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第一部
番外編 05 ビフォアーアフター②(貴志視点)
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Before
「申し訳ありません。すぐに伺わせていただきます。」
予定外のアクシデント。得意先へ直行。
今夜は彼女と会う約束をしていたんだった。
たぶん、遅れる。いや、絶対。
むしろ、かなり待たせることになるかも。
―――めんどくせえ…。
舌打ちをこらえた自分に笑いそうになる。‘めんどくせえ’のは予定外の残業の方ではなく、彼女との約束を断る方だからだ。
普通は、デートの約束をしていた彼女に会えなくなるのがつらいはずなんだけど。
まあ、なんていうか。
会いたい、のと、ヤりたい、のとではだいぶ違うよなって話で。
わかってるよ。最低だよ、おれは。
手を上げてタクシ―を止める。素早く乗り込み、行き先を告げて、さらに俺は一つの了解を取る。
「すみません、電話してもいいですか。」
「どうぞぉ~。」
ずいぶんとのんきな運転手の声。
<もしもし?貴志?>
いっそのこと出ないでくれたら楽なのにと思う俺の期待を裏切り、弾んだ彼女の声が甲高く俺の鼓膜を刺激する。
「ごめん、残業が入った。今日は会えない。」
電話の向こうは一瞬の沈黙。
<…会いたかったのに。>
「俺もだよ。ほんと、ごめん。」
我ながら心のこもっていない言葉。彼女にそれが伝わっていないとは思えないくらいのあからさまな様子。
≪…貴志の部屋で待ってちゃだめ?≫
へとへとになって家に帰って、お前の愚痴を聞けっていうのか?
「それは、悪いよ。何時になるかわからないし…。」
≪…わかった。じゃあね。≫
こころなしか乱暴に切られた電話。
はあ。めんどくせえ。
ため息をつきながら前方を見ると、バックミラー越しに、運転手と目が合った。
「大変そうですねえ。」
「あ、いえ…。うるさくてすみません。」
「いえいえ、全然。」
軽く首を突っ込んできた運転手をあしらうのも面倒で、俺は窓の外に視線を移した。
※
After
「申し訳ありません。すぐに伺わせていただきます。」
予定外のアクシデント。得意先へ直行。
課長という肩書上、絶対に避けられない、部下のしりぬぐい。
それはそれで俺の大事な仕事だ。攻めすぎた部下の勇み足をどうこういうのは後回し。遺恨が残らないうちに迅速にフォローするのは当たり前のこと。
でもさ。勝手だけどさ。今日だけは避けてほしかったな。
だって、今日は何日ぶりかの飛鳥さんとのデートだったんだぞ。彼女に会えると思うから今日はいつにもまして張り切って仕事をこなしていたというのに。
そんな気持ちはぐっとこらえて、俺はタクシーを止める。素早く乗り込み、行き先を告げて、さらに俺は一つの了解を取る。
「すみません、電話してもいいですか。」
「どうぞぉ~。」
のんきな運転手の声。なんとなく、前にも聞いたことがあるような気がしたが、今はそんなことに気を留めている場合じゃない。
飛鳥さんに、情けなくも必死な弁解をしなくては。
≪もしもし、課長?≫
あのさ。課長はやめてってば。
「課長はやめてよ。」
≪ごめんなさい、つい。…どうしたんですか?≫
「実は、残業が入って…今日の約束は延期させてください。」
少しの間の沈黙。
「本当に、ごめんね。俺、今日会えるのをとても楽しみにしてたんだけど。さすがに代理の誰かを行かせるわけにも行かないので。ごめん。」
すう、と息を吸う飛鳥さんの気配。それすらも愛しい。
≪大変ですね。仕事なら仕方がないです。じゃあ…。≫
「ちょ、ちょっと待って。」
≪え?≫
「あの…。」
これからいう言葉を前に、俺は軽く咳払いをする。
「もう少しさみしがってくれないと、悲しいんですけど。」
≪…。≫
言いあぐねている気配。目を閉じて、その気配すべてを感じようとする。
≪だって、忙しいのにワガママ言えないです。≫
ちょっと泣きそうな彼女の声。
いいか。この声が聞ければ十分だ。
「ごめん。また連絡する。」
≪はい、お疲れ様です。≫
通話終了のボタンを押して、ため息をつく。じっとケータイを見つめた。
声を聴いて充電するはずが、ますます会いたくなった。俺は、馬鹿だな。
「大変そうですねえ。」
「あ、いえ…。うるさくてすみません。」
「いえいえ、全然。」
運転手はそういって、ふふっと笑った。
「ごめんなさい。こういう仕事してるとね、偶然同じ人を乗せたりするもんで。」
「あ、ああ…。僕が、ですか?」
「そうそう。あなたはいつぞやもこうやってこの車でデートのキャンセルの電話をしてました。」
「…よく覚えてますねえ。」
「もちろん、今まで乗せた人を一から思い出せ、なんて急に言われても無理ですよ。こうして同じ人が乗ると、思い出せるんです。…でも。」
運転手はさらに小さく笑う。
「お客さん、今の恋人にはメロメロみたいですねえ。」
メ、メロメロ?
「前にお乗せしたときは、恋人に対してずいぶんあっさりとした話しぶりでらしたのに、今は名残惜しそうにケータイを眺めてるから。」
「はあ…。」
運転手にそう言われ、俺は再度ケータイを眺めた。
だめだ。やっぱり会いたい。
「…もう一度電話してもいいですか。」
「どうぞどうぞ。」
まさか再度俺から電話が来るとは思っていなかったのか、先程に比べて、電話に出るまで時間がかかった。
≪もしもし?どうしたんですか?≫
「ごめんね、しつこくて。…あのさ。」
今度は、俺が、すう、と息を吸う。
「どうしても会いたい。君がワガママを我慢してくれたのに申し訳ない。今夜は俺の部屋で待っていてくれないかな。寝ている君を起こさないように細心の注意を払うから。」
バックミラー越しに、運転手の笑顔が見えた。
≪…そうする。≫
電話を切って、再度ケータイを眺める。
そう、とても、会いたい。
タクシーから降りようとすると、運転手が親指を立てて見せた。
「残業、がんばってくださいね!」
「…ありがとうございます。」
「申し訳ありません。すぐに伺わせていただきます。」
予定外のアクシデント。得意先へ直行。
今夜は彼女と会う約束をしていたんだった。
たぶん、遅れる。いや、絶対。
むしろ、かなり待たせることになるかも。
―――めんどくせえ…。
舌打ちをこらえた自分に笑いそうになる。‘めんどくせえ’のは予定外の残業の方ではなく、彼女との約束を断る方だからだ。
普通は、デートの約束をしていた彼女に会えなくなるのがつらいはずなんだけど。
まあ、なんていうか。
会いたい、のと、ヤりたい、のとではだいぶ違うよなって話で。
わかってるよ。最低だよ、おれは。
手を上げてタクシ―を止める。素早く乗り込み、行き先を告げて、さらに俺は一つの了解を取る。
「すみません、電話してもいいですか。」
「どうぞぉ~。」
ずいぶんとのんきな運転手の声。
<もしもし?貴志?>
いっそのこと出ないでくれたら楽なのにと思う俺の期待を裏切り、弾んだ彼女の声が甲高く俺の鼓膜を刺激する。
「ごめん、残業が入った。今日は会えない。」
電話の向こうは一瞬の沈黙。
<…会いたかったのに。>
「俺もだよ。ほんと、ごめん。」
我ながら心のこもっていない言葉。彼女にそれが伝わっていないとは思えないくらいのあからさまな様子。
≪…貴志の部屋で待ってちゃだめ?≫
へとへとになって家に帰って、お前の愚痴を聞けっていうのか?
「それは、悪いよ。何時になるかわからないし…。」
≪…わかった。じゃあね。≫
こころなしか乱暴に切られた電話。
はあ。めんどくせえ。
ため息をつきながら前方を見ると、バックミラー越しに、運転手と目が合った。
「大変そうですねえ。」
「あ、いえ…。うるさくてすみません。」
「いえいえ、全然。」
軽く首を突っ込んできた運転手をあしらうのも面倒で、俺は窓の外に視線を移した。
※
After
「申し訳ありません。すぐに伺わせていただきます。」
予定外のアクシデント。得意先へ直行。
課長という肩書上、絶対に避けられない、部下のしりぬぐい。
それはそれで俺の大事な仕事だ。攻めすぎた部下の勇み足をどうこういうのは後回し。遺恨が残らないうちに迅速にフォローするのは当たり前のこと。
でもさ。勝手だけどさ。今日だけは避けてほしかったな。
だって、今日は何日ぶりかの飛鳥さんとのデートだったんだぞ。彼女に会えると思うから今日はいつにもまして張り切って仕事をこなしていたというのに。
そんな気持ちはぐっとこらえて、俺はタクシーを止める。素早く乗り込み、行き先を告げて、さらに俺は一つの了解を取る。
「すみません、電話してもいいですか。」
「どうぞぉ~。」
のんきな運転手の声。なんとなく、前にも聞いたことがあるような気がしたが、今はそんなことに気を留めている場合じゃない。
飛鳥さんに、情けなくも必死な弁解をしなくては。
≪もしもし、課長?≫
あのさ。課長はやめてってば。
「課長はやめてよ。」
≪ごめんなさい、つい。…どうしたんですか?≫
「実は、残業が入って…今日の約束は延期させてください。」
少しの間の沈黙。
「本当に、ごめんね。俺、今日会えるのをとても楽しみにしてたんだけど。さすがに代理の誰かを行かせるわけにも行かないので。ごめん。」
すう、と息を吸う飛鳥さんの気配。それすらも愛しい。
≪大変ですね。仕事なら仕方がないです。じゃあ…。≫
「ちょ、ちょっと待って。」
≪え?≫
「あの…。」
これからいう言葉を前に、俺は軽く咳払いをする。
「もう少しさみしがってくれないと、悲しいんですけど。」
≪…。≫
言いあぐねている気配。目を閉じて、その気配すべてを感じようとする。
≪だって、忙しいのにワガママ言えないです。≫
ちょっと泣きそうな彼女の声。
いいか。この声が聞ければ十分だ。
「ごめん。また連絡する。」
≪はい、お疲れ様です。≫
通話終了のボタンを押して、ため息をつく。じっとケータイを見つめた。
声を聴いて充電するはずが、ますます会いたくなった。俺は、馬鹿だな。
「大変そうですねえ。」
「あ、いえ…。うるさくてすみません。」
「いえいえ、全然。」
運転手はそういって、ふふっと笑った。
「ごめんなさい。こういう仕事してるとね、偶然同じ人を乗せたりするもんで。」
「あ、ああ…。僕が、ですか?」
「そうそう。あなたはいつぞやもこうやってこの車でデートのキャンセルの電話をしてました。」
「…よく覚えてますねえ。」
「もちろん、今まで乗せた人を一から思い出せ、なんて急に言われても無理ですよ。こうして同じ人が乗ると、思い出せるんです。…でも。」
運転手はさらに小さく笑う。
「お客さん、今の恋人にはメロメロみたいですねえ。」
メ、メロメロ?
「前にお乗せしたときは、恋人に対してずいぶんあっさりとした話しぶりでらしたのに、今は名残惜しそうにケータイを眺めてるから。」
「はあ…。」
運転手にそう言われ、俺は再度ケータイを眺めた。
だめだ。やっぱり会いたい。
「…もう一度電話してもいいですか。」
「どうぞどうぞ。」
まさか再度俺から電話が来るとは思っていなかったのか、先程に比べて、電話に出るまで時間がかかった。
≪もしもし?どうしたんですか?≫
「ごめんね、しつこくて。…あのさ。」
今度は、俺が、すう、と息を吸う。
「どうしても会いたい。君がワガママを我慢してくれたのに申し訳ない。今夜は俺の部屋で待っていてくれないかな。寝ている君を起こさないように細心の注意を払うから。」
バックミラー越しに、運転手の笑顔が見えた。
≪…そうする。≫
電話を切って、再度ケータイを眺める。
そう、とても、会いたい。
タクシーから降りようとすると、運転手が親指を立てて見せた。
「残業、がんばってくださいね!」
「…ありがとうございます。」
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