境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

28.エミリオ

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エミリオの呟きをシリスが理解するより早く、後ろから強い衝撃が襲った。

「か、はっ」

 背中を強打されるような痛みに、肺の中にあった空気が全て吐き出される。シリスの視界は激しく回転し、次いで叩き付けられる感覚に一瞬意識が飛びそうになる。

「げほ……げほッ!」

 一気に吐き出した空気を取り込もうと、意識とは関係なく肺が膨らむ。急に大量に入ってきた空気で喉は痙攣けいれんし、激しく咳が出た。
 チカチカ明滅する視野は使い物にならない。しかし、シリスは咄嗟に勘だけで武器を上に構えた。
 鋭い音と、金属同士がぶつかるような音。

「しぶといねぇ、人間だったら今ので死んでただろうに」
「く、う……」

 心底憐れむような声。
 上からの圧力を気力だけで耐え、シリスは色を取り戻し始めた視界を確認する。エミリオの右腕が、彼女の掲げた剣と拮抗してギチギチと唸っていた。

 自身の周りには瓦礫の山。

 どうやら、どこかの建物にでも吹き飛ばされたようだ。吹き飛ばされたとき強かにぶつけたのか、こめかみから生暖かいものが流れている感覚がする。

「さっさと死んでください。早くあのデカブツをやってしまわないと、人形が全部壊されてしまいそうですので」

 柔和にゅうわな口調に、気の弱そうな笑み。
 普通の人間を模したその顔で吐き出す言葉は、どこまでも冷たい。

「あなたがたの余計な行動も、展望台からちゃんと見えていましたよ。せっかく町が壊れていくさまを特等席で眺められると思ったらこれだ」
「……行動パターンまでドンピシャ……」
「何をぶつぶつと」
「いや、こっちの話」

 未だエミリオの言葉へ笑みを以って返すシリスに、彼はまた表情を苦々しげに崩した。
 言葉の応酬は時間の無駄とばかりに、エミリオはシリスに向かって迫り合いと逆の手を思い切り突き出した。

 エミリオの鋭い腕が彼女の眉間を貫く直前、

「───爆ぜろフレイムクラック!」

 シリスがえた。

 唐突に2人の間で小規模な爆発が起こる。
 体が弾け飛ぶほどの威力ではないが、空気が弾ける熱と圧にエミリオの体は後方へ押しやられる。それと同時にシリスの体もさらに奥へと吹き飛び、壁の崩れた建物の中で彼女は二転三転して起き上がった。

「けほっ……あっぶな……」

 詠唱なんてする暇はなかった。
 まともに出来たのは、爆発を起こすといく単純な性質の付与のみ。ダメージに膝はいささか震えているが……五体満足で動けるだけ上出来だろう。自分の四肢を吹き飛ばしてないだけマシだ。
 ぶち破ってしまった壁から再び外へと足を踏み出すと、シリスはすぐに横へと転がった。

「本当に、邪魔しかしないなァお前たちは!?」

 彼女にとっても大きなダメージではないという事は、エミリオにとっても同じであるという事。
 怒りに声を荒げる彼はシリスが出てきたばかりの壁を破壊し、避けられたと分かるやその後を追ってめちゃくちゃに腕を振り回す。

「せっかく、折角!あの忌まわしいエミリオの人形どもに町を襲わせる事が出来たというのに……お前たちが来た所為で計画が滅茶苦茶じゃないか!!」
「そんなの、知ら、ないし!」

 転がる、また転がる、そして立ち上がりざまに剣でいなす。

 怒りのままに放たれる攻撃は単調になり易い一方、一撃一撃はかなり重い。最後の攻撃は真正面から受けたわけでもないのに手が痺れた。

「私がどれだけこの日を待ったか!ヒトをなるべく食わず、エミリオの女を殺す事も我慢して、漸く人形どもの制御システムを混乱させられたというのにこのザマだ!」
「うわっ……、わっ……」
「まだ町の人間は吐き捨てるほどに残っているじゃないか!?私が壊す人形が残らないじゃないか!?全部、全部全部全部!!」

 攻撃の全ては鋭く重い。しかし単調でもある。
 シリスが大振りになったエミリオの右脇へ飛び込み後ろへ回り込む。風を切る音と共に、またレンガ板が砕ける音。
 彼女の長い髪の先も数本が舞う。


 ───ここだ。


 ガラ空きの背中。今、近くに人形のパーツは転がっていない。

 今なら、届く。

 飛び込んだ先、着地足に踏ん張りを効かせて体を捻転ねんてんさせる。しなやかさと筋力を併せ持つことで初めて可能になる、回避行動からのカウンター。
 シリスの渾身の一撃が、エミリオの背に迫った。



「ッッあ!?」

 今度は左から。再びの衝撃。

 ガラ空きだったのはシリスの方も同様、軸足に体重を乗せていたことで彼女の体は簡単にバランスを崩した。それでも、そこで転倒しなかったのは経験からの学びか。
 息を全て吐き出す前に奥歯を噛み締めて堪える。たたらを踏みながらも柔らかく膝を使って一歩、大きく後ろへ下がる。着地までの時間をコンマ数秒稼ぐことで、逆足がしっかりと地について後退は止まった。
 浅く息をついて、シリスは鈍痛を訴える左の脇腹に手を添えた。濡れた感触はない、出血は大丈夫そうだ。

 ヒトより頑丈とはいえ、こうやって何度も打撃を受けていればダメージだって蓄積するものだ。
 シリスが口の中に溜まった血を吐き捨てた。向けた剣先は明らかに揺らいでおり、エミリオはそんな様子を見て怒りから一変、満足げな笑みを浮かべた。

「ああ……いいねェその顔!痛かろう?苦しかろう!?」

 両手を広げて大仰おおぎょうな仕草で笑うエミリオを無視して、シリスは足元に転がるレンガの残骸を一瞥した。

「……磁力……」
「おや、気付けたご様子で」

 途端に真顔に戻ったエミリオは腕を人間のそれへと戻し、手招くように指を曲げた。するとシリスの目の前で、地に転がっていたレンガの残骸がエミリオの動きに呼応して浮かび上がり、その周囲をふわりと漂う。

「今の私の力では近場のものしか動かせませんが、なかなか便利でしょう?」
「赤レンガが鉄を含んでるってのは、とーっても賢い友達が教えてくれたからね。……鉄の塊投げてきた時になんとなく予想はついてたし」

 リンデンベルグを訪れる前、それぞれの任地の冊子を友人らと見せ合っていたときのことだ。
 自分達は興味がなくて読み飛ばした、町の構造の細かな部分を熱く語っていた友人の話を、ようやくうっすら思い出す。

「なんだっけ。作る過程で焼いたら磁力はなくなるはずだけど、ここの町は非焼成ひしょうせいレンガ?が使われてるとかなんとか」
「よくご存知で!そう、この町のレンガは特殊で、そもそもこの町周囲の土壌には鉄鉱石の成分が通常より多く含まれておりましてね」

 エミリオは饒舌じょうぜつに語り出す。その様は観光客へ町の特色を説明する町 町長のものであり、この男が如何にこの町に思い入れがあるかを表すようでもあった。

「それに加えて、天然の赤色色素を持つ虫がいましてね。それらの死骸が大量に含まれるのです。この町に来たときにも見たかもしれませんが、夜になると灯りに寄っ───」
「……あんたはこの町が憎いんじゃないの?」
「憎いに決まっているだろう!!」

 絞り出すような怨嗟の言葉。
 急激にころころと変わるエミリオの様子に、シリスは戸惑いと同時に気味の悪さを感じざるを得ない。まるで情緒が不安定だ。

「町の奴らめ……私が1番人形を愛している!私が1番美しい鐘の音を響かせられる!何故それがわからんのだ、そんな理由で私を退けようと、私を産み落として、何故そんな理由であんな世界に棄てられなければいけなかったのだ!?鐘の音?人形?どうでもいい、あいつが愛したものを粉々にしてやりたい、私が憎むものを粉々にしたい、あんなポッと出の技師にこの町の何がわかる!?技術であっても私は誰にも劣らない!私は町長になりたかったんじゃない!私は偽物じゃない!!!」

 支離滅裂な感情の奔流ほんりゅうは、宵闇を切り裂いて大通りに反響する。呆気に取られて動けないシリスを、エミリオの真っな瞳が真っ直ぐ射抜いた。

「だから私は人形で町を壊したかったのですよ。お前たちが来なければ、私はもっと簡単に事を成し得たのに」

 不気味なほどに穏やな声音。
 静かな声とは裏腹に猛然もうぜんと差し迫ったエミリオに、シリスの体は反応しきれなかった。

「がっ───」

 視界が反転し、後頭部と背中に硬い衝撃。揺れる視界には、火の粉が舞い仄かに明るい夜空とギラギラ血走る瞳で自身を見下ろすエミリオの姿が映る。締め上げられる首に、シリスの口が空気を求めて開閉を繰り返した。

「ようやく人形どもの制御用エーテルが底をついたのに……エーテルを吸収し続けるにはあの石板が必要だったのに、もの見事に砕いてくれましたね?」
「あ、ぁ……う……」
「おかげで、自己修復プログラムが起動する前に、急いで暴走させなければいけなかったじゃないか。お前たちが帰った後ならもっとゆっくりやれると思ったが……明日には他の守護者も連れてくるだと?」

 エミリオの言葉を耳に受けながら、シリスの視界がじわりと霞む。

 今ようやく、この事態の真相を把握できそうだというのに、グレゴリーにもヴェルにも伝えられないのがもどかしい。

「エミリオが難解なシステムを組み上げたせいで何年もかかったんだ。もうこれ以上、待つのはうんざりだ」
「ぅ、……く」

 耳の奥でドクドクと鼓動の音が聞こえる。

 ───どうしてだろう、いま、何故だか身体が無意識に震えそうだ。
 怖い、ではない。少しの怖さもあるがこれは紛れもない不快感だ。もしかして自分は死を感じて怖気づいているのだろうか?いや。今この状況をもってしても、全く死の気配なんて感じられない。

 では、この気持ちの悪さは一体何なのだろう?

 考えたってわからない。
 考えたってわからないなら、今はそんな思考に身を浸してる場合じゃない。

 無理矢理に思考を切り替える。手元に武器はなく力では叶わない。ならば、今自由に動かせるものは口だけだ。

 本格的に意識を保つことが難しくなる中で、溢れるのは苦悶でもなく、懇願こんがんでもなく。

「は……あは、はは……」
「……死の間際で気でも狂ったか?」

 残った息で吐き出すのは、

「あん、た……時間かけても、本物の作ったシステムを、壊しきれないんだ?」
「は……?」
「結局、本物のエミリオさんに、敵わないんだっつってんの!」

 偽物エミリオが最高に嫌うだろう、煽り文句。

「ッさっさと死ね!!!」

 エミリオの腕が螺旋を描き、躊躇いなくシリスに向かって振り下ろされた。


「残念。あたし、まだまだ死ねないんだよね」


 そのきっさきが今度こそシリスを穿つ直前。

 閃く蒼が、エミリオの腕ごとその矛を断ち切った。
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