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第二章 紗栄子・高1 

06 積極的な大志

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「おはよう。」
 朝の教室に思いもかけない顔が現れたので、紗栄子は素直に驚いた。
「お…はよう。」
 まだ仲の良さを深めていないクラスメート達の一部が、何気なく好奇の目を向けてくる。
「どうしたの?蓮。」
「あ?うん。昨日どうだったかと思ってさ。礼子先輩からの居残り指導。」
「ああ、うん。もちろん厳しかったよ。でもその分とってもありがたかった。」
「そうか…良かったな。」
「うん。…心配してくれたの?」
「…うん。」
「そうか。ありがとう。」
「や、別に。…また放課後な。」
「うん。」
 ただそれだけ聞くために、蓮はわざわざ教室に来てくれたらしい。
 紗栄子はなんとなく蓮の後ろ姿を見送って、くるりと向きをかえると、誰かにぶつかった。
「ぶっ。」
「あぁ、わりぃ、わりぃ。」
「ううん大丈夫…って、工藤くんか。」
 大志がわざと近すぎる距離に立っていたことなど知らず、紗栄子はぶつけた鼻を撫でている。
「今の、水泳部の奴だよな。」
「うん。青山蓮くん、だよ。」
「なんかフォロー入れに来たみたいだけど、仲いいんだな。まだ入学したばっかりなのに。」
「そう?あれかな、水泳部ってちょっと特殊かも。中学時代から、違う学校同士でも同じ温水プールで練習したり、小さい頃からスイミングで一緒だった子もいたりするし。」
「ふぅん…。」
 大志の表情が不機嫌そうなのが、紗栄子にはとても不思議だった。彼女は、昨夜の大志の呟きを知らない。だから、大志が蓮に嫉妬めいた感情を抱いたことなど、知る由もない。
 やがて始業の時間になったので、みんな自分の席についた。
 昨日の部活と居残り指導はきつかったが、ちゃんと宿題なども済ませ、紗栄子はしっかりと教師の顔を見て授業を受ける。
「じゃあこの問題は…工藤。」
「ええ!?…はい。」
 大志は渋々席を立って、黒板に書かれた問題を眺めた。どうも、あまり真剣に聞いていなかったらしい。
 しかし、眺めていたのはごく短い時間で、白いチョークを手にとると、さらさらと解答を書き出した。
「よし、正解。解説の必要もないくらいだな。」
「ありがとうございます。つうか先生、つまんなそうですね。」
「あ?だってお前全然授業に集中してなかっただろ。考える間もなく答えさせたっつうのに、パーフェクトに答えやがって。」
「すいやせん。」
 大志がおどけて見せるので、数学教師は心底つまらなそうにため息をついた。
 頭がいいんだろうな、と紗栄子は感心した。紗栄子とて同じく市内随一の進学校に受かったわけだが、真剣に聞いていない様子だったわりに淀みなく書き進めることができるというのは、数学のセンスの段階で違いがあるのだろうと思う。
「あんまり生意気な口きくなよ。お前がどこ見てたかバラすぞ。」
「あ、はは。まあ…困りませんけど。」
「困んねえのかよ。」
 その瞬間、数学教師の視線が紗栄子の方を向いた。気のせいかもしれないと思うくらい、一瞬。
「じゃあ次の問題は…。」



 プールの方は静かだ。
 当たり前だ。予定通りの練習が終わり、だからこそ蓮は今制服を身につけている。
 今プールでは、紗栄子が礼子からの居残り指導を受けていることだろう。
「あ、なあなあ!」
 少し離れたところで声がしたので、蓮は何気なく振り返った。隣にいる拓海もまた。
 声の主らしき男は、こちらに駆け寄ってきている。特徴的な、いかにも野球部といった練習着を着た男。
 蓮にとっては、顔だけ知っている男だ。今朝紗栄子の教室に行ったあと、蓮を見送り終えた紗栄子に絡んでいた男。
「急に声かけてゴメン。水泳部の部員だよね。今朝、川原のところに来てたろ。」
「ああ…。」
 蓮の顔を見て、拓海がうっすらと笑った。そんな話は完全に初耳だ。
「俺、川原と同じクラスの工藤。ちょっと聞きたいことがあって。」
「なに。」
「あいつ、彼氏とかいる?」
 ほんの一瞬、蓮の頬が強張った。…のを、拓海は見逃さなかった。
「多分、いないんじゃない。まあ、そういう話もしないくらい、紗栄子は部活と勉強に夢中って感じだけど。」
 蓮の声がかたいのは、大志が紗栄子を‘あいつ’と言ったからだ。本人は気づいていないけれど。
「お前、紗栄子のこといいなと思ってんだ?」
 蓮の代わりに拓海がずけずけと質問する。
「あー、うん。真面目だし、なんていうか品があって可愛らしいじゃん?」
「品がある、はわかるな。なあ?蓮。」
「さあ。」
 あっさりと否定する蓮のかたくなさが拓海には愉快だ。
「教えてくれてありがとう。じゃあな。」
 駆けていく大志が遠くなるのを待って、拓海が口を開いた。
「今朝、紗栄子んとこ行ったんだ?」
「あ?ああ、まあ。居残り指導でますますへこんでたら大変だろ。俺達が。」
「別に言い訳しないでいいだろ。」
「別に言い訳のつもりないけど。」
 拓海はニヤニヤしながらも、それ以上からかうのは意地悪すぎると思い、追求をやめることにした。
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