境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

15.疑念の相手

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その瞬間、シリスは咄嗟に振り返って右腕を頭上に構えた。

まず頭に浮かんだのは、やってしまったという反省と後悔。
襲ってきたのは右前腕に走る衝撃。
次に感じたのは衝撃の中心に生じた熱さ。
最後に、痺れとともに刺すような激痛。
 
「う、ああ"あ"!!」
 
喉を突いて出た叫びが耳の奥で反響する。あまりの痛みは思考を食い潰し、思わず蹲りたくなるほどに苦しい。痛みを訴える右腕を持ち上げておくことができず、シリスはその腕を左手で抱きしめるようにして抑えた。

痛い、痛い。

だけど、動かなくては。
の筈がない。

それはもはや本能に近い確信。
まだ漏れ出そうになる叫びを無理やり噛み殺し右腕を庇った姿勢のまま、シリスは扉の影から出て鉄のパイプを再び振り上げたニーファに体当たりを喰らわせた。
 
「うっ」
 
反撃を予想していなかったのか、ニーファはバランスを崩した上体をなんとか支えようとたたらを踏む。手からは鉄パイプが滑り落ち、けたたましい音を立てて鉄の床を跳ねた。
 
「シリス!?」
「───ちっ」
 
叫び声に気付いたヴェルが駆け寄ってくる音が響く。盛大に舌打ちを鳴らすと、ニーファは脱兎のごとく部屋を飛び出した。入れ替わりに到着したヴェルにぶつかるが、構わず扉へ体を捩じ込む。
 
「うわっ……ニーファさん!?」
 
勢いに押されてヴェルが後ずさる。
その隙を見逃さずにニーファはホールへと躍り出た。
姉の悲鳴を聞いて来たばかりのヴェルは状況の判断に一瞬の時間を要し、その背を目で追いかけることしか出来ない。
 
「ヴェル……」
「っ、シリス!」
 
掠れた吐息混じりの声でシリスが呼べば、ヴェルは慌てて部屋の中へ飛び込んで来た。

転がった鉄パイプと飛び出していったニーファ。
後手に縛られたグレゴリー、そして右腕を押さえて蹲るシリス。

それの意味するところが分からないほどヴェルは馬鹿ではないが、彼は何よりも先に姉の横に膝をついた。
 
赤黒く腫れ上がり一部表皮が捲れ上がっていて、明らかに軽い怪我ではない。出血自体はそう多くないが、痛みからしても中の損傷はきっと酷いものだ。

 触れようとした手を、ヴェルが即座に引っ込める。代わりに、恐る恐るそっと姉の肩に手を置いた。

「大丈夫……じゃないよな?痛むよな?悪い、俺、なんも使えるものなくて……」
「大丈夫、大丈夫、だから」

荒い息を零しながら、シリスはヴェルの顔を見上げた。彼の顔は何処かに表情筋を落としてきたかのように無だ。しかし声が微かに震えていて、上手く表情を作れないだけだということがわかる。

「グレゴリーさん、居たって思ったら、油断した……ほんと、ごめん」

これは、自らの落ち度だ。釈明すらできない。

痛いという意識が激しく脳内で主張する中、シリスは普段見ることがないほどの弟の動揺にただ自責の念を感じた。

「ヴェル、」

大丈夫だと言いたいが、事実大丈夫ではない。それでも何か言わねばならないと、彼女は肩に伸ばされているヴェルの手にそっと触れた。

その手は燃えるほどに熱かった。
否。シリスの手がいま、とてつもなく冷えているのだ。

「───あいつ……っ!」

表情が抜け落ちていたヴェルの顔が、段々と怒りに染まっていく。

「待ってヴェル、グレゴリーさんの拘束……」

シリスが危ういものを感じて声をかけるが、時すでに遅かった。

「ヴェル、待て!」

グレゴリーの制止も一切聞かず、ヴェルはニーファを追って部屋を飛び出していく。

金糸を振り乱しながらホールへ消えていく背中。
シリスは追いかけようと足を踏み出す。しかし振動によって響いた痛みに、思わず腕を抱えたままうずくまってしまった。
 
「シリス、大丈夫か!?」
「無理。泣きそう……」
 
グレゴリーが身を捩るが、手を縛り付ける何かが解ける気配はない。彼が辛うじて自由な足でシリスの側へ跪きその顔を覗き込むと、彼女は自ら口に出していたようにうっすら涙を溜めていた。
 
「痛すぎる……ヴァーストさんの拳骨より痛い」
 
それでも、彼女にとって幸いだったのはニーファが見た目の通りの膂力りょりょくだったという一点だろう。
もしこれがか弱い女性の力でなければ……例えば、グレゴリーのように体格の大きい成人男性の全力で叩き込まれた一撃であれば、腕だけでなく頭部へのダメージも避けられなかったに違いない。咄嗟に利き腕とは逆を犠牲にする判断ができた事も大きい。
か細いけれどシリスらしい泣き言に、グレゴリーも泣き笑いのような表情を湛える。
 
「それだけ減らず口を叩けるなら大したもんだ。……すまんな、俺が油断したばっかりに」
「それ、今のあたしへの、皮肉です?」
 
苦痛の声を漏らしながら、それでもシリスは歯を食いしばって身を起こした。拍動と共にズキズキと熱い痛みを訴える腕は、僅かな体動でも叫び出したいほどに響く。それでも彼女は不安定な足取りでグレゴリーの後ろに回ると、側に散らばる工具から小さめのニッパーを掴んで手首の間に刃を捩じ込んだ。
支えを失った右腕が痛みで震えて、連動してニッパーを握る左手も震えるからか力が入りにくい。
 
「おい、無理するんじゃない……!」
「は?無理すんなっつって、どうやってグレゴリーさん自由にするのさ……っ……いいからじっとしてて」

痛みに思考の一部が侵されているからか、すでに上の立場の者に対しての物言いではない。
 グレゴリーの手は細いワイヤーのようなもので括られており、自力で解くにはそもそも無理な話だった。近くに転がる男も同様の拘束をされている。が、シリスにとってその優先度は低かったので放置する。

気合いだけではグレゴリーの拘束を解くに至らず、シリスは再び呻きながら蹲った。

「う"ぅ"ぅ"~……やっぱ、無理、泣きそう」
「おい、シリス!」
「後ろ手でも、いけますよね……?ちょっとだけで良いから、治療してください……」
「だが明らかに折れているぞ!?俺は治癒魔術は専門外で……」
「一時的に痛み軽くするだけでいいです、エミリオってヒトも、何処に隠れてるもんか分かったもんじゃ、ないですし……」

視線だけをあげて、目の前の扉へと向ける。
そこにはホールの景色が覗くばかりで、求める弟の姿はない。

「早く、ヴェルを、追いかけなきゃ」
 
低く、唸るような懇願。もはや懇願と言って良いのかすら疑問だが、それは紛れもなく本心からの願いだった。
走り去っていった背中に、焦りだけが助長する。自分もきっと片割れが傷付けられたら、後先構わず突っ込んでいくだろう。だが、それが無謀で愚かな選択肢だということは、当人ではないから判断できることだ。

頭に血が上ったヴェルに、その判断ができようものがない。だから自分たちはまだまだ未熟なのだ。

ヒトであれば簡単に対処できるだろうという、自分の油断も含めて。

 「……わかった、一旦痛みだけ取るが無理はするな。俺も一緒に行くから」
「それは寧ろ、当たり前のことなんで」

言外に「もう不意を突かれてはぐれるな」と語るシリスにグレゴリーは苦笑いも返さない。反論の余地がないことは本人がよくわかっているのだろう。

グレゴリーが後ろ手で構えたタクトに右腕を押し当てれば、暖かい光がシリスを包む。

「エミリオさんの事なんだが」

効率は悪いが、今この場でグレゴリーとシリス双方がヴェルを追いかけるには、これが1番ベストな手段だ。術がかかり終えるまでは待つしかない。
焦りだけが膨れ上がる中、唐突に話し始めたグレゴリーに「何を悠長に」とシリスは思ったが、後に続く言葉にその思いは霧散する。

「そこに倒れている御仁、その方がエミリオさんだ」
「───え?」
「俺と一緒に連れてこられたんだと思うが……」

とうとう瞳からこぼれてしまった涙を拭うこともせず。

怪しんでいた人物が雑に転がされているのを、シリスは複雑な表情で見ていた。
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