境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

16.ニーファ

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「っち、タイミング悪いですね……!」
 
ニーファが地上に向かって駆け出そうとした矢先。

出入り口に姿を見せ始めた影に、彼女は2度目の舌打ちを鳴らす。
それぞれの手に楽器やフラッグを持ったままの魔導人形達が、ステップも踏まずに整然と行進してホールへと戻って来ていた。地下に入ってきた彼らは音は鳴らさず、パレードをしているときのような賑やかさは無い。
追いついたヴェルが状況を理解して、鼻で笑った。

「はっ、めちゃくちゃナイスタイミングじゃん」

自分の悪態と真逆の言葉に、ニーファが苦々しい表情でヴェルを睨み付ける。
地上へ続く道は魔導人形で既に幅を取っていた。最後尾がホールに入ってくるまで、その合間を縫って地上へ行くのも至難のわざだろう。

入り口には続々とホールへ入り込む魔導人形達、後方には鉄扉か鉄格子。現実的に彼女がこの場から逃げる事を考えれば、魔導人形達を待って地上へ出る事だろう。
しかし、彼女が走ったとしてもヴェルにはすぐ追いつける自信があった。

「あんた……一瞬、鏡像かって思ったけど人間だな?」

追いかける間に少しだけ頭は冷える。
ニーファへの怒りは消えないが、大事な事を聞かねばという思考回路くらいは働く。

「さあ、どうでしょう?」
「しらばっくれなくていいよ。ヒト型取れるような鏡像が、俺たちみたいな子どもをわざわざ不意打ちしようなんて面倒なことしねえもんな?」

ヴェルはそう言って肩をすくめた。動作自体はおどけているが、その瞳はニーファがヴェルを睨む以上に剣呑けんのんな光を宿している。

これはハッタリだ。
ヒト型の鏡像がどこまでの思考経路を持っているか、ヴェルは実際遭遇したことがないから知らない。だが、ヒトに混じって虎視眈々と本物に成り変わる機会を狙えるくらいだ、ヒトと同じような思考で動くと思っていいだろう。なれば、その面倒をするのにも理由をつけることはできるのかもしれない。
なにせヒトの思考は十人十色、千差万別なのだから。
ニーファが鏡像であれば、正直ヴェル1人で対処できる自信はない。なんとかしてシリスとグレゴリーが来るまでの時間を稼ぐ必要があるだろう。
だが、もしニーファがただの人間であった場合は。

「……か弱い女の腕では、お2人も相手をするのは荷が重いですからね」

ヴェルの言葉に否定を返すことなく、ニーファはじり、と一歩後退した。

「もっと油断してくれていると思ってたのですが……まさか防がれると思っていませんでした」

余裕を感じないところを見るに、どうやらちゃんとヒトであったようだ。目の前の女が脅威でないと判断するには時期尚早だが、それでもヴェルの緊張はほんの僅かばかりに和らぐ。そして代わりに、怒りが再び燃え上がる。
右手に蒼い光が閃き、刹那の間に現れた刀身がニーファに向けられた。

「何で鏡像が出た事を隠してた?グレゴリーさんまで監禁して、何が目的だ?エミリオって奴は共犯か?」
「何故、言わねばならないのでしょう?」
「何でこの状況で黙れると思ってる?」

明らかにニーファは逃げの姿勢だ。もし戦う術があるのなら、もっと向かってきているだろう。一ヶ所のみのホールの出入り口は魔導人形に塞がれていて、ヴェルを何とかするしかこの場から逃れる方法はないのだから。

「ふふ、そうですね。それではひとつだけお教えいたしましょうか」

警戒しながらヴェルが一歩詰めた。
もう一歩、ニーファが後退する。

「エミリオさんは、グレゴリー様と仲良く転がられておりましたよ」
「……あんたが元凶ってことか?何でそんな」
「ひとつだけ、と、申し上げました」

余裕が無さそうに見えるが、この態度は何なのだろう?
攻撃を仕掛けてくる様子はなく、だからといって全力で逃げる様子もない。逃げたとて直ぐに取り押さえられる自信はあったが、ヴェルはあと数歩を踏み出せずにいた。

違和感。

言うなれば違和感だ。何処か腹をえた様子は、諦めとも戦おうとする様子とも違う。まるで、何かを待っているようだ。
ヴェルの耳が、近付いてくる足音を捉えた。
魔導人形達だ。パレードではないが、行進はまだまだ続きホールの奥へ奥へと進んで来ている。
最後尾はもうホールの中に入り込んでいて出入り口を塞ぐものはない。しかしニーファはそちらへ向かおうともせず、ヴェルを睨んだままだ。

「お姉様、仰っていましたよね」

唐突に切り替わった話題。姉の話題を出されてヴェルの心がざわりと波立つ。

「この町が素敵な町だと───ふふ、あはは、まったく憎らしいですよね!昏倒させるのではなく、殺すつもりで殴れば良かったです」

赤い唇が笑みの形に歪められた。

「でも戦力が削げただけでも僥倖ぎょうこうでした。アレきっと折れてますよね?うふふ、あははは!痛そうな悲鳴上げちゃって……

可哀想でしたよねえ!?」
「ってめぇ!!」

瞬時に頭に熱が灯った。
赤黒い腕を押さえて蹲る片割れの姿が。油断した彼女の責任とはいえ、痛みを堪える姉の姿が思考をよぎり、女の笑い声に塗り潰される。
もう話を聞くつもりはない、捕まえて洗いざらい吐かせればいい。
躊躇っていたその数歩をヴェルが埋めようとした。

瞬間。

「う、わっ!?」

床を揺らす強い衝撃。同時に、何かが外れたようなゴトン、という音がホール全体に鳴り響く。
一瞬地震かと思ったが、どちらかといえば床の下で何かが動いているようなそんな感覚の方が近い。例えるならば、巨大な蛇が地面の中を這っているような……。
微細な揺れは立っていられない程ではないが、足を止めるには十分だった。

魔導人形の進行に合わせて、ヴェルの視界の端で鉄格子がゆっくりと持ちあがっていく。まるで、彼らを迎え入れようとしているかのように。
ヴェルの意識がわずかばかりに鉄格子へ向けられたその隙を見逃さず、ニーファは弾かれるように走り出した───

たった今開いたばかりの鉄格子の方へと。

「くそ、これを待ってやがったのか?」

奥に別の逃げ道があるのだろうか?それとも罠か?しかし距離はそこまで開いておらず、ヴェルが追いつくには十分な余裕がある。どちらにせよ、ここで逃すつもりは毛頭なかった。
追いかけようと足を踏み出した矢先、逃げると思われたニーファが鉄格子の前で足を止めて振り返った。
床を揺らしていた振動は止まり、鉄格子が上がりきった後にはぽっかりと黒い闇が口を開けている。

「……うふふ」

相変わらずの笑み。追われる立場の人間とは全く思えないその表情は、鉄格子奥の暗がりを背景にして異様に目に焼き付いた。
近付いたというのに、その奥に光源は届かず未だ中を窺い知ることはできない。壁の半分ほどの大きさの口を開けているに関わらず、だ。
ニーファは嫋やかに胸の前で指を組む。
まるで何かに祈るように、まるで何かに告解するように。


「私は、この町がとても憎いのですよ。平和というぬるま湯に浸り、流されるまま時を刻むことしかできないこの町が。鐘がどれだけ歌声を変えても、気付かずに生きているこの町の人間が」

歌うように朗々と、唇から吐き出されるのは厭悪の言葉。

「分かるように言ってくんね?流されるままとか、鐘の歌声とか、恨み言ぶつけたいにしても部外者の俺には全然わかんねーんだけど」
「構いませんよ、理解してもらおうとは思っておりませんので」

分かるようにと言いながら興味なさげに言い放つヴェルに対し、ニーファは緩やかに首を振った。その表情に今までと違う色が見えて思わず片眉を上げた。
───それは、逃げられない事を悟ったときにも見せることのなかった諦めに似た色が混じった穏やかな表情。
ヴェルの心が、シリスの事を揶揄されたときとは違った意味でざわりと波を立てる。

「憎くて憎くて堪らないのです。あの人を追い込んだこの町も、あの人を救えなかった私自身も、全てが憎い」

ニーファの後ろの闇が、明らかに質量を持ってどろり、とうごめいた。
何故だかわからないが、彼女をあのままにしておけば取り返しがつかない事になる。背中に嫌な汗が吹き出たのを感じ、ヴェルは咄嗟に叫んだ。

「おい!そっから離れろ!!」
「私の鏡像も生まれていたのでしょうか?せめて……せめてそうであれば」

誰に聞かせるわけでもない、呟き。
それは唐突に途切れた。



奥から、濃厚な闇が沸き出しニーファを一瞬にして覆った。

「ニー……ッッ……」

言葉と共に黒い闇に飲み込まれた彼女の名を呼ぼうとして、ヴェルの声は喉の途中で止まる。
ニーファを飲み込んだ闇は黒く、おぞましく、醜悪に。
確かな意思を持ってその瞳を一斉にヴェルに向けた。

げた、

げたげたげたげらげらげら

いくつもの笑い声が広いホール内に反響し、あたかも一つの音楽のように聞こえる……。否、音楽であるとするならばこれほどまでにひどい不協和音はないだろう。
数体、数十体の不定形の塊が"エサ"を見つけたと喜びの声を上げて我先にとホールに雪崩れ込んだ。

「ふっ……ざけんな、何体いるんだよ!?」

最初に飛びかかってきた小さな鏡像を切り裂いて、ヴェルは思わず大声で悪態をついた。
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