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一.勃興
閑話 ― 狩倉山 ―
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竈の方が静かになったのを確かめると、虎臥は薬缶を片手に、厨へ向かった。
皆と顔を合わせたくないということではない。ただ狩りに出る前はできるだけ人と接したくなかった。山の獣たちは、自分たちとは異なる者の匂いに敏感だ。
他人と会わずとも、人間である己から発せられる人の匂いを消すことはできない。それでも、誰とも会わぬことで人間臭さを消すことはできる。少し言葉を交わしただけでも、己の中にある人間臭さが滲み出てしまうような気がした。
梁に吊るされた籠の一つに手を突っ込み、乾燥させた桑の葉を掴む。
手にした桑の葉を揉み砕いて薬缶の中に入れる。
静寂に、カシャカシャと乾いた音が響く。
手桶に汲み置かれた水を柄杓で掬い、薬缶に注ぐ。
耳を澄ますと、カチカチ、チンチン、キューっと、薬缶の中から、乾燥した桑の葉が水を吸う音が聞こえる。
手頃な太さの薪木を一本手に取り、火を落として間もない竈の中を突く。
日の出からは半時ほど。外は白々としていたが、洞になった竈の中は暗くてよく見えない。薪木の先から感じる感触に意識を集中し、目当ての物を引きずり出す。
薪木をもう一本取り、箸のように使って、掘り当てた丸石を薬缶の中に放り込むと、山にこだまする雷鳴のような音を立てて、薬缶の水が瞬時に沸騰した。
目を閉じて、呼吸を整えつつ、薬缶が静かになるのを待つ。
静寂で満たされた世界。
夜の帳とは違う静寂。
朝靄の帳が上がる前の、正気と期待に満ちた静寂。
落ち着いてきた薬缶を傾け、ゆっくりと白磁に注ぐ。
白を背景にして、薬湯の黄金色が、より輝いて見える。
熱さを確かめながら、一口、啜る。
口に含んだ熱が喉を通って身体の奥へと落ちていく。
白磁を持つ手のひらも熱い。
狩りに出る朝は飯も食わない。
これもやはり匂いを気にするから。
獣と同じように、山にあるものを山にある状態のまま食うのであれば、別に気にすることではないのだろうが、獣ではない自分は、何かひと手間加えなければ口に合わない。その匂いを獣は嫌う。
日の出が早くなり、日も長くなってきているが、早朝はまだ寒い。
冷えた身体のままでは思うように動けない。飯を食えば身体は温まるが、獲物に気付かれてしまう。山を暫く歩けば、身体は段々と温まってくる。薬湯はしぜんと身体が温まってくるまでの一時しのぎだ。
「ふうーーーーーー」
息を吐く。長く、ゆっくりと。
手の中にある白磁は、先ほどよりだいぶ持ちやすい熱さになった。
(今日はどこから入ろうか)
狙うのは鹿。雉や兎などは仕留めやすいが、数を取らなければ労力に見合わない。かと言って熊や猪を狙うとなると、巻き狩りでも容易くない。熊を一人で仕留めることができるようなら、おそらく国も取れるだろう。
以前、雄の猪を一対一の死闘の末に仕留めたことがあったが、闘いで体力を使い果たした身体に、あの泥の鎧を纏った肉塊はあまりに重過ぎた。
押しても引いてもびくともしない。泣く泣く捨て置くという判断は、血気にはやる若者のあたまにはない。その時はなんとしても持ち帰ろうと必死だった。軽くするためにその場で腹を割って内臓をすべて引っ張り出し、まだ温かい心臓を鷲掴みにして貪り食って力に変え、満身創痍になりながらもなんとか村まで辿り着くことができた。
しかし堪えきれたのはそこまで。身体を支えていた気力は安堵から一気に霧散し、虎臥は門前で崩れ落ちた。
そこから記憶は曖昧だが、高熱と全身の痛みで、三日三晩寝込んだ。
門前に臥している虎臥を、父母と居合わせた助人で館の中まで運び入れたが、猪の肉塊よりも虎臥の方が重くて難儀したという話はいまでも時折話題にあがり、虎臥の居心地を悪くしていた。
大きな雄猪だったが、あれでも三十貫から三十五貫といったところだろう。
大きいのになると、五十貫を優に超えるのもおることを考えれば、山中での猪との一騎打ちは失うものが多すぎる。命があっただけよかった。
その点、鹿はそういう心配は無用だ。たとえ目方のある雄であっても、内臓を抜けば、首に担いで難なく山を下りることができる。
特に今は新芽と若葉を食べて体を大きくしている時期だから、肉の風味がいい。
皮革も綺麗に削げば高く売れる。獲らぬ理由がない。
白磁で三杯、身体の隅々まで染み渡らせるようにじっくりと薬湯を啜ってから、身支度を整えた虎臥は館を出た。
※※※
まだ朝の霧が残る止まった空気の中を、霧に紛れて静かに歩く。
瓜生は山際の小さな村だが、若狭の出入り口にある。
西津、小浜からここまでは一時と掛からないが、まだ夜明け間もないので、浦で揚がった海産物が瓜生に差し掛かるまでには少し間がある。また夜の峠を越えてくる者などあるはずもなく、北川に沿って引かれた街道には、まだ人の姿は無かった。
あと半時もすれば、峠に向かう馬借や牛車が出始めて、正午の頃には、峠を下りて若狭に入ってくる者たちもそこに加わり、街道は一気に賑やかになる。
街道から逸れて支流に沿って歩き始めると、途端に景色は山と川だけになった。そしてそれは、人の世を外れ、獣の世に踏み入れたということでもある。
谷の先に見える山にかかっていた朝靄も次第に散り散りになり、濡れた青葉に朝日が反射して青々と輝いて見えた。今のところ、山の神様のご機嫌は良さそうだ。
「食う分だけじゃ。殺生ではない」
山を見上げ、虚空に向けて呟く。
獣肉は美味い。殺生はいかんといって肉食を禁じているが、武士は勿論、禁忌としている公家や僧侶に至るまで、陰で肉を口にしている者は多い。
美味いのだからしょうがない。
足の数が多ければ多いほど悪いという者もあるそうだが、タコやイカは魚と同じで海のものだから含まないという。では陸のものは駄目なのかというと、鳥は良いという。四本足が駄目だと。それなのに兎は良いという。兎は跳ぶから鳥と同じだ。だから一羽二羽と数えろと、人を食ったような屁理屈を持ち出す。たしかにこの理屈では、二本足の陸の生き物は食っていいことになる。百姓を食い物にしている奴らの道理には合うのだろう。
食い物にされる側の我ら百姓に、この道理は受け入れられない。故に我ら百姓に肉食の禁忌など無い。山に住む民が山で獲れるものを食わずして、ほかに何を口にできるというのか。
川沿いを歩き進めて、川岸まで斜面が迫ったところまで着くと、虎臥は斜面に取り付いた。
(さて、ここからが本番じゃ)
一度尾根まで登り、下へ向かって獲物を巻いていく。
登りでは四つ足の獣にかなわないし、山奥へ逃げられてしまっては、たとえ仕留めたとしても郷まで下ろすのに難儀する。川筋の開けたところまで追い落とせれば弓も使いやすいし、流れのある川なら、流して運べば仕留めたあとの移動も捗る。
木の根元を足掛かりに、急勾配を登っていく。
霧によって濡らされた山は何処を触ってもしっとりしていて、力の掛け方を誤れば、濡れた樹皮は氷のように滑る。次に手を掛けるところ、足を置く位置、体重を掛ける向きまで考えながら、何の目印も無い山の斜面に、自分が登っていく筋道を描いていく。そしてその目の内にある筋道を辿って、黙々と登り続ける。
川の流れが遠のくにしたがって、川音でかき消されていた山の声が聞こえてくる。
ヒヨドリやメジロの鳴き声に混じって、オオルリのさえずりが聞こえる。もう夏はすぐそこまで来ているようだ。蝶が主役の初夏の林間も、一月後には喧しい蝉の声に埋めつくされることになる。
登ってきた斜面が次第に緩やかになり、左右が落ちていく地形になった。
辺りを見回し、幹が途中から綺麗に二股に分かれている木を見つけ、虎臥は歩みよった。
西からの尾根と北からの尾根が交わる辺りにいる。ただただ山中を彷徨っている者には同じにしか見えない景色も、何度となく歩いていると、特徴のある木や地形、岩や木の根を目印に、自分が今どこにいるのかが分かるようになる。
尾根と尾根が交わるところに立つこの二股の木は、強く印象に残る。
二股の木に寄りかかって一息入れる。
目を閉じて上を向くと、背中を預けている幹に後頭部が当たった。
休まず一気に登ってきたが、この程度の山登りに疲労など無い。身体を休めることよりも、心を落ち着けるための一休み。山では気が急くと大抵は失敗する。
狩りの無事と、鹿が獲れることを念じて、虎臥は幹に体重をかけた。
意味があるかどうかは分からないが、異形の木には山の神が宿るといわれている。狩りの成功は運に因るところが大きい。神木を抱いて祈るだけで狩りの成果が上がるのであれば、しておいて損は無い。
北側から伸びてきた尾根の方を見ると、南北に走る尾根が綺麗に山を東西に切り分けていて、日の当たっている東側と、日の当たっていない西側は、別の山であるかのように空気が違っていた。
(まだ日は高くない。獣は日の当たる山の東側にいるだろう)
尾根から東に向かって追い落とせれば、先ほどの川筋に至るので都合が良い。
体を起こし、二股の木をあとにして、尾根を北に向かって歩く。
ゆっくりと、獣の気持ちになって歩く。勇み足は禁物だ。
樹冠はまだまだ風通しがよく、差し込む日の光が、土と枯葉で覆われた林床に、白い斑模様を描いている。所々に群生している小さな緑も、あと半月もすれば、一斉に繁茂するだろう。
歩く度に足の下でシャリシャリと枯葉が砕ける音がする。一面に敷かれた枯葉の上を歩けば、鹿であれ人であれ、音は鳴る。他の獣でも同じこと。
数歩進んで立ち止まり、辺りの様子を窺う。
目と耳に意識を集中して、辺りに変化が無いか注意深く探る。
何事も無いことを確かめるとゆっくりとまた歩を進め、数歩先で同じことを繰り返す。
発達した嗅覚と聴覚は人間の比ではない。それ故に、気付かれずに鹿に近付くのはまず不可能だ。そこで臆病な鹿を驚かせないように近付く策を講じる。たとえ気付かれてはいても、逃げ出さずにいてもらえればそれでよい。
鹿が野山を歩くのを真似て、数歩進んでは立ち止まり、辺りの様子を確認する。
この調子で歩くと、鹿はその存在には気付いても、危険が迫っていないと判断すれば、駆け出して逃げるようなことはしない。故にそう思わせるのが肝心。
矢を射る瞬間でさえ殺気を消す。この方法で幾度も狩りに成功している。稀に立ったまま寝ているのではないかと思うような、棒立ちの鹿に出くわしたこともあった。
暫く尾根を行ったところで、樹冠がぽっかりと空いた。
落雷か強風か、何が要因かは分からないが、周囲を巻き込んで倒れた大木の跡地に、日差しが降り注いでいる。
大地を覆う草は、日の光を弾いて輝いていて、暗く湿った土色の世界との間に明確な境界線を引いている。
山は切れ目なく繋がっているようでいて、場所によってその植生は大きく異なる。季節に関係なく日の当たる南側の斜面と、反対に日の当たらない北側の斜面とでは、ひとつの山であっても別の山のように異なる。それは日の当たる樹冠と、当たらない林床にも同じことがいえる。
思い掛けず空を得た大地には草が茂り、成長の早いタラノキやニワトコが、この地の新たな主となってその隆盛を極めていた。手にすることになった恩恵がたとえ自力によるものでなかったとしても、懸命に生きるものたちは、その千載一遇の機会に手をこまねいているようなことはしない。
決して長くはない栄華のために、我先にとお天道様の下に躍り出る。
陽だまりの中心に立って見ると、この一角だけ季節の進みが早いことに気付く。
ニワトコは既に花を落していたが、実はまだ熟していない。タラの芽も時期を過ぎている。残念ながらここには、採取できそうなものはなさそうだ。
落胆する気持ちなどなかったはずだったが、それでも小さくため息が漏れた。
――キィィーーッ!
その刹那、甲高い鳴き声が山を駆け抜けた。
反射的に動きを止めて身構える。
鹿が警戒を仲間に知らせる時に発する鳴き声。
縄張りに踏み入れたのだ。
動きを止めたまま、耳に意識を集中する。二度三度と続けて鳴くはずだ。またそれに呼応する声もあるかもしれない。
そうして待っていると、甲高い鳴き声が一回、間を置いてもう一回。東側の下の方から聞こえた。
(かなり下の方じゃな)
思い描いていた辺りに獲物がいることが分かり、まだその影すら見ていないうちから気分は高揚した。
虎臥は担いでいた弓を下ろして、握に持ち変えた。気持ちを落ち着けるため、深呼吸して心を空にしてから、鳴き声のした方へと斜面を下りた。
※※※
鹿の姿を確認できないまま、もはや川筋まで下り切ろうかというところまできて漸く、川向うの開けた草地で草を食む、四頭の鹿を見つけた。どれもまだ角は小さい、若い雄の群れだ。
腰に提げたやなぐいから一本、矢を抜き取り、弦に番える。
右手の親指の腹を番えた矢の下辺の弦に懸けて、人差し指と中指で親指の爪根を押える。これでいつでも弓が引ける。
携えてきた弓は蒙古弓。去年、小浜の唐物市で手に入れて以来、愛用している。
日本の弓は木や竹を張り合わせてできているが、蒙古の弓は、獣の角や腱を張り合わせてできているらしい。日本の弓より短いので、山に分け入って狩りをするときに重宝すると思って買ったが、威力も飛距離も遜色なく、扱いに慣れればむしろこっちの方が使い勝手がよく、最近はもっぱら、この蒙古弓を使っていた。
射線は通っているが、まだ少し距離がある。
斜面で十分に姿勢が作れないことを考えれば、もう少し距離を詰めたい。
下っていく動線を見定めてから、鹿に視線を戻して、ゆっくりと斜面を下っていく。
目立つ動きをしなければ、山の中にいるこちらの姿は鹿には分からないだろう。川を挟んだ位置関係も、音と匂いを消してくれる。
山の際まで下りたところ、射線が通る位置で左右に脚を開き、足踏みする。
前方に向かって傾斜する大地を足の裏でしっかりと掴み、少し腰を落として上半身を安定させる。左斜め上方に打起したのち、左手を鹿のいる方に向けて伸ばし、右手は上腕前腕を折り込みながら引き分けていく。
こちらに側面を向ける恰好になって草を食んでいる鹿に狙いを定める。
前と後ろは的が小さくなる。特に後ろ向きでは、たとえ尻に的中しても力尽きるまで鹿は逃げていく。横向きであれば多少逸れても、腹の辺りに刺されば致命傷になる。的は大きいに越したことはない。
前脚の後ろに狙いを定める。
心臓を射抜くことができれば、鹿も無用に苦しまずに済む。
呼吸を整え、鼻から吸い込んだ息を止める。
周囲からすべての音が消えた。
鹿が首を擡げた刹那、矢を放った。
時が止まったかのような世界で、放った矢の軌跡だけがはっきりと見えた。
やがて止まっていた世界は、鹿の断末魔の鳴き声を合図に動き出した。
矢を受けた鹿の周りでは、他の三頭が、方々に一斉に駆け出して行く。
――仕留めた。
確かな手応えがあった。もはや何を気にすることもない。一直線に仕留めた鹿に向かって駆けて行く。視界の先では、もがきながらも、どうにか立ち上がろうとして脚を動かしている鹿の姿が見える。
(待っておれ、すぐ楽にしてやる)
鹿の元まで駆けつけてみると、矢は見事に狙ったところに的中していた。
止め刺しの前は鹿も覚悟を決めて静かになるが、既にこの鹿の命の灯火は消えようとしていた。
手を掛けていた小刀の柄から手を離し、こちらに矢を受けた腹を向けて横たわる鹿の傍らに身を屈め、心の臓に刺さった矢をさらに深く押し込んだ。
キューン、キューンと、か細い声で鳴いていたが、すぐにその声も無くなり、空に向けて突っ張っていた脚が、ゆっくりと落ちてくる。
跪いて事切れていのを確かめてから、矢を引き抜いた。
肉は好きだが、この瞬間を好きになることは無いだろう。
※※※
「よぉーし、これなら上出来じゃろう」
皮裁した鹿の毛皮を広げて、その出来栄えに自画自賛する。
闇雲に剥いでは売り物にならない。元が同じ毛皮でも、裁ち方ひとつで値が変わるのだから、神経を使う。奪った命だ、少しでも価値を高めたい。
「さっ、一休みじゃの」
川は流れていたが流量が少なく底が浅い。川流しで荷を運ぶには、来るときに取り付いた斜面のあった辺りまで担いで運ぶしかない。荷を軽くすることと、己の燃料補給のために、鹿を解体してから運ぶことにした。
河原の石で囲っただけの即席の竈。薪は辺りに散乱している乾いた流木。火口からのうつし木は、小刀で流木をささがいて造る。
手慣れたものだ。
火打ち袋から取り出した火口を地面に置き、火打ち石と火打ち金を叩き合わせて火花を散らす。火口に落ちた火花が燻っているのを確かめて、屈んで強く息を吹きかける。火口を両手で掬いあげて手のひらで包み込み、そこへ息を吹き込むと、火はいよいよ勢いを増してくる。手のひらの上で炎を立てた火口を竈にくべて、息を吹きながらうつし木を載せていくと、うつし木に燃え移った火が流木の薪に移り、瞬く間に燃え上がっていった。
熾火になるまでの間に、皮を剥いだ鹿を解体する。
腹を裂いて内臓を引き出し、空いた腹の中に、切断した四肢と首を入れる。これで麻袋にすっぽり収まる。
取り出した内臓から、いま食べる分だけを切り取って、竈の石の上に並べる。
まだあまり脂肪が付いていない腸を扱いて、詰まった内容物を押し出していく。これ以外に捨てるところは無い。
残さずすべて持って山を下りようとするのは、奪った命に対する敬意であって、強欲からではない。器があれば、血の一滴まで残さず持って帰りたい。
食欲をそそる香りが煙と共に漂ってくる。
鼻先を掠めるだけで、意識せずとも口の中に唾液が溢れ、鼻から香りを吸い込むと、それだけで幸福に満たされる。
火の傍を離れて腸抜きをしていたが、視界に無くとも、匂いで食べ頃が分かってしまう。
薄く切った心臓が、石の上で縮んで赤黒くなっている。
脂肪の多い腹回りの肉が、染み出した油で石を黒く光らせていた。
風上側に跪いて、小袋から取り出した味噌を指で掬って、石に載せる。
生姜か胡椒があれば尚よいが、味噌だけでも十分美味い。
「あっちっちっちっ」
一枚取って、味噌をつけて口に運ぶ。
指でつまんで熱いものを口に入れるのだから、熱くないわけがない。我ながら阿呆なことをしているとは思うが、口の中で少し転がせば、すぐに馴染むし、肉は熱い方が間違いなく美味い。
咀嚼して肉汁を絞り出す。口の中に広がった肉の旨味は、血管を通って身体中に広がっていく。そんな感じがする。
他にも美味い食べ物はあるが、他の美味い食べ物にこの感覚はない。
米、魚、葉物に芋、美味いと思うし、何でも食えば元気がでる。ただ肉は別格と思う。
食った瞬間から全身に力がみなぎっていくのを感じる。
獣の生命力をそのまま飲み込んだような、驚異的な力が宿る。
※※※
解体した鹿を背負い、虎臥は立ち上がった。
既に川筋まで出ているので、帰り道は大して苦ではない。
立ち上がったところで気が付いたが、割と近いところで、兎が草を食んでいた。肉を貪ることに夢中で、気が付かなかったようだ。
「わらわが鹿であったら、もはや命は無かったであろうの」
兎に向かって言ってみるが、当然、言葉を返すはずもない。耳をピクピクさせているだけで、逃げようともしない。
「そなたも少しは用心せい。鹿を背負っていなければ、そなたの命も無いぞ」
というと、兎は面倒くさそうにモサモサと動き出したので、逃げていくのかと思ったら、数歩も行かぬうちに止まって、また草を食みだした。
「こやつ、今わらわが手を出せぬと分かっておるな」
兎一匹、いや一羽増えたところで、運べないこともない。逃げぬのだから、小刀で一突きだ。弓を構えるまでもない。手早く仕留めて持って帰ろうかと、小刀の柄に手を掛けたところで、ふと何かが頭をよぎった。
なんじゃったか。何か不吉の前兆のような……。
こちらのことは、まるで立木の一本としか思っていない風に、目の前の兎は一心に草を食んでいる。
視線を上に向け、空を眺めてみる。
幾つか白い雲が流れているが、概ね青で占められている晴れ空だ。
――そうか。
草を食んでいる兎の傍らまで歩く。ここまで来ても逃げようとしない。
「今のうちにたっぷり喰っておくがよい。雨が続けば、暫くひもじい思いをすることになるじゃろうから」
食事に忙しい兎をあとにして、虎臥は歩き出した。
ふとよぎった予感がなんであったか、思い至った。
考えてみれば、間もなく長雨の季節だ。兎のように小さな獣が、これほど日の高いうちに日のあたる場所で草を食むことはない。獣たちが人の存在も気にせずに食事をしている時は、近いうちに雨が来る。
雨を嫌うのは人も獣も同じだ。人は雨で体を冷やせば体調を崩し、悪くすれば命を落とす。獣は雨が降ると鼻が利かなくなる。獣にとって鼻が利かないということは、目が見えないのと同じこと。危険を察知するのが遅れれば死に至る。山での暮らしは死と隣り合わせだ。
長雨の前に一頭仕留められてよかった。
雨の気配を微塵も感じさせない強い日差しを浴び、額に大粒の汗が湧く。長雨で暫く山に入れなくなることを思えば、これも一つの楽しみだろう。
皆と顔を合わせたくないということではない。ただ狩りに出る前はできるだけ人と接したくなかった。山の獣たちは、自分たちとは異なる者の匂いに敏感だ。
他人と会わずとも、人間である己から発せられる人の匂いを消すことはできない。それでも、誰とも会わぬことで人間臭さを消すことはできる。少し言葉を交わしただけでも、己の中にある人間臭さが滲み出てしまうような気がした。
梁に吊るされた籠の一つに手を突っ込み、乾燥させた桑の葉を掴む。
手にした桑の葉を揉み砕いて薬缶の中に入れる。
静寂に、カシャカシャと乾いた音が響く。
手桶に汲み置かれた水を柄杓で掬い、薬缶に注ぐ。
耳を澄ますと、カチカチ、チンチン、キューっと、薬缶の中から、乾燥した桑の葉が水を吸う音が聞こえる。
手頃な太さの薪木を一本手に取り、火を落として間もない竈の中を突く。
日の出からは半時ほど。外は白々としていたが、洞になった竈の中は暗くてよく見えない。薪木の先から感じる感触に意識を集中し、目当ての物を引きずり出す。
薪木をもう一本取り、箸のように使って、掘り当てた丸石を薬缶の中に放り込むと、山にこだまする雷鳴のような音を立てて、薬缶の水が瞬時に沸騰した。
目を閉じて、呼吸を整えつつ、薬缶が静かになるのを待つ。
静寂で満たされた世界。
夜の帳とは違う静寂。
朝靄の帳が上がる前の、正気と期待に満ちた静寂。
落ち着いてきた薬缶を傾け、ゆっくりと白磁に注ぐ。
白を背景にして、薬湯の黄金色が、より輝いて見える。
熱さを確かめながら、一口、啜る。
口に含んだ熱が喉を通って身体の奥へと落ちていく。
白磁を持つ手のひらも熱い。
狩りに出る朝は飯も食わない。
これもやはり匂いを気にするから。
獣と同じように、山にあるものを山にある状態のまま食うのであれば、別に気にすることではないのだろうが、獣ではない自分は、何かひと手間加えなければ口に合わない。その匂いを獣は嫌う。
日の出が早くなり、日も長くなってきているが、早朝はまだ寒い。
冷えた身体のままでは思うように動けない。飯を食えば身体は温まるが、獲物に気付かれてしまう。山を暫く歩けば、身体は段々と温まってくる。薬湯はしぜんと身体が温まってくるまでの一時しのぎだ。
「ふうーーーーーー」
息を吐く。長く、ゆっくりと。
手の中にある白磁は、先ほどよりだいぶ持ちやすい熱さになった。
(今日はどこから入ろうか)
狙うのは鹿。雉や兎などは仕留めやすいが、数を取らなければ労力に見合わない。かと言って熊や猪を狙うとなると、巻き狩りでも容易くない。熊を一人で仕留めることができるようなら、おそらく国も取れるだろう。
以前、雄の猪を一対一の死闘の末に仕留めたことがあったが、闘いで体力を使い果たした身体に、あの泥の鎧を纏った肉塊はあまりに重過ぎた。
押しても引いてもびくともしない。泣く泣く捨て置くという判断は、血気にはやる若者のあたまにはない。その時はなんとしても持ち帰ろうと必死だった。軽くするためにその場で腹を割って内臓をすべて引っ張り出し、まだ温かい心臓を鷲掴みにして貪り食って力に変え、満身創痍になりながらもなんとか村まで辿り着くことができた。
しかし堪えきれたのはそこまで。身体を支えていた気力は安堵から一気に霧散し、虎臥は門前で崩れ落ちた。
そこから記憶は曖昧だが、高熱と全身の痛みで、三日三晩寝込んだ。
門前に臥している虎臥を、父母と居合わせた助人で館の中まで運び入れたが、猪の肉塊よりも虎臥の方が重くて難儀したという話はいまでも時折話題にあがり、虎臥の居心地を悪くしていた。
大きな雄猪だったが、あれでも三十貫から三十五貫といったところだろう。
大きいのになると、五十貫を優に超えるのもおることを考えれば、山中での猪との一騎打ちは失うものが多すぎる。命があっただけよかった。
その点、鹿はそういう心配は無用だ。たとえ目方のある雄であっても、内臓を抜けば、首に担いで難なく山を下りることができる。
特に今は新芽と若葉を食べて体を大きくしている時期だから、肉の風味がいい。
皮革も綺麗に削げば高く売れる。獲らぬ理由がない。
白磁で三杯、身体の隅々まで染み渡らせるようにじっくりと薬湯を啜ってから、身支度を整えた虎臥は館を出た。
※※※
まだ朝の霧が残る止まった空気の中を、霧に紛れて静かに歩く。
瓜生は山際の小さな村だが、若狭の出入り口にある。
西津、小浜からここまでは一時と掛からないが、まだ夜明け間もないので、浦で揚がった海産物が瓜生に差し掛かるまでには少し間がある。また夜の峠を越えてくる者などあるはずもなく、北川に沿って引かれた街道には、まだ人の姿は無かった。
あと半時もすれば、峠に向かう馬借や牛車が出始めて、正午の頃には、峠を下りて若狭に入ってくる者たちもそこに加わり、街道は一気に賑やかになる。
街道から逸れて支流に沿って歩き始めると、途端に景色は山と川だけになった。そしてそれは、人の世を外れ、獣の世に踏み入れたということでもある。
谷の先に見える山にかかっていた朝靄も次第に散り散りになり、濡れた青葉に朝日が反射して青々と輝いて見えた。今のところ、山の神様のご機嫌は良さそうだ。
「食う分だけじゃ。殺生ではない」
山を見上げ、虚空に向けて呟く。
獣肉は美味い。殺生はいかんといって肉食を禁じているが、武士は勿論、禁忌としている公家や僧侶に至るまで、陰で肉を口にしている者は多い。
美味いのだからしょうがない。
足の数が多ければ多いほど悪いという者もあるそうだが、タコやイカは魚と同じで海のものだから含まないという。では陸のものは駄目なのかというと、鳥は良いという。四本足が駄目だと。それなのに兎は良いという。兎は跳ぶから鳥と同じだ。だから一羽二羽と数えろと、人を食ったような屁理屈を持ち出す。たしかにこの理屈では、二本足の陸の生き物は食っていいことになる。百姓を食い物にしている奴らの道理には合うのだろう。
食い物にされる側の我ら百姓に、この道理は受け入れられない。故に我ら百姓に肉食の禁忌など無い。山に住む民が山で獲れるものを食わずして、ほかに何を口にできるというのか。
川沿いを歩き進めて、川岸まで斜面が迫ったところまで着くと、虎臥は斜面に取り付いた。
(さて、ここからが本番じゃ)
一度尾根まで登り、下へ向かって獲物を巻いていく。
登りでは四つ足の獣にかなわないし、山奥へ逃げられてしまっては、たとえ仕留めたとしても郷まで下ろすのに難儀する。川筋の開けたところまで追い落とせれば弓も使いやすいし、流れのある川なら、流して運べば仕留めたあとの移動も捗る。
木の根元を足掛かりに、急勾配を登っていく。
霧によって濡らされた山は何処を触ってもしっとりしていて、力の掛け方を誤れば、濡れた樹皮は氷のように滑る。次に手を掛けるところ、足を置く位置、体重を掛ける向きまで考えながら、何の目印も無い山の斜面に、自分が登っていく筋道を描いていく。そしてその目の内にある筋道を辿って、黙々と登り続ける。
川の流れが遠のくにしたがって、川音でかき消されていた山の声が聞こえてくる。
ヒヨドリやメジロの鳴き声に混じって、オオルリのさえずりが聞こえる。もう夏はすぐそこまで来ているようだ。蝶が主役の初夏の林間も、一月後には喧しい蝉の声に埋めつくされることになる。
登ってきた斜面が次第に緩やかになり、左右が落ちていく地形になった。
辺りを見回し、幹が途中から綺麗に二股に分かれている木を見つけ、虎臥は歩みよった。
西からの尾根と北からの尾根が交わる辺りにいる。ただただ山中を彷徨っている者には同じにしか見えない景色も、何度となく歩いていると、特徴のある木や地形、岩や木の根を目印に、自分が今どこにいるのかが分かるようになる。
尾根と尾根が交わるところに立つこの二股の木は、強く印象に残る。
二股の木に寄りかかって一息入れる。
目を閉じて上を向くと、背中を預けている幹に後頭部が当たった。
休まず一気に登ってきたが、この程度の山登りに疲労など無い。身体を休めることよりも、心を落ち着けるための一休み。山では気が急くと大抵は失敗する。
狩りの無事と、鹿が獲れることを念じて、虎臥は幹に体重をかけた。
意味があるかどうかは分からないが、異形の木には山の神が宿るといわれている。狩りの成功は運に因るところが大きい。神木を抱いて祈るだけで狩りの成果が上がるのであれば、しておいて損は無い。
北側から伸びてきた尾根の方を見ると、南北に走る尾根が綺麗に山を東西に切り分けていて、日の当たっている東側と、日の当たっていない西側は、別の山であるかのように空気が違っていた。
(まだ日は高くない。獣は日の当たる山の東側にいるだろう)
尾根から東に向かって追い落とせれば、先ほどの川筋に至るので都合が良い。
体を起こし、二股の木をあとにして、尾根を北に向かって歩く。
ゆっくりと、獣の気持ちになって歩く。勇み足は禁物だ。
樹冠はまだまだ風通しがよく、差し込む日の光が、土と枯葉で覆われた林床に、白い斑模様を描いている。所々に群生している小さな緑も、あと半月もすれば、一斉に繁茂するだろう。
歩く度に足の下でシャリシャリと枯葉が砕ける音がする。一面に敷かれた枯葉の上を歩けば、鹿であれ人であれ、音は鳴る。他の獣でも同じこと。
数歩進んで立ち止まり、辺りの様子を窺う。
目と耳に意識を集中して、辺りに変化が無いか注意深く探る。
何事も無いことを確かめるとゆっくりとまた歩を進め、数歩先で同じことを繰り返す。
発達した嗅覚と聴覚は人間の比ではない。それ故に、気付かれずに鹿に近付くのはまず不可能だ。そこで臆病な鹿を驚かせないように近付く策を講じる。たとえ気付かれてはいても、逃げ出さずにいてもらえればそれでよい。
鹿が野山を歩くのを真似て、数歩進んでは立ち止まり、辺りの様子を確認する。
この調子で歩くと、鹿はその存在には気付いても、危険が迫っていないと判断すれば、駆け出して逃げるようなことはしない。故にそう思わせるのが肝心。
矢を射る瞬間でさえ殺気を消す。この方法で幾度も狩りに成功している。稀に立ったまま寝ているのではないかと思うような、棒立ちの鹿に出くわしたこともあった。
暫く尾根を行ったところで、樹冠がぽっかりと空いた。
落雷か強風か、何が要因かは分からないが、周囲を巻き込んで倒れた大木の跡地に、日差しが降り注いでいる。
大地を覆う草は、日の光を弾いて輝いていて、暗く湿った土色の世界との間に明確な境界線を引いている。
山は切れ目なく繋がっているようでいて、場所によってその植生は大きく異なる。季節に関係なく日の当たる南側の斜面と、反対に日の当たらない北側の斜面とでは、ひとつの山であっても別の山のように異なる。それは日の当たる樹冠と、当たらない林床にも同じことがいえる。
思い掛けず空を得た大地には草が茂り、成長の早いタラノキやニワトコが、この地の新たな主となってその隆盛を極めていた。手にすることになった恩恵がたとえ自力によるものでなかったとしても、懸命に生きるものたちは、その千載一遇の機会に手をこまねいているようなことはしない。
決して長くはない栄華のために、我先にとお天道様の下に躍り出る。
陽だまりの中心に立って見ると、この一角だけ季節の進みが早いことに気付く。
ニワトコは既に花を落していたが、実はまだ熟していない。タラの芽も時期を過ぎている。残念ながらここには、採取できそうなものはなさそうだ。
落胆する気持ちなどなかったはずだったが、それでも小さくため息が漏れた。
――キィィーーッ!
その刹那、甲高い鳴き声が山を駆け抜けた。
反射的に動きを止めて身構える。
鹿が警戒を仲間に知らせる時に発する鳴き声。
縄張りに踏み入れたのだ。
動きを止めたまま、耳に意識を集中する。二度三度と続けて鳴くはずだ。またそれに呼応する声もあるかもしれない。
そうして待っていると、甲高い鳴き声が一回、間を置いてもう一回。東側の下の方から聞こえた。
(かなり下の方じゃな)
思い描いていた辺りに獲物がいることが分かり、まだその影すら見ていないうちから気分は高揚した。
虎臥は担いでいた弓を下ろして、握に持ち変えた。気持ちを落ち着けるため、深呼吸して心を空にしてから、鳴き声のした方へと斜面を下りた。
※※※
鹿の姿を確認できないまま、もはや川筋まで下り切ろうかというところまできて漸く、川向うの開けた草地で草を食む、四頭の鹿を見つけた。どれもまだ角は小さい、若い雄の群れだ。
腰に提げたやなぐいから一本、矢を抜き取り、弦に番える。
右手の親指の腹を番えた矢の下辺の弦に懸けて、人差し指と中指で親指の爪根を押える。これでいつでも弓が引ける。
携えてきた弓は蒙古弓。去年、小浜の唐物市で手に入れて以来、愛用している。
日本の弓は木や竹を張り合わせてできているが、蒙古の弓は、獣の角や腱を張り合わせてできているらしい。日本の弓より短いので、山に分け入って狩りをするときに重宝すると思って買ったが、威力も飛距離も遜色なく、扱いに慣れればむしろこっちの方が使い勝手がよく、最近はもっぱら、この蒙古弓を使っていた。
射線は通っているが、まだ少し距離がある。
斜面で十分に姿勢が作れないことを考えれば、もう少し距離を詰めたい。
下っていく動線を見定めてから、鹿に視線を戻して、ゆっくりと斜面を下っていく。
目立つ動きをしなければ、山の中にいるこちらの姿は鹿には分からないだろう。川を挟んだ位置関係も、音と匂いを消してくれる。
山の際まで下りたところ、射線が通る位置で左右に脚を開き、足踏みする。
前方に向かって傾斜する大地を足の裏でしっかりと掴み、少し腰を落として上半身を安定させる。左斜め上方に打起したのち、左手を鹿のいる方に向けて伸ばし、右手は上腕前腕を折り込みながら引き分けていく。
こちらに側面を向ける恰好になって草を食んでいる鹿に狙いを定める。
前と後ろは的が小さくなる。特に後ろ向きでは、たとえ尻に的中しても力尽きるまで鹿は逃げていく。横向きであれば多少逸れても、腹の辺りに刺されば致命傷になる。的は大きいに越したことはない。
前脚の後ろに狙いを定める。
心臓を射抜くことができれば、鹿も無用に苦しまずに済む。
呼吸を整え、鼻から吸い込んだ息を止める。
周囲からすべての音が消えた。
鹿が首を擡げた刹那、矢を放った。
時が止まったかのような世界で、放った矢の軌跡だけがはっきりと見えた。
やがて止まっていた世界は、鹿の断末魔の鳴き声を合図に動き出した。
矢を受けた鹿の周りでは、他の三頭が、方々に一斉に駆け出して行く。
――仕留めた。
確かな手応えがあった。もはや何を気にすることもない。一直線に仕留めた鹿に向かって駆けて行く。視界の先では、もがきながらも、どうにか立ち上がろうとして脚を動かしている鹿の姿が見える。
(待っておれ、すぐ楽にしてやる)
鹿の元まで駆けつけてみると、矢は見事に狙ったところに的中していた。
止め刺しの前は鹿も覚悟を決めて静かになるが、既にこの鹿の命の灯火は消えようとしていた。
手を掛けていた小刀の柄から手を離し、こちらに矢を受けた腹を向けて横たわる鹿の傍らに身を屈め、心の臓に刺さった矢をさらに深く押し込んだ。
キューン、キューンと、か細い声で鳴いていたが、すぐにその声も無くなり、空に向けて突っ張っていた脚が、ゆっくりと落ちてくる。
跪いて事切れていのを確かめてから、矢を引き抜いた。
肉は好きだが、この瞬間を好きになることは無いだろう。
※※※
「よぉーし、これなら上出来じゃろう」
皮裁した鹿の毛皮を広げて、その出来栄えに自画自賛する。
闇雲に剥いでは売り物にならない。元が同じ毛皮でも、裁ち方ひとつで値が変わるのだから、神経を使う。奪った命だ、少しでも価値を高めたい。
「さっ、一休みじゃの」
川は流れていたが流量が少なく底が浅い。川流しで荷を運ぶには、来るときに取り付いた斜面のあった辺りまで担いで運ぶしかない。荷を軽くすることと、己の燃料補給のために、鹿を解体してから運ぶことにした。
河原の石で囲っただけの即席の竈。薪は辺りに散乱している乾いた流木。火口からのうつし木は、小刀で流木をささがいて造る。
手慣れたものだ。
火打ち袋から取り出した火口を地面に置き、火打ち石と火打ち金を叩き合わせて火花を散らす。火口に落ちた火花が燻っているのを確かめて、屈んで強く息を吹きかける。火口を両手で掬いあげて手のひらで包み込み、そこへ息を吹き込むと、火はいよいよ勢いを増してくる。手のひらの上で炎を立てた火口を竈にくべて、息を吹きながらうつし木を載せていくと、うつし木に燃え移った火が流木の薪に移り、瞬く間に燃え上がっていった。
熾火になるまでの間に、皮を剥いだ鹿を解体する。
腹を裂いて内臓を引き出し、空いた腹の中に、切断した四肢と首を入れる。これで麻袋にすっぽり収まる。
取り出した内臓から、いま食べる分だけを切り取って、竈の石の上に並べる。
まだあまり脂肪が付いていない腸を扱いて、詰まった内容物を押し出していく。これ以外に捨てるところは無い。
残さずすべて持って山を下りようとするのは、奪った命に対する敬意であって、強欲からではない。器があれば、血の一滴まで残さず持って帰りたい。
食欲をそそる香りが煙と共に漂ってくる。
鼻先を掠めるだけで、意識せずとも口の中に唾液が溢れ、鼻から香りを吸い込むと、それだけで幸福に満たされる。
火の傍を離れて腸抜きをしていたが、視界に無くとも、匂いで食べ頃が分かってしまう。
薄く切った心臓が、石の上で縮んで赤黒くなっている。
脂肪の多い腹回りの肉が、染み出した油で石を黒く光らせていた。
風上側に跪いて、小袋から取り出した味噌を指で掬って、石に載せる。
生姜か胡椒があれば尚よいが、味噌だけでも十分美味い。
「あっちっちっちっ」
一枚取って、味噌をつけて口に運ぶ。
指でつまんで熱いものを口に入れるのだから、熱くないわけがない。我ながら阿呆なことをしているとは思うが、口の中で少し転がせば、すぐに馴染むし、肉は熱い方が間違いなく美味い。
咀嚼して肉汁を絞り出す。口の中に広がった肉の旨味は、血管を通って身体中に広がっていく。そんな感じがする。
他にも美味い食べ物はあるが、他の美味い食べ物にこの感覚はない。
米、魚、葉物に芋、美味いと思うし、何でも食えば元気がでる。ただ肉は別格と思う。
食った瞬間から全身に力がみなぎっていくのを感じる。
獣の生命力をそのまま飲み込んだような、驚異的な力が宿る。
※※※
解体した鹿を背負い、虎臥は立ち上がった。
既に川筋まで出ているので、帰り道は大して苦ではない。
立ち上がったところで気が付いたが、割と近いところで、兎が草を食んでいた。肉を貪ることに夢中で、気が付かなかったようだ。
「わらわが鹿であったら、もはや命は無かったであろうの」
兎に向かって言ってみるが、当然、言葉を返すはずもない。耳をピクピクさせているだけで、逃げようともしない。
「そなたも少しは用心せい。鹿を背負っていなければ、そなたの命も無いぞ」
というと、兎は面倒くさそうにモサモサと動き出したので、逃げていくのかと思ったら、数歩も行かぬうちに止まって、また草を食みだした。
「こやつ、今わらわが手を出せぬと分かっておるな」
兎一匹、いや一羽増えたところで、運べないこともない。逃げぬのだから、小刀で一突きだ。弓を構えるまでもない。手早く仕留めて持って帰ろうかと、小刀の柄に手を掛けたところで、ふと何かが頭をよぎった。
なんじゃったか。何か不吉の前兆のような……。
こちらのことは、まるで立木の一本としか思っていない風に、目の前の兎は一心に草を食んでいる。
視線を上に向け、空を眺めてみる。
幾つか白い雲が流れているが、概ね青で占められている晴れ空だ。
――そうか。
草を食んでいる兎の傍らまで歩く。ここまで来ても逃げようとしない。
「今のうちにたっぷり喰っておくがよい。雨が続けば、暫くひもじい思いをすることになるじゃろうから」
食事に忙しい兎をあとにして、虎臥は歩き出した。
ふとよぎった予感がなんであったか、思い至った。
考えてみれば、間もなく長雨の季節だ。兎のように小さな獣が、これほど日の高いうちに日のあたる場所で草を食むことはない。獣たちが人の存在も気にせずに食事をしている時は、近いうちに雨が来る。
雨を嫌うのは人も獣も同じだ。人は雨で体を冷やせば体調を崩し、悪くすれば命を落とす。獣は雨が降ると鼻が利かなくなる。獣にとって鼻が利かないということは、目が見えないのと同じこと。危険を察知するのが遅れれば死に至る。山での暮らしは死と隣り合わせだ。
長雨の前に一頭仕留められてよかった。
雨の気配を微塵も感じさせない強い日差しを浴び、額に大粒の汗が湧く。長雨で暫く山に入れなくなることを思えば、これも一つの楽しみだろう。
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