境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

5.平穏とは

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「じゃあお兄ちゃんとお姉ちゃんの剣も、魔術で体の中に仕舞ってあるの?おじちゃんは?」
「お兄さんも一緒だぞ、ほら」
「すごーい!おじちゃんのは棒きれなんだね!」
「はっはっは、これは杖だ。ちなみにお兄さんはまだ27歳だぞー」

何もない場所からグレゴリーの右手にタクトが現れたのを見て、少年───ヘリオは感嘆の声を上げた。

「……グレゴリーさん、あたしたちと10歳も離れてないんだ」
「俺もびっくりした」

あの後、気を失ったヘリオを抱えて、3人は助力を求めて路地を抜けたすぐ先の店へ駆け込んだ。ただでさえ熊みたいな図体のグレゴリーが、気絶した少年を抱え走り回る図は混乱を招くと思ったからだ。

そして運がいいのかただの偶然か。

駆け込んだ先はヘリオの親が経営する食堂であり、グレゴリーがお勧めだと言っていたその店であった。
酒も扱っているらしいその店は夜の部がメインなのだろう。昼時の食堂だが、まだ客の姿はない。



気絶した息子が運び込まれた事にヘリオの両親は始めこそ取り乱したが、グレゴリーの顔に見覚えがあったようで一旦は聞く姿勢を見せた。そこに乗じて鏡像がヘリオを襲った事、すでに退治は終えている事、ヘリオに大きな怪我はない事を説明した。
両親の顔は説明を聞くにつれみるみる青くなってはいったが、反対にその態度はゆっくりと落ち着きを取り戻していった。

その時だ、ヘリオが目を覚ましたのは。
ゆっくり瞬いていた瞼が完全に開けられ、くりくりとした子供らしいつぶらな瞳が辺りを見回していた。ハッとした表情で店のソファ席に横たえられていた体をすぐに起こす。そして、見知った店内に見知らぬ大男がいるのを理解したヘリオが大声で叫ぶまで、その間わずか数秒。
彼の両親も交えてここに危険はないことを根気よく説明し、話は冒頭に戻る。

店は急遽休業となり、店内には守護者3人とヘリオ一家しかいない。
先ほどまでの恐怖も過ぎ去ったのか、慣れてきた様子のヘリオは3人に興味津々に話しかけていた。
ヘリオの父は申し訳なさそうにひとつ頭を下げて、3人の前に飲み物を置く。
ヴェルとシリスの前には水が、グレゴリーの前には錫器すずきのジョッキが置かれる。明らかに水ではない。

「いや、俺も今日は水を……」
「今日は?」

ニヤッと笑うヴェルが視線を投げかけると、シリスも同様にニヤッと笑い返す。

「ヴァーストさんに報告しとかないとな~。グレゴリーさん、仕事の途中でお酒飲んでるらしいですよーって」
「おまっ……、いつもはちゃんとやることが終わってからだぞ!」
「いつもは飲んでるんだ?」
「うぐ……」

2対1で追い込まれるグレゴリーがとうとう根を上げたのを見て2人はケタケタと笑い声を上げた。
賑やかな様子を見て、ヘリオの父もようやく口元を緩める。

「先程は大変失礼いたしました。守護者様のお召し物を着てらっしゃらなかったので、すぐには気付けず」
「俺も、昼間の通りの雰囲気がこんなに夜と違うとは思わなんだ。まさかさっきの道がこの店の前に繋がってるとは。それより、ご子息には初めて会ったな」
「いつもいらっしゃる時間にはもう寝ておりますからね」

ヘリオを見るその眼差しは、息子をいかに想っているか分かるほどにとても温かい。しかし、その瞳は直ぐに影を帯びる。

「……本当に、皆様のおかげで安心して過ごせていましたものを」

頭が痛いというように額を抑えて嘆息するヘリオの父の顔には、明らかな疲れが見え隠れしていた。

「グレゴリー様が前回いらした後……3ヶ月ほど前くらいから、常連の方々の中で黒いモヤの目撃が何件かありまして」
「───鏡像か」
「はい、恐らくは。自警団が直ぐに対処しているので仔細は我々にも不明ですが」

決して声を荒げる事はないが、グレゴリーの顔が険しくなっていく。物や他人に当たるような男ではないが、見た目の厳つさが仇となりヘリオの父の声は段々と小さくなっていく。

「守護者に連絡は取らなかったんですか?」

見かねたシリスが横から口を挟んだ。

「町長には、守護者様方への連絡を進言しました。しかしここは観光で成り立つ町……。偉い方々は、鏡像が増えたなどという話が外部に広がるのを危惧して、恐らくお伝えしてないものと思われます。我々にも、あまり来訪者を怯えさせるなというお達しも来ましたので……」

観光で成り立つ、という事は外部からの人の流れがある程度見込めなければ経済が保障されないという事だ。鏡像が出たと広まれば、この町に集まる人々の足は遠のくかもしれない。緘口令かんこうれいを敷く───つまりヘリオの父が言う"偉い方々"は住民の危険よりも利益を選んだと言う事だった。


守護者は、並行世界を往来してそれぞれの世界を守っている。
しかし無数に存在する世界に対して守護者の数は有限だ。全ての世界の危機を常時把握する事は難しい。だからこそ町や都市、国の指導者達には守護者と連絡を取り合う手段を渡しているのに、利益を求めて正しく使えないようでは意味がなかった。

ヴェルが水を一気にあおり、冷めた目でグラスを置いた。

「目に見えて犠牲があれば慌てて連絡してきたはずだと思うけど、被害はまだってとこか。っても、後手に回るのは頭悪い選択と思うけどな」

既に先ほどヘリオも襲われかけていた。シリスが悲鳴に気が付かなければ、少しでも到着するのが遅れていれば、その時点で1人の命が奪われていた事は想像に難くない。
今までは対処できる程度の相手しか現れなかっただけ運が良かったのだ。
それを理解しているからか、ヘリオの父は俯いて下唇を噛む。大事な息子が喪われるかもしれなかったのだから、その心境は察するに余りある。


重たい沈黙が流れ始めた店内で唯一、ヘリオだけがキョトンとした表情で、苦々しい顔をした大人達を眺めていた。

「鏡像って何?」
「……………………え?」

声を上げたのは誰だったのか。少なくとも、バツの悪い顔で俯くヘリオの父だけでない事は確かだった。

「守護者様ってお姉ちゃん達のこと?」

そこからか。ヘリオの父へ向いた3対の目が如実にそう語っている。視線を受けた彼は肩をすくませ身を縮こまらせ頭を垂れ、必死で申し訳なさを全身で表しながらグレゴリーの圧がかかったとき以上に小さな声で答えた。

「鏡像が生まれるようなこと自体が少ない町ですので、その……わざわざ教育するという風習自体がなくなり始めておりまして……」

曰く、リンデンベルグで最後に鏡像が現れたのは8年前に1回のみだ。それも都合よく近場にいた守護者がすぐ退治をしているため、その事件自体を知るものも多くない。シリスとヴェルもそれについては資料で学んでいた。過去へさかのぼっても数年単位で1、2回現れるか程度で、全て騒ぎになる前に退治されている。
そんな中、鏡像という異形の存在が伝えられなくなり始めるのは、当然の結果だった。

「それがいては守護者自体の存在の疑問視にも繋がった、と言うことか……」
「無論、鏡像を見たことがある者もいれば守護者様が視察にいらっしゃっている事を知っている者もいます。しかし……」

ヘリオの父はそこで一旦言葉を区切る。
迷うように口をモゴモゴさせたが、最終的には謝罪と共に言葉を口にした。

「平穏とはある意味残酷なのです。浸りすぎると、与えられているものを当たり前だと感受して感謝することも忘れてしまいます。私とて守護者様には感謝しておりますが……。鏡像のことも守護者様のことも、どこか自分とは遠い別の世界のことだと思っていた事も事実です。……申し訳ございません」
「平和ゆえか……由々しき問題だな」

戻ったら報告だな、とグレゴリーは唸る。険しい顔はしているが、頭を下げるヘリオの父をこれ以上追求する事はなかった。それがこの町全体に広がっている考えならば、彼だけを厳しく詰めても仕方がないのだから。

「頭を上げてくれ。この問題は、我々も追々考えなければならないものだ」
「はい……」
「気を取り直して、少年の疑問に答えてやろう。周りが教えてやらないのなら、我々が教えるというのも義務だからな」

未だにキョトンとした顔をしているヘリオへ顔を向けて、グレゴリーは手でシリスとヴェルへ合図を送った。つまりは2人に説明しろと言うことだ。それこそ教鞭を取ることを生業とする彼の方が適役のはずだが、わざわざ役割を押し付けると言う事はこれも評価の一環なのだろう。
面倒くさそうに舌を出すヴェルを置いて、シリスはヘリオに向かって優しく微笑んだ。

「ヘリオ君は自分が住んでる世界について分かるかな?」
「白の世界のこと?」
「そうだね。どういうふうに教えてもらったの?」
「白の世界はたくさんの世界から出来てるんだよ!ブドウの房みたいにたくさん世界がくっついてるけど、ひとつひとつはくっ付いてないの!」
「凄いね!わかりやすい説明ありがとう」

自らの知識を誉めらて、ヘリオは頬を染めて満面の笑みを見せた。つられてシリスの笑みも深くなる。

「世界同士はくっついてないから、ヒトは本来行き来することは出来ない。でも、茎みたいにそれぞれを繋ぐ道自体は存在する。それを通ることが出来る種族が守護者だよ」
「お姉ちゃん達は人間じゃないの?」
「って言っても、世界を繋ぐ道を通ることができて、ちょっと頑丈で、鏡像に対して強いくらい。そこまでヘリオくんたち人間と変わることは無いよ。」
「でも、いろんな世界に行くことが出来るんだよね、いいなぁ~」

子供らしい素直な感想に、ヴェルの渋面もほんの少しばかり柔らかくなる。説明を姉に任せきりで頬杖をついていた彼は、姿勢は変えないながらも視線をヘリオに向けて言った。

「守護者じゃなくても、別の世界に行ける方法はある。色々と条件はあるから、沢山勉強しないとな?」
「うん!」

いつか行けるといいな、なんて言葉を口にしてヴェルはシリスに続きを促した。やる気を全く見せない彼だが、子どもには優しい。

「……んだよ、ニヤニヤして」

含みのある笑みを浮かべて自分を見つめている姉に、ヴェルが怪訝な顔を向ける。

「別にぃ?」

だが、彼女はすぐにその表情を消してヘリオの方に向いてしまう。感じわりぃ、とヴェルが愚痴るも、それを気にするシリスではなかった。

「じゃあここからはその為のお勉強だと思ってね」

教師を気取った、少々いたずらめいた口調。
けれども新しい知識に期待を寄せて、爛々と目を輝かせるヘリオは勢いよく頷いたのだった。
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