境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

21.休息と夕食と時々老人

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結論から言えば、何のトラブルも起こることなくヴェルとグレゴリーは戻ってきた。
何か困ったことが起こっていたとしたら、それはシリスの方だった。
 
幸い、リンデンベルグはこの辺りで1番大きな町だと言うこともあってか、診療所にはそれなりに腕のいい治療師が駐在していた。治療を始めて2時間ほど。動かす際の違和感は残ってはいるものの、シリスの腕の腫れはなくなり本来の肌の色へと戻っていた。手を色々動かしてみたが、特に痛みが走ることもない。
 
「術の効きが良いですね」
 
守護者はヒトの中でも特に身体能力が高い。それはただ動きが優れているというだけでなく、肉体の質からして違う。回復力も人間とは違うからして、治癒術への反応速度も人間やその他ヒトのそれよりも明らかに早い。人間の治療師である彼が変な顔をするのも当たり前のことだった。
いぶかしむように言った治癒師の言葉に、シリスは笑って誤魔化すしかなかった。
 
「僕は職業柄いろんなヒトを見ていますが……こんなに早く回復する症例は初めてです。今までに治療術を受けた事は?」
「なかっ……たような気がします……はい」
「なにか肉体促進の魔術でもかけていました?それとも、そういう魔道具でもお持ちですか?あなたのご家族や周りの方も、似たように傷の治りが早かったりしますか?」
「えー……っと……」
 
矢継ぎ早に質問が飛んでくるが、たまったものではない。
彼女はヴェルと違い、舌先三寸でその場凌ぎが出来るような口の達者さは持っていなかった。
合流場所をここにしなければよかった。治療費だけ払ってさっさとこの場から離れたくてたまらない。
 
だから、ヴェルとグレゴリーが診療所に入ってきたとき、シリスは彼らの背後に後光が見えたくらいだった。
 
会話をヴェルが引き継ぎ、ついでに彼の足の傷も治療してもらう。同じく傷の治りの早さにいろんな疑問が飛んできたが、ヴェルはのらりくらりとその質問をかわして出口へ向かう。
 
「何か特別なことでもしてらっしゃるんですか?」
「早寝早起きすかね」
「それだけでその回復速度はおかしいですよ!教えてください、何か持ってらっしゃったり……」
「不思議な壺を買ったくらいですかね」
「何ですかそれは!教えていただければ、今後の治癒学の発展に貢献できるはず……」
「宗教上の理由で言えないんですよね~」
 
答えているのかいないのか、雑に返答をしながらヴェルは窓口に向かう。

なお治療術はヒトの体に対する知識もそれなりに必要で、生体に使うもののため扱いが非常に難しい。攻撃用の魔術と違って、雑に使用しても何とかなるというものでもない。そのため治癒師と名乗れるだけの技量を持つ者の絶対数は少なく、治癒術はある程度の高級品扱いだ、治療費は決して安くはない。そうそう使うことはないが、今回は予想外の出来事による大怪我のため必要に迫られた、というわけである。

さて、ヴェルについては必要であったかといえばそんなことはない。しかしごく当たり前のように治療を受け、ごく自然な動作でグレゴリーから財布を受け取り、2人分の治療費を払った彼は流れるように扉を開けて出て行った。
後に残された治癒師はヴェルを追いかけよう……として、彼を追いかけてきたスタッフに腕を掴まれて中に引きずり戻される。

「所長!次の患者さんが待ってますよ!」
「少し待ってください!私は今、彼に大事な話を……!」
 
完全に空気に徹していたシリスとグレゴリーは引きられていく治癒師を生暖かい目で見ながら、そそくさとヴェルの後を追いかけたのだった。



残党は1匹だけ存在したらしい。
その話をシリスが聞いたのは、夕食に向かったヘリオ一家の店で突き出しのエビフリッターを口にした時だった。

店の中にはかなり客の姿があって賑わっている。出迎えたヘリオの母が気を利かせたお陰で、3人は他の客から少し遠い卓を囲んでいた。

少し塩気のあるエビの身と、表面はカリッとしていながらも中はフワフワで甘めの衣。
一口で食べるには少し大きく見えるそのフリッターを、シリスは躊躇う事なくまるまる口に放り込んだ。口中で溢れたエビの出汁は飛び上がるほど熱いが、その熱がダイレクトにエビの風味を口いっぱいに広げている。

思わずとろけた笑みが漏れてしまうくらいには、相も変わらず料理が美味しい。

「ほんはほはっはほ?」
「飲み込んでから話さないか?」

頬張りながら幸せそうな顔で聞き返したシリスに、報告していた当のヴェルはその顔を呆れたように眺めていた。

「……どんなのだったの?」

満足するまで味わった後、ようやく口の中のものを飲み込んでシリスは再度尋ねた。

「かなり小さいやつ。時計塔からわりに近い所だったな」
「グレゴリーさんの方は?」
「俺の方は何も見つけられなんだな」
「念のため全部の排気口にグレゴリーさんが雷ぶっ放して回ったから、まず大丈夫だと思う」

本当ならもっと早く終わるはずだったんだけどな、と言いながら、ヴェルもフォークを突き刺してフリッターを一口で頬張った。

鏡像に対して可哀想というのもおかしな話だ。それでもグレゴリーの雷魔術の威力を見て聞いて知っているシリスは、何とも言えない同情を感じてしまう。
しかしそこまでしているのだから、確かにもう鏡像は一旦掃討されたと考えて良いだろう。
考えるべき事は残っている。残ってはいるのだが、今すぐ差し迫る危機は去ったのだ。

頭の片隅に残る緊張の糸。その最後の一本がようやく解けて人心地ついたシリスは、もうひとつフリッターを口に放り込む。
そんな2人の様子を見て、グレゴリーもようやく肩の力を抜いた。

「養成所の方は何かありました?」
「丁度ヴァーストさんに連絡がついたところだったようでな。段取りがつけば、早朝にでも彼だけ帰還してこちらに向かうようだ」
「……明日が怖いんだよな」
「俺もだ。差し迫った事態が無ければ、引き続き調査と見回りをするように言われたよ」

苦笑いを零すグレゴリーがジョッキをあおる。中身はただの水だ。
彼は一息でそれを飲み切ると、目の前で支障なく動いているシリスの腕を眺めた。

「それにしても、腕のいい治癒師が居たものだ。こんな短時間で綺麗に治せるもんなんだな」
「性格はアレでしたけどね」
「そういう人間だから腕がいいんすよ。大体、何か抜きん出てる奴はどっか変なのがセオリーじゃん?」
「一理あるが、そういうことを他人の前で言うんじゃないぞ」

談笑すれば食も進む。
卓からフリッターが無くなる頃、軽い足音を立ててヘリオが大きな盆を持ってきた。子供の体に対して大きく見える盆の上には、先日と同じように一皿で一人が満足できそうなほどの料理が幾つも乗っている。
輝かんばかりの営業スマイルでヘリオは巧みに卓の上に重たそうな料理皿を並べていく。

「おじさん、見つかってよかったね!」
「おう。手伝ってくれてありがとな」

ヴェルが頭を撫でると、得意げな顔をして喜ぶヘリオ。両親から言われているのか元々のさとさもあるのか、込み入ったことを聞いたりすることもない。グレゴリーが何処にいたのか、何があったのか、聞かれたときの為の誤魔化しは打ち合わせてあったものの、どうやら使わずに済みそうだ。

「迷惑をかけたみたいですまなかったな」
「そんなことないよ、お姉ちゃんたちとのお散歩、凄く楽しかった!」

嘘には見えず心底楽しそうに言うものだから、思わずシリスは「良い子すぎる……」と、いう言葉を残して卓に突っ伏した。
ヘリオは声を上げて笑ったあと、空いたフリッターの皿を下げながら問う。

「あはは!ねえ、隣の席ってお客さん案内しても良い?」
「ああ、構わんよ」

夕飯どきだからか、店には続々と客入りがある。3人が入って来た時にはまばらにあった空席も今はその殆どが埋まっている。
本来ならば気兼ねなく客通しをするのであろうが、今回は母がわざわざ端の席に通した恩人たちであると理解している為、ヘリオも母にならいマナーとして3人に確認する。
いま住民に聞かれて困るような話をするつもりはない。特に拒否する理由はなく、代表してグレゴリーが頷くとヘリオは嬉々として出入り口へ向かい1人の老人の案内をして来た。

「おお、そこな子供らは昨日の観光者じゃないか」

急にそんな声をかけられ、シリスは突っ伏していた体を起こし、ヴェルはパエリアを取り分ける手を止める。声に聞き覚えがあるかと言われればわからない。そもそもこの町での知り合いは少ない。それでも白く豊かな髭を蓄えた老人の顔を確認した時、2人はしっかりと昨日のことを思い出していた。

「あ、元時計守って言ってたお爺さん」
「昨日の耳が遠い爺さんじゃん」

老人はヘリオに案内されるまま隣の席についた。
髭に隠れて口元は見えないが、深い皺の刻まれた目尻は笑みをかたどって垂れ下がる。
彼がヘリオに手を挙げて礼を言うと、ヘリオはぺこりと一礼して厨房へ戻っていった。

ヘリオが去った後の老人は隣の卓にはつかず、代わりにそこから一脚椅子を引いてきて双子の間にそれを置く。

「相席しても良いかい?」

問われたヴェルとシリスは戸惑いながらグレゴリーへと目線をやった。2人としては初日に町の紹介をしてもらった恩もある。断る理由は無く、理由があるとすればグレゴリーが他人に聞かせたくない話がある場合くらいだろうか。
伺うような2人の目線を受け、グレゴリーは老人に目を向け───

「……ブレンドン……爺さん?」

───思わずその顔を凝視して、名前を呼んだ。

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