ミューズ ~彼女は彼らの眩しい人~

藍川涼子

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第一章 32歳~

12 小さい遊園地 33歳

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「あー、おいし。飲みたかったの、期間限定のドリンク。」
「良かったね。最近始まったんでしょ、それ。」
 久美子の満足そうな笑顔を眺めつつ、紗栄子はカフェでスタンダードなカフェラテを飲んでいる。
 たまにはちょっとお茶しに行こうよ、などという久美子の誘いに、子供達をまた母にお願いするのも悪いと思ったのだが、
『無理な時は無理って私も言うから。せっかくのお誘いなんだし行ってきなさい。』
と母が送り出してくれた。
 最近時折子供達が“大志をパパにしたい同盟”を組むので、相手にしているのがしんどくなる時もある。母はそこらへんも察しているのだろう。
「子供達はどーう?」
「ああ…。最近同盟を組み始めて困ってるわ。」
「ええ?同盟?」
 最初は笑いながら聞いていた久美子だが、紗栄子の説明が進むにつれ、表情は変わっていった。
「今のままじゃ子供に変な期待させるばっかりで、可哀想かも。遊びにきてもらうの、やめてもらおうかな。」
「ええ?」
「蓮が亡くなったばっかりの頃は仕方なかったとしても、いつまでも甘えるのはよくないよね」
「紗栄子はそれでいいの?工藤くんの気持ちは?」
「だから、大志に恋人ができたり、結婚するなんてことになったら今みたいにはいかないじゃない。」
 ーーーあんたじゃない誰かを好きになれれば工藤くんも苦労しないだろうね。
 言葉にしなかったのは久美子なりの優しさである。
「まあ、“するだけ”の人はいるって前に言ってたけど。」
 紗栄子は忌々しそうに呟いた。
「あらまあ。学生時代からお変わりなく。」
「ホントよ。」
「まあ、工藤くんカッコいいからね。そこにお医者さんなんていう要素が付加されたらもう、無敵だわ。」
「そうねえ。」
「でも蓮だって、女グセについては結構似たようなタイプだったじゃない。紗栄子のおかげでいい方に変わったんだろうけど。」
「なんだかねえ…。」
 ため息をつきつつ、窓の外を眺める。休日で、街を行き交う人は多い。
「ある意味、“するだけ”の人がいるってことは、恋人がいないことの裏返しだね。遠慮しなくていいんじゃない?」
「そうかな。」
「子供達だってそのうち“同盟”に飽きるわよ。無理に工藤くんを避けなくてもいいんじゃない?」
「そうかなあ…。」



 次の休日。大志から誘いの電話がかかってきた。それを子供達に知られないように、紗栄子は別室に逃げ込む。
「今日は…ちょっと用事があって。ごめんね。ありがとね。」
《そっか。じゃあ、またな。》
 それ以降、2回に1回は大志の誘いを断るのが続いた。



「しゅっぱーつ!」
 今日も大志からの誘いを断った。用事があると言って。そんなことはおくびにも出さず、紗栄子は子供達を家から連れ出している。
 街中の、ちょっとだけ遊具がある広場が目的地だ。この間、久美子が期間限定ドリンクを堪能したカフェもあるあたりだ。
 ウキウキ歩いていた奏が、立ち止まって前方を指さした。
「大志くんだーっ!」
 確かにそこには大志がいた。奏達に気づき、苦笑いをしている。
 ーーー用事があるんじゃなかったのか?
 大志の瞳がそう言ってるように、紗栄子には見えた。
 大志のまわりには数人の若い女性達がいて、大志につづいてわらわらと歩いてきた。手にはいつだか久美子が飲んでいたのと同じ、期間限定ドリンクがある。
「こちら病棟の看護師さん達。近くで偶然会って、奢らされてたところ。」
「せんせー、ひどーい。」
「先生が何か飲むかっていってくれたからでしょー。」
「はいはい、すいません。…こちら、リハ科にいた青山のご家族。」
「あ、ああ…。」
「…こんにちは。」
 はしゃいでいた彼女達のテンションが下がってしまった。蓮が若くして急逝したエピソードは病院内ではまあまあ有名らしい。“気の毒な”未亡人を目の前にして、どういう顔をしていいかわからなくなってしまったのだろう。紗栄子は蓮の死後に繰り返し味わってきた、申し訳ない気持ちになる。
 紗栄子の気持ちなど知らず、瑛と奏は屈託なく話しかけた。いや、瑛の方は何か察して、あえて、かもしれない。
「こんにちは!お姉さん達、ジュース美味しそうだね。」
「2人ともかわいいですね。」
「オレたち男の子だから、カッコいいんだぜ!」
「お姉さん達のジュースをジロジロ見ないの。ママが買ってあげるから。」
「やったー。」
「やったー。」
「1個買って分け分けだからね。」
「分け分け~。」
「分け分け~。」
「じゃあ、先生、私達はこれで。期間限定ドリンクごちそうさまでした。」
「楽しい休日をね。また偶然会っても、今日はもうおごんないよー。」
「はーい。」
 看護師たちに大志は手を振り、紗栄子は頭を下げる。
「蓮の名前が出たら、彼女達テンション下がっちゃったわね。詳しい説明なんてなしに、ただ“友人”でいいのよ。」
「それはそれであとから探りを入れられて面倒だから、さっさと説明した方がいいんだよ。」
 なんとなく並んで一緒にカフェに向かう。
 用事があると断ったのは嘘だというのがバレバレで、紗栄子はものすごく気まずかった。
 カフェでは、おごるだの、いいだの、どうせ看護師達にもおごっただの、子供のためにならないからやめてくれだの言い合いながら、結局紗栄子が期間限定ドリンクを1個買った。
 目的地の小さい遊園地はすぐだ。飲んではみたものの、カフェの大人向きなドリンクはあまり子供たちの口に合わなかったようで、だいぶ残った物を紗栄子が押し付けられることになった。
 大人2人、ベンチに並んで子供達を眺める。間に一人分の距離をあけて。
「こうやって残しちゃうから、おごってもらうのが申し訳ないのよ。」
「まだ言うのかよ。」
 ちゅう、とストローで飲んでみる。素材の味は濃いが随分甘い。
「一口ちょうだい。」
 はい、と紗栄子は手渡そうとするが大志は受け取らず、紗栄子の手首をおさえてストローをくわえた。若い頃だったら間接キスだと騒ぐんだろうか。
「あっま…。」
 少し顔を歪めてストローを口から出しながら、大志が紗栄子を上目遣いに見上げる格好になる。
 ーーーどんな風に“するだけ”の人とキスするのかな。
 ストローを口から出す大志の紅い舌が目に入った瞬間、紗栄子はそんなことを考えてしまった。
 ーーーこれじゃただの欲求不満な未亡人じゃない、恥ずかしい…。
 無意識に、戻されたドリンクを勢いよく飲んでしまうが、それはそれで積極的に間接キスしにいってることに気づいていない紗栄子である。
「俺が誘うと迷惑か?」
 抑えた声のトーンが紗栄子の鼓膜に響く。
「…そんなことないけど。」
「嘘ついてまで断っといて。」
「えー……たまたまね、用事が早く終わっちゃって!」
「嘘、下手か。」
「私達に会うせいで“するだけ”の人に会えなくなったら悪いし!」
 瑛と奏が変な同盟を組んでいることも言えず、余計なことを言ってしまう。
「…彼女は理解があるから大丈夫だよ。」
 胸がズキンとする必要なんかないのに。嫌悪感や苛立ちじゃなく、ズキンという反応がまずいと紗栄子は思う。
「へえ。そんなに理解のある人なら…付き合っちゃえばいいのに。」
「そういうんじゃないんだよな。蓮がいなくなったことで仕事上のイライラとかも理解してくれる…肉体関係を伴う友人?」
「そういうの恋人って言うんじゃないの。」
 仕事のことを理解してくれるということは、職場の女性なんだろうか。
「…さっきの看護師さん達の中の誰か?」
「いや、違うよ。」
「さっきの人達も可愛かったけど。」
「紗栄子。」
 大志の声が低くなる。
「“ヤるだけ”の女がいる俺を軽蔑してんの?それとも、俺が他の女とヤッてんのがいやなの?」
 紗栄子の喉の奥がヒクッと音を立てる。
「……どっち?」
 目をそらしたいのに。大志の視線が逃さない。大志の手が再び飲み物を持つ紗栄子の手首をつかむ。舌がストローを迎えにいき、喉仏を上下させてドリンクを飲む。大志は、自分の仕草が女性にどう見えるかよくわかっている。
 どっちでもないならどっちでもないと言えばいい。どうでもいいならどうでもいいと言えばいい。
 それなのに、喉が凍ったように動かない。今声を出したら、質問の答えでもない余計なことを言ってしまう気がする。
「大志くーん!」
「大志くん、遊ぼーう!」
 瑛と奏の遠慮のない声が響き、大志は苦笑いをした。
「ママのピンチがわかったみたいだな。さすがだ。」
 一通り遊ぶと、大志と紗栄子親子は別々に帰っていった。



 帰宅して、大志はボンヤリと先程のことを思い出していた。
 紗栄子に会うのを断られたとか、用事があるという理由は嘘だったとか、いつでも紗栄子は子供達に対してちゃんとしようとしているとか、看護師達のテンションを下げてすまなそうにしていたとか。
 大志の動作に見惚れていたとか、“するだけ”の話しに言及したとか、大志の質問に答えられなくて困っていたとか。
 いちいち全てが愛おしくてたまらない。
 大志は電話を取った。
《もしもし、鈴木です。》
「どうも、工藤です。急に電話してごめん。」
《したくなっちゃった?うちに来る?》
 深雪はさっぱりズケズケしている。
「したくてたまらない気分だけどね。やめておく。」
《じゃあ、なんで電話してきたのよ。変な先生。》
 深雪はケタケタ笑っている。
「…今日、君のことを利用しちゃったよ。」
《ええ?》
「紗栄子に妬いてほしくて利用したんだ。」
《どういうこと?》
 紗栄子と会ったときのできごとを、大志はかいつまんで説明した。
「君の名前は出してないよ。同業者ってのは伝わっただろうけど。」
《そこは先生を信用してますよ。…ねえ、サエコサン、先生のこと好きよ。》
「そう思う?」
《そうじゃなきゃもっと軽蔑した態度を取るでしょ。会いたくない原因が軽蔑だったらそう言うでしょ。…やっぱり、お子さんのこととかで遠慮して、素直に気持ちを伝えられないんじゃないかしら。亡くなった旦那さんに悪いな、とか思ってるんじゃない?》
「うん…。」
《で、サエコサンのことが好きでしたくてたまらなくなってるんだ?》
「そういうことだな。」
 深雪は再びケタケタ笑っている。
「紗栄子としたいから、君とはもうしないよ。もったいない気もするけど。」
《わあ、そんな風に言ってくれてお気遣いありがとうございます。先生上手だから残念だけど、そういう理由のお断りなら嬉しいわ。》
「ありがとう。」
《頑張ってね、先生。振られたらまたしましょ。》
「ありがたいね。そうならないのが望ましいけど。」
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