この婚約破棄は運命です

朝比奈

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一度目の人生

失くしたもの(2)

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   名前も。歳も。よく思い出せないけれど。

────私はクリスティーナじゃない。

   何故だかそう思った。
   確かに今の私はクリスティーナ・フォリスだ。
   だけど⋯⋯。
   多分。今の私を形ずくっているこの人格はクリスティーナではなく。だから、私はクリスティーナとは言えない。

   でもその事がわかったからと言って、何かが変わるわけでもなく⋯⋯。

   私は私のまま、特に何もすること無くぼんやりとした日々を過ごした。


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


   目が覚めてから三週間くらいだろうか。

   私の元に1人の訪問者が来たという。
   一応名前を聞いたがやっぱり分からない。
   これまで記憶喪失のこともあり屋敷から出ずに生活していたが、もし友人なら断るのも申し訳ないと思った。


「クリスティーナ様、御機嫌よう」

「御機嫌よう⋯⋯アリシア様⋯⋯」

   少しぎこちない動きになってしまっただろうか⋯⋯。私は何とか見よう見まねでカーテシーをして、先程メイドのサーシャから聞いた名前を口にした。

   最初は家名の方と名前。どっちを呼ぶべきかを悩んだが、向こうが名前を呼んで致し、もしかしたら友達なのかもしれないと思い結局、名前で呼ぶことにした。

   アリシアはニッコリと微笑んだまま扇を取り出し口元を隠した。

「⋯⋯思ったより元気そうで安心致しましたわ。わたくし、クリスティーナ様の事を心配してましたのよ」

「まあ。ありがとうございます。でも、心配して頂かなくても大丈夫ですよ!   このとおり最近は体調が良いですから」

   私はやっぱりアリシア様は私の友達で心配して来てくれたんだろうと思い、嬉しくなってにこりと笑った。

   しかしそれと反対にアリシア様はスっと笑みを消した。

「⋯⋯馬鹿に、しているんですの?」

「えっ⋯⋯」

   冷たく鋭い声が私の耳に届いた。
   なぜ彼女がそんなことを言ったのか分からなくて私は首を傾げた。

「ッ、!  貴女のその態度ですわッ!  クリスティーナ様にとって、フィンセント様はその程度の存在だったのですかッ!」

   気がつけばアリシア様の扇を握っている手が怒りに震えていた。私はようやくここでアイリス様が私に対して怒っていることを知った。

   でも、何故⋯⋯?

   これもまた、

   でも一つだけ強く耳に残る言葉があった。

──────フィンセント ?

   分からない。
   分からないけれど、その言葉を聞いた瞬間酷く胸がざわついた。

「なにか⋯⋯仰ったらどうなの?  クリスティーナ・フォリス男爵令嬢。  それとも本当にフィンセント様は貴方にとってどうでもいい存在だったのかしら⋯⋯?」

「フィン⋯⋯フィンセント⋯⋯」

「あら。  まさか、婚約者の名前もお忘れになったの?   それとも、それもわざとなのかしら?」

「こん、やくしゃ⋯⋯?」

   何を。何を言っているの⋯⋯この方は。
   私に婚約者なんて⋯⋯

   フィン⋯⋯セント⋯⋯。婚約者⋯⋯

   ズキズキと頭が痛み出す。
   もう少しで思い出せそうなのに思い出せない。
   思い出したくない。
   思い出したら壊れてしまう。

   繰り返すの⋯⋯?

   どこからがそんな声が聞こえた気がした。

   そして私はそのまま意識を手放した。


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


   夢を。見ていた。

   貴方と⋯⋯フィンと二人で幸せに暮らす夢を。あなたと過ごした大切な日々を。私は夢の中で⋯⋯思い、出していた。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


   気がつけば走っていた。

   目を覚ました瞬間。
   無くしていた記憶が戻り、クリスティーナはいても立っても居られなくなり部屋を飛び出し、雨の中屋敷をでた。

(フィンセントッ!!お父様ッ!お母様ッ!)

   もういない、愛おしい人達の事を追い求めて、行き場のない感情をどこかに吐き出したくて。

   私は必死に足を動かした。


────どうして。

   土砂降りの雨の中ドレスが汚れることも気にせずクリスティーナは地面に座り込み小さく口を動かした。

   その瞳からはハラハラと涙が溢れ、ただ呆然と同じ言葉を繰り返していた。

 
  クリスティーナは両親の死と愛しい婚約者の死を現実に叩きつけられ“絶望”していた。

「なんで⋯⋯なんでッ!  どう、して⋯⋯いや。いやよ⋯⋯」

────私を一人にしないで。

   その言葉は嘆きは誰にも届くことなく雨音の中に消えていく。

   ドロドロとした何かに思考を飲み込まれ、クリスティーナの絶望は深く広くなっていった。

   どれくらいそうしていただろうか。
   冷たい雨はクリスティーナから体温を奪い、大切なものの死は少女の心に重く突き刺さり、生きることを苦しくさせた。

   そしてクリスティーナは願った。

────死にたい、と。

   あの人に、フィンセントに会いたい。
   ⋯⋯死んだら、フィンに会えるのかしら?

   この時、クリスティーナはまともな思考を失っていた。自分が自分でないような。心を体を誰かに取られたような、そんな感覚。

   そして少女は選んだ。
   ここで、人生を終わらすことに。
   愛しいもの達に会いに行くことを。

   死に向かう少女を止めてくれる者は一人もいなかった。

   死の間際、少女は笑った。

「今から貴方に会いに行くわ⋯⋯フィン⋯」

  そう言って、崖から身を投げ出した。



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