境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

9.身勝手な告解

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近くから見るその迫力は圧倒的だ。
時計塔から見た時と違い、ざぁざぁという穏やかな波音も聞こえれば、ぬるくてしょっぱい風が鼻腔を抜けていく。

「海すげー」
「海ってすごーい」

感動のあまり、逆に無感情な声が双子らしく同時に口から溢れる。

時間にして数秒ほど。
大して長い時間ではないものの、シリスとヴェルは目前に広がる広大な海に目を奪われていた。
しかし、目の前の海に浮かぶ停泊船を認識する余裕が出てすぐ、双子は首を振って意識を切り替える。首を振るのはまたも同時だった。

「秘書の人、探さないとな」
「ニーファさんって人どこだろ」

各々左右を別々に見回す。
港には積荷を下ろす船員の姿や、逆に積み込みの指示をしている商人の姿が散見された。それなりにヒトの姿があるが、昼の休憩などからまだ帰ってきていないのかそこまで数は多くないように見える。

「あの人さ」

その中でヴェルがそっと指を差し、つられてシリスが目を向けた。
数人の商人と集まって、何やら話をしている女性が目に入る。

顔立ちは柔和ながら、長い髪をかきあげる仕草はどことなく上品だ。歳の頃なら30から40くらいに見えるその女性。年齢を重ねてはいるが、美人の部類に入る容姿はあまり衰えを感じさせなかった。
周りを囲む商人達と違ってきっちりとした服を着込んでおり、立ち振る舞いもどこか周りと違う印象を受ける。

商人達と2、3言葉を交わした後、手元のバインダーに何か書き込むと、女性はヒールを翻して1人、港の奥に向かって歩き始める。

「あの!」

慌ててシリスがその背に向かって声を上げた。

周囲を見回しても彼女以外は誰もいない。
そこでようやく呼ばれたのだと理解した女性が振り返る。人の良さそうな顔には、呼び止められたことに対する驚きが浮かんでいた。



「ニーファさんですか?」
「はい。ニーファ・シシリーと申します……何かご用でしょうか?」

ニーファは綺麗な所作で頭を下げる。
亜麻色の髪が肩口からさらりと流れた。

「すみませんが、最近の積荷で姿見とかそれに近いものが入ってきたことはありませんか?」
「姿見、ですか……?」
「それか、街中に新たに設置された……とか。教えてもらえると嬉しいんですけど」

シリスの言葉に、柔和だったニーファの顔に怪訝けげんな表情が宿る。

「大型の鏡は、特別な申請が無ければ港への持ち込みは許可されていません。失礼ですが、何処の商会の方ですか?」
「いえ、商会とかじゃないんですけど」
「でしたら、取り扱いの許可も基本的にはおりないことになっています。条例にもありますので、違反された場合には───」
「俺たち、守護者なんです。情報提供して欲しくて」

咎める色が混ざり始めたニーファの声は、ヴェルのその一言でピタリと途切れる。

訝しむ表情は変わらないが、それでもその顔に戸惑いが広がったことだけはよく見て取れた。彼女の視線には疑いが浮かんでいるが、嘘など言っていない2人は堂々とその視線を受け止める。 

「…………何を、お聞きになりたいのでしょうか?」

やがて、ニーファは観念したかのように目を伏せ、バインダーを胸に抱えた。後ろめたいことがある人間の仕草だった。

「とりあえず、もう少しヒトの少ないところ行きませんか?」

シリスはなるべく優しげな声でニーファに語りかける。

グレゴリーにはああ言ったが、シリスはヒトを威圧することは苦手だ。特に、自分の一挙一動でヒトの表情が曇るのは、あまり見たくもない。
厳しさが含まれた表情が一転、弱々しく眉尻を下げた顔でニーファが頷く。

「でしたら、すぐそこの管理局の中に私の事務室があります。そちらにご案内します」
「助かります」

ヴェルが後ろで「甘くするなよ」と文句を言っていたが、シリスは聞こえないフリをした。




「───って事は、あんたも鏡像が現れ始めた原因は分からないってことか」
「お力になれず申し訳ありません……」
「まあそんな簡単に原因が分かってりゃ、既になんかしらの対処くらいはしてるもんな。普通は」
「ヴェル」

棘のあるヴェルの言葉をシリスが諌める。
だが、そのシリスですらフォローしきれない部分があることは否めない。

事務室についてすぐ、ニーファがしたのは華麗なる土下座。シリスが思わず彼女を立たせるが、ニーファは頭を下げたまま続ける。

───鏡像の出現を守護者に報告せず内々に処理し、住民に緘口令まで強いたことへの謝罪。
けれど大型の鏡像の経路になり得る鏡の存在や出現の頻度が高くなった原因について、彼女は全く把握していないようだった。

本来なら、シリスとヴェルはまだ守護者を完全に名乗れない。ましてやこの街の住民でもなければ、この世界の住民でもない。だから、街の利益を優先したニーファ達の判断を咎める立場にはない。

「街のヒトを危険に晒すかもしれないのに、なんで早く連絡をしなかったんすか?」

それでも、初めて鏡像に遭遇して恐怖で泣いていたヘリオを思い出すと、ヴェルの非難の言葉も至極当然の事で。
同じ感想を抱くシリスは弟の言動を止めあぐねていた。
そして言葉を受けても、ニーファは怒りも反論もしない。

「仰る通り、いつか収まるだろうと甘く見ていた私達が悪いのは事実です。住民たちに誠実でないことは薄々分かっていながら、この街からヒトが去ることを危惧して優先度を間違えてしまいました」
「勝手すぎんじゃない?街の利益のためなら、住民の命なんて危険に晒してもよかったって事すか?」
「いえ、そんな事は……!」
「だってそういう事だろ?現にまだ年端もいかないような子ど───」
「ヴェル!!」

段々と語調が強くなるヴェルを、今度こそシリスは強く諌めた。
ヴェルの言っている事は彼女にとっても正論に聞こえる。しかし、自分たちの正しさを武器に相手を責めるのは間違っている。
守護者はあくまで鏡像から白の世界を守る盾であって、包括された世界の支配者ではないのだから。それに、ヘリオたちを話題に出すことも憚られた。今後もこの町で生きていくだろう彼らとニーファたちの間に、わざわざ余計な軋轢あつれきを生む必要はない。

シリスに服の裾を引かれ、渋々ヴェルは黙り込むと不貞腐れた表情で腕を組み、そっぽを向いた。

「弟の言動は謝ります」
「いいえ、責められて仕方がない事は重々に分かっています」
「だけどこんな素敵な町が、平和が……壊れてしまう事を危惧する気持ちに嘘はないので」
「───はい」

ここに至っても、ニーファは一方的に攻め立てるヴェルに怒ることもなく、受け入れる姿勢だ。頭を上げて重々しく頷いたその心中は、シリスがはかり切れるところではなかった。彼女は取り乱すこともなく「それでも」の続きを口にする。

「それでも、街を優先したつもりは本当にないんです。それだけは信じてください」

嘘をついているようには見えない真剣な眼差し。
乞うようなニーファの告解に、シリスとヴェルはただ黙って彼女を見つめるしかなかった。





「結局、成果って成果はなかったかー」
「言っただろう?たった3日のうちに、こんな争いもないような世界で何かが分かるなんて期待しちゃいないさ、ってな」
「確かに平和ですけど、初日から鏡像出たんですよねぇ」

大通りに面した宿にて。
合流した3人は各々の結果報告を行いながら、部屋で簡単な軽食を摂っていた。
何処かへ食べに出ようにも豪勢だった昼食が未だ目と舌に焼き付いている双子には、とてもそんな気は起きなかったのである。

「グレゴリーさんの方はどうだったんですか?」

タルタルソースで和えた白身魚を挟んだサンドイッチを飲み込んで、シリスは次に卵サンドを頬張る。

「俺のとこか?搬送されたぞ」
「「搬送!?」」

1人だけ物足りなそうな表情をしながら、グレゴリーは分厚い肉が挟まれたバーガーを咀嚼する。何でもないかのように言われた言葉に双子は思わず声を上げた。

「と、いっても直ぐに家に戻ったがな。疲労が取れてないそうだ。ロクに話も聞けなんだ」
「何というか……隠蔽のバチが当たった感じですね」
「本人もそうやって悔いていたぞ。そっちと同じだな」
「にしても、身勝手にも程があんよ」

ヴェルは文句を言いながら2人の食事を眺めていた。食べないのかとシリスが問えば、普通はまだ腹が空かないくらいに食べただろう。バケモンかと返される。遺憾である。

「そこについては、後で養成所を通して上に報告しとくさ。この街の総意やら、向こうさんの話を聞いて今後を相談せねばならんからな……ヴェル、理解しろよ?」
「はいはい」

グレゴリーの言い含めるような言葉に、ヴェルは気怠げに返事する。先程のニーファを思わず詰めてしまったことに対しての言だが、別にシリスが告げ口したわけではない。報告の際に、全く同じ不満をヴェルがぶちまけただけに過ぎない。

お互いに報告を終え、食事も済ませて一服するとグレゴリーは立ち上がり再度身支度を整え始めた。

「何処か行くんですか?」
「詫びも含めて、あとで見舞いに行くと言ったんだ。理由があると言え、流石に他世界のヒトの心労を突いて悪化させたとあっては、後でヴァーストさんにも雷喰らうからな」

乾いた笑いを零すその顔は、少しばかり憔悴しているようにも見えた。そこでようやくシリスもヴェルも、グレゴリーが厄介な役割を引き受けていたことに気が付く。

「帰り道で、養成所の方にリンデンベルグの現状を伝えてから戻る。遅くなるようだったら先に寝ておいてくれ、任務自体はまだ2日あるんだからな」
「はーい」
「ヴァーストさんに小言言われないよう祈ってるんで」

最後のヴェルの気遣いとは程遠い励ましに、グレゴリーは苦笑いだけを返すと部屋を後にする。

ヴェルもシリスもシャワーや着替えを済ませ、グレゴリーが帰ってくるのを少しばかり待った。それでも時計の短針が頂点を回る前には、言いつけ通り2人して寝床に潜り込む。

窓の外からはわずかに街灯の明かりが差し込んでいたが、通りにはもう人の姿もなく、昼間の賑やかさが嘘の様にとても静かだ。
初めての経験ばかりで疲労した身体は、直ぐに抗えない睡魔に引き摺り込まれていく。



そして朝になり、再び日が登り始めてもグレゴリーは帰ってこなかった。
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