虎は果報を臥せて待つ

森下旅行

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一.勃興

傀儡子 ― 後編 ―

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「まったく、お虎の野郎にはまんまと一杯食わされたぜ。凶暴なだけでなく、狡猾こうかつな虎になりやがった」

 鳥羽へと向かう道すがら、新之助は昨日の怒りがおさまらないといった感じで、息をするように悪態をついていた。その場でなにも言い返せなかった悔しさが、一晩寝かせたことで怒りをさらに醸成じょうせいさせたようだった。

「新之助がちょっかいを出すからだろう。ずる賢いというなら昔からだが、凶暴ということはないぞ」

「それはおめぇにはなついてっからそう思うんだろ。おめぇの眼にはカワイイ子猫ちゃんに見えてんのかもしれねぇが、言っとくがアレは獰猛どうもうな虎だからなっ!」

「別に懐いているというわけでは……」

 あの大きさで子猫に見えるということはないが、獰猛な虎に見えたこともない。懐いているというのは違うと思うが、幼い頃からの付き合いである自分とそうでない者とでは、虎臥とらふすの見え方は違うのかもしれない。

「で? 例の物はちゃんと持ってきたんだろうな?」

 虎臥の話はもう済んだのか、牛太の背負ってきた荷物に視線を向けて、新之助が問う。

「ああ、光見こうけん様のところから頂いてきた。不足分は村を回って集めたさ」

「清酒か?」

「新之助が清酒と申すからな。入用であれば村に戻ってくる前に言ってくれれば、これほど苦労することはなかったものを」

 昨日あれから、西津の市で狼藉ろうぜきを働いていた者たちを追ってみたが一足遅く、その背中をみつけることはできなかった。
 推測が正しければ、行き先は鳥羽荘だ。ならば一旦村へ帰って策を練ろうということになり、村へ着くとなにか閃いたらしい新之助が、樽いっぱいの清酒を集めよと言い出した。

 鎌倉時代後期の日本酒がどんなものだったのか。清酒とはべつに白酒があり、古酒(熟成酒)もあったらしい。清酒は白酒の倍以上の値がつけられている。白酒は現在のように、意図してそのようにつくったのではなく、精米技術の未熟などの理由によって、そうなってしまったものもあっただろう。
 庶民がどれほど酒を嗜んだか。これは地域差が大きく、文化の成熟度に比例して西高東低だったようだ。そもそも米そのものが高価なものなので、米を削って作る酒は、食うにも困るところでは論外だろう。
 京へ繋がる物流網のうちにある若狭は、とうぜん豊かな地域の側にある。庶民も酒を嗜んだだろうし、ちょっと奮発して清酒を買うこともあっただろう。

「西津にいた時はお虎に一杯食わされた怒りで、そこまで頭が回らなかったんだから仕方ねぇだろ」

 かなり腹に据えかねているようだ。

「不安はあっただろうが、光見様も福子様も、それを口にすることなく協力してくれた」

「その娘のせいで俺がこんな目に遭わされてんだ。それくれぇのことをすんのが、親の責任ってもんだろが」

 光見は銭も受け取らずに持たせてくれたが、娘を紛争地に一人送り出したうえに、酒を持って出ていく娘婿をどう思っただろうか。

「ところで、酒なんてどうするんだ?」

 清酒を集めよと新之助に言われたが、牛太はそれをなにに使うのかまだ知らされていなかった。

「酒の使い道なんぞ一つしかねぇだろ。手土産も無しに行くつもりだったのか?」

 と、新之助はいう。

「手土産って、新之助は鳥羽荘の下司げじに目通るつもりなのか?」

 手土産と聞いて牛太は、相手が誰であるか考え、まさかと思って聞いたのだが、新之助の答えはそのだった。

「積極的に会いてぇとは思わねぇよ? でも俺らが追ってる奴らの行く先にはそいつもいるかもしれねぇわけじゃねぇか。そんでもってもし仮に顔を合わせるなんてことになった時よ。手ぶらじゃあ具合がわりぃからな。上等な酒は挨拶の土産としては打って付けだ。酒は頭と足元は覚束おぼつかなくなるが、舌はなめらかになる。気分よくさせて聞くこと聞いたらさっさと逃げる。酩酊めいていしてるうちに抜け出せば、追っては来れねぇさ」

(そう上手くいくものだろうか)

「たとえ必要なかったとしても、そのまま担いで多烏へ持って行きゃあ、鶴姫様とみ交わすことができるから無駄にはならねぇ」

 備えあればうれいなし。そんなことまで考えていたのか。
 抜け目のない奴だ。


   ※※※


「次郎、見てみろ」

 鳥羽荘に入り、途中で会う者に道を尋ねたら、迷うことなく下司の屋敷に着くことができた。敷地の入り口には門があり、二人の男が立っていた。

「お前ぇの眼にはあの二人、どう見える?」

「は?」

 新之助の突飛とっぴな問いに、反射的に疑問符が口をいて出た。
 よくよく目を凝らしたが、市庭いちばで騒ぎを起こした者たちではなさそうだった。

「あの門番、昨日の者たちではないようだな」

っきれなんぞ持って門の前に立ってりゃあ、ガキでも門番だ。俺には頭の足りねぇおっさんが、杖ついてかろうじて立ってるようにしか見えねぇ」

 随分な言われようだが、うつらうつらと揺れる体を、手にした棒を支えにかろうじて立っているのは間違いないようだ。

「まぁ、あまりやる気は感じられないな」

 と牛太が言うと、

「あれが相手なら門を抜けることは容易たやすいだろうが、問題は中に入ってからだな」

 と、新之助は腕組みして思案を始めた。

「待て待て、入るのか?」

 屋敷に乗り込むつもりなのかと、牛太は慌てた。

「い、いや、どんな者であれ、門番であることに変わりはないだろう。なにを口実に中に入るつもりだ? 我らには縁もゆかりもないのだ、手土産が有ろうが無かろうが、中へ入る口実にはならんだろ」

 ところが新之助は、牛太の言葉になにか閃いたのか、

「縁もゆかりも、か。なるほど――。よし、それで行ってみるか」

 と、嬉々として策を語り出した。


   ※※※


 ――止まれっ!

 門の前まで来ると、門番の男に呼び止められた。
 隣でうつらうつらしていたもう一人の男がその声に驚き、目覚めるとともに後ろにひっくり返った。

「鳥羽荘下司、鳥羽とば国親くにちか様に御用があって参った」

 新之助が門番の男に用向きを伝える様は堂々としていて、侵入を試みる怪しさは微塵も感じさせない。

「あぁんっ? 何用だっ!」

「西津荘汲部つるべ刀祢とねより、書状と貢ぎ物を預かっている」

「そ、そうか。ならばここに置いて、さっさと帰れ」

 汲部と鳥羽に繋がりがあることを前提に、それを逆手にとって侵入する策であったが、門番の反応を見る限り、汲部とは縁があるとみて間違いなさそうだ。

「直接お渡しするようおおせつかっておる。はて、そのように話も通してあるはずだが、まだお耳に入っておられぬかな?」

 威勢のいいがらっぱちを相手に、あえて尊大そんだいな物言いをしてみせる。こういうのは新之助が巧い。なんの権限も持たぬのに、逆らってはまずいような雰囲気を見事にかもし出していた。

「お、おめぇ、なんか聞いてっか?」

「おっ? お、俺は聞いてねぇ。そ、そういうのは、おめぇの役だろっ!」

「はぁっ? いつからそうなったんだよっ!」

 新之助の振る舞いに気圧けおされ、責任を負いたくない男たちが口論を始めた。

「と、とりあえず、親分に聞いてこいっ!」

 一人が門の内へ聞きに走ろうとしたところで、新之助が、

火急かきゅうの用件に付き、急ぎお目通り願いたい。ここでの遅れが災いに繋がったとなれば、とがめを受けるのはそなたらですぞ」

 と、声を張った。
 自分たちの手には負えない予期せぬ事態に浮足立つ二人に、新之助はそうやってさらに追い打ちをかける。裏を知って見ている身としては、新之助がこの状況をたのしんでいるのは、想像に難くなかった。

「と、咎め……」

「ど、どうするよっ」

 精神的に追い詰められた二人に、もはや先ほどまでの威勢のよさは無い。

「仮に我らの申したことが偽りであったとしても、だまされたそなたらに非はない。そなたらは務めを全うした。騙す方が悪いのだ」

 我らを通さねば咎めを受けるかもしれない。しかし通してもお咎めは無しだという。追い詰められ、わらをもすがる心持ちの者にそうささやくのだから、人が悪いにもほどがある。
 それならばと、道を開けようとしたところで、奥から声が掛かった。

「阿呆ども、なに騒いでやがる」

 慌てふためく二人の後ろから現れた男。粗野そやな物言いではあるが、声を荒げずに言い放つ様子からは、一筋縄ではいかない雰囲気を感じる。二人の態度を見る限り、この男が親分なのだろう。

「なにもんだ?」

 と、男は訊いた。

「西津荘汲部浦刀祢より、書状と貢ぎ物を預かって参った。火急の用件に付き、急ぎ鳥羽国親様にお目通り願いたい」

 新之助はさきほど二人に告げた時と同じように振る舞うが、前の二人と同じ手が効く相手ではなさそうだった。今さらあたふたしても仕方がないとはいえ、肝が据わっているのには感心する。

「ならば下司に会う必要はない。汲部浦の一件は、俺が一任いちにんされている」

 これで汲部と鳥羽の関係は決定的となった。
 一任されているというのだから、余程なにかあるのだろう。

「貢ぎ物と申したが、中身は?」

「清酒をお持ちした」

 男の問いにそう切り返した新之助。互いの眼を見据えたまま、しばし時が止まった。

「こっちだ」

 男が新之助の弁を信じたのかどうかは分からないが、門を抜けることは許された。この先になにが待ち受けているのか分からない不安はあったが、表情を変えず男のあとに続く新之助にならい、牛太も努めて平静を装った。


   ※※※

 屋敷内に入ると、母屋とは別に設けられた粗末な建物に通された。

「まずは書状を見せて貰もらおう」

 男と対峙する形で腰を下ろすと、男は新之助にそう言って書状をもとめた。
 男の要求に応じて、新之助は折り畳まれた書状を懐から出し、それを男の前へと置いた。
 男は置かれた書状を拾い上げ、ひろげて中を見るとすぐに眉根に皺がよった。

「これはどういうことだ?」

 男はひろげた書状を放ってよこす。見るとそこにはなにも書かれていなかった。

(もはやここまでか)

 中へ入る策を思いついたのがここへ着いてからだ。いつの間に偽の書状など用意したのかと驚いたが、やはりそんなものは持っていなかった。どういうつもりで折り畳んだだけの白紙の紙を出して見せたのか。目の前の男と同様に、牛太も新大夫に問いたかった。

「書状の内容が外に漏れることを嫌ったのでしょう」

 と、新之助は答えた。

「そのような信用できぬ者に、汲部の刀祢は書状を託したと申すか?」

「失礼ながらその見解は見当外れ。むしろ信頼の証といえましょう」

 毅然と答える新之助。ひるむ素振りをみせれば、あっという間に偽りが露見してしまうだろう。

「解らぬな。どういうことか説明してもらおう」

 と、男がさらに問うと新之助は、

「使者に白紙の書状を持たせたということは、書かずとも内容を伝えることができると考えたため。外に漏れては困る内容ではあるが、火急の用件、伝える内容に誤りがあってはならず、仔細しさいたがわず伝える必要がある。それを信頼できぬ者に託すはずがありません」

 と、見事な論法でこれに切り返した。

「物は言いようだな」

「捉え方によりましょう」

 ここへ来て初めて、男の口許くちもとに僅かな笑みが見えた。
 この理屈には笑うより他ないだろう。これが通るなら、白紙の書状ですべてが通ってしまうことになる。

「巧く逃げたように聞こえなくもないが、まあいい。ではその、託された火急の用件とやらを聞かせてもらおう」

 理が通っているのかどうかもはや分からないとんでも理論だが、それでもこの男の心は掴んだようだった。

「その前に、こちらからも確認させて頂きたい」

「何だ?」

「我らは鳥羽荘下司、鳥羽国親様に伝えるようにと仰せつかった。さきほど汲部の件を一任されていると申しておりましたが、それを信ずる根拠はなにひとつ示されておりません。素性すじょうの知れぬ者にお伝えできる話ではないゆえ、それを示して頂けないのであれば、こちらもお話することはできません」

 同じ土俵に乗ったと見るや否や、新之助は一気に攻勢に出た。

「ふんっ、そうくるか」

 いよいよ男の笑みは大きくなった。それはおそらく、この男が新之助を認めた証でもあったろう。

「そなた本当に汲部の者か? 片田舎の浦人にしては弁が立ち過ぎる」

「お褒めに預かり光栄。汲部より使者を仰せつかったと申しましたが、汲部の者であるとは申しておりません。我らは京で商いをする商人。汲部との縁も商いを通じてのもの。そなたこそ、どのような名分めいぶんでここにおられるのか。他人の空似でなければ、そなたを京の塩座で目にしたことがある。あれはそなたであったろうか?」

 本当に見たのかどうか真偽は分からないが、おそらく新之助のカマかけだろう。
 下司の屋敷内を我が物顔で歩くのだから、鳥羽氏と無関係ということはあるまいが、どのような間柄であるかは、この先の流れを左右する。

「京の商人が若狭の浦、それも片田舎の汲部に肩入れするのは何故か?」

「商いとは人と人を繋ぐこと。すなわち商人とは、それを生業なりわいとする者。たとえそこが地の果てであろうとも、繋がることを望む者があるのならば、その橋渡しになろうと考えるのが商人である。と、私は考えております」

 商人とはそうあるべきであると牛太も思う。これが新之助の本心から出た言葉かどうかは怪しいが、我らが忠実な商いの徒であることを示すことが、この場に於いて最良であることは間違いない。

「人と人を繋ぐことで銭になる。その距離が遠く離れていればいるほど稼げる銭も大きくなる。ならばその橋渡しを買って出たいと考えるのは、商人のさがというものだ」

 男は立てた膝の上に腕を置いて前のめりになり、揶揄からかうようにそう返した。

「銭が嫌いでは商人は務まりません」

 対する新之助も、そんな揶揄いを気にも留めず切り返す。
 牛太の知る限り、そもそも新之助の性分は、この男の言う商いの理屈と合致する。だから自身の想いを否定されたという気持ちは微塵みじんもないだろう。そういう点では、新之助とこの男は似た者同士であるのかもしれないと思った。

「考え方に違いはあるが、その一点だけは通ずる」

 新之助の答えに、男はそう共感を示した。

「そなたも商人であると?」

「商人の定義が、人と人を繋いで銭を稼ぐ者であるとするならな」

 男は前のめりになっていた姿勢を戻した。どうやら決着はついたようだ。

「京の塩座で見たというなら、おそらくそれは俺で間違いないだろう。汲部の塩を高値で売るための策をうった」

 と、男は言った。

「半年前、京で塩の値が高騰していた。それがそなたの策だと?」

「根も葉もない話ではない。事実と噂話を織り交ぜてつくりあげたもうひとつの現実だ。信ずるか否かは人次第。俺はその虚実入り乱れたもうひとつの現実を信じた。そして相場よりも高値で塩を買い入れた。時勢を読むのが商いだ。それを知った者たちがを信じて勝手に値を上げていった。ただそれだけのことだ」

 不敵な笑みを浮かべる男に悪びれた様子はない。

流言飛語りゅうげんひごで相場を操るとは、思い切ったことをしましたな」

「物を売るだけが商いではない。これも商いだ」

 物を売るだけが商いではないというのは面白い考えだと思うが、他者の不利益をかえりみないやり方には同意できない。仮に多烏と汲部の騒動もこの男の入れ知恵によるものだったとしたら、それは断じて許すことはできない。と、牛太は思った。

「まあよいでしょう。それについてそなたを責める気はない」

 と、言って話を切り上げると、続けて新之助は本題へと話を替えた。

「それでは単刀直入にお伝えする。いまや汲部は多烏たからすと一触即発。このままでは甚大な被害を招くことになる。引き際をどう考えているのか?」

 起きてしまっている問題はひとまず目をつぶろう。そのうえで、どう始末をつけるのか。鶴姫がもっとも気を揉んでいることだ。

「それはすでに伝えた通りだ。海側から総攻撃を仕掛けろ。数では多烏に勝る。臆せず突っ込め。それだけだ」

 ここまで新之助の従者のていで二人のやり取りを聞いていた牛太だったが、男の言葉に思わず口が動いた。

「すでに小競り合いから怪我人も多く出ています。このうえ双方が正面から衝突ぶつかれば、たとえ勝負に勝っても、損失はなはだしいことは想像に難くありません」

 いまのが問題の解決策と考えているのだとすれば、浦の現状を理解しているとは到底思えなかった。牛太は多烏の立場だが、争いによる被害という点では、鶴姫が言っていたとおり汲部にも甚大なものになるはずで、こんなものは策でもなんでもない。

「まったくもってその通りだ。話を持ち掛けた当初から、こうなることは想像に難くなかった。話を持ち掛けたのはこっちだが、その話に乗ったのはむこうだ。多少の損害は承知のうえだったはずだ。まさかなんの苦も無く、利を得られると考えていたわけでもあるまい」
「それは……」

 この点については、この男が言うのにも一理ある。
 鶴姫は汲部をただの傀儡かいらいと言ったが、それが一度ならず二度三度となれば、その責任の一端を汲部に求めないわけにはいかないだろうという思いが、牛太の中にもあったからだ。

「次郎、あまり感情的になるな」

 と、新之助にたしなめられた。
 牛太に次の言葉が出ないことを確認すると、

「こいつは商いのスジはいいが、まだまだ場数が足りておりません。時折、感情的になってしまうのが玉にきず。気を悪くしたら申し訳ない」

 と言って、新之助が謝罪したので、牛太も冷静になって頭を下げた。

「気にはせぬ」

 と男が言うと、それに対し新之助も軽く頭を下げて敬意を示してから話をつないだ。

「されど、次郎が申したことも一理。これ以上被害が拡大すれば、我らの商いにも悪い影響が出ることになる。それは我らとしても避けたい。正面突破以外の策を期待していたのですが、当てが外れましたな」

 新之助は多烏汲部のどちら側でもなく、また鳥羽の側でもない一個の商人として、この争いによって生じる悪影響を憂いているという立場をとっていた。それはおそらく、その方がこの男とやりあうには都合がよいと踏んだからで、自分のようにどちらかに肩入れする気持ちがでてしまっては上手くことが運ばないだろうと察して、牛太はまた傍観者になることにした。

「策はすでに打っている」

 新之助の物言いにすこし気分を害したのか、声の調子をさげてそう言った。

「正面突破以外にまだ、策があると?」

 まともな策があるなら聞かせてみよ。といった風に、新之助が聞き返すと、

「そなたらはこの後どうする? 京へ向かうか? それとも汲部か?」

 と男は、新之助の問いには答えず、また、立てた膝の上に腕を置いて前のめりになった。

「事の次第によります。我らは京へ戻る道すがら、こちらへ用件を伝えるよう仰せつかったまでのこと。急ぎ汲部に伝えることが無ければ、このまま京へ向かうことになるでしょう」

 話をそらされたことを気にする素振りなく、新之助が男の唐突な問いに答えた。

「ならば京へ向かうがよい。すでに伝えている通り、多烏に正面から衝突って天命を待て。これが最良の策だ。そなたらにも不利益は無い。安心せい」

 正面突破の総攻撃について『すでに伝えている通り』というのだから、急ぎ多烏へ向かい、汲部の攻撃に備えるよう鶴姫や多烏の者たちに伝えなければならない。

「我らの損得まで気遣い頂き感謝します。策があってのこととあれば、我らからこれ以上申すことは御座いません。酒はここへ置いていきます。宜しくお計らい下さい」

 新之助の懐から白紙の書状が出てきたときはどうなることかと思ったが、無事に屋敷を出ることができた。そもそも我らに京へ行く予定はない。ここをあとにして向かう先は、多烏と最初から決まっている。
 暗に、浦には近付くな、と言っているとも取れる男の言葉には不気味なものを感じるが、急いで多烏へ向かわなければならない理由ができただけだった。
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