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彼との契約 ~三日目 既視感~

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『……嬉しいんだ。君の反応が』

―――そう言った彼の表情が、目に焼きついて離れない。

頭を振ろうにも隣の存在に気付かれるのが判っているから、出来なかった。

開いた視界一杯に広がる頭上の光景を、じっと見据えて静かに溜息をつく。
暗闇の中でもうっすらと判る細やかな柄の入った天井も、三日も経てば見慣れてしまう。

それに複雑な思いを抱いてしまうのは、その慣れが、決して良いとは言えないからだ。

人は環境に順応するものである。
それが例えどんなにイレギュラーなケースであっても。

無表情がトレードマークだった筈なのに、ここ最近見せられた彼の表情は、どれも私が知らない、知らなかった筈の顔。仕事人としての仮面が剥がれ落ちた姿に、強引に意識が惹きつけられた。

……どうして、以前とはあんなに違って見えるのか。

どうして、彼を見て、心が揺らいでしまうのか。
元々容姿の整った人ではあるけれど、それだけではなく。

硬質だとばかり思っていた表情が綻ぶ瞬間が、まるでスローモーションの様に目に焼きついている。

これまでと同じな筈なのに、どうして今夜は隣の存在が気になってしまうのか。緊張なのか焦りなのかよくわからない感情は、私の鼓動を落ち着かせてはくれなくて。

耳を澄ませば聞こえてくる呼吸音。
やけに鼓膜に響いてくるのは、どうしてだろう。

……これでは眠れない。

冴えた目を瞑っては見るものの、睡魔など欠片も訪れてはくれなくて。

……私、今迄どうやってこの人の隣で眠っていたのかしら。

なんてそんな事まで思ってしまう。

この七年、どうしていたのだろう。
私、この人の前でどんな風にしていたのかしら。

隣で眠るのは、嫌ではない。
元々苦手ではあったけれど、嫌っていたわけではなかった。
仕事人としては尊敬すらしている。経営者としての彼の顔を、まさに間近で見てきたからだ。

苦手と感じていたのも、彼があまり感情を表に出さず無表情で無機質に思えていたからだった。

なのに。

三嶋尚吾という人は、無表情でも無機質でも無かった。
寧ろ、驚くほどの激しさや熱さを備えた人だった。
肌をもって思い知らされ、私の中でのこの人への認識が、既に変化していることに気付いた。

そんな時に、今日の昼間の『アレ』である。

……意識しちゃってるの、バレバレじゃない。
……可愛いって何、可愛いって。

瞳を細めて告げられた言葉を思い出し、なんだか暴れ出したいような気分になった。

これまで、仕事中に流れていた私と彼の間の空気は言うならばグレー、少しの緊張感を含んだ、まるでビルの外壁みたいな灰色だった。

なのに、今日のあれはなんだろう。

……まるで桃色じゃない。

自分で自分に突っ込みを入れる様なキャラではないのだが、そうでもしなければこのむず痒さを持て余してしまいそうだった。

そもそも可愛いって……仕事中に言う言葉じゃないでしょ。

仕事とプライベートの区別はついてる人だった筈なのになんなのあれ。
まあ拉致監禁状態が既にもう混同しまくってる気がしないでもないけども。

女性への賛辞の言葉など、彼の口から聞いた事なんて無かったのに。

まさか、聞くと同時にそれが自分に向けられるとは……。

二度目の溜息を、先ほどと同じくこっそり吐き出したところで、隣の気配が身じろぐのを感じた。

慌てて息を殺し寝たふりを決め込んだけれど、なぜか私と彼の間に開けていた少しの距離を、一瞬にして詰められてしまう。
二人並んでも十分余裕のあるダブルベッドは、端と端に寄ればそれほど相手と密着しなくて済む。だからこそなるべく離れて横になっていたというのに。

……どうして寄ってくるのよ。

近付いてしまった距離に、ただの寝相だろうかと考えつつも内心焦る。

昼間はなんとか仕事をこなし、いつも通り彼より先に仕事から上がってベッドに入った。

私より遅れて休みに来た彼を、寝たふりをしてやり過ごしたと思っていたのに。

「……眠れないのか」

かかった声に、自分の目論見が泡と消えていた事を知る。
彼のはっきりした声音からして、どうやら眠っていたわけでは無いようだった。

お互い、寝たふりをしていたって事ね。

彼が眠っているのだとばかり思っていた私は、なんだか騙された様な気分になって返事をする気になれなかった。

早まった鼓動とは別に冷静な頭が「眠れないのは誰のせいだ」と毒づく。

攫う様に連れて来て。強制的に契約をして。閉じ込めて。人の心を掻き乱して。
戸惑っている自分に苛立ちを感じた。

「大丈夫か?」

返事を返さない私を怪訝に思ったのか、衣擦れの音を響かせながら三嶋社長が半身を起こしこちらを覗きこんでくる。

突然現れたドアップに、私は苛立ちなど忘れ、彼の顔を凝視してしまった。

見開いた私の瞳に映る黒い影は、呼吸を感じるほど、近くに居て私を覗き込んでいる。暗闇で表情はよく見えないのに、心配そうな瞳の光だけはやけに目立って見えていた。

寝たふりをされていた事など、頭から消えていた。
私を伺う彼の瞳に、なぜか、既視感を覚えていて。

―――これ、前に、どこかで。

「……大丈夫です」

近い距離に波立つ心を抑えながら、辛うじて返事を返すと、安堵したような空気が漂う。

「そうか」

短くそれだけ告げて、再び彼が横になる。近くなった距離を、離すつもりは無いらしい。

腕に彼の体温を感じる。自分からまた離れるかどうか悩んでいると、ベッドの中で片手をきゅっと掴まれた。

……どうして。

そう思った筈なのに。柔く緩く掴んでくる彼の手を、振り解こうとは思えない。

ほらね。
やっぱり今日は眠れない。

半ば諦めの気持ちで内心溜息をつき、先ほどの心配そうな彼の瞳を思い出す。

眠った振りなんて。
そんな回りくどい事をする人では無い筈なのに。

……いつまでも眠らない私を、気にしてくれていた?
ずっと起きて、様子を見ていたの?

彼が見せた表情が、それを肯定しているかに思えた。

無機質で、無表情で、無感動。
そう社内でも揶揄される彼の笑顔や熱の篭った瞳の色を、知ったのはつい最近。
だけど、あの心配そうな瞳だけは、かつて一度だけ、見た事があったと思い出す。

―――それは、七年前。

私と彼が、初めて出会った頃の事。
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