ミューズ ~彼女は彼らの眩しい人~

藍川涼子

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第一章 32歳~

11 率直なやりとり 33歳

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 意外な人物からの電話だった。
「もしもし、紗栄子です。」
≪よう、拓海です。今話せる?≫
 母の方を振り返ると、“大丈夫よ”と手をあげてくれた。“ごめん”と手を合わせ、別室に行く。
「一周忌の時はわざわざ東京からありがとう。」
≪お邪魔しました。もう一年も経つなんて嘘みたいだよ。蓮がいないなんて信じられない。≫
 ———私も信じられない。
「東京は遠いわ。仕方ないわ。」
≪大志がよく来てくれるんだって?久美子も?≫
 大志の名前が出てきたので紗栄子の中の警戒警報が鳴り始めた。
 ———まったくこの男は何をどこまで聞いて、知ってるんだろう。
「そうね。よく子供たちの相手してもらってる。」
≪まるで子供たちの父親みたいなんじゃないか?大志のやつ。≫
 ———ほら。なにか挑発しようとしてる。
「まあ、とってもよくしてくれてるわね。感謝でいっぱいよ。」
≪あいつはいい男だろう?≫
 ———なにが言いたいのよ、このすっとこどっこい。
「そうねえ、大志は素敵な人ねえ。友人の未亡人とその子供たちを優しくフォローしてくれて。忙しい仕事を頑張ってるし。」
≪だからお前が大志にぐらっときても仕方ないんだよ。≫
 ふう、と紗栄子はため息をついた。
「相変わらず遠慮のない人ね。」
≪そう、それが俺のいいところ。≫
「長所だとは言ってないわ。むしろ批判。」
≪いいねえ、率直で。≫
 くくく、と拓海が笑う。
≪一周忌の時、お前と目を合わせていないときに大志がどんな目でお前を見ていたか教えてやろうか。≫
 なにかがさくっと紗栄子の胸を内側からひっかく。
「けっこうよ。」
≪大志のことをなんとも思ってないなら、別に構わないだろ。≫
「あなたの推測で大志の気持ちを決めつけないで。」
≪好きで好きで心配でたまらないって目でお前を見てた。≫
 電話でよかった。なぜだか紗栄子の涙腺は刺激され、一瞬目を開けていられなくなったからだ。キッと開いて、紗栄子は言葉を紡ぐ。
「あなたの専門分野は循環器外科だと思っていたけれど、精神分析だったかしら。」
≪大事な友人たちのためなら専門外にも手を出すよ。≫
「よく言う。いい迷惑だわ。こちらはそんなこと望んでない。」
≪そうやって身構えて隙を見せないようにしようって時点でおかしいんだよ。“ばかばかしい”って軽~く笑い飛ばせばいいのに。≫
 この男は本当に嫌になる、と紗栄子は思う。
「人を追い詰めるのはやめて。」
 拓海は声を出さずに静かに笑った。
≪じゃあ、素直になったらどうだ。≫
「素直って何よ。」
≪大志に抱かれたいって思ってもいいんだぞ。≫
「セクハラはもううんざり。」
 耐えきれずに紗栄子は通話終了を押した。
 わかってる。紗栄子自身が大志のことを純粋に夫の友人として、自身の友人としてだけ見ているなら、拓海に何を言われようが不快になる必要なんかないのだ。
「紗栄子、どうかした?」
 別室から戻ってきた紗栄子の表情を見て、母が心配そうに見上げてくる。
「拓海からの電話だったの。ばかばかしいことばっかり言うから嫌になっちゃった。」
「拓海くん、妙に鋭い人だものね。」
 母親の言葉は誰へのフォローだろう?
 不快な気持ちがぬぐい切れず、紗栄子は干してある洗濯物の様子を見に行くことにした。
 洗濯ばさみから乾いたタオルを外しながら、拓海との電話を振り返る。
『あいつはいい男だろう?』
 ———そんなの知ってる。
『おまえが大志にぐらっときても仕方ないんだよ。』
 ———そんなことあっちゃいけない。蓮が亡くなって、まだ一年で、自分には子供もいるんだから。
『好きで好きで心配でたまらないって目でお前を見てた。』
 妙な力が入り、洗濯ばさみがバチンと大きな音を立てた。
 純粋に紗栄子を好きでまっすぐに見つめてくる瞳なら知ってる。学生時代に、付き合っていた頃の大志の視線。その頃は大志の好意をただ受け止めるばかりで、同じ熱量で彼を見つめ返していたとは言えない。
 年齢を重ねて。蓮がいなくなって。大志の視線の強さや温度や湿気は大きく変わったことだろう。少なくとも紗栄子に正面から向けることはなくなった。
 紗栄子はぶるぶると首を横に振り、乾いたタオルを必要以上にバサバサと強く振った。
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