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第二章 紗栄子・高1
12 カワイイ男の子
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礼子は男からの視線に敏感だ。
視線が自分に向く頻度が増えること、その視線に何とも言えない感情が添付されていること。
高校3年生という社会的立場の割には、自分は多めに男からの意味ありげな視線を感じてきていると思う。
礼子は自分の外見に対して恐ろしく率直で客観的だ。男の視線が向くだけの美貌は持っているとしっかり自覚している。だからといって過信してもいない。若い男の心は移ろいやすく、体の関係に容易に流されやすいことも知っている。
―――藤堂拓海。
水泳部の2学年下の後輩。はじめは他のどの1年生よりも礼子に対して反抗的だった。それが、最初の大会で思った以上の結果が出て、態度は明らかに軟化した。
そこまでは計画通りだ。なのに、ここ最近、理由は全くわからないのだが、急に礼子を湿度の増した視線で見つめるようになった。そこには誘うような計算高さはなく、純粋に‘気を取られている’様子がうかがえる。
(なかなかカワイイ顔してるのよね。でも、同じ部活の後輩で、なにより金の卵だしな。‘味見’だけの関係っていうのはちょっとね。彼の調子が乱れたら困るし。)
なにしろ、彼に対しては‘インターハイに出場させる’という目標を持っている。自分に恋していることで、調子が崩れるのは困る。
でも。
ただ見逃すにはいい男すぎる。
「どうしようかしらねえ…。」
ほかの男からの誘いをケータイのメッセージでやんわりと断りながら、礼子は思案をめぐらせていた。
※
「拓海、ちょっと話があるの。」
練習が終わり、男子更衣室に引き上げようとしていた拓海は、目を見開いて礼子の方を振り向いた。
「なんですか。」
「ああ、いいの、制服に着替えてきて。帰りながら話しましょう。」
「…はい。」
拓海は、‘制服に着替えてきて’と言われたことが引っ掛かった。体の様子を見たいのなら、ジャージに着替えた方がいいわけだから。
なんだかいつもより指がもつれて、ようやくもたもたと着替えて女子更衣室のほうに行くと、制服姿の礼子が出てきた。アップにしていた髪はほどかれ、唇は薄い色つきのリップを塗ったばかりらしく、つやつやと潤っている。
「急にごめんなさい。行きましょう。」
「はい。」
「話をしたいから、駅前通りじゃなくて、ちょっと遠回りしていきましょう。」
「はい。」
礼子と並んで一緒に帰るなんて初めてだ。拓海は、緊張していくのを抑えられないでいる。何を話したらいいのかわからない。そんな拓海の心配をよそに、礼子はしっとりとした声で話し出す。
「拓海、頑張ってるね。この調子なら県大会でもベスト更新できるね。」
「それは、礼子先輩のおかげです。たくさん指導してもらってますから。」
「拓海がちゃんと理解してそれを生かしてるからね。」
「そんなことないっすよ…。」
せっかく礼子が話しかけてくれているのに、緊張で言葉が続かない。このままじゃ心臓の音が聞こえてしまいそうだ。拓海は焦りに焦っていた。
「拓海はさ…。」
急に礼子が足を止めた。
「彼女がいるの?」
「いや、いないっすよ。」
「そう…。」
つぶやいたかと思うと、礼子は急に拓海の手を握った。
「どうしていつも私のことを見てるの?」
礼子の濡れた瞳に射抜かれた拓海は、焦りに焦っている。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、何を言えばいいんだよ。)
「いつも切ない顔してる。自分で気づいてる?」
「い、いや…ぜんぜん…。」
拓海は大会で自己ベストを出したときよりも息がきれていた。
「…手が大きいね。」
拓海の右手が、礼子の頬に寄せられた。
この通りは見事に人通りが少なく、木があちこちに植えられていて、人目に付きにくい場所だ。礼子の見事な案内に気付く余裕など、拓海にはない。
「向坂先輩に悪いです!!」
あらぬことを口走った拓海に対し、礼子は一瞬ぽかんとしたあと、優雅に笑い出した。
「なんで向坂君の名前が出てくるの?」
「だって先輩、小体育館のところでキスしてたじゃないですか。」
拓海は笑われて、腹が立った。思わず口調がきつくなる。
一方で、礼子はいろいろと合点がいって安心した。
「ああ、あれは…うんと、なんていうの?検証っていうか、ね。」
「検証?」
「そうねー、うん。ニーズに応じたというか、うん。彼がどんな風にキスするのか試
してみたの。向坂君を彼女から奪いたいと思うほどにはならなかったということね。」
素直に言うのはどうかと思ったが、キスした事実を見られている以上、下手にごまかすと逆効果だと踏んだ礼子は、あえて素直に自分の‘方針’をしゃべってみた。
「だから、ね?拓海は誰にも遠慮しなくていいのよ。」
それって、彼氏はいないっていうことですか、と拓海は律儀にたずねようとしたものの、声が出なかった。
「ねえ、拓海。」
濡れた瞳が拓海を覗き込む。
「私、拓海のことが好きよ。」
拓海は心臓が止まるかと思った。
礼子の方はというと、言いつつ、なんだか本当にその気になってきていた。
そうだ。拓海は努力家で、顔はカワイイし頭はいいし、なにより礼子に夢中になっている。
「拓海は?」
「お、俺も…です。」
「良かった。」
そういうと礼子は思い切り背伸びをして拓海にキスをした。さっと触れるだけのキス。拓海は、もう何度も繰り返し思い出している、礼子と向坂のイヤラシイキスを思い出す。
「こんなんじゃ…」
「ん?」
「こんなんじゃ、足んない。先輩は俺のことが好きなんだろ。味見みたいなキスじゃ、足んねえよ。」
拓海の中で、緊張よりも悔しさが勝った。欲のほうが勝った。礼子は一瞬驚いて、
すぐに嬉しそうな顔をした。
(なかなか言うじゃない、この子。)
「そんなこといっていいの?拓海は女の子のこと、どこまで知ってるのかな?」
「知らねえよ。知らねえけどガキ扱いすんなよ。頭来る。」
「ごめん。からかいすぎたね。許してくれる?」
「…うん。」
視線が自分に向く頻度が増えること、その視線に何とも言えない感情が添付されていること。
高校3年生という社会的立場の割には、自分は多めに男からの意味ありげな視線を感じてきていると思う。
礼子は自分の外見に対して恐ろしく率直で客観的だ。男の視線が向くだけの美貌は持っているとしっかり自覚している。だからといって過信してもいない。若い男の心は移ろいやすく、体の関係に容易に流されやすいことも知っている。
―――藤堂拓海。
水泳部の2学年下の後輩。はじめは他のどの1年生よりも礼子に対して反抗的だった。それが、最初の大会で思った以上の結果が出て、態度は明らかに軟化した。
そこまでは計画通りだ。なのに、ここ最近、理由は全くわからないのだが、急に礼子を湿度の増した視線で見つめるようになった。そこには誘うような計算高さはなく、純粋に‘気を取られている’様子がうかがえる。
(なかなかカワイイ顔してるのよね。でも、同じ部活の後輩で、なにより金の卵だしな。‘味見’だけの関係っていうのはちょっとね。彼の調子が乱れたら困るし。)
なにしろ、彼に対しては‘インターハイに出場させる’という目標を持っている。自分に恋していることで、調子が崩れるのは困る。
でも。
ただ見逃すにはいい男すぎる。
「どうしようかしらねえ…。」
ほかの男からの誘いをケータイのメッセージでやんわりと断りながら、礼子は思案をめぐらせていた。
※
「拓海、ちょっと話があるの。」
練習が終わり、男子更衣室に引き上げようとしていた拓海は、目を見開いて礼子の方を振り向いた。
「なんですか。」
「ああ、いいの、制服に着替えてきて。帰りながら話しましょう。」
「…はい。」
拓海は、‘制服に着替えてきて’と言われたことが引っ掛かった。体の様子を見たいのなら、ジャージに着替えた方がいいわけだから。
なんだかいつもより指がもつれて、ようやくもたもたと着替えて女子更衣室のほうに行くと、制服姿の礼子が出てきた。アップにしていた髪はほどかれ、唇は薄い色つきのリップを塗ったばかりらしく、つやつやと潤っている。
「急にごめんなさい。行きましょう。」
「はい。」
「話をしたいから、駅前通りじゃなくて、ちょっと遠回りしていきましょう。」
「はい。」
礼子と並んで一緒に帰るなんて初めてだ。拓海は、緊張していくのを抑えられないでいる。何を話したらいいのかわからない。そんな拓海の心配をよそに、礼子はしっとりとした声で話し出す。
「拓海、頑張ってるね。この調子なら県大会でもベスト更新できるね。」
「それは、礼子先輩のおかげです。たくさん指導してもらってますから。」
「拓海がちゃんと理解してそれを生かしてるからね。」
「そんなことないっすよ…。」
せっかく礼子が話しかけてくれているのに、緊張で言葉が続かない。このままじゃ心臓の音が聞こえてしまいそうだ。拓海は焦りに焦っていた。
「拓海はさ…。」
急に礼子が足を止めた。
「彼女がいるの?」
「いや、いないっすよ。」
「そう…。」
つぶやいたかと思うと、礼子は急に拓海の手を握った。
「どうしていつも私のことを見てるの?」
礼子の濡れた瞳に射抜かれた拓海は、焦りに焦っている。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、何を言えばいいんだよ。)
「いつも切ない顔してる。自分で気づいてる?」
「い、いや…ぜんぜん…。」
拓海は大会で自己ベストを出したときよりも息がきれていた。
「…手が大きいね。」
拓海の右手が、礼子の頬に寄せられた。
この通りは見事に人通りが少なく、木があちこちに植えられていて、人目に付きにくい場所だ。礼子の見事な案内に気付く余裕など、拓海にはない。
「向坂先輩に悪いです!!」
あらぬことを口走った拓海に対し、礼子は一瞬ぽかんとしたあと、優雅に笑い出した。
「なんで向坂君の名前が出てくるの?」
「だって先輩、小体育館のところでキスしてたじゃないですか。」
拓海は笑われて、腹が立った。思わず口調がきつくなる。
一方で、礼子はいろいろと合点がいって安心した。
「ああ、あれは…うんと、なんていうの?検証っていうか、ね。」
「検証?」
「そうねー、うん。ニーズに応じたというか、うん。彼がどんな風にキスするのか試
してみたの。向坂君を彼女から奪いたいと思うほどにはならなかったということね。」
素直に言うのはどうかと思ったが、キスした事実を見られている以上、下手にごまかすと逆効果だと踏んだ礼子は、あえて素直に自分の‘方針’をしゃべってみた。
「だから、ね?拓海は誰にも遠慮しなくていいのよ。」
それって、彼氏はいないっていうことですか、と拓海は律儀にたずねようとしたものの、声が出なかった。
「ねえ、拓海。」
濡れた瞳が拓海を覗き込む。
「私、拓海のことが好きよ。」
拓海は心臓が止まるかと思った。
礼子の方はというと、言いつつ、なんだか本当にその気になってきていた。
そうだ。拓海は努力家で、顔はカワイイし頭はいいし、なにより礼子に夢中になっている。
「拓海は?」
「お、俺も…です。」
「良かった。」
そういうと礼子は思い切り背伸びをして拓海にキスをした。さっと触れるだけのキス。拓海は、もう何度も繰り返し思い出している、礼子と向坂のイヤラシイキスを思い出す。
「こんなんじゃ…」
「ん?」
「こんなんじゃ、足んない。先輩は俺のことが好きなんだろ。味見みたいなキスじゃ、足んねえよ。」
拓海の中で、緊張よりも悔しさが勝った。欲のほうが勝った。礼子は一瞬驚いて、
すぐに嬉しそうな顔をした。
(なかなか言うじゃない、この子。)
「そんなこといっていいの?拓海は女の子のこと、どこまで知ってるのかな?」
「知らねえよ。知らねえけどガキ扱いすんなよ。頭来る。」
「ごめん。からかいすぎたね。許してくれる?」
「…うん。」
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