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第9話
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力いっぱい投げたローズマリーは見事に命中した。
「痛っ!」
もちろん、当たったのはルーカス様の可愛らしい顔面だ。
これは仕方がないことだし、これは当然の結果でもある。そして、絶対に私が悪いのではない。
ルーカス様の側にあんなにぴったり張り付いていたくせに、彼の周りを見てもすでにあの女性の姿はなかった。
私のローズマリーに恐れをなして、あっさりと距離を取ったようだ。
勝った!
勇者の勝利だ! 勇者は立派にお姫さまを守ったのだ!
冷めやらぬ高揚感に自然と口元が緩む。
拳を天に突き上げ大声で叫びだしたいくらいだ。
そんな気分上々な私に水を差すように、ジリジリと背中に強い視線を感じる。
……ちっ。
いけない。思わず舌打ちが出てしまった。
急いで逃げたはずのあの女性は、きっと髪を振り乱し部屋の隅から物凄い形相で私を睨みつけていることであろう。
そして、私への反撃の機会を窺っているはずだ。
視線の強さからもそう察することができる。
それならばと私は、再びポシェットからローズマリーを取り出しニ投目の準備をした。
今度は先ほどの倍以上を束ねてある私のお手製だ。
一投目に投げたセバスが作ってくれた見本のそれよりもあきらかに量は多い。セバスにはその量をやんわりと止められたが、私は首を横に振り聞かなかった。
なぜなら、大は小をかねるはずだからだ。
深く吸った息をゆっくりと吐き、呼吸を整え軽く肩を回す。
私は「これで終わらせる!」そんな決意を込めて振り向きながら渾身の力で投げつけた。
部屋の隅にいる対象へと一直線に豪速球で飛んでいく予定だったローズマリーは、私の手から離れるとなぜか高い山のような放物線を描いてゆっくりと落ちていく。落下しながら束ねていた紐がするりとほどけ、私の目と鼻の先でバラバラに散らばっていった。
「……」
瞬間、私は知った。
セバスの言うことはちゃんと聞いておいたほうが良いということを。
座ったままで振り向きながら投げても飛距離は全くでないことを。
そして、背後には件の女性どころか誰もいなかったことを。
私は、知った……。
視線を感じたその場所近くでは、宗教画に描かれている両手を広げた天使が慈愛に満ちた顔で微笑んでいた。私に向かっているその微笑みが、少し悲しげに見えるのは気のせいだと思いたい。
絨毯の上でバラバラに散らばったローズマリーと側で伸びている紐から目を逸らす。
お兄様が戻ってきたら一緒に拾おうと心に決めて、私は素知らぬ顔で身体の向きを戻し、服のシワを整えていたかのようにそっと座り直した。
運良く私のこの一連の行動は、ルーカス様に見られてはいない……なんてことはなかったようだ。
期待しながら顔を上げれば、私が顔面に投げつけたローズマリーを片手に持ち、苦笑いを浮かべるルーカス様とばっちり目が合った。
「……あの、どこから、ご覧に?」
「えーと、ほぼ、はじめからかな」
「……」
ルーカス様のためらいがちな答えに、私は一気に顔から火が出るほど全身が熱くなる。
ああ、穴があったら入りたい。
「はい、これで全部だよ」
ルーカス様は、私が散らかした大量のローズマリーと紐を拾い集めテーブルに置いてくれた。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
拾い始めたルーカス様に、あわててソファから身を乗り出し手伝いを申し出た私は「大丈夫だから、座っていようね」と元の位置に戻されてしまった。
私の胸は心苦しさと羞恥心でいっぱいである。
ルーカス様の話によれば、あの女性は部屋の隅に逃げたあと私のことをとても悔しそうに暫く睨みつけてから壁に消えていったそうだ。
私が背中に視線を感じたのは間違っていなかった。
ただ、投げるタイミングが少し遅かったのと投げた距離がほんのちょっと足りなかっただけだった。
「それにしても、すごいね」
ソファに戻ったルーカス様は、適量でしっかりと綺麗に束ねてあるローズマリーをくるくる回し、感心したような声を上げている。
私はぐるぐる回し続けた冷めた紅茶を飲む。あの高揚感がここで急激にしぼんでしまい、頭がぼんやりとし始めた今の私にはこれがちょうど良い。
冷めた紅茶で少しすっきりした私は、同志のルーカス様にいろいろ聞いてみようと思った。
「ルーカス様は、いつもどのように回避を?」
「視えないふりだね。これが今のところ一番の方法だよ」
と即答しながらローズマリーを回すのをぴたりと止めて真剣な眼差しで私を見つめる。
その視線をしっかりと受け止め、私は「はい、そうですね」と頷き同意した。
「でもたまに、視えないふりをしてもどうにもならないこともあるけどね……」
「はい……」
これにもしっかり頷き同意した。
ルーカス様には、ローズマリーをたくさん持ち帰ってもらおう。
「うちのあの庭、どうですか?」
「……とっても斬新だよね」
「……斬新」
「……」
物は言いようである。
視えない人にとっては言葉を失うほどの美しい庭園でも、あれが視える私にとっては息が止まるほどの恐ろしい庭園だった。
庭園全体を覆っているのは黒い靄。どんなに晴れた青空の日でもその靄が消えることはなく、庭園に足を踏み込めば重苦しい空気が纏わりつき息が苦しくなる。
極めつけは、庭園で咲き誇る大輪の美しい深紅のバラと一緒に咲き乱れる無数の顔。
バラだけを観賞しようにも必ず視界に入り込んでくるという恐ろしさ。しかも、その眼球は血走りバラを観賞している人を食い入るように見つめ続けているのだ。
「バラの隣に顔を飾る斬新な庭園かなって」
「……」
「怖いよね、あそこ」
「はい」
視えるルーカス様との会話は楽しかった。私は、誰かに話したかったんだなぁと思った。
だから、話ながら気がついたことを聞いてみようと思った。
「ルーカス様へ頼まれたのはお兄様ですか?」
セバスに呼ばれ席を外してから未だ戻ることのないお兄様。
あんなに私に対して過保護な人が、いくらルーカス様を信頼していてもずっと戻らないなんてあり得ないと思っていた。
「えーと……、うん、うーん?」
彼の歯切れの悪さから、まさかとは思ったがもう一人頭に浮かんだ人物を挙げてみた。
「……お父様も?」
尋ねた私に困ったように笑うその表情に、私の考えが正しかったことを悟る。
まただ、私は、また……。
じわりと目の奥から熱くなる。溜まり出した涙が零れ落ちないようにぐっと耐えた。
「……わ、私は……また、迷惑を……」
「違う、違う。迷惑じゃない。二人は君を心配しているんだよ」
ルーカス様があわてて差し出したハンカチに、自分が涙を溢れ出させたことを知る。
「誰にも話せなかったんだよね」
受け取ったハンカチを目にあてながら、何度も首を縦に振る。
「言うのが、怖くて……」
「うん」
「……信じてもらえないって……」
「うん」
「……私のこと……嫌いになっちゃうんじゃないかって……」
「うん。それは絶対ない」
「……ゆ、幽霊が視えちゃう、気味の悪い子でも……?」
「うん。絶対ない」
その自信は、いったいどこからくるのだろう?
ものすごい自信たっぷりな言い方に、涙が止まるくらいぽかんとしてしまった私にルーカス様は穏やかな声で「俺を呼んだのは、あの二人だからね」と笑いながら言った。
「……あのお庭、お父様に言ったらなんとかなりますか?」
「たぶん、大丈夫だよ」
「普通のお庭になったら、一緒にお茶会をしてくれますか?」
「もちろん、喜んで」
楽しみだね。そう言って柔らかく笑う姿はすごく可愛らしくて、つられて私も笑顔になる。
そのまま、先ほどから表れてきていたふわふわする感覚に身を委ねた。
いつもの意識を刈り取るようにくる眠気とは全く違い、緩やかに眠気がやってくる。とても気持ちがいい。
お酒ってすごいなぁなんて思いながら、ふかふかのソファへと横になっていた。
「……ありがとう、ルーカス君」
遠くでお兄様の声によく似た低い声が聞こえる。 それは今、ここには居るはずのない人の声。
お父様……?
私へ近づいてくる気配に急いで起きようとするが、起き上がることも瞼を開けることも出来なかった。
それでも強くなる睡魔に抗いながら、うっすらとやっと開いた目に映ったのはやっぱりお父様で。
今日、今、これだけでも伝えたい。
そんな思いで私は唇を動かして言葉を声に出す。
「……おとうさま……、だいすき……」
私の声にお父様は私へと伸ばした手を驚きに一瞬止めて、嬉しそうに微笑んで頭を撫でる。
「私もだよ」
お父様から返された言葉に嬉しくなった私は、自分でもわかるくらいへにゃりとした随分としまりのない顔で笑っていた。
「あした……」
たくさんお話したい、そう言いたかった言葉は続けられずに頑張った瞼も閉じていく。
そっと前髪をわけられ、額に柔らかいものが触れる。
「おやすみ、ティアナ」
そして、私を優しく抱き上げてくれるお父様の心地よい香りに包まれ、私は深い眠りに落ちた。
「痛っ!」
もちろん、当たったのはルーカス様の可愛らしい顔面だ。
これは仕方がないことだし、これは当然の結果でもある。そして、絶対に私が悪いのではない。
ルーカス様の側にあんなにぴったり張り付いていたくせに、彼の周りを見てもすでにあの女性の姿はなかった。
私のローズマリーに恐れをなして、あっさりと距離を取ったようだ。
勝った!
勇者の勝利だ! 勇者は立派にお姫さまを守ったのだ!
冷めやらぬ高揚感に自然と口元が緩む。
拳を天に突き上げ大声で叫びだしたいくらいだ。
そんな気分上々な私に水を差すように、ジリジリと背中に強い視線を感じる。
……ちっ。
いけない。思わず舌打ちが出てしまった。
急いで逃げたはずのあの女性は、きっと髪を振り乱し部屋の隅から物凄い形相で私を睨みつけていることであろう。
そして、私への反撃の機会を窺っているはずだ。
視線の強さからもそう察することができる。
それならばと私は、再びポシェットからローズマリーを取り出しニ投目の準備をした。
今度は先ほどの倍以上を束ねてある私のお手製だ。
一投目に投げたセバスが作ってくれた見本のそれよりもあきらかに量は多い。セバスにはその量をやんわりと止められたが、私は首を横に振り聞かなかった。
なぜなら、大は小をかねるはずだからだ。
深く吸った息をゆっくりと吐き、呼吸を整え軽く肩を回す。
私は「これで終わらせる!」そんな決意を込めて振り向きながら渾身の力で投げつけた。
部屋の隅にいる対象へと一直線に豪速球で飛んでいく予定だったローズマリーは、私の手から離れるとなぜか高い山のような放物線を描いてゆっくりと落ちていく。落下しながら束ねていた紐がするりとほどけ、私の目と鼻の先でバラバラに散らばっていった。
「……」
瞬間、私は知った。
セバスの言うことはちゃんと聞いておいたほうが良いということを。
座ったままで振り向きながら投げても飛距離は全くでないことを。
そして、背後には件の女性どころか誰もいなかったことを。
私は、知った……。
視線を感じたその場所近くでは、宗教画に描かれている両手を広げた天使が慈愛に満ちた顔で微笑んでいた。私に向かっているその微笑みが、少し悲しげに見えるのは気のせいだと思いたい。
絨毯の上でバラバラに散らばったローズマリーと側で伸びている紐から目を逸らす。
お兄様が戻ってきたら一緒に拾おうと心に決めて、私は素知らぬ顔で身体の向きを戻し、服のシワを整えていたかのようにそっと座り直した。
運良く私のこの一連の行動は、ルーカス様に見られてはいない……なんてことはなかったようだ。
期待しながら顔を上げれば、私が顔面に投げつけたローズマリーを片手に持ち、苦笑いを浮かべるルーカス様とばっちり目が合った。
「……あの、どこから、ご覧に?」
「えーと、ほぼ、はじめからかな」
「……」
ルーカス様のためらいがちな答えに、私は一気に顔から火が出るほど全身が熱くなる。
ああ、穴があったら入りたい。
「はい、これで全部だよ」
ルーカス様は、私が散らかした大量のローズマリーと紐を拾い集めテーブルに置いてくれた。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
拾い始めたルーカス様に、あわててソファから身を乗り出し手伝いを申し出た私は「大丈夫だから、座っていようね」と元の位置に戻されてしまった。
私の胸は心苦しさと羞恥心でいっぱいである。
ルーカス様の話によれば、あの女性は部屋の隅に逃げたあと私のことをとても悔しそうに暫く睨みつけてから壁に消えていったそうだ。
私が背中に視線を感じたのは間違っていなかった。
ただ、投げるタイミングが少し遅かったのと投げた距離がほんのちょっと足りなかっただけだった。
「それにしても、すごいね」
ソファに戻ったルーカス様は、適量でしっかりと綺麗に束ねてあるローズマリーをくるくる回し、感心したような声を上げている。
私はぐるぐる回し続けた冷めた紅茶を飲む。あの高揚感がここで急激にしぼんでしまい、頭がぼんやりとし始めた今の私にはこれがちょうど良い。
冷めた紅茶で少しすっきりした私は、同志のルーカス様にいろいろ聞いてみようと思った。
「ルーカス様は、いつもどのように回避を?」
「視えないふりだね。これが今のところ一番の方法だよ」
と即答しながらローズマリーを回すのをぴたりと止めて真剣な眼差しで私を見つめる。
その視線をしっかりと受け止め、私は「はい、そうですね」と頷き同意した。
「でもたまに、視えないふりをしてもどうにもならないこともあるけどね……」
「はい……」
これにもしっかり頷き同意した。
ルーカス様には、ローズマリーをたくさん持ち帰ってもらおう。
「うちのあの庭、どうですか?」
「……とっても斬新だよね」
「……斬新」
「……」
物は言いようである。
視えない人にとっては言葉を失うほどの美しい庭園でも、あれが視える私にとっては息が止まるほどの恐ろしい庭園だった。
庭園全体を覆っているのは黒い靄。どんなに晴れた青空の日でもその靄が消えることはなく、庭園に足を踏み込めば重苦しい空気が纏わりつき息が苦しくなる。
極めつけは、庭園で咲き誇る大輪の美しい深紅のバラと一緒に咲き乱れる無数の顔。
バラだけを観賞しようにも必ず視界に入り込んでくるという恐ろしさ。しかも、その眼球は血走りバラを観賞している人を食い入るように見つめ続けているのだ。
「バラの隣に顔を飾る斬新な庭園かなって」
「……」
「怖いよね、あそこ」
「はい」
視えるルーカス様との会話は楽しかった。私は、誰かに話したかったんだなぁと思った。
だから、話ながら気がついたことを聞いてみようと思った。
「ルーカス様へ頼まれたのはお兄様ですか?」
セバスに呼ばれ席を外してから未だ戻ることのないお兄様。
あんなに私に対して過保護な人が、いくらルーカス様を信頼していてもずっと戻らないなんてあり得ないと思っていた。
「えーと……、うん、うーん?」
彼の歯切れの悪さから、まさかとは思ったがもう一人頭に浮かんだ人物を挙げてみた。
「……お父様も?」
尋ねた私に困ったように笑うその表情に、私の考えが正しかったことを悟る。
まただ、私は、また……。
じわりと目の奥から熱くなる。溜まり出した涙が零れ落ちないようにぐっと耐えた。
「……わ、私は……また、迷惑を……」
「違う、違う。迷惑じゃない。二人は君を心配しているんだよ」
ルーカス様があわてて差し出したハンカチに、自分が涙を溢れ出させたことを知る。
「誰にも話せなかったんだよね」
受け取ったハンカチを目にあてながら、何度も首を縦に振る。
「言うのが、怖くて……」
「うん」
「……信じてもらえないって……」
「うん」
「……私のこと……嫌いになっちゃうんじゃないかって……」
「うん。それは絶対ない」
「……ゆ、幽霊が視えちゃう、気味の悪い子でも……?」
「うん。絶対ない」
その自信は、いったいどこからくるのだろう?
ものすごい自信たっぷりな言い方に、涙が止まるくらいぽかんとしてしまった私にルーカス様は穏やかな声で「俺を呼んだのは、あの二人だからね」と笑いながら言った。
「……あのお庭、お父様に言ったらなんとかなりますか?」
「たぶん、大丈夫だよ」
「普通のお庭になったら、一緒にお茶会をしてくれますか?」
「もちろん、喜んで」
楽しみだね。そう言って柔らかく笑う姿はすごく可愛らしくて、つられて私も笑顔になる。
そのまま、先ほどから表れてきていたふわふわする感覚に身を委ねた。
いつもの意識を刈り取るようにくる眠気とは全く違い、緩やかに眠気がやってくる。とても気持ちがいい。
お酒ってすごいなぁなんて思いながら、ふかふかのソファへと横になっていた。
「……ありがとう、ルーカス君」
遠くでお兄様の声によく似た低い声が聞こえる。 それは今、ここには居るはずのない人の声。
お父様……?
私へ近づいてくる気配に急いで起きようとするが、起き上がることも瞼を開けることも出来なかった。
それでも強くなる睡魔に抗いながら、うっすらとやっと開いた目に映ったのはやっぱりお父様で。
今日、今、これだけでも伝えたい。
そんな思いで私は唇を動かして言葉を声に出す。
「……おとうさま……、だいすき……」
私の声にお父様は私へと伸ばした手を驚きに一瞬止めて、嬉しそうに微笑んで頭を撫でる。
「私もだよ」
お父様から返された言葉に嬉しくなった私は、自分でもわかるくらいへにゃりとした随分としまりのない顔で笑っていた。
「あした……」
たくさんお話したい、そう言いたかった言葉は続けられずに頑張った瞼も閉じていく。
そっと前髪をわけられ、額に柔らかいものが触れる。
「おやすみ、ティアナ」
そして、私を優しく抱き上げてくれるお父様の心地よい香りに包まれ、私は深い眠りに落ちた。
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