藍に堕ちて 〜哀しき妻は、裏切りの果てに愛される〜

國樹田 樹

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思いがけず

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「蒅お願い! この後先輩の案内してあげて!」

「は?」

 藍染め体験を終え、染めたハンカチを作業場の外に干していた時、裕が突然両手をぱん、と張り合わせて、蒅に叫んだ。

 当の蒅は眉を顰め不満を露わにしている。
 時刻はまだ昼を迎える前だ。

 本来ならばこの後は裕のおすすめの徳島観光スポット巡りを予定していた。が、どうやら状況に変化があったらしい。

 瞳を瞬かせる藍華に、裕は向き直ってぐっと深く頭を下げると、そのまま事情を説明し始めた。

「本っ当にすみません藍華先輩……! 何かお母さんがあたしが帰ってることを近所に言いふらしたみたいで、友達から今から会おうって連絡来ちゃって……」

「友達って誰だよ」

「ええっとぉ……」

 藍華が返事をするより早く、隣に立っていた蒅が裕の説明に疑問を投げた。
 すると裕は視線を右に左に彷徨わせながら、バツが悪そうに言い淀む。

「……加奈、だよ」

「加奈ってあいつか」

 その名を裕が口にした瞬間、蒅の視線が厳しく細まったことに藍華は気付いた。どうやら、彼はあまり好いていない人間らしい。蒅は両腕を身体の前で組むと、苛立たしげに息を吐く。

「断れよそんなの」

「で、でも……」

 困惑しきりの裕にかまわず、蒅はにべもなく言い捨てる。

 その二人のやりとりに、藍華はさてどうしたものか、と苦笑した。裕の都合については別に全く気にしていないのでかまわないのだが、心優しい後輩の顔には罪悪感がありありと見て取れる。

 藍華としてはこのまま一人で徳島を散策するのも良いと思っている。そもそも、一人で行動するのも割と好きな方なのだ。

 だが、裕はさておき蒅はどうもその『加奈』という人物に彼女が会いにいくこと自体が気に入らないらしい。

「藍華を連れてきたのはお前だろ。放り出す気かよ」

「そ、それはっ」

「私は別にかまわないわ。ゆっくり見て回ってるから、気兼ねなく行ってきて。蔵色さんも予定があるでしょうし、私は一人で大丈夫」

 言い合いになってしまいそうな雰囲気に、助け舟を出すつもりで藍華はそう提案した。
 横顔に蒅の視線を感じたが、あえて無視をする。

 すると裕はふるふると唇を震わせて、それから再び深く頭を下げた。

「なるべく早く戻るので! その間だけ、コイツに案内させますから!」

「おい」

「お願い~~~~っ! ちょっとでいいから!」

 平身低頭で縋るように言う裕を見る蒅の口元はへの字に引き結ばれておりあからさまに不機嫌だ。こめかみに「怒」のマークが浮いてすら見える。
 彼はよほどその「加奈」という人物が嫌いらしい。

「裕お前、まだあいつらの……ったく、わかった。藍華、悪いが俺の案内でも良いか?」

 はらはらしながら見守っていると、蒅が折れたのか長いため息を吐いた。
 まさかそうくるとは思わず、、藍華はつい戸惑ってしまう。
 てっきり断られるだろうと思っていたのだ。

「え、でもご予定があるんじゃ、」

「あんたなら別にいい」

 仕事があるだろうし無理はしなくて良い、と伝えたくてそう訊ねたのだが、答えになっていない返事が返ってくる。

 言い方が少し引っかかったが、それよりも藍華はどう言えば良いものかと困惑した。

 蒅に案内してもらうとなれば、彼と二人きりになってしまう。

(それはちょっとまずいわよね……)

 自分は一応既婚者だし、相手にその気が無くとも男性と二人で行動するのは体裁的にどうなのだろうとも考えてしまう。

 それに何より、蒅には妙な引力を感じている。
 今の藍華がこれ以上近づくのは得策ではない気がした。

「あの、私は」

「先輩っ! 本当にすみません! 後でちゃんと埋め合わせしますから!」

 やはり申し訳ないしこちらから断ろう、と思い口を開いたところで裕の何度目かの謝罪で遮られてしまう。彼女は藍華に顔を突き出し、祈るように両手を合わせて瞳を潤ませていた。

 可愛い後輩の悲壮感溢れる表情を前に、う、と言葉に詰まる。

 ここで裕の気遣いを無碍にするのは先輩として、かつ友人として酷いのではなかろうか。そう思った藍華の口がつい本音とは違う言葉を吐き出す。

「い、いいのよ。私のことは良いから裕ちゃんはお友達とゆっくりしてきてね」

「ありがとうございます!」

 蒅の了承を断りそこねた藍華はそうフォローするだけで精一杯だ。

「お友達、ねえ……」

 藍華の言葉尻をとらえた蒅が含みのある言い方をする。
 それに内心首を傾げるが、裕は気まずそうに目を逸すだけ。

 少々違和感を感じるやりとりに藍華は首を傾げるが、二人の微妙な空気に口を挟むのはやめておいた。

 目下それ以上に気になることもある。

(適当に彼に案内してもらった後は、一人でぶらぶらしていれば……良いか)

 そう思いながらちらりと蒅に目をやれば、いつから見ていたのか藍華に視線を向けていた彼と目が合う。まるでそれが表情を観察されているようで、どうにも居たたまれず藍華は慌てて目を裕に戻した。

 わざわざ案内を頼み込んでくれた裕の前で蒅を拒否するのも悪い。
 なので藍華は一旦その場は流すことにした。

 そんなこんなあって、こうして思いがけず藍華は蒅と二人で過ごすことになったのである。

 ―――今日この日が生涯で最も大切な日になろうなど、この時の藍華には知る由もなかった。
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