虎は果報を臥せて待つ

森下旅行

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一.勃興

前哨戦 ― 後編 ―

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「お虎様。見張り台から合図が出ております」

 予定していた通り奇襲組を結成し、浦の北端に待機していた虎臥たちは、見張り台からの合図を待っていた。汲部つるべが舟を出してくるのに合わせて陸から奇襲を掛ける。つまり見張り台からの合図は、汲部が動き出したことを意味していた。

(帰りは気をつけねばならんの)

 太陽の位置をみて虎臥は、奇襲をかけたあとの帰り道はだいぶ日が傾いてしまうなと思った。夕日を遮るものがない浦だが、これから入る山のなかは道も整備されておらず鬱蒼としている。山に慣れた者たちだけとはいえ、いつもと勝手が違う山歩きだから用心は必要だ。

「皆揃っておるかの?」

 奇襲組は虎臥を含めて九人。答えずとも皆揃っているのは目に入っていた。

「あまり気負い過ぎてはならん。戦に赴くわけではない。脅かしに行くだけじゃ。ちょっと悪戯いたずらを働いてやろう、というくらいの軽い気持ちでよい」

 と、虎臥は皆を前にして言ったが、とくに一人の者に向けてのことだった。
 共に行く者の中に、松吉という名の若いのが一人いる。山に罠を仕掛けに入ってもらった子供らの大将だ。他の者は虎臥より歳も上で、経験も豊かだから問題はないだろうが、この子にはあまり気負わぬよう言い含めておいた方がよいだろうと思った。

「動きがあったようです」

 と、奇襲組の持ち場へ、鶴姫が姿をみせた。

「準備はできておる」

「危険があると感じたらすぐに引き返して下さい。こちらに注意を向けられているということですから、それで十分、役目は果たせたことになります」

 と鶴姫は、この策の意味を改めて語ったが、身の安全を第一にせよと伝えたかったのだろう。

「いま話しておったところじゃ。気負わず、悪戯を仕掛けるつもりで行こうとな」

 虎臥の言葉に鶴姫は頷くと、皆の方に向き直った。

「怪我をしてはならぬ。怪我をさせてもならぬ。皆には苦労を掛けるが、この任務を多烏と汲部が共存共栄していくための布石ふせきと心得よ」

 鶴姫の激励を、皆神妙な面持ちで聞いている。
 危険を承知したうえで浦の者たちを向かわせる。鶴姫の本心を思えば、絶対にしたくはないことのはずだ。しかし今ここにいる鶴姫にその迷いは感じられない。浦をまとめ上げていく立場として、強くあろうとしているのだ。

「頼みます」

 そう虎臥に向けられた目にも、覚悟の色があった。

「心得た」
 
 と返して、虎臥は皆を率いて山へ入っていった。


   ※※※


 多烏と汲部を隔てる山を越え、汲部の集落が見えるところへ出た。皆、浜へ出ているのだろう。山側に近い浦の南端には人の気配がなかった。
 安全を確認できたところで、奇襲組の者らを間隔をあけて配置した。
 虎臥に一番近い者がこちらに向かって合図をよこす。皆が配置についたことを知らせる合図だ。それを確認すると虎臥はに目を落とし、矢筈やはずに墨で印をつけた矢を抜き取った。
 仲間に奇襲開始を告げる蟇目ひきめ矢。
 汲部の者たちに背後から奇襲を受けていることを知らせる矢。
 攪乱かくらんが目的だ。奇襲を受けたことに気付かれないのでは意味が無い。

 ――ピィィィィィィィィッ!

 放たれた蟇目矢は笛の音を引きながら、汲部浦の家屋が並ぶ中心目指して飛んで行き、敷き詰められた屋根に落ちて跳ねた。
 それを合図に、持ち場についていた者たちが声を上げながら一斉に投石を始める。鶴姫の「怪我をさせてはならぬ」があるので、石は手ごろな大きさのものをすぐって持ってこさせていた。
 浦人は弓の扱いに慣れぬと言っていたが、浦であれ山であれ、子供の頃に投石遊びをしたことがない者などいない。各々使い慣れたつくりの投げ縄で石を投げた。
 飛んでいった石が屋根ではじかれ、タンタンと軽い音を鳴らしていた。
 しばらく続けていると、こちら側の叫び声に交じって向こう側からも声が出始め、それが徐々に迫り、集まってくるのがわかった。

(釣れたようじゃな)

 建屋の陰から一人目が現れたのを認め、虎臥は直ちに撤退合図の二本目の蟇目矢を放った。

「退けっ!」

 虎臥が最前に位置している。皆が退く姿を確認してから虎臥も退いた。
 
(さて、どの程度のものか)

 成果は戻ってみなければ分からない。


   ※※※


 帰路の山中は案の定、暗かった。
 逃げ遅れがでないよう、虎臥が辺りを確かめながら歩を進めていると、姿は見えないが助けを求める声が聞こえた。
 声をたよりに少し登ると、太い木の根が横に走っている先の窪地にうずくまっている者の影を見つけた。

「松吉か?」

 その人影が松吉であると、虎臥は即座に理解した。

「お虎様っ!?」

 声をかけると、振り向いた松吉が虎臥の名を呼んだ。

「大事ないか?」

「俺……。しくじっちまって……」

 傍らに寄ってみると、松吉は両手で右の足を押さえていた。
 松吉が絞り出すようにして言葉に出すと、こらえきれなくなった涙が頬を伝った。涙は押さえた足の痛みからくるものだけではないだろう。

「しくじってはおらぬ。ちっとばかり運が無かっただけじゃ」

 このままにしておくわけにはいかない。虎臥は蹲る松吉の肩を抱き、ゆっくりと立たせてみた。

「歩けるか?」

「いっ!」

 痛みから反射的に声が漏れた。

「手を肩に。足をる」

 そう言って虎臥は松吉の前でしゃがみこみ、松吉の両手をしゃがみ込んだ自分の肩に置かせた。これで片足立ちのままでも転ぶことはない。

 ――ああああああっ!

 痛めたであろう足首を虎臥がさわって動かすと、松吉が悲鳴をあげた。

「よーしよし、痛かったのぉ」

(折れてはおらぬ)

 つまづいた拍子ひょうしに足首を捻ったのだろう。骨を折っていないのは不幸中の幸い。しかしこの足で山を歩くのが無理であることは間違いない。

「他の者は無事か?」

 異変に気付いて戻ってきた者たちが数名、周囲に集まって来ていた。
 他に逃げ遅れが無いかと虎臥が問うてみたが、

「おそらくは……」

 と、誰かが答えたが後が続かない。

「今ここにおらぬものは?」

 集まった者たちで点呼を取ってみると三人足りなかった。が、その三人は松吉と同じく、一番山に近い側に配置していた者たちだった。撤退の合図ではとうぜん、先頭で逃げているはずだ。

「ここにおる者と合わせればそれで全部じゃな。よい。松吉はわらわが預かる。そなたらはさきに戻れ。山を抜けたところで全員揃ったのを確かめたら、浦へ戻るのじゃ」

 山に近い側に配したのは、老いた者と若い松吉だった。松吉以外の三人は老練の山預かりだ。老いて益々壮健な爺さんたちだから、きっと無事に戻っていることだろう。

「お虎様と松吉は?」

「折れてはおらぬようじゃが足首を捻っておる。歩くのは無理じゃ。わらわが背負せおって山を抜ける」

 心配なのはむしろ松吉の方だった。

「背負って? いくらお虎様でもそれは無茶でしょうっ!」

 と虎臥の無謀を指摘して、皆で運ぼうと言い出したが、いまから抜けようとしている山中には、人手があってもそれを活かせるような足場がなかった。

「わらわは普段、山へはひとりで入る。とうぜん獲った獲物はひとりで担いで山を下りる。松吉はすこやかに育っておるが、わらわの見立てではせいぜい二歳の雄鹿程度の目方めかた。ならば背負って山を抜けるなど造作もない」

 皆に手伝わせるよりその方が安全だと虎臥は思った。松吉ひとりなら何とかならないこともない。

「しかし……」

 と口ごもるのは、虎臥であればもしや、と思う気持ちがあるからに違いない。鹿と違って、内臓を抜いて運ぶことはできないが、山というほど険しくはないからいけるだろうと、虎臥も己を信じさせた。

「それよりも追っ手が気掛かりじゃ。そなたらはさきに戻ったら、荷車をいてくるのじゃ」

 山を下りきった森の出口に用意しておくこと。そうすれば、あとは松吉を横たえたまま運ぶことができる。指示をだしながら「これも持って行け」と、弓を渡した。

「弓が無くてどうするんです?」

 という者に対し、

「あとは逃げるのみじゃ。かえって邪魔になる」

 と返して、腰から外したも持たせた。さすがに人を背負って矢を射れるほどの余裕は無い。

「慌てる必要はない。頂上を越えて向こう側に出るまでは用心して歩くのじゃ。一列になって、前を行く者の足跡を踏んで歩け。よいな?」

 浦へ戻り状況を報せることと、松吉のために荷車を曳いてくることが新たな任務であると言い含め、残っていた者たちをさきに行かせた。

「さあ、我らも急がねば」

 と、皆を見送って虎臥がそう言うと、この状況を自分のせいと思っている松吉が、「お虎様ぁ……」と言ってまた涙をこぼした。

「今から泣いておっては、山を抜ける頃には干からびてしまうぞ」

 と虎臥が言うと、言葉の意味をはかりかねてか、松吉は沈黙した。

「背負われておっても痛みが無くなるわけではない。追っ手に気付かれてはかなわぬ。向こうに着くまで、苦痛を口から漏らさぬこと。それが松吉の任務じゃ。よいな?」

 返す言葉がない松吉に対し新たな任務を与えると、虎臥は新たな任務に頷いた松吉を背負い、一歩目を踏み出した。


   ※※※


「お虎様。もう大丈夫でしょう。少し休みましょう」

 と、背後で松吉が言った。
 もはや頂上を越え、あと半分も下れば森が切れるというところまで来ていた。

「これでも休み休み歩いているつもりじゃが?」

 と虎臥が返すと、しばしの沈黙のあと、

「背負われていると……、お虎様の呼吸と鼓動がはっきりと伝わるんです……」

 と、松吉が申し訳なさそうに言った。
 うそぶいてみても、密着した背中からは筒抜けのようだ。

「偽っても無駄なようじゃの」

 まあここまで来れば安心してよいだろうと思い、松吉のすすめに従うことにした。
 この山の頂上より南は、多烏浦の預かりであると鶴姫からは聞いていた。途中まで追ってきていたとしても、こちら側へ下りてくることはないだろう。

「降ります」

「足に気を付けての」

 虎臥は松吉の足に気をつけながら、背にある松吉をゆっくりと降ろした。

「だいぶれてきたの」

「もはや痛いのかどうかも分からなくなってきました」

 そう言って松吉は笑ったが、足首はひどく腫れあがっていた。

「ならばもう暫く分からぬままがよい。下に着けばちょうど荷車も到着する頃合いじゃろう」

 腰を下ろした途端、全身から汗が噴き出してくるのを感じた。
 人ひとり背負って山を越えたのだから当然だろう。疲れを悟られたくなかったので、虎臥は注意を逸らすつもりで話題を振ってみた。

「松吉は、汲部の子らとは遊んだりするのかの?」

「浦の者としか遊びません」

「会う機会も無いか?」

「ありません。もう少し歳がいけば、天満宮の祈祷きとうに参加できるようになるので、そこで汲部の者とも顔を合わせることになると思いますが」

 前にケン次郎が言っていたが、成人すれば、漁や祭事などで顔を合わせることになるのだろう。

「会うようになれば、多烏と汲部の者は仲良くやって行けると思うか?」

 と虎臥が訊くと、松吉はなにか黙って考えている。

「……。分かりません。汲部次第でしょう」

「汲部次第とは?」

「多烏と汲部の間に争いがあるとき、発端はいつもあいつらです。今回のことだってそう。喧嘩を仕掛けてくるのはいつだってあいつらだっ!」

 立ち上がりそうな勢いだったが、伸ばしたままにした右足がそれを不可能にしていた。

「まぁ落ち着け。あと声が大きい」

 と虎臥にたしなめられると、

「あっ、ごめんなさい……」

 と声をひそめ、松吉は手で口を塞いだ。

「今回の騒動、鶴姫様の話では、鳥羽荘下司げじ鳥羽とば国親くにちかとその一味による企てとみて間違いないということじゃ。これまでの争いについてもみな、後ろで糸を引く者は違えども、汲部は傀儡かいらいに過ぎなかったと申しておる」

「それは知っています。でも本当にだまされただけでしょうか?」

「どういうことじゃ?」

「一度ならまだしも、二度三度となれば、意図的に騙されているということも考えられないでしょうか?」

 意図的に、か。ただのあほうでなければ、その可能性の方が高いだろう。

「常にこちらを狙っていて、思惑の一致する者が現れれば機に乗じて襲いかかる。あたかも、騙され、操られているかのように見せかけて」

 と、松吉はいう。

「頭のよい奴らは悪いことを考え付く。そういうこともあるかもしれぬの」

 と虎臥がいうと、

「だとすれば、そんな奴らと手を組むなどできるはずもありません」

 と、松吉はいう。無理もない。裏切るとわかっているものと手を組むなど、したいはずがない。

「しかし、刀祢とねも鶴姫様も、そうは思っておらぬようじゃぞ?」

 虎臥の言葉にはなにも返さず、松吉は黙っている。

「自分らの利益のため思惑が一致する者と組む。ならばそれが、他の誰かではなく、多烏であればよい。刀祢も鶴姫様もそう考えておるようじゃ」

 むこうが利のある者と組むというのであれば、組む相手が多烏であることによって最も利が大きくなるのなら、組まない理由も裏切る理由もない。

「……。多烏のみんながそれでよいと言うなら、俺もそれでよいと思う……」

 松吉は沈黙のあとにそう言った。聡い子だと虎臥は思った。
 己の考えがありながら、他者の考えにも耳を貸す。牛太に似ているかもしれないと思った。浦の者たちがよいと申すならそれに合わせる、というあたりの性質も似ている。
 そんなことを松吉に話そうとした刹那せつな、虎臥の耳が、山頂の方から鳴る音を捉えた。
 自然の音ではない。
 手で松吉との会話を制して、虎臥は耳をすませた。

「追っ手ですか?」

「かもしれぬ」

 獣でないことは確かだ。戻りが遅いのを心配して救援に来た多烏の者たち。ということも考えてみたが、疲労があったとはいえ、ここまで下ってくるまでの間で、それに気付かずにすれ違ったというのはありえない。すると残るは、考えづらいことだが、汲部の追っ手の者が山のこちら側へ下ってきていると考えて動いた方がよいだろう。

「行こう。下り切れば多烏じゃ。そこまでは追ってこぬ」


   ※※※


 山を下り切って辺りを見渡すが、迎えはまだ来ていなかった。
 山に入る前に繋いでおいた馬が、呑気に辺りの草をんでいた。
 馬に近づきながら、備えはしておくものだと虎臥は思った。使うことになるとは思っていなかったが、ひとまずこれで逃げ切ることができる。

「松吉?」

 背中に向かって問うが返事がない。
 息はしている。うなじにかかる松吉の息が荒い気がする。
 怪我から暫く経つと、患部だけでなく、全身が熱くなって熱にうなされる。悪くすれば気を失う。さきほど降ろした時、足首が随分と腫れていた。痛いかどうかも分からぬと笑っていたが、すでに限界だったのかもしれない。

「そこを動くなっ!」

 馬の背に松吉を乗せたところで、男がひとり山から出てきた。
 汲部の者だろうが、なにを思って多烏側まで下りてきたのか分からないが、相手をしている暇はない。いまは松吉を無事に送り届けることが最優先だった。

「断る」

 男の言葉に耳を貸さず、虎臥は淡々と作業を続ける。

「急げっ! 馬で逃げる気だっ!」

 と男が山中に向かって叫ぶ。藪をかき分けて進む音が迫ってくるのが分かった。
 ひとりではないことは、松吉を背負って下りている時から気付いていたが、どれほどの人数かまでは分からない。多烏側へ下りてくるのだから、それなりの頭数を揃えて追ってきているのは間違いない。
 松吉の状態を考えると、馬があるとはいえ、駆けて逃げるというわけにもいかない。
 馬をつないでいた縄を解く。つないでいた楢の木は、太い主幹の膝丈辺りから、三寸ほどの太さの枝がまっすぐ上に伸びでいた。目で追ってみると、虎臥の背丈の倍はありそうだった。

(これを使わせてもらおうかの)

 腰刀を抜き、枝分かれの付け根を目掛けて振り下ろす。
 刃が少しだけ食い込み、樹皮を削る。
 引き抜いた刃を振り上げ、切り込みを作ったところを目掛けてまた振り下ろす。
 刀を抜いているということもあるだろうが、自分を無視して木を伐り続ける虎臥に、追ってきた男は近付こうとはしなかった。
 半分ほど切り込みを入れたところで、虎臥はそれを力任せにへし折った。
 と、木の折れる音に合わせて、追っ手の仲間たちが次々と山から飛び出してきた。

「動くなっ!」

 とまた男がいうが、虎臥はそれにかまわず、枝先の邪魔な葉を切り落とし、握り易い太さの部分を探りながら馬に跨った。

「断ると言うたはずじゃ」

 馬上から眺めてざっと十五、六人。
 長柄は手に入れた。これでぎ払って、逃げを打つくらいのことはできるだろう。

「ならば力づくで止めるっ!」

 はじめに現れた男が虎臥の跨る馬の正面を塞ぐと、あとから下りてきたほかの者らが左右に分かれた前を囲んだ。馬の足を止め、両側から掴みかかって引きずり降ろそうというのだろう。
 虎臥は手にした長柄を握り直し、頭上で一回二回と振り回して勢いをつけてから振り下ろす。まずは右手側から取りつこうとしていた者たちを薙ぎ払った。

「うわっ!」

 まともに当たったという感触はない。それでも、勢いよく胸先の空を切っていった長柄に男たちは驚き、飛びのいて尻もちをついた。
 すぐに左手に持ち替えて今度は左側を薙ぎ払う。こちらも空を切ったが、別に当たらずともよい。いやむしろ、浦の方針としては当たらない方がいい。怪我をされても困る。ひるんで戦意を喪失させることができればそれでよかった。
 虎臥は左手に握った長柄を高々と上げる。そうして近付けば瞬時に振り下ろせることを示して威嚇する。左にいる者たちは動けない。代わりに右で尻もちをついていた者が立ち上がり、勢いこちらを目掛けて突進してくる。虎臥はすばやく右手に長柄を持ち替えて、右側を払った。

「ぎゃっ!」

 向かってきた男の腕のあたりに直撃して、男はそのまま横へすっ飛んでいった。
 虎臥は内心、舌打ちをした。手傷を負わせたくはないが、こちらにも手加減をするゆとりがない。飛んでいった男は腕を押さえ、痛みを叫ぶことで取り払おうとしているかのように、わめき散らしながら大地を転げ回っていた。
 その様子を見た他の者たちが、一斉にこちら目掛けて突進してくる。
 窮鼠猫をむ。怯むどころかかえって焚きつけてしまったようだ。
 捨て身の者には勝てない。さりとてこちらも負けるわけには行かない。後が無いのは、鼠に囲まれた猫も同じだ。馬を操り、その場で体を回しながら出鱈目に長柄を振り回す。長さがあるので近付けずにいるが、こうしているにも限界がある。
 なにか次の一手を考えなければというところで、浦の方から声が上がった。

 ――援護しろっ!

 声の方を見ると、長竿を持った多烏の男たちが、鬨の声を上げながらこちらへ向かって駆けてくる。刀祢と鶴姫も一緒のようだ。鶴姫の号令で、一丸となって向かってきていた。

「勇ましいこと、ともえ板額はんがくに劣らぬ」

 馬に跨り孤軍奮闘する虎臥を見て、鶴姫のとなりで刀祢が言う。

 平家物語に登場する巴御前、吾妻鏡に登場する板額御前。共に大力で弓の扱いに長け、女の身でありながら、戦場では一騎当千の武勇を誇ったと記されている。容姿端麗であったとも記されている。

「まさしく」

 鶴姫も、その言葉に異論なかった。
 巧みに馬を操り、馬上で長柄を振るう勇猛な姿に、ありし日の女傑たちの、戦場での姿を重ね見たような気持になった。

「急げっ! 虎臥御前に手傷を負わせてはならんぞっ!」
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