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第二章 紗栄子・高1 

13 交際宣言

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「みんなに言うことがあるんだけど。」
 練習開始前。
 女子更衣室に、水泳部の女子部員がたまたま全員がそろっている時だった。
「私と1年生の藤堂拓海ね。付き合うことになったの。恋人同士として。彼の方が年下だし、私は女の子としての素行が良くはない方だから、学校のあちこちで悪いうわさが立つのは目に見えてる。そんなのはいいんだけどね。彼氏だからって、ひいきすることは全くないから。よろしく。」
 ぺらぺらと流暢に言い放ち、礼子はみんなの顔を見た。みんな揃ってぽかんとしている。それでも、3年生の敦子と和美はすぐに正気を取り戻した。
「2コ下か。やるねえ。」
「さすが礼子ね。お手柔らかにしてあげてね。」
「もちろん。私にとって優先順位が高いのは、拓海といちゃいちゃすることじゃなくて、拓海をインターハイに行かせることだから。」
 あっさりと3年生が出ていくと、2年生と1年生は顔を見合わせた。
「あー…、びっくりした。」
「礼子先輩なら全然ある話だけど、それにしてもすごいよね。」
「ていうか、拓海の方にびっくり。1年生の中では一番礼子先輩に反抗的だった気がするけど。」
 そういえば、このところ拓海はぼんやりとしていて様子が変だった、と紗栄子は思う。体調不良かと思っていたが、恋煩いだったのか。
 恋煩い。
 自分の頭の中に浮かんだ言葉がおかしくて、紗栄子は笑いそうになるのを必死にこらえた。女ったらしですという顔をして、拓海ときたらずいぶん純情じゃないか。
 プールサイドに出て準備をしていると、だんだんと男子部員も集まってきた。
「こんにちはー。」
「こんにちはー。」
 礼子に以前指導されたとおり、拓海が礼儀正しくお辞儀をして入ってきた。隣には蓮もいる。拓海は礼子の姿を目にとめると、自然に近寄った。
「礼子先輩、ストレッチの件なんですけど…。」
 まさかここでいきなり‘礼子’などとは呼ばないだろうが、紗栄子は思わず耳を澄ませてしまった。
 礼子もいつもと変わらず、落ち着いた様子で拓海の話を聞いている。
 当然のごとく、練習はいつも通り行われた。



「紗栄子―、なんか疲れてる?」
「うん、なんかボーっとする。」
「やだ、風邪でも引いたんじゃない。」
「だったら困るな。ゆっくり着替えるから、久美子も茉莉も先に帰って。」
「そう?」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。気を遣わせてごめんね。」
 紗栄子は少しの間、着替えもせずに椅子に座っていた。やがてゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと着替え始める。
 紺のブレザー、グレーのスカート、赤のネクタイ。
 ―――いっそジャージで帰っても良かったかな、礼子先輩みたいにデートするわけでもないんだし。
 そんな風に思ってしまってから、ずいぶん自分が卑屈な気持ちになっていると紗栄子は気づいた。
 卑屈な気持ちになる必要が、原因が、どこにあるというのだろう。
 ようやく着替え終えて外に出ると、予想外の姿がそこにあった。
「着替え、おせえな。」
 蓮だ。
「…別に蓮と約束してるわけじゃないし。」
「まあな。…ちょっと話したくて。」
「え?…彼女は?」
「こっちが話したいっつってんだから、お前が気をまわすことないよ。…なんか疲れてる?」
「うん、なんかね。ちょっと座りたい。」
「じゃあ、プールサイド行こうぜ。」
「ええ~、また鍵開けるの?」
「俺が女子更衣室に入るわけにいかねえし。」
 紗栄子はだるそうに簡易温水プールのドアの鍵を開けた。古びた椅子の上に座る。
「もう、聞いた?拓海と礼子先輩のこと。」
「聞いたどころじゃないよ。礼子先輩、更衣室で交際宣言してた。だからって贔屓はしないからね、って。」
「宣言?わけわかんねえ。」
「別に言いふらしたい感じとかじゃないよ。礼子先輩は、その…本人の言葉をそのまま借りると、‘女の子としての素行が良くない’んでしょ?噂になったりいろいろ面倒が起きるのは目に見えてるから先に報告するって。とことん合理的な感じ。」
「すげえな。さすがに拓海は宣言までしないけど、1年の男子にはしゃべったよ。やりづらくなったらごめん、って。」
 練習後にプールに入れたばかりの消毒剤の香りがきつい。紗栄子はふううとため息を吐いた。
「勝手だけどさ。俺、拓海にイライラしてんだ。入部したての頃、先頭切って礼子先輩に反発してたくせに、何を急に付き合うことになってんだよ、って。」
 ふっ、と紗栄子が笑う。
「そんなこと言ってもしょうがないじゃん。あの時はあの時、今は今でしょ。」
「だけどさ。礼子先輩に散々厳しくされてる紗栄子つかまえてぶうぶう文句言ってたくせにさ。俺的には、拓海は男子部員よりもむしろ紗栄子に報告すべきだと思うけど。」
「なにそれ。私が拓海のことを好きだとか言うならともかく…。」
 拓海の顔が浮かぶ。拓海は誰もが認めるイケメンで、楽しいことが大好きだし、男の子としては十分に魅力的ではある。
「でも、ショックじゃないか?」
「ショック?」
「今まで俺は、拓海や紗栄子を‘同志’だと思ってた。ただ礼子先輩のことを聞き流して従ってるふりしてるのとは違う。ちゃんと聞いて、納得いかないことあってもとりあえず飲みこんで、自分なりにいろいろ考えたり。だろ?」
「それは…うん。」
「拓海もそうやって考えてると思ってたのが、あっさり覆されたというか。今のあいつにとって、大事なのは礼子先輩になっちゃったんだろ。水泳に関する自分の弱みや悩みを、これからは俺たちじゃなくて礼子先輩に相談するんだろ。今までこっちを付き合わせておいて、なんなんだよって感じだよ。」
 蓮が滑舌よく言い放つのを最後まで聞いて、紗栄子は再び小さく笑った。
「なんで笑うんだよ。」
「だって。ショック受けてるの、私よりも蓮の方じゃない。」
 紗栄子にそう言われて、蓮は明らかにむっとした。
「うるせえな。」
 と、蓮がケータイを取り出した。画面を見て、顔をしかめる。
「彼女?」
「うん。」
「なに、喧嘩?」
「や、そんなことねえよ。」
「それにしては不機嫌な顔だね。」
「うるせえんだもん。メッセージもっとよこせとか電話しろとか。こっちは部活してるっつうのに。」
「だって、蓮のことが好きなんでしょ。当たり前の要求でしょ。可愛いじゃない。」
「あー…。」
 蓮は頭をガリガリと掻いた。
「やっぱだめだな、下心だけで付き合うのは。」
 この瞬間。
 礼子の宣言を聞いた時より、紗栄子はよっぽど嫌な気持ちになった。
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