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第一章 32歳~

01 一周忌① 33歳

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———お願い。
———雨を降らせないで。
———桜を散らさないで。
———この人を連れて行かないで。



 昔からの友人の一周忌の日が来た。
 住んでいるA市から車で1時間のN市は工藤大志(たいし)の生まれ故郷だ。前夜に実家に泊まっても良かったが、頼む電話をするのも面倒で当日出かけることにした。
「大志くん、わざわざありがとう。」
「いえ、ご連絡いただいてありがとうございます。」
 故人・蓮の母は、一年前とは違って泣いてはいなかったが、さすがに随分しんみりとしていた。
「よう、大志。」
「ああ、雅哉。久しぶり。」
 雅哉は蓮とは中学時代からの友人だ。大志とは高校が同じになったことで知り合い、同じクラスになって親しくなった。
「久しぶり。…忙しそうだな。」
「まあね。」
 大志はN大学附属総合病院で整形外科の医師として働いている。昨日急遽入ったオペは確かに疲れた。しっかり眠ったつもりだったが、寝起きで鏡にうつった自分の顔は冴えないものだったと大志は思う。まあ、眠りが悪かった理由は仕事のせいだけとも言えない。今日のことを考えて寝つきが悪かったのかもしれない。
「お前こそ、どう。」
「んー、まあまあかな。」
「そっか。」
 働き盛りの彼らにとって、仕事が楽な時なんてない。
「なんかさあ。蓮のことがあってから、桜を見るのが悲しくなった。」
「そうだな。」
 一年前、蓮が逝った時も桜が咲いていた。
「ママー!」
 可愛い声がしたので振り返ると、そこには蓮のミニチュアみたいな男の子が二人いた。
「にいにが、ぶったぁ。」
「奏(かなで)がうるさいんだもん。」
「もう…今日はパパのお別れ会の続きなんだから静かにして。」
 しゃがみこんで子供達を叱りつける黒いワンピースの女性。顔を見なくても大志には誰だかわかる。
「紗栄子。」
 大志の声に気づいた紗栄子はすぐには振り向かず、一瞬の間を置いてから立ち上がった。
「来てくれたのね。…雅哉くんも、ありがとう。」
 痩せた、と大志は思う。
 蓮の妻であり、二人の幼子達の母でもある紗栄子も、蓮と同様高校時代からの友人だ。
 いや、それは少し違う。
 高校時代から大学時代の途中まで、大志と紗栄子は恋人同士だった。若気の至りで色々あって(全面的に自分が悪いと大志は思っている)、二人は別れを選び、しばらくして紗栄子は蓮と付き合い出した。
 高校生当時、野球部の主将だった大志にとって、水泳部員とマネージャーである蓮と紗栄子の関係は、いつも心をざわつかせられるものだった。
 紗栄子の方に浮気心なんてなかった。ただ、蓮は紗栄子をとても大切に扱っていたし…紗栄子も仲間としての蓮をとても大事にしていた。
「ママ、抱っこ。」
 奏の方が紗栄子に向かって甘えた調子で手を伸ばす。紗栄子は長男・瑛(あきら)の方に視線をやりながら、要求に応じた。
 こんな時、長男の方を抱っこしたりフォローしたりするはずの父親———蓮がいないのは大変だろうと思う。
 大志は瑛の前にしゃがみこんだ。
「抱っこ、しようか。」
 同じA市内に住む青山家には、何度も遊びに行っている大志である。蓮が発病してからは、その頻度は増えた。
 蓮にそっくりな瞳が、大志をじっと見る。
「いい。“オレ”年長さんだし。」
 幼子特有のアクセントの“オレ”が可愛くて仕方ないのだが、それを言ったら怒り出すだろうと、大志は黙っていることにした。
「拓海くん…!来てくれたの…!」
 蓮の母の言葉を聞いて、大志も雅哉もびっくりした。彼が来られるとは思っていなかったからだ。
「ご無沙汰してます。お母さんもお父さんも、お元気そうで良かった。」
「ありがとうねえ。」
 藤堂拓海は水泳部の主将だった男だ。同じ学年でチームメイトだった蓮や紗栄子との結びつきは、とても強かった。そんな彼も今は東京の清徳大学附属病院の循環器科で忙しくしている。
「おう、大志も雅哉もお疲れ。」
「よく来たな。遠いのに。」
「蓮の一周忌だからな。来るよ、そりゃ。どこからでも。」
 拓海は近くにいる紗栄子を振り返ると、少し眉間に皺を寄せる。
「久しぶり。痩せたんじゃね?」
「…体重の増減の話題なんて今どきセクハラもセクハラよ。」
「んー…でも体重の話ってセクシュアルか?」
「…もういい。」
「正しい日本語のチョイスは女子アナには重要だろ?」
「もういいってば。」
 紗栄子も大志と同じくA市に住んでいる。そこはN県の県庁所在地で、いくつも地方のテレビ局がある場所だ。紗栄子はそのひとつ、テレビUで女子アナをしている。
 女子アナという響きは彼女には似合わないかもしれない。華やかなメイクをしたり、派手な服装をしたり、バラエティーで騒ぐキャラではない。淡々と定時のニュースを読むタイプだ。
『語学力を磨いて、挑戦したいの。』
 高校生の彼女はそう言って、見事国内最高峰の大学である帝城大学に合格し、東京に進学した。
 その時点で大志に彼女との交際を維持するのは困難なのが見えていた。すぐに抱き合うことのできない距離にいる関係は、紗栄子には可能でも大志には無理だった。
「お?瑛。蓮にそっくりな顔しやがって。」
 瑛は不愉快そうに拓海の顔を見上げている。東京に住む拓海にはあまり免疫がないこともあり、ママに嫌なことを言うやつ、という認識になったのだろう。
「皆様そろそろこちらへお願いします。」
 ようやく、お経が始まる時間になったようだ。
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