虎は果報を臥せて待つ

森下旅行

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一.勃興

救いの矢 ― 後編 ―

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 下ってきた斜面の森が途切れると、とつぜん正面に海が現れた。次いで、その海に面して集落があるのが見えた。

(ここが多烏たからす浦か)
 
 正面に湾をおき、三方を山に囲まれている。
 その狭間はざまわずかな土地に、民家がひしめいていた。

(思いのほか戸数があるな)
 と、牛太は思った。

 見てのとおり、外界から隔絶された土地でありながら、集落としては存外多くの人が住んでいそうであった。
 山際やまぎわに向かって幾つかの田畠はあるが、ひしめく民家の戸数を見れば、到底皆が食っていくに足りる収穫が無いのは明らかだった。

(よほど海が豊かなのだろう)

 山際に住む我ら瓜生うりゅうの者が山の恵みに頼って生きるのと同様、浦人は海の恵みに頼って生きているのだろう。

「ここで待て」

 山中をここまで先導してくれた刀祢とねの娘にそう言われ、牛太と虎臥は、浦の中心にある館の前で暫く待つことになった。ほかと比べて目立って大きいということはなかったが、造りは強固で、おそらくここが刀祢の館なのだろう。刀祢の娘は館の奥へ消えてゆき、残った男たちは腕組みをして、入口を塞ぐように立った。
 世間話をするような空気でもなく、牛太はすこし距離をとって身をおき、あたりを眺めたりして時をやり過ごすことにした。虎臥は館の入り口を固める男たちと対峙するように、腕組みをし立っている。さきほど虎臥に捻りあげられていた男などは、視線をそらせたら負けだといわんばかりに虎臥を睨み返していた。

(問題をおこしてくれるなよ)

 牛太は場の空気の変化に意識を鋭くしながらも、虎臥と男どもを視界の端にとらえる程度にして、無関心を装った。
 ただ待つだけの時間はひどく長く感じられ、それだけで疲労を増幅させた。

 浜の方に一筋ひとすじの煙が立っているのが見えた。
 そういえば、これだけ民家があって人の気配がしないことに気が付いた。
 日は傾いてきているが、西側に海が開けているせいか、日没まではまだ時がありそうだった。

(皆まだ働きに出たまま戻らないのだろうか?)

 と、考えたところで、我らも帰ることができないのだと思いだした。

 今日はここにとどまるしかないことを考えると、刀祢に会ったら商いの話よりさきに、今晩の寝床をわねばならない。娘の振舞いを見るかぎり、父親もそれなりの者であろうから、あまり心配する必要はないかもしれないが、仮に話がこじれてしまったとすると、その後で申しでるのは気まずい。
 しばらく待っているとなかに入るよう促され、入口をふさいでいた男たちが、両側に分かれて通り道をあけた。
 虎臥が入口のはりに手をあて、くぐるようにして悠然ゆうぜんと通り抜ける姿を、男たちが口を開けて見上げているのが可笑おかしかった。

 なかへ入ると赤狩衣かりぎぬを纏った刀祢の娘の姿はなく、代わりに白い直垂ひたたれの男が座っていた。
 目、鼻、口、耳。顔を構成する一つひとつが大きく、その異形の相は鬼を連想させた。白い直垂は薄暗い屋内でそこだけ光を放っているように見え、名乗らずとも刀祢の威風を感じることができた。

 刀祢とねとは、中世、地域の代表者として公事くじのまとめ役をなす者の総称だが、近畿およびその周辺地域では、主に沿岸地域でその職名が使われた。浦における公事とはつまり賦課ふか(租税)の徴収のことであり、読み書きや計算といった職能を有していることはもちろんだが、領主と浦人のあいだに立ち、その調整役を担えるだけのを持ち合わせた者でなければならない。

「お目通り感謝します。瓜生荘の百姓で、次郎太夫良見と申します。これは高倉名名主、信濃房光見の娘で、虎臥と申します」

 と、牛太はふたりの素性を述べて頭をさげた。

「多烏浦刀祢、新大夫友重だ。話は聞いている。商いをしたいと?」

 刀祢は、早速用件を訊いてきた。

「はい。ただその前にひとつ、お頼みしたいことがあるのですが――」

 牛太は刀祢に、本日の寝床の用意を願った。

「それならば既に用意させている」

(既に用意させている?)

「と、申しますと?」

 ここへ来るまでのあいだに誰かに伝えたわけではない。虎臥とも話していないので、会話を聞いた者があるわけでもない。なぜわかったのだろうか。

「間もなく日没だ。そなたらが今日中に瓜生へ戻るのは不可能だ。この辺に泊まる当てがあるとも思えん。ならば刀祢のワシに今晩の寝床を乞うだろう。さきに娘を仕度に向かわせた。空き家ではないが、いま家を空けている者のところ使うがいい」

 と、刀祢は牛太の問いに簡潔に答え、

「頼みとやらがそれだけならば、話を戻そう」

 と、言った。

(どうやらわずらわしいのを好まない人のようだ)

 女の姿が見えないと思ったらそういうわけか。娘からなにをどこまで聞いたのかは分からないが、大した情報もないなかで、よくそこまで考えが及んだものだと、牛太は感心した。
 小さないさかいは其処彼処そこかしこで起こっている。双方の言い分を聞いて、即断即決で事を解決していくだけの機転が利く者でなければ、刀祢職は務まらないのだろう。
 いかつい風貌ふうぼうからは、力で浦を束ねているようにしか見えないが、知恵で治める聡明な刀祢の姿をうかがい知ることができた。

「多烏浦刀祢の聡明さに感服致しました。ご厚意に感謝します。それでは話を戻しましょう。我らは塩の仕入れをしたいと考えここへ来ました。さきほど外で待っておりましたが、浜の方に一筋の煙が立っているのが見えました。あれは塩釜の煙でしょうか?」

何故なにゆえここに塩を求める? 西津から来たそうだが、それならば西津で求めればよい。瓜生であればその方がなにかと便利であろうが」

 世辞せじには愛想無く、問いにも答えてくれない。多少の世間話を交えても良さそうなものだが、話の本筋以外には興味が無いのだろう。
 とはいえ、知恵が回るだけでなく知識も豊富なようだ。
 瓜生は若狭の出入り口。西津とは川で繋がっていること。京へ抜ける道すがらであること。地勢と荷の流れにも明るいらしい。

「たしかに。我らも西津で塩を買い、その足でここへ来ました」

「何故だ? 不足したか?」

「まさか。底をつくほど買い占めるだけの銭がありません。さきを見越して他の仕入れ先の算段をしたいと考えたためです」

「さきを見越して、とは?」

 表情は変わらないが、刀祢の目が光る瞬間を牛太は見逃さなかった。
 挨拶もそこそこに商いの話を切りだしてきたのだ。この男の性分を考えれば、いま興味を持つ話題は商いしかない。塩の値の謎を追って彷徨ううちに、たまたま漂着したのが多烏の浦であった。商いをするつもりはあるが、具体的な話はなにも持ち合わせていない。しかしそれでは、この男は絶対に満足しないだろう。幸い、話の端緒たんしょは掴むことができた。

「世間はどこも賑わっています。人が増えているからでしょうが、塩の需要も増えてきているようです。瓜生は地勢的には西津が近いですが、世の流れを踏まえ、他の口も確かめておいた方がよいと考えこちらにお邪魔した次第です」

 あまり回りくどい物言いはせず、単刀直入に切り込めば、案外あんがい上手く話を運べるのではないか。牛太はそこに一縷いちるの望みを見出した。

「知っていると思うが、多烏は西津荘の片荘だ。塩は船で本荘の塩座に運ぶ。わざわざここまで来る必要はない」

 刀祢の言うとおりだ。ここで作られた塩を運ぶのに、さきほど歩いてきた道なき山中を越えるのは無意味だ。京へ運ぶのであれば、船で西津へ運ぶ以外に方法はない。

「存じております。ですがすべてではないでしょう。塩座へ向かわない塩について話ができればと」

「儲け次第だ。浦を護っていくうえで大切な収入源のひとつだ。利が多いとみれば話しに乗る。その逆なら無しだ」

(単純明快。ならば落としどころだけだ)

「我らは京で商いをしますが、多烏ここはどこで商うでしょう?」

「近場なら越前だが、船を着けられるならどこでもよい」

「京へは行きませんか?」

「京へ運ぶのはそなたらの仕事であって、我らの仕事ではない」

「それは京へ運ぶ役目をさせて頂いてもよいといことでしょうか?」

「構わん。が、それも儲け次第だ」

 一貫している。だが、取り付く島がないというわけではない。
 銭で折り合いがつくか否かだ。

「それでは、そうですねぇ……。一石いっこくあたり四七〇文では如何いかがでしょう?」

 鎌倉時代と聞けばたいそう昔ではあるが、米や塩といった広く流通していた商品については、その時代の文書から価値を知ることができる。この時代の一文が現代の45円相当とすでに書いたが、これは米一石が銭一貫文(1000文)という記録から算出している。ちなみに一石は180リットル、重量にして150kgである。
 塩一石は500文と記録されているものもあれば、米以上の価値を以て記されているものもある。これは製塩が可能な地域とそうでない地域との差であろうと思う。
 貨幣がひろく流通し、物流網が発達したこの時代、商品産地で安く仕入れ、産地でないところへ持って行けば高値で売れる。この理屈は現代と変わらない。

「話にならん」

 牛太の提案は即座に一蹴いっしゅうされてしまった。

「では五〇〇文では如何でしょうか?」

 と、牛太が譲歩すると、

「駆け引きはいらん。そなたらにも損得の分水嶺ぶんすいれいがあるだろう。それを言ってくれればいい。それがいまの我らの利益より大きいか小さいか。それだけでこの話は決着する」

 と、刀祢は言った。
 つまり相手には判断するための明確な値があるということで、そこに譲歩の余地は一切無いということだろう。
 若狭で塩を仕入れて京へ運べば、単純に倍になると見積もってよい。値が上がっている今でなくとも、五〇〇文前後であれば利益はある。だが当然、買値と売値の差額がそのまま利益ではない。関料も勘案かんあんしなければならないし、量が増えれば頭数も必要になる。
 牛太とて損得のおおよその線引きはもっている。この一筋縄ではいかない男を相手に、値探りしていても仕方がないと心を決めた。

「分かりました。では六〇〇文でお願いします」

「それが限界か?」

「はい」
 
 感情の読み取れない鬼の面は、すべてを見透みすかされている気持ちにさせるが、こっちとしてもこれ以上の譲歩が難しいのは嘘ではなかった。

「ならば折り合わない」

 その答えは牛太が期待したものではなかったが、予想通りのものではあった。それ故だろうか、牛太は落胆もあまりしなかった。

「山を越えて来たそうだな。今日はゆっくり休むがよい。商いは塩ばかりではない。また出直して参れ」

 取り付く島もなく話をまとめられてしまい、頭を下げて館を後にするより他なかった。実際かなり疲労はたまっていたし、このまま勝ち目の無い戦いを続ける気力も失せていた。「出直せ」という言葉を引き出せただけでも良しとすべきだろう。と、牛太は自分を納得させた。
 外で待っていた刀祢の娘の後について歩いていると、隣を歩く虎臥が海を見て立ち止まった。

「綺麗じゃの」

 目の高さに見える大きな太陽が波を照らし、キラキラと黄金色に輝いていた。
 間もなく日が沈むというのに、浜にはまだ人の姿があって、一面橙色だいだいいろに染まった浜に、長い影を引いている。

「よいところだな」

 立ち止まって同じように眺めていたら、しぜんとそんな言葉が出た。

「下りてみますか?」

 と、浜の方を見て立ち止まるふたりに気付いた刀祢の娘が言った。
 もはや急ぐ理由も無いので、見させてもらうことにした。
 男が長柄ながえのさきに大きなくしを付けたような道具で、砂浜に線を引いていく。その隣では、砂を集めて桶に汲んでいた。

 現在、能登半島の突端、石川県珠洲市に、伝承技術保存のため、揚浜あげはま式製塩を体験できる揚浜式塩田がある。鎌倉時代に若狭湾の諸浦で行われていた採鹹さいかん(海水を濃縮して、濃い塩水をつくる工程)も、その自然条件から推定して、自然揚浜法によったと考えられる。
 製塩は以下の工程で行われる。

 1.海水を汲んで砂浜に撒く
 2.乾きやすくするため砂を掻く
 3.さきの1,2を繰り返して砂に付着した塩分が濃くなった砂を採取
 4.採取した砂を海水で洗い、塩分濃度の濃い海水をつくる
 5.釜で煮て水分を蒸発させ、結晶化した塩をつくる
 6.結晶化した塩をすくい、天日干しする

 工程2で砂を掻くのに用いられたのが、棒のさきに大きな櫛を付けたような道具で、砂浜に海水を撒いたあと、この道具で砂浜にみぞを引くことで、砂が空気と触れる面が大きくなり、砂が乾くのを助ける。
 濃い塩水をつくってそれを煮詰めることで塩をとるというとてもシンプルな発想だが、その労力は大変なもので、天候にも左右される。それでも、海と砂浜があれば作ることができ、逆にその二つが無ければ作ることはできない。それ故に、若狭の浦々は、古くから塩の一大生産地となっていた。

「製塩を見たことはあるのだろう?」

 と、刀祢の娘が問う。

「ええ、西津の浜でも目にしますから」

 と、牛太が答えると、

「ならば珍しくもないだろう」

 と、刀祢の娘は言った。牛太も自分がなにに心惹かれているのかひとことに言い表す言葉がみつからず、曖昧な言葉しか浮かんでこなかった。

「――心地よい」

 そこへ割って入った虎臥のひとことは、的を射たものだった。
 塩田の作業は西津でも変わらない。海があって浜があって、沈む夕日も変わらない。心穏やかにさせるのは、喧騒けんそうが無いからかもしれないと牛太は思った。

「そうですね。心地よい。西津とは雰囲気が違うからでしょう」

 湾の北側に突き出した岬の辺りに舟の姿がみえる。さすがにもうすぐ日が沈む。浦への戻りなのだろう。刀祢の娘とともにいるからか、向かってくる舟の上では、こちらに向かって大きく手を振っている。
 牛太はそれが自分に向けられたものでないと分かりつつも、心地よい海風と波の音によって洗われた清らかな心が、しぜんと手を振り返していた。

「様子がおかしいの」

「疲れのせいかもな。手を振り返したい気分なんだ」

「ウシのことではない。舟の方じゃ。ほれ、何か叫んでおる」

 虎臥の言葉は、自分の行動を指摘したものかと思ったが、そういうことではなさそうだ。向かってくる舟は、たしかに何か叫んでいるようにも見えるし、手を振る姿にも鬼気ききせまるものを感じないでもない。

「二そうおるの。競い合っているようじゃ」

 虎臥は横から差す夕日を手でさえぎり、舟のくる方をみつめている。
 段々と近づいてくる舟をみると、そのように見えないこともない。とにかく二艘とも力いっぱいいでいるのは間違いない。

「助けを求めておるっ!」

 声を聞き取ったのか。そう言うが早いか、虎臥は波打ち際に向かって駆け出した。
 その後をすぐに刀祢の娘が追い掛ける。
 遅れて牛太も走り出すが、歩き慣れない砂浜に足を取られ、思っている通りに足が回らない。夕暮れの浜で製塩作業をしていた者たちも様子がおかしいことに気がついたのか、作業を止めて、砂浜を走る三人の姿に目を向けていた。

「多烏の者だ。後から追ってくるのは汲部つるべの者に違いない」

 と、刀祢の娘が言った。

「何故追われておるのじゃ?」

「分からぬ。汲部の狼藉そうぜきは今に始まったことではない。それよりも何とかせねば」

 波打ち際に立った刀祢の娘は、両手の拳を強く握りしめて舟の方をにらみつけている。何とかしようにも何もできない苛立ちをひしひしと感じるが、わめき散らすような真似をしない辺りに、この女の強さがみえる。
 前を行く舟は、こちらに向かって手を振ったり叫んだりしていたせいだろうか、徐々に後ろから迫る舟に追い付かれ、遂には横に並ぶ形となった。
 横に並ぶと、追いついた舟の男は漕いでいたかいを引き上げ、そのままそれを空に向かって大きく振り上げた。あれで殴られては一溜まりもない。

 そこへ弓を手にした虎臥が海に向かって駆けて行った。
 足元を波があらうなか、矢をつがえて大きく空に向かって弦を引くと、躊躇ためらうことなく矢を放った。
 放たれた矢は、赤と青が混ざり合った空に大きく弧を描き、寸分すんぶんの狂い無く舟の浮かぶ方へ向かって飛んでいく。夕日を受けてキラキラと輝きながら飛んでいく様子は神々こうごうしく、神が宿っているかのようだった。
 間もなく神に導かれた矢は、振り上げた櫂の先端、ヘラの芯を捉えて昇華しょうかした。
 聞こえるはずも無い、矢が櫂を射止めた瞬間の甲高い音が頭の中で鳴った。
 櫂を振り上げていた男は、衝撃で後ろにひっくり返っていた。
 舟を逃がすにはそれで十分だった。
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