虎は果報を臥せて待つ

森下旅行

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一.勃興

閑話 ― 寺風呂 ―

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 水坂峠越えて山間をしばらく下り、川沿いをさらに下ると、両側に迫っていた山が唐突に無くなり、川沿いの平坦地に拓かれた田畠が見えてきた。
 若狭への入り口。瓜生荘だ。
 牛太はこのまま村へ帰りたい気分になったが、今津で小浜行きの荷を預かったので、これを小浜へ降ろしてからでないと今日は帰れない。

 瓜生荘が現代の福井県三方上中郡若狭町瓜生あたりと考えて航空写真をみると、一面が田んぼで、山の出口らしい扇状地な感じがしない。北川の両側に田んぼが広がり、集落は山裾に密集して点在している。いまでこそ人為的に作られた流れに乗っている北川だが、鎌倉時代には、いま田んぼになっているあたり一帯は、自然の気まぐれでその流れを変えていたのだろう。
 いまでこそ田んぼしかない田舎の風景がつづく土地だが、この時代、田地を拓ける土地というのはそれだけで優良物件だ。さらに若狭の港と京都をむすぶ街道沿いにあるのだから、すでに物流システムが発達していた鎌倉期にあって、この土地にもそれなりの賑わいがあったのではないだろうか。
 だいぶ時代は下るが、瓜生からさらに北川を遡って山間に入ったところに、九里半街道の宿場として熊川宿が設けられている。近江国から若狭国への宿場町、町奉行所の在地として発展し、地勢的に田地畠地を拓く余地がないこともあってか、商いの町としての色が濃かったようだ。その商人気質の遺伝子だろうか、熊川宿は田園風景の瓜生とは異なり、往年の繁栄を偲ぶ町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定され、現在でも人気の観光スポットとして賑わいをみせている。

「次郎っ、ちっと休めていくべぇ」

 と、後方から仲間の声が飛ぶ。

 牛太が「あぁ」と返事をすると、人の言葉を解すようになったのか、いていた牛が鳴き声をあげて、牛太の返事をかき消した。それに呼応こおうするように、仲間の曳く牛たちも次々と鳴き声をあげる。

「ははははっ、こいつらも休みてぇって言ってっぞ」

 そう言ってまた別の仲間がでかい声ではやしし立てるものだから、また牛も一緒になって騒ぎ出す。
 牛も人も草臥くたびれる。
 雨の多かった日が過ぎると、若狭にも本格的な夏がやってきた。明け方と夕暮れ時はまだいいが、日の高い今頃は大変だ。日の光を浴びているだけで、何もしていなくても体力を奪われていく気がした。小浜まであと一息だが、その一息を頑張るために、今は木陰に腰を下ろして一息いれたかった。

「今日は小浜でこれを降ろしたらしまいじゃねぇか。帰りに太良たら薬師堂やくしどうに寄っていかねぇか?」

 道端の僅かな木陰で涼んでいると、仲間のひとりが言った。
 草をむことに忙しい牛たちは、これには答えなかった。

「構わないが、何かあるのか?」

「明日は市日いちびだろ? つぅことはよ、今日は太良の薬師堂で湯きをやってるはずだ。薬湯に浸かって、さっぱりしてから帰るっつぅのはどうだ?」

 風呂好きな日本人だが、鎌倉時代の庶民に目を向ければ、まだ入浴の習慣はなかったようで、暑い時期であれば汗を流すのに行水などもするが、基本的には身体を洗って清潔に保つという発想はなかったようだ。
 また今日のような湯船に湯を溜めて入る風呂もあったが、この当時の風呂は、湯を沸かして発生させた蒸気を室内に充満させて入る蒸し風呂が主流だったようで、汗で浮いたよごれを拭き取るという入浴方法だったらしい。
 庶民の入浴の習慣は仏教によって広まったようで、風呂に入ることが七病を防ぎ七福を招くということで、寺に浴場を作るようになり、これには一般庶民も入ることができたそうだ。鎌倉時代ではとくに律宗の寺が貧民救済のためにしばしば風呂を炊いたようで、そうしたときでもなければ、庶民は風呂に入ることができない時代だった。
 ちなみに料金を払って風呂に入る”銭湯”が現れるのは室町時代に入ってからとのこと。銭湯好きで、銭湯の熱湯に浸かることで一日が終わるわたしにとっては、鎌倉時代は生きづらい世の中だったようだ。

「このクソあちぃ日に湯浴びなんかできるかよ。川でいいじゃねぇか」

 と、後ろで聞いていた仲間が割って入ってきた。
 すでに蒸し風呂の中にいるような状況だった。このうえ湯に浸かろうなどと考えるだけでも暑苦しい。と、いった風だ。しかし言い出した方も簡単には引き下がらない。

「あちぃからこそじゃねぇか。熱い湯に浸かり、噴き出た汗を掛け湯で流しゃあ、すぐに気持ちよくなるさ」

 と、反論する。

「そんなら川へ飛び込んでも同じじゃねぇか。この暑さだ、冷たい川に飛び込むのを想像してみろ。よっぽどその方が気持ちいいじゃねぇか」

「んんん。それもそうだが……。いや、違うっ!」

 あっという間に論破ろんぱされてしまったかと思ったが、すんでのところで踏みとどまって反論を始める。

「ほらっ、あれだっ、薬師如来にょらいはよ、病気を治してくれんだよ。つまり薬師堂で焚かれた湯には、病をいやす力があるってことよ。川の水とはご利益がちげぇよ」

「湯にする水は川からむじゃねぇか」

「薬師堂で焚きゃあご利益が出るんだよっ!」

「んなわけあるかっ!」

 暑苦しいだけの不毛な言い争いだった。

「まあ待て、そう熱くなるな」

 ただでさえ暑いのだから、と牛太が割って入る。
 湯へ浸かりに行くという結果ありきで話す者と、行かぬという結果ありきで話す者の間に交渉が成立するはずがない。否定する気持ちを説得によって心変わりさせようというのは容易なことではない。

「次郎はどうだ? お前は風呂好きだったろう?」

 多数決に持ち込むべく、矛先が牛太に向かった。

「そうだな」

 と牛太が答えると、

「ほれみろっ!」

 と、それを聞くなり反対派に向き直り、何故か勝ち誇った。

「好むと言っただけだろう。行くとは言っておらんではないか。なあ、次郎」

 こちらも負けじと仲間の取り込みにかかる。このまま二人の言うに任せておけば、双方から腕を引かれて二つに裂かれてしまうかもしれない。

「蒸し風呂も薬湯も好きだ。せっかくの機会だし行こうと思う」

 と牛太が言うと、

「よしっ! よく言ったっ!」

 と、賛成派が拳を突き上げて喜んだところに、牛太は間髪入れずに補足する。

「――ただし、俺が湯浴びに行きたい理由は、お前とは違う」

 賛成派は拳を上げたまま「へ?」と間の抜けた声を発した。

「お前は湯に浸かりに行きたいのではなく、湯浴びに来たおなごを見に行きたいだけだろう。そんなことでは薬師如来に罰を貰うぞ」

 こいつが風呂へ行きたいと言い出した時点で牛太には見当はついていた。身体の垢と共に、心の垢も落としてくればよいのだが、これまでのところ、そうした改心は見られない。

 鎌倉時代の入力スタイルはいまとは異なり、全裸で入浴するということはない。ふんどしを締めたままか、湯帷子ゆかたびらという着物を纏って入浴した。
 わたしはこれまで何千回と銭湯を利用してきたが、身体に彫り物のある方々はよく目にするが、たとえパンツ一枚であっても、衣類を身に着けたまま浴室に入ってくる人にはお目にかかったことがない。湯船に手ぬぐいを浸しても怒られる時代を生きているのだから当然だろうが、すこし時代を遡って江戸時代に目を向けると、銭湯はいまと同様に全裸で入るもので、そのころから変わっていない。違いがあるとすれば混浴だったくらいだろうか。
 いろいろと調べていくなかで文化の違いでおもしろいと感じたのは、鎌倉時代の成人男子はみな烏帽子えぼしをかぶっていて、寝るとき以外はとらないが、風呂に入るときもかぶったままとはいかない。ただこの時代、烏帽子を脱ぐということが、現代でいえばパンツを脱ぐことと同じくらい恥ずかしいことであったと書かれているのをみつけて、「いやそこは下を隠せよ」と、頭隠して尻隠さずだなと思い、それが可笑しかった。

「あ、阿呆っ! そんなわけがあるかっ!」

 顔を真っ赤にして怒るあたり、図星だろう。

「俺はただ純粋にだな、俗世でついた垢を落とすために行こうと言うのであって、そのような不埒ふらちなことはこれっぽっちも考えてはおらんっ!」

 と、必死の弁明も、魂胆が分かっていると余計に白々しい。
 しかしその魂胆が露見したことによって、形勢が逆転する場合もある。

「なんでぇ、そういう魂胆か。わけの分からねぇ理屈こねてねぇで最初っからそう言やぁいいじゃねぇか。そんなら俺も付き合うぜ」

 と、これには反対派も乗り気だ。

「おっ、ホントか? いや、俺はそういうつもりじゃねぇがな」

 当初の目的は達成されたのだ。すでに露見してしまった事実を、この期に及んでもなお認めようとしないのが可笑しかった。
 説得によって相手を説き伏せるのは難しい。完璧な理屈を用意して説得を試みても、それがかえって相手をかたくなにさせる場合が往々にしてある。反対に、特に説得しようなどという気持ちが自分に無いにもかかわらず、相手が勝手に納得して、むしろ自分よりも乗り気になってしまうということもまた、往々にしてあるものだ。

「次郎も行くんだろ?」

 もちろん、最初からそのつもりだ。

「行くと言ったろ。でもその前に腹が減ったな」

「それもそうだ」

「おう、そっちが先だな」

 牛太の一言は即座に了承を得て、残りの道程を踏む力へと変わった。


   ※※※


 牛太らが薬師堂へ着くと、浴場は先客で市庭のような賑わいをみせていた。
 ここへ至る途中ですれ違う者の姿も多かったので、あるいは少し空いてきているのではないかと話していたが、当てが外れてしまった。まだ日暮れまでは時があるから、これから訪れる者もあるだろうし、今いる者たちの中には飯を食う者や酒を飲む者もあって、暫く帰りそうにない。今より混むことはあっても、空いてくることは無さそうだった。

 福井県小浜市太良庄。地名にもしっかりと太良荘が残っている。
 湾に面した河口一帯に広がる小浜市の中心エリアから北川を辿って5~6キロ。途中で左側に見えてくる最初の谷が太良荘だ。
 田畠にできる平坦地が少ない若狭に於いて、太良の谷は南側が開けた広い平坦地であり、若狭の中では米の収穫量が多いところだった。それ故、他と比べると百姓にも富裕な者が少なからずあり、薬師堂もそうした者たちの富によって維持されていた。

「こりゃあ、もたもたしてっと、湯に浸かりそびれっちまうぞ」

「おう、急ごうぜっ」

 浴堂の混雑を見るや否や、二人はその場に着物を脱ぎ捨てると、たちまちふんどし一丁になって浴堂へと入っていった。出遅れた牛太には、二人が脱ぎ捨てたものを拾う役割が回って来たが、いつものことなので気にせず拾い集める。混んではいるが、それほど急ぐ必要もないだろう。

「兄ちゃん、出遅れたなぁ」

 ひとっ風呂浴びて涼んでいるらしい男がそれを見て、牛太に言った。

「大丈夫よ。仏様はちゃーんと、見てらっしゃいますよ」

 すると今度は、湯帷子ゆかたびらを着た女たちが功徳くどくを積むことの大切さを説いて、牛太の肩を持とうとする。
 烏帽子えぼしを脱いだふんどし一丁の男と、湯を浴びて肌が透けた湯帷子をまとった女たちが同じ場所で涼んでいる。浴堂でなければお目にかかれない光景だろう。

「ご利益があればよいのですが」

 と牛太は返してみたが、ご利益を求めて行う善行が功徳を積むことになるのだろうか。そもそも二人が脱ぎ捨てたものを拾うことが善行になるのか。神のみぞ知るところだが、罰は当たらないだろう。などと、愚にもつかないことを考えたりしてみた。
 牛太は脱いだ着物を簡単にたたむと、二人の着物と合わせて小上がりに置いた。
 浴堂は小上がりになっていて、風通しを良くするために、四方の板戸はすべて取り払われていた。これがすべて閉じられていたなら、小上がりで思い思いに過ごしている者たちも長居する気にはならなかったろう。

「おーいっ、次郎っ。こっちだこっちだ」

 早々と湯船の縁に陣取っていた二人が、こちらに向かって手招きする。

「暑いのに大した盛況ぶりだ」

「みんな考えるこたぁおんなじってこったろ」

「つぅことは、ここにいる男はみんな、おなご目当てか」

「そっちじゃねぇよっ!」

 手にした柄杓ひしゃくで湯を掛け合う二人を尻目に、牛太は手桶で湯船から湯を汲み、頭から被った。

「ふぅーーっ」

 湯を被る瞬間止めていた息を、一息に吐き出す。
 肩や背中が、平手で叩かれたようにしびれる。外気の暑さとも蒸し風呂の熱さとも違う、湯を浴びた時にだけ感じる痺れるような熱さだ。
 手桶の中で揉んで湯を馴染なじませた手拭いで、痺れる肌を肩口から手首にかけてこすると、もはや熱いのか痛いのかも分からなくなったが、それが心地よかった。

「遊んでないで、お前らもさっさと身体を拭け。先に入るぞ」

 空きができたので、牛太は二人に構わず湯船へと滑り込む。

 熱い――。

 声を発するつもりが無いのに、喉の奥からうめき声にも似た声が漏れ出る。
 手桶に汲んだ湯でも熱いのだから、湯船の湯が熱くないわけがない。
 ちょうど裏で、小僧が湯を流し入れたのだろうか。木樋もくひを通って流れてくるいたばかりの新しい湯が、盛大に湯船に落ちた。これには湯船に浸かっていた他の者たちからも悲鳴に似た声があがり、ひとり、またひとりと湯船から退散していった。
 あと少しぬるければ、浸かっているうちに身体が慣れるだろうなどと考える気にもなりそうだが、ここまで熱いと我慢のしようがない。牛太も我慢できず、ほかの者と同様に、慌てて湯船を出た。
 湯船からあがって身体を見ると、湯に浸かっていた胸の辺りより下の肌が真っ赤になっていて、綺麗に境界を作っていた。
 それでも不思議なもので、額には次々と汗が浮いてくるが、湯船に浸かる前よりはいくらか涼しく感じる。さらに湯を浴びて濡れた肌を風が撫でると、一層心地よい。
 一気に人がけて無人となった湯船に、阿呆ふたりが考えも無しに飛び込んだ。

「熱っちぃぃーーっ!」

(言わんこっちゃない)

 いや、言ってはいないのだが。
 追い打ちを掛けるように、木樋の口から新しい湯が勢いよく注ぐ。二人はそれを頭から被り、また悶絶していた。

やかましいのぉ。何を騒いでおるんじゃ」

 聞き覚えのある声が、湯が流れてくる木樋の奥から聞こえた。

「ト、トラではないか。何をしておるのだ?」

 湯焚き釜のある板戸の陰から姿を現した虎臥とらふすは、湯帷子を纏い、手には桶を持っていた。
 桶と言っても、虎臥が手にしているから小さく見えるが、浴堂でみなが使っている手桶と比べると、二回りほども大きなものだった。

「手伝いじゃ。ひょろっこい小僧が湯を注いでおってな。樋の下で待っておってもチョロチョロしか落ちて来ぬ。表はこうも暑いのに湯冷めしてしまいそうじゃったから、湯を流す役を代わってやったんじゃ。どうじゃ? 少しはぬくくなったじゃろ?」

 なるほど、手にしている大桶は、釜で焚いた湯を樋に流すためのものか。
 随分と勢いよく流れてくると思ったら、そういうことだったのか。

「熱すぎるくらいだ。見ろ。湯に浸かった肌が真っ赤だ」

 そう言って虎臥に見せた牛太の腕は、肘の少し上の辺りで肌の色が変わっていた。

「お虎の仕業かよっ!」

「流す前に湯加減くらい確かめろやっ!」

 早々に湯船からあがってきた二人が虎臥に抗議する。頭のてっぺんからつま先まで真っ赤にしているが、怒りのせいではないだろう。赤くなった肌との対比で、さほど白くはないはずのふんどしが白く光って見えていた。

「軟弱じゃのう。男のくせに肌がやわ過ぎるのではないか?」

 そう言うと虎臥は、手にしていた大きな桶で湯船の湯をすくい、己の肩へ背中へと掛け湯した。浴びた湯は、たちまち湯帷子に染みわたって肌に張り付き、湯帷子の下の肌を透けさせた。

 ――おおおっ!

 肉付きのよい身体の線があらわになると、周囲から――とりわけ男どもから――歓声があがった。

「そ、そんなもん、ただのやせ我慢だろうっ。もうひとつ被ってみろっ!」

「そ、そうだそうだっ!」

 と二人があおると、虎臥はまた湯を掬って身体へと浴びせた。

「何回被っても同じじゃ。やっとちょうどよい湯加減になったくらいじゃ」

 虎臥は平然としているが、湯を浴びる度に露わになる湯帷子の下の身体に、牛太の心中は穏やかではいられない。煽っている二人の魂胆は分かっているし、周りには他の者たちの目がある。

「ま、まぁ待て、トラ。その辺にして、女どもの方へ行っておれ。寺の内ではそなたの身体は刺激が強すぎる」

 と、牛太は堪らず二人の間に割って入る。
 できるだけ遠回しな言葉でさとしたかったが、咄嗟とっさにはよい言葉が浮かばず、直接的な表現になってしまった。これには周囲から、どっと笑い声があがった。

「こらっ次郎っ! 見えんではないかっ!」

(当然だ! 視界を遮るために間に入ったのだ)

「なんじゃ、お前たち。おなごの身体目当てか?」

 と虎臥がいうと、

「っんなわけねぇだろっ!」

 と、二人が声を合わせて反論する。しかし虎臥が、

「ほぅー。そうかの。ふんどしの下が窮屈きゅうくつそうじゃが?」

 と指摘すると、二人は「なっ!?」と叫んで、両の手で股間を押さえた。

 これにまた周囲からどっと笑い声があがる。
 この笑いに乗じてさっさと虎臥を退散させようと思っていたら、牛太は背後から突然、虎臥に抱き留められた。背中に密着する湯を吸った湯帷子の熱さが全身をあわ立たせたが、それ以上に、首の後ろに当たる膨らみが脳を沸騰させた。

「ウシ、これはよい商いになるのではないか? わらわが湯を被るだけで喜ぶ男どもを集めて銭を取ればよい。どうじゃ?」

 どうかと問われても、それに賛同できるはずがない。
 
 ――あれは瓜生の高倉名のとこの娘だろう? よく育っておる。
 ――まだ二人とも若い。これは子作りがはかどるのぉ。
 ――銭を払えばよいのか? 幾らだ?
 ――俺は幾らでも出すぜっ。

 周囲の者たちの口からは、目の前で見せられている光景に思い思いに言葉が出る。

「そんな商いできるかっ!」

 ざぶんと一度、湯に浸かっただけだったが、この調子だと、帰る頃には相当のぼせていることだろうと牛太は思った。
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