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3.誰のために鳴くのか

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 うらやましい。

 夏澄はシャンパングラスの中に弾ける泡を見つめていた。
 シャンパンが飲みたいというわけではない。弾ければ跡形もなく存在を消せる泡がうらやましいだけだ。
 周りには煌びやかな女が着飾った姿で座っていた。夏澄の隣、ロックグラスに氷を入れる女の甘ったるい匂いが気分を害する。
 銀座の街の高級クラブの個室席。
 夏澄と遠藤と、監督とテレビ局のお偉いさん。そして、蓮介。
 撮影終わり、「親睦会」に連れ出されていた。
 お寿司を食べた後に連れてこられたクラブ。一体誰のための親睦会なのかわからぬほど、一番楽しんでいるのはお偉いさんで
それに監督と遠藤が続く。
 元はと言えば夏澄の頬にわずかに残る痛みを有耶無耶にすることと、局の経費を使った蓮介の接待が目的のはずだが、当の蓮介は夏澄の心情を投影しているかのようにまっすぐに不機嫌な顔をしている。
 子どもかよ。
 心情を表に出さず、にこにこと場を盛り上げながら夏澄は蓮介を見下していた。
 酒に飲まれたお偉いさんは、隣に座る女の脚を撫でながら、同時にもう一方の隣に座る夏澄の太腿も撫でていた。
 夏澄にとってはよくあることだった。
 両手に花でよかったですね。
 と、心の中で言ってやる。
 このお偉いさんにも身体を許したことはある。何回かは忘れたけれど、そんなに多くはなかったはずだ。
 不機嫌な顔のまま、ハイペースで酒だけを流し込んでいる蓮介。
 そんなに嫌なら帰ればいいのに。
 夏澄には蓮介がなんでこの場に止まっているのか理解ができなかった。

 「少し酔っちゃったみたい」

 そういって、お偉いさんの手に手を重ねる。
 実際は夏澄はほとんどお酒を飲んでいない。唇を濡らす程度にグラスに口をつける動作を繰り返してるだけだった。
 それでも、夏澄の目は酔ったように潤み、頬は心なしか赤く見える。
 これくらい演じるのなんか、簡単だった。

 「ちょっと、お手洗い行ってきますね」

 席を立つ。
 このセリフはお偉いさんに言っているようで、お偉いさんに言っているわけではなかった。
 店の廊下を進み、奥まったところにある個室のトイレ扉の前に立つ。
 少し、待てば聞こえてくる足音。
 ほら、来た。
 いいタイミングで振り向いて見せる。
 「遠藤さん、ぼく、酔っちゃったみたい」
 目の前にあるのは顎髭を生やしたプロデューサーの顔。
 獣の顔の遠藤は、嫉妬をにじませた表情で、夏澄の小さな顔を両手のひらで包む。

 お偉いさんにずーっと触らせてて、嫌な気持ちだったんでしょ?

 酔った遠藤は個室トイレに入る手間さえ惜しんで、人気のない廊下で夏澄に口付けた。
 我慢のない舌がすぐに夏澄の口に侵入してくる。
 「...っん」
 夏澄は遠藤とのキスに対して何の感情もわかなかった。遠藤に限ったことではない。誰とのキスでも何の感情もわかないものだ。
 それでも、声はあげる。
 夏澄にとってこれは台本に書いてあるセリフと同じだった。
 息継ぎの合間、くちゃりと音を鳴らしながら、鼻に抜ける高い声を出す。
 「っん...ん...ダメっ...」
 全て、夏澄の計算通りだった。

 夏澄が今、閉じていた瞳を開くまでは...

 夏澄のまるい瞳に、目を見開く蓮介の顔が映った。

 あ、

 一瞬、夏澄は演じるのを忘れた。

 だが、その一瞬に気付いたのは夏澄自身だけだっただろう。

 またすぐに酔った顔をし、遠藤のキスに溺れる男を演じる。

 遠藤の頭越しに見える蓮介の顔を見つめながら、
 甘い声で鳴く。
 
 
 
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