
 あくまで彼は指導者であり、友人でも気さくな兄貴分などでもない。

 姉を、家族を、その言動一つで殺すかもしれなかった側のヒトなのだ。

 ヴェルの瞳に今まではなかった警戒の色が宿っているのを見て、グレゴリーは眉尻を下げて笑った。───今度はとても残念そうな顔だった。

「それじゃあ、俺はヴァーストさんとまだ話すことあるからな。昼前にはポータルに集合だ」
「……」
「お前が早めに腹を括って応援を呼んだから、被害者は思った以上に少なかったぞ。重傷者は多いがな」
「……」
「俺はあの時点で最善の判断をしたと思うし、お前がそれに従ったからの成果だ。それは忘れるなよ」

 片手をあげ、グレゴリーが去っていく。

 ヴェルは応えない。
 それが、今の彼の精一杯の反抗だった。



「ごめんごめん。ヴァーストさんのお小言はすぐ終わったんだけど、怪我人多くて時間かかっちゃって」

 そこから数分とも時間を空けず、聞き慣れた足音がヴェルの耳に届いた。
 俯けていた顔を上げれば、至る所に雑なテーピングを施されたシリスが居た。骨折の時ほど大仰な様子ではないが、ボロボロな姿である事は間違いない。

「あのネジ外れた診療所のせんせーは?流石にこんな騒動なら、ヴァーストさん達も治療費くらい出してくれるだろ?」
「……うん、そうなんだけどね」

 ヴェルの何気ない疑問に、シリスの顔が曇る。彼女の視線は一瞬宙を泳ぎ、伏し目がちに道脇へ向けられた。

「───ああ。そっか」

 その意味するところ。それを理解して、ヴェルはすぐに話題を別のものに変えた。

「俺たち、なんかする事あんのかな。ないならヘリオんとこ行って挨拶くらいしとくだろ?」
「その事なんだけどさ、ちょっとついて来てくれない?」
「どこに?」
「時計塔の中。ちょっとやっておきたいことがあって」

 ヴェルが立ち上がるのを確認して、シリスは歩き出す。壁は壊されていて、扉からでなくともすぐ入ることが出来る。

「手伝えたら良かったんだけど、復興は守護者の管轄外だからね。どんな協力が必要でどんなことなら力を貸せるかは、ヴァーストさんが残った人達と相談するって───あ、あったあった」

 鐘は未だ地面に突き刺さったまま、沈黙を続けている。吹き抜けになった内部は至る所が崩れ、初日に訪れた時の面影など見る影もなかった。
 まだ3日と経っていないのに、どこか切なさすら感じる変貌の中、シリスは鐘の前に目的のものを見つけてしゃがみ込んだ。

「……それって、あいつの?」
「そう。他の人たちも同じようにしてたから、貰ってきたの」

 姉がしゃがんで眺めるモノに、ヴェルも見覚えがある。

 押し潰された時に落としたのだろう。幸いにも片眼鏡モノクルはヴァーストに吹き飛ばされなかったらしい。フレームは歪みレンズは砕けているが、形を保ったままだった。その上に赤い花を手向けて、シリスは静かに指を組む。

「やっておきたいことって、これ?」

 問い掛けに対して、シリスはただ頷く。上から見下ろす形のヴェルはその顔を窺うことはできなかったが、決してこの弔いが冗談やふとした気まぐれでないことは理解できた。

「そいつ、エミリオさんじゃなくて鏡像だぞ?お前も散々ぶっ飛ばされたじゃん」
「分かってるんだけどさ。落ち着いたら、最期に言ってたことがずっと心に引っ掛っちゃって」

 ヴェルは鏡像の最期に思いを馳せてみる。しぶとく足掻き、え、そしてヴァーストかかればあまりにも呆気なく砕けてしまった偽物の最期に。
 彼にとっては特に気にかけるような部分はなかったが、姉にとっては違うのだろうか。

「あたし酷いこと言っちゃったよなぁって」
「酷いこと?」
「あのヒト……ヒトじゃないけど、めちゃくちゃあたしにキレてたっしょ?」

 ヴェルが気になるほどに、エミリオがシリスに向かって苛立ちをぶつけていた事は確かだ。訝しげなヴェルを見て、シリスが苦笑する。

「"所詮、本物に敵わないんだ"って言ったんだよね」
「……はぁ?当たり前のことじゃん。」
「あたし達にとってはね。でも、最期まであんなに本物にこだわってた事を考えると、酷いこと言ったんだなって」

 複雑な顔をして、ヴェルは言葉に詰まる。

 そんなのは、至極当然のことで普遍の事実だ。
 鏡像はヒトから放逐された感情の残骸。本物を求めて模倣もほうするのは当然であり、彼らの哀れな習性だ。本物から棄てられた残骸により生まれた彼らが、本物を超えることなんてあるはずもない。

 しかし彼女はそれを突きつけた事を酷いという。

「ヒト型は下手に思考ができるから、厄介なんだよ。惑わされるべからず~とか、昔っから習ってるだろ?」
「分かってるよ。それにあの鏡像がやろうとした事は看過できないし、そこに同情の余地はないけど」

 でも、と彼女は続ける。

「運良くあたしはなんも奪われてない。怪我はしたし死にかけたけど、なによりヴェルが無事だから」
「……」
「終わっちゃったら別に個人的な恨みはないし…… 勿論、これからも鏡像は白の世界と相容れないだろうし、同じように敵対するんだろうけど」

 組んでいた指を解いてシリスは立ち上がった。その視線は、未だに花を手向けたそれに落とされたままだ。

 自らを偽物でないと叫んでいた男。
 本物への執着を叫んでいた影。
 きっと、誰にも偲んでもらえない存在。

「そいつのせいで何人か死んだんだぞ」
「分かってるよ」

 姉の言わんとすることをわざわざ否定はしないが、ヴェルにとっては素直に頷けるものではない。

「偽善者」
「いいよ、偽善者で」

 ストレートなヴェルの指摘に、シリスは笑う。

「それでも、棄てられた残骸に目を止めるヒトが、1人くらい居てもいいじゃん」
「……絶対ヴァーストさん達には聞かせられない言葉だな、それ」
「それそれ。でもヴェルなら……あたしのコト、真っ向から否定しないっしょ?」

 信頼しきった顔。全くもってその通りなのだが、言われたヴェルは複雑な気分だった。
 否定はしない。姉のそれは偽善だが、心からのものであることも理解しているから。憐憫れんびんも同情も……他人のために砕く心だって、誰かにとっては嫌悪の対象にもなれば救いにもなる。
 たとえ優しさではなく罪悪感を昇華させるためのものであったとしても、その感情自体を否定できるのは姉本人と向けられた偽物だけだ。
 けれども、その厄介な性質タチがいつか彼女自身を滅ぼしそうで。

「なあ、姉ちゃん。俺と一緒に内務員にならね?」

 せめて外の世界よりも確実に、穏やかに過ごせる手段をとって欲しくて。


 ヴェルの誘いに、シリスは黙って破顔した。
 自分と同じ作りでありながら、その実、似ているようで似ていないその顔。姉からそんな笑顔を向けられると、彼はただ何も言えずに口をつぐむしかない。

 シリスが頷かない事は、ヴェルが1番よく分かっていたのだから。
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