謎喰い探偵の事件簿

界 あさひ

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謎喰い探偵の事件簿 中編

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定年を間近に控えた教員は、しかしその年齢を感じさせない若さを醸し出していた。スラっとした細身と年相応の白髪が覗く髪が印象的である。
「いや、しかしまさか四之宮さんがそんな窮状にあったとは…」
狭い研究室の中でその教員、古井 貴信ふるい たかのぶは、一条と梨杏を前にしてそう呟いた。
「何か、彼女の周りで気になることなどありませんでしたか?」
一条がそう聞いた。こう質問しているのを見ると確かに先ほどまでより探偵らしさを伺える。
「うーん、学生が困っているのに、力になれそうもなくて申し訳ないね…」
人が好さそうな古井は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「そうですか…もし彼女のことで気が付いたことなどがあれば」
「えぇ、気にかけておきます」
一条と梨杏は古井と形式ばった別れの挨拶を交わし、研究室を退室した。
「何も成果なかったね」
わざとらしく塩らしくした梨杏がそう言うと、一条はニヤリと笑って
「いや、一つ分かったことがある。」
「え、何?」
ニヤニヤしつつ一条は嬉しそうに言った。
「君は思いの他、普通に他人とコミュニケーションが取れて当たり障りのない関係を形成できることが分かった」
「お前が脅迫受けても私は助けない、絶対に」

 今度は梨杏の実家にて、梨杏の弟、四之宮 充希しのみや みつきへの聞き取りであった。一条がまた聞いた。
「お姉さんが、何者かに恨まれてるなんてことは…?」
「幾らでもあると思いますよ」
「最近、お姉さんのことや、そうでないことでも、何か変わった事はあるかい?」
「いや、特には…あ、でも、」
「でも?」
思わず前屈みになった梨杏が繰り返した。
「この前、姉をたまたま外で見たんですけど、その時に、姉の後を付けてるように見えたがいたんですけど…いや気のせいかもしれないですけど…」
「え!?言ってよ!?なんで黙ってたの!?」
ヤイヤイとうるさい梨杏をスルーして探偵が続けた
「どんな男だったか、覚えてる?」
「多分…20代くらいで、小太り、170センチはない位だと思う…」
ゾゾゾと恐怖に慄く梨杏の横で、一条はなぜかホクホクと満足げで
「ありがとう!」
と充希への礼を発したのであった。

続けて梨杏の住むアパートの隣の部屋の住人への聞き取りである。梨杏の住むアパートは大学から徒歩20分ほどの場所であった。
「梨杏さんとは、よく朝外に出る時間が被って、挨拶を交わしたりしてるうちに仲良くなって、今ではお互いの部屋へ遊びに行く仲なんです。梨杏さんの助けになれるのなら、何でも聞いてください」
人の好さそうな笑みを浮かべた梨杏の隣人、中邑 真登香なかむら まどかは座っている一条と梨杏にお茶を出してもてなした。申し訳なさそうに苦笑いをする梨杏の横で、一条はくつろぎながら質問を始めた。
「ではまず、最近、梨杏さんの周辺のことについて何か気になることはありませんでしたか?」
「…思い違いかもしれないんですけど…一週間ほど前に、アパートの前で、梨杏さんの部屋の窓をずっと見上げてるおじさんがいて…」
「えっ」
思わず濁った感嘆符を漏らした梨杏とは対象に、一条は食いついた。
「おじさん?梨杏さんの部屋を見ていたのは確かにおじさんでしたか?例えば20代には見えませんでしたか?体形は小太りではありませんでしたか?」
「す、すみません、もう暗い時間帯だったのであまり良く見えなくて…もしかしたらおじさんは見間違いだったかもしれません…小太りだったかどうかも…すみません…」
「そうですか…いや、謝らないで下さい」
ニコリと笑って中邑を気遣った一条に(あんたも大概猫かぶりね…)とすました顔で毒づいた梨杏であったが、何か気分が晴れなかった。

隣人の中邑への聞き取り調査を終えた一条と梨杏は、その横の部屋の梨杏の部屋へと入った。
もうすっかりと外は暗くなっていたため、部屋の明かりを付けてカーテンを閉めつつ、梨杏が言葉を発す。
「何か分かったことはあった?」
「うーん…今のところだけど、君の後を付けていたという20代の小太りの男だの、君の部屋を見ていたというおじさんだの、何やらややこしくなってきたっていう印象だね。無論僕としてはその方が有難いのだけど」
「人の窮状を喜ぶなよ、この変態探偵が」
「後は…最後に聞き取りをした隣人の仲邑さん。彼女はどんな人なんだい?」
梨杏はその質問の意図が分からなかった。
「どんなって…まどかちゃんは私にも優しくしてくれる良い人だよ?」
「例えば、君がそう思い込んでいるだけの可能性は?」
やはり一条の言っている言葉の意味が分からない。
「最初、彼女は君の部屋を見ている人を「おじさん」と表現した。しかし僕がそれは20代じゃなかったかと聞くと、今度は「分からない」と逃げた。何より、僕がそいつは小太りじゃなかったかと聞いた際にも「分からない」と彼女は返答したが、そもそも「おじさん」と認識してる時点で、そいつが小太りかどうかは分かると思わないか?」
「まどかちゃんを疑ってるの?」
ようやく一条の意図に気付いた梨杏は言葉を止めなかった。
「まどかちゃんはそんな人じゃないよ、そもそもまどかちゃんが私を脅迫する理由なんてないし!」
「理由なんて君が知らないだけかもしれないし、そもそも悪巧みをする人間は、騙そうとする相手には良い顔をする者だろう、君は知っての通り」
言葉に詰まった梨杏は話題を逸らした。
「…それで、解決できそうなの…?」
「無論、解決する」
自信満々の一条の横で、梨杏は一条への確かな信頼と、一条が疑った隣人の仲邑についての不安の両方を感じていた。
その日は、丁度そこが梨杏の部屋だったこともあり、そこで解散となった。
本当にまどかちゃんが私を騙そうとしてる…?いや、そんな訳はない。何かの思い違いだ。一条探偵の「迷」推理に違いない!あのへっぽこ探偵め!梨杏はそう自分に言い聞かせて、その日、久しぶりに深い眠りについた。

翌朝、梨杏は昨日、最初に聞き取りをした古井教員の研究室で古井に対して、一条への愚痴を発していたが、古井が事件の進捗を聞いてきた。
「―――ところで、その後、その件は解決しそうですか?」
「まぁ、あの変態探偵に任せておけばいずれは…って私は楽観視しちゃってますね」
「ほう、それは良かった。
あぁ、そういえば…」
徐に、古井は品の良い値の張りそうな腕時計を取りだした。
「これ、お守りと言っては何ですが、もしよければ使って下さい」
「えっ良いんですか?」
「えぇ、もしよければですが―――」
「ありがとうございます!」
古井の気が変わる前にと勢いよく梨杏は感謝を述べて腕時計を賜り、腕に付けて嬉しそうな表情を古井に見せ、もう一度感謝の言葉を言っておいた。
「いえいえ、礼には及びませんよ、どうせうちの棚で眠っていたものですから。
あぁ、それと…今日はこれから東京の方で学会があるので、今日はもうこちらには戻ってきませんので」
「分かりました。腕時計ありがとうございます!頑張ってください!」
「えぇ、ありがとう。貴方も気を付けて下さいね」
古井と別れた後、梨杏は貰った腕時計を改めて見て、センスの良さに思わず頬が緩んだ。今日はこの腕時計を眺める時間が長くなりそうだな、なんて考えて楽しくなっていた。

「腕時計、昨日は付けていなかったよな」
一条は意外と目敏く、腕時計の変化にすぐに気付いた。古井教員に「お守りに」と貰ったのだと自慢すると、一条は「ほう」と感嘆を漏らし、話を本題に戻した。
「今日は君の友人に話を聞きたい」
「まぁそのつもりで昨日友人にはそう伝えてるけど」
「いやしかし」
「しかし、なに?」
「まさか君の様な人間にも友人がいるとは…」
「…」
「君の様な人間にも手を差し伸べて友人として接することが出来る人間…まさに謎だな…」
「一番酷い死に方して欲しい、割と今すぐ」
などとダベっていると、友人と待ち合わせしていた大学内の雑談できるカフェの様な場所に着いた。

友人、もとい渡真利 結は明るい茶髪の垢ぬけた印象の人物である。
「えぇ!?梨杏そんなことなってたの!???」
実際に脅迫の事は誰にも言えていなかったため、渡真利の反応は当然ともいえる。
「大丈夫だった!?怖かったよね?んで言ってよ~!友達じゃん!?あんまり頼りにならないかもだけどさ!?」
渡真利は目に涙を浮かべた。梨杏は渡真利が自分のことを本心から心配してくれているのだとという事実に、何か嬉しくなって感動に似た感情を覚えた。
「感動中に早速で悪いけど…」
一条が脱線していた話を本筋へと戻す。
「最近、梨杏さんの周りで気になった事なんかはある?」
「う~ん…この前の梨杏のペンケースとか文庫本がなくなってたのもその脅迫と同じ一件なの?」
「僕はそうじゃないかと推察してる」
「全然関係ないと思ってたけど…梨杏のペンケースと文庫本がなくなった日、その後の講義で梨杏のペンケースと同じものを持ってた人を見かけて…」
思わず、一条より先に梨杏が問いかけた。
「その人の特徴とかって覚えてる?」
「見た目は多分大学生って感じで…少し太ってる男の人。身長は170くらいかな」
梨杏は勢いよく、バッと一条の方を向く。一条も梨杏の目を見て、互いに頷いた。
「ありがとっ結!」
「役に立ってたらいいけど」
「めちゃくちゃ!」
梨杏は今朝、腕時計を貰った時よりも心の底から感謝した

「とりあえず、その小太りの男が容疑者の第一候補、って認識で良いの?」
 大学構内の中庭のベンチにて、梨杏は一条と昼食を摂りつつ、これまで得た情報をまとめていた。
 一条はうーん、と唸って、
「釈然としない節はあるが、その男が重要参考人ってことには間違いはない」
と含みを持たせた表現に、梨杏は訝しげな表情で
「その男は犯人じゃないの?」
と投げかける。
「それはまだ何とも、だね。
とりあえず、今日はここで解散しよう、僕は調べたいことがあるから」
一条は顎に手を当て、考える姿勢を取ってそう別れを告げた。

外はすっかり暗くなっていた。梨杏は思わずその寒さに肩をすくめ、「さむっ」と誰に言うでもなく漏らした。
一条と別れた後、梨杏はその後の講義を受け、その後、カフェスペースで課題に時間を費やした。それがここしばらくの梨杏の毎日のルーティーンであった。カフェスペースには、梨杏の他にも何人か勉強や談笑している学生がいた。その中に一人、小太りの男も、カフェスペースの一番外側の席に座り、梨杏に視線を注いでいた。小太りの男はしきりに貧乏ゆすりをしつつ、課題に取り組む梨杏を見て、―――ニヤリと笑った。
そんなことには何も気づかず、昨日は一条を騙しに行った結果、結局そのルーティーンを達成することは出来なかったため、梨杏は二日分の課題に取り組んだ。
課題を終わらせ、大学からアパートへ帰る大通りは車通りや人通りも多く、車のライトや店の明かりに照らされているため、夜であっても怖くはない。その大通りを折れ、今度は急に細く、暗い道になる。アパートへ帰るためにはこの道を通らざるを得ないが、ボヤっとした街頭のみが梨杏と梨杏の歩く道を照らしており、梨杏は言い得ぬ恐怖を掻き立てられる。
―――カツカツ。
ふと、梨杏は足音が気になった。カツカツと甲高い音を立てるのは梨杏の靴。その他にもう一つ。ザッザッ。と、やはり気のせいではない様な気がする。誰か、後ろを歩いている。それに気付き、途端に恐怖を感じた。唾をのんで、覚悟を決めて、少し歩くペースを早くする。ザッザッという後ろを付けている音も、梨杏のペースに合わせて早くなる。やっぱり、後をつけられてる。何をされるのか、誰なのか。何も分からないことが恐怖をより増幅させる。
歩幅が大きくなり、歩くペースも上げる。動悸がする。意識は後ろの何者かにのみ注がれる。
ふと、後ろの足音がより早く、より大きくなった。一気に距離を詰められたのだろう。ヤバ―――『ガン』。梨杏は頭に強い衝撃を受けたことに気付き、一瞬遅れて後頭部に痛みが走る。
次の瞬間、梨杏は意識を手放し、その場に倒れ込んだ。
誰も通らない暗闇の中、何者かが倒れた梨杏を更に数発、バットで殴打する光景を、街頭のボヤボヤとした灯りだけが、確かに照らした。
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