マッドな薬師に求婚されまして

国樹田 樹

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毛生え薬と引き換えに、結婚を迫られました。

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「―――薬が欲しければ、俺と結婚してくれないか」

「は?」

 言われた瞬間、脳が理解するのを拒否した。
 それは夕日に照らされ赤く輝く、硝子の薬瓶を受け取る最中(さなか)のことで。

 「はいどうぞ」と言われ「どうも」と薬瓶を受け取ろうとしたら……なぜか、ひょいっと上に持ち上げられて。
 何しやがるこんたわけ、と思って睨み上げたらまたまたなぜか、こうして求婚された、というのが『今』である。

 いや、ふっつーに考えてわけわからんわよね。
 私もわかりませんよ。
 むしろわかりたくないって。

「だから、この『毛生え薬 超剛毛活林(ちょうごうもうかつりん)』が欲しいなら、俺と結婚しろと言っている」

「っはああああっ!?」

 怪訝な顔を浮かべる私に、黒いフードに黒い衣装の黒ずくめ男は尚もそう言い募った。
 フードを深く被っているせいか、男の表情は見えないが、薬と同じくらい赤く光る目が二つ、じいっと私を見下ろしている。男の背は高く、見上げている私は首が痛いほどだ。
 彼はまるで人の目を避けるように、上から下までを闇色で覆っていた。

 男の名はスクラ。
 ルア・ナウル国の外れにある森深く、一人暮らしている高名なる薬師である。

 『スクラの薬は必ず効く』と評判で、何でも隣国からはるばる薬を買い求めにやってくる者も多いのだとか。
 確かに私が来た時も数人先客がいたし、噂は本当なんだろう。
 ただ、私が彼の小屋……もとい家に入った瞬間、先客達は皆追い出されていたけれど。
 やはり人里離れた場所に住む薬師というのは一風変わっているんだろう。
 そう思ったのは、どうも間違いでは無かったらしい。

「ちょ、ちょっと待って。私はお父様の毛生え薬を買いに来ただけなのよ? なのにどうして、貴方と結婚しなきゃならないの?」

「俺がそうしたいからだ」

「はあ?」

 人が落ち着いて説明を求めたのに、黒ずくめの薬師は私を見下ろしたままそう言った。

「本気で? 冗談とかじゃなく?」

 まさか、と思いながらもう一度確認をとってみる。
 なんだかとても嫌な予感がした。
 すると、予感通りこくりと無言で頷かれ―――そのおかげで、私の堪忍袋の緒が物理的にぶちん、と切れた。

「ちょっとあんたねえええ! 一体何言ってんのよっ!? ここじゃ薬買う客に一々求婚するわけ!? 結婚したいなら相談所にでも行きなさいよ馬鹿じゃないの!!」

 ぐあっと上がった感情のままにフード男を思いきり怒鳴りつけた。

 元々私の沸点は低い方だけど、それでも流石にこれは無い。
 年頃の娘なら誰でも怒る。たぶん。

 しかも今の状態が「ほーれ取れるもんなら取ってみろ」な体勢なのだ。
 フード男の背は高く、対して私の身長は小さい。それで上にひょいっと持ち上げられてるんだから、腹を立てるなという方が無理である。

 私がここまで来るのにどれだけ苦労したと思ってんだコイツは……!

 そもそも私がここに来たのは、近頃頭部寂しいお父様の毛生え薬を買うためだ。
 本来なら誰かに頼むところを、誰にも知られたくないからというお父様のたっての希望で、こうして私がはるばるやってきたのである。

 皇都にある自宅から、ゆうに半日よ?
 いくら馬車移動つっても貴族でもないのに、そんな高いやつに乗れるわけないし、となると長時間乗ってりゃお尻も腰も痛くなるしで……結局三度も乗り換えて、やっとの思いで辿り着いたのに……っ。
 なのに、人の苦労さしおいて結婚しろだあ?
 戯言いうにも大概にしなさいよねこの引きこもり薬師(おとこ)がっ!!!

「ああ……お前は怒った顔もいいな。うん。やはりお前がいい。この薬はやる。だから俺と結婚しろ。さあしろすぐしろ今しろ」

 青筋びっきびきな私に向かって、フード男は平然と、淡々と声音を変えずにまた言った。
 というか追い込みにかかっているあたり大分質が悪い。
 しかしそうは問屋が卸さん。
 たかが毛生え薬に、人生決められちゃたまったんじゃないっつーの。
 てかそれ以前に!

「阿呆かっ! 絶対お断りだそんなもんーーーっ!!」

「何故っ!?」

「当たり前でしょうが!! こん馬鹿たれえええっ!!!」

 ルア・ナウル国の外れにある森深く。
 高名なる薬師スクラの小屋に、私の絶叫が木霊した。

***

 ほわほわ。
 ほわほわほわ。

 ほわほわほわほわ。

 白い湯気が、芳しい香りと共にカップの水面から立ち上る。
 私はそれを鼻腔で楽しんでから、透き通った琥珀色に口をつけた。

 あ~……美味しい。
 いい茶葉だわ。これ。

 ソーサーにカップを置いたら、カチリ、と陶器の澄んだ音が響く。
 それに合わせて小さなテーブルの向かい側、ちょうど正面に座っている黒い塊に目を向けた。

「……で、結婚しないって言ったらどうなるの」

「もちろん薬はやれない」

「あっそ。ならいいわ。別に私はお父様がハゲてても気にしないし」

 そう言ったら、なぜかスクラの瞳が輝き始めた。
 うん、ほんと何でだ。
 黒いフードの中にある赤いルビーの目はきらきらと、まるで星でも取り込んだように煌めいている。

「そうか……お前は人の美醜も気にしないんだな……ますます欲しくなった」

「あんたは一体どういう思考回路してんのよっ!?」

 私のツッコミも空しく、スクラは稀少な鉱物でも見るみたいに私を凝視していた。
 なんだか穴が空きそうだ。

 いや、初対面からおかしな奴だとは思ったけど。
 まさかここまでとは……。

 今から数刻前、スクラの意味分からん求婚(薬と引き換えにってやつね)を断固拒否した私は、「ならばこの際惚れ薬を使ってでも……」と血迷った事を口走ったマッド薬師を正当防衛でしばき倒し、今になってやっとこうして平和的に会話できるまでにしたのである。

 まあ、どつき倒して話聞かせてるってのが正しいっちゃ正しいけど。

 人の話を聞かない男は、一度叩き潰すべしってのがお母様の教えだし。
 商家の娘である母は、ルア・ナウル国商工会の総元締めも務めているため中々に豪傑な人物なのだ。
 おかげで処世術から痴漢撃退術までさまざまな人生の戦術生き方を私に教えてくれた。
 で、それが今日こうして役に立ったというわけなのだけど―――

「てゆうか、どうして私と結婚したいの? 貴方私の事知ってるとか? でも私は貴方とは今日が初対面だし……」

「会った事なら、ある」

「へ?」

 私の前でフードをいじりながらもじもじしていたスクラに問えば、予想外の返答が返ってきてぽかんとした。

 すると彼は、目深く被っていた黒いフードを、おもむろに両手でぱさりと後ろに落とす。
 黒いフードを持った時に見えた彼の指先は、白く長く、けれど男性らしく骨張っていた。

 ちょ、指見ただけでなんでドキッとかしてんの私……って、え、ちょ……待っ!?

「え、えええええっ!?」

 心の声が口から飛び出た。
 その位、目の前の光景は衝撃的で。

「あ、貴方その顔……!」

「覚えてるのかっ?」

 彼の顔を指差しながら固まる私に、スクラが表情を輝かせる。
 それがまた、彼の『とんでもなく整った顔』を美しく見せていて―――私の呼吸が、止まった気がした。

 な、なにこの美形……っ!? どっから湧いて出たっ?
 薬師って理想の人造人間とかも作れるのっ?

 あ!
 もしかしてこれマンドラゴラ!? 
 超絶美形なマンドラゴラだったりするっ!?

 身に纏う黒よりも深い濡れ羽色の長い髪、熟練の彫刻師が彫ったような彫り深いかんばせに高い鼻梁。
 神々の采配による黄金律のパーツ配置は、まるで原初に創られたという神の子かと思う程。
 紅玉に似た瞳は、古の獣が抱く龍紅玉にすら見えて―――誰もが魅了されるであろう世界の美が、彼一人に集結されていた。

「ぜんっっっぜん覚えて!! ない!!」

「そ、そうか……」

 こんな美形、一目見たら忘れている筈が無いわ! と断言したら、なぜかスクラにがくりと膝をつかれた。
 いや、まさか椅子から落ちるほどとは。
 そこまでショック受けなくても。
 だって覚えてないものは仕方ないし。
 にしても、なんでこんな美形が商家の娘なんぞと結婚したがるんだろう……?

 スクラの顔を見ても疑問は深まるばかりで、私はもう一口茶を飲んでから首を傾げた。
 (飲むか考えるかどっちかにしろって意見は聞かない)

「お前が覚えていないのも無理はない……あの頃のエナはまだ六歳だった」

 椅子に座り直しながら、肩を落としたスクラが言う。

 どうやら説明してくれるらしい……って、六歳?
 しかも私の名前知ってるし。名乗ってないのに。
 普通に恐いんですけど。
 にしても、じゃあ面識はあったって事よね。
 ……いやそれにしても六歳って。

「私が六歳の頃って……貴方こんな美形の癖に、もしかしてマッドな上にロリコンなのっ!?」

「違うっ!!」

 言ったら、スクラががたん! と勢いつけて椅子から立ち上がり、またまたがくりと床に膝をついてしまった。

 ったくもう、一々リアクションが大きいわねこの男。 
 でも今のは私のせいじゃないような……いや私のせいか。

「お、俺がまだルア・ナウルの都で宮廷薬師をしていた頃の話だ……っ。お前は品を収める母親に連れられて、俺に会ったことがあるんだ。俺は薬の材料をお前のところの商会に依頼していたから……」

「あーそういうことね。成る程成る程」

「その時……お前の母親に世間話で「結婚はしないのか」と言われて……当時の俺は二十歳だったが、こんな性格だから人付き合いも無く、相手がいないと言ったんだ。そしたらお前が、十年後に求婚してくれたら、結婚してくれると言ったから……」

「へ? 私そんな事言ったの?」

「言った」

「それ本気にしたの?」

「わ、悪いか……」

 スクラは、長い髪をさらさらと頬に流し、俯きがちにもごもご呟く。
 顔が良くなければ普通に挙動不審な兄ちゃんなのだが、いかんせん美形なせいで物思いで憂う美青年にしか見えない。

 あ、でも二十歳の頃に私と出会って十年……ってことはこの人これでも三十路なのね。
 めちゃめちゃ若いわね。
 羨ましさ通り越して恨めしいくらいよ。
 ……若返りグッズとかの広告塔にしたら良いかもしんない。

 などと、話とは関係無く商人の娘である血が騒ぐ。

「おい、エナ。話を聞いてるか」

「え? あ、ああ聞いてる聞いてるっ! でも、六歳の頃の私がそう言ったからって、律儀に守ることなんて無かったのに。薬師スクラって言えば他国でも名が知れてるくらいなんだから、結婚相手なんて掃いて捨てるほどいるでしょう?」

「それは……」

「しかもわざわざ毛生え薬と引き換えって……普通に怒るわよ。自分の結婚を毛生え薬と同列にされちゃ」

 まあ、お父様の悩みについては気の毒だと思うが、それと娘の結婚とは別問題である。
 こちとら毛生え薬を人質に結婚を迫られたのだ。
 にしても……十年も待って、商品と引き換えにまで結婚したいって、何か理由があるのかしら。

「ねえスクラ」

「な、何だ」

「何か理由があるの? 貴方が私と結婚したい理由」

「……っ」

 向かいに座るスクラの方に身を乗り出して、綺麗な赤い瞳をじっと見つめて問いかける。
 するとなぜか綺麗な顔が顎の下の方からぐんぐん赤くなっていき、やがて耳までもが茹でたみたいに真っ赤になった。

 あー……あらまぁ。

「と」

「と?」

「時々……都に戻って、き、君の様子を、見に行ってたんだ……っ! 十年経つ前に、他のやつに攫われたら、たまったもんじゃないから……っ」

「はい?」

「き、君の母君も父君も、その事は知ってる! 十年後求婚する事も、許可してくれていたんだ! だから今日こうして、君を俺の元に……っ!」

「な・ん・で・す・ってえええええっ!?」

 再び、私の絶叫が狭い室内に木霊した。

 ちょっと待ってちょっと待って。
 そういえば、家を立つ前にお母様から「道中気をつけてねエナ。あと……必ずものにするのよ」とかなんとか言われた気が。
 あの「ものにするのよ」って、薬じゃなくてもしかして高名な薬師の男をものにしろって意味だったのっ!?

 驚愕の事実に、しかし全てが綺麗に繋がるのだと気がついた。

 だって、そう考えるとつじつまが合うのよ……っ!
 商家の一人娘である私を単独で彼の元に向かわせた理由とか、お父様の別れ際の涙(てっきり薄くなる頭皮に対してのものだと思ってた)とか……っ!
 なんか最近、お父様がぐずぐずぐずぐず、鬱陶しいにも程があるくらいメソメソしてると思ったら!!

「そ、そういう事か……っ!」

「エナ?」

 全てを理解した瞬間、今度は私が、椅子から床に膝をつくことになったのだった。

***

「―――とりあえず、色々置いといて。こんな急に求婚されても困るだけだし、でも約束は約束だから、その……お友達からって事でどう?」

「い、いいのか!?」

「いや、私が聞いてるんだけど」

「嬉しい。エナ、俺は嬉しいぞ……っ!」

「はいそこ抱きつこうとしない。いくら美形でも痴漢。それに私は美醜は気にしないタイプなの。まあ、貴方の手は結構好きだけどね」

「手……? 薬の調合ばかりで、荒れているが……? そんな事初めて言われたぞ」

「あらそう。ふふふ。ね、貴方こんなとこに引き籠ってないで、都に戻ってきなさいな。そしたら私も貴方に会いやすいし。どう? 嫌かしら?」

「エナがそう言うなら……」

「なら、決まりね」

 私はにっこり笑って、黒く長い髪を持った薬師の手を取った。
 すると彼は驚いた顔をしていたけれど、一瞬で綺麗な顔をより美しい喜色に染める。

 ……まあちょっと。

 変な始まりではあったけど。

 きっかけは「毛生え薬」だったりするんだけど。

「ああエナ。早く君に俺の作った惚れ薬を飲ませたい……」

「そのマッド発言はやめて」

「はい、すいません」

 私、エナは。
 マッドな薬師に求婚されたので。
 家に彼を連れて帰ろうと思います―――



~後日談~

「他意なく聞くんだけど、ちなみに貴方の思う結婚生活ってどんなの?」

「そう、だな……まず、君の髪も身体も洗う洗料は作りたいし、君が身に纏う服を染める染料も俺が作ったもので染めて欲しい。あと君がつける香水も勿論俺が調香した俺の香りにしてほしいし、君が口にする食事や茶には全て俺を毎日好きでいてもらえるように惚れ薬を……」

「ってちょっと待て! それじゃ私が薬漬けになるでしょうが!!」

「大丈夫。人体に害は無いから。子も生める」

「そういう問題じゃないっ!」

 思ったより、大分、いやかなりマッドサイエンティストな薬師(おとこ)を捕まえてしまったかもしれないと気付いた時には、きっともう後の祭り―――

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