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第一部
番外編02 決意 (貴志視点)
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「理恵子ちゃん、夏休みは海に行ってきたの?」
9月。
遅めの時期に夏休みを取ったらしい理恵子ちゃんが、ジョッキ片手に振り向いた。
今日は秘書課の飲み会だ。いつものように高橋さんに声をかけてもらった。
「やだ。焼けてるように見えます?」
「いや、全然。理恵子ちゃんのこと見かけないなあと思ったら、飛鳥さんが夏休み中だって教えてくれたから。」
そう。例によって非常に素っ気なく。
いや、非情に、か?
「良かった~。焦りましたよ~。」
「ちゃんとウチの日焼け止め使ったんでしょ?」
「もちろんです。一番確実なタイプ。」
「じゃあ大丈夫だよね。使い心地もますますアップしてるし。」
「そうなんですよね~!って、塔宮課長、使ってるんですか?」
「使ってるというか、使ってみたよ。やっぱり新商品はね、特性を肌身を持って感じなくちゃ、相手に説明できない。」
「さすが塔宮課長。ファンデも使ってみるんですか?」
「一応ね。」
「彼女にしてもらうとか?」
「お化粧ごっこ?そういうプレイもありか。」
キャーッと悲鳴を上げる理恵子ちゃん。その向こうで、飛鳥さんが渋い顔をしている。
こういうくだらないやり取りに、合わせようっていう気がないんだもんな。
南の島の思い出をおもしろおかしく語る理恵子ちゃんに、タイミングよく笑いを返しながら、俺は飛鳥さんの様子を観察する。
ウーロン茶のグラスを持つ指には、薄いピンクのネイルが施されている。
清楚、という単語がピッタリだ。
いやホント、綺麗な指だよな。
ネイルに限らず、飛鳥さんは全体的にラメが少ない。
今やリップにアイメイク、全てに渡ってラメは進出している。
ある程度流行を外さない飛鳥さんだから、何もかもマット、マットというわけではないけれど、極力落ち着いた印象を得られるようにしている感じがする。
指から顔へと視線をずらすと、ちょっと困ったような顔をした飛鳥さんと目が合った。
やべ。ジロジロ見てたのがバレたかな。
まあいいや。
俺はニッコリと笑いかけるが、飛鳥さんはスッと視線を外す。
ああ。
本当に傷つくよな。仕事であれプライベートであれ、こんな風に女の人から視線を外されるなんてことないのに。むしろ、甘ったるい何かを放出されて嫌になるくらいなのに。
なんつうか、思春期を思い出すんだよな。異性を異性として意識しはじめて、でもあからさまに口説く方にシフトチェンジするには恥じらいがあったあの頃。
でも飛鳥さんは思春期の女の子じゃない。大人の女性として俺の視線をバッサリ切り捨てている。
うわ。
ますますへこむわ。
「……塔宮課長もそう思いません?」
「え?」
やべ。
飛鳥さんに見とれたりへこんだりしてるのに忙しくて、理恵子ちゃんの話を聞きそびれてた。
「飛鳥さんに海で泳ぐイメージはないですよねって話ですよ。」
「え?ああ…ああ、確かにね~。」
飛鳥さんの話か。それなら食いつくぞ、本当に。
飛鳥さんは首を少しかしげながら笑っている。俺には見せてくれない笑顔で。
「あんまり泳ぐの得意じゃないし、今は水着も持ってないわね。」
「バシバシ泳ぐ飛鳥さんは想像できないですよ~。」
「でも、彼氏と海に行ったことはありますよね?」
「うーん、行ったことはあるけど、その時もあんまり海にはつからなかった気がする。」
みんなと一緒に笑っている高橋さんが、口を開く。
「ていうか、彼氏が連れていきたがらなかった感じ、するわ。この白い肌を他の男に見せたくない、みたいな?」
「束縛系ですかぁ。」
「そこまで言ってないわよ、夕子ちゃん。」
「だって~、私束縛系男子大好きです~。」
「ええ~、私なら嫌だわ。」
「栄子さんは大人なんですよ~。」
アブねえなあ、夕子ちゃん。束縛されたい、なんて。
‘プレイ’発言には眉をひそめていた飛鳥さんが、今は笑っている。
なんか。話題じゃなくて、俺には笑ってくんねえのかな、とか思うんだけど。
「塔宮課長は、海とか似合いますよね。」
「ナンパしまくってそう。」
「お?そう?案外逆ナンされるんだけど。」
「わあ~。」
「さすが~。」
ほら。飛鳥さんは笑ってない。
ウーロン茶の入ったグラスに目を落としている。
「まあでも、もうそういうのは腹いっぱいかな。静かな高原で清楚なお嬢さんとノンビリしたいな。」
「ええ~、塔宮課長には似合いませんよ。」
「だったら、飛鳥さんと高原デートはどうですか?」
「いいねえ、付き合ってくれます?飛鳥さん。」
ようやく飛鳥さんは愛想笑いを顔に貼り付けて肩をすくめた。
あーあ。
あからさまな愛想笑いも綺麗だな。
カチッとスイッチが入って、頭が急速に回転する。
白の清楚なワンピースを着ている飛鳥さんと、林の奥の別荘で過ごす風景。
俺はちょっと束縛男になって、飛鳥さんをなかなかベッドから出さないだろう。
キュルキュルと高速回転していた脳の一部が、シュルシュルと音を立てて速度をゆるめる。
…なんか、悲しくなってきた。
高原の別荘どころか、飛鳥さんをベッドに誘うなんて一生出来ないかも。
俺って随分臆病者だったんだな。
ひとり落ち込んでいる間に話題は転換して、夕子ちゃんのちょっと危ない恋愛観が語られている。
どうせ無理なら。こういう場を利用して思いきり見つめてやろう。
見つめるこちらの視線に飛鳥さんはすぐに気づき、サッと顔をふせた。
俺はまだまだ見つめる。それに耐えかねたのか、飛鳥さんは高橋さんに声をかけて席を立った。
トイレに行く気らしい。ちょっと前に行ってたじゃないかよ。
完全に俺の視線から逃げたいだけだ。
こちらも一呼吸置いて席を立つ。
悪いけど。今日の俺はしつこいんだよ。
トイレの近くでウロウロしていると、飛鳥さんが出てきてあからさまに嫌そうな顔をする。
頭を下げてすり抜けようとする彼女の手首をつかんだ。
やり過ぎかな?
ますます嫌われる?
―――でも。
細い手首の感触に胸は震えた。
「今度、いつ、空いてます?」
心臓がバクバク言ってる。ここまで真剣に誘うのは初めてかも。
困った顔で見上げてくる飛鳥さんは綺麗で。
キス、したくなる。
「もう、からかわないでください。」
からかってなんかいないのに。
なのに。
真剣だから、真面目になりきれない。
本気で拒絶されるのが怖いから。
あーあ。重症。
「冷たいなあ、飛鳥さんは。」
ちょっとふざけた調子になると、途端に飛鳥さんは安心して勢いを増す。
「塔宮課長が、からかうからです。」
「そんなことないのにな。」
カツカツと音を立てて歩き出す飛鳥さん。慌てて追いかける。
「本当に、あんまりお酒飲まないんですね。」
「本当に、すごくアルコールに弱いんです。」
「へえ。酔った飛鳥さん、見たいですね。」
寄せた眉とキュッと結んだ唇は、俺と向き合う時の必需セットらしい。
くそ。
いつか絶対、酔った飛鳥さんを見てやるからな。
9月。
遅めの時期に夏休みを取ったらしい理恵子ちゃんが、ジョッキ片手に振り向いた。
今日は秘書課の飲み会だ。いつものように高橋さんに声をかけてもらった。
「やだ。焼けてるように見えます?」
「いや、全然。理恵子ちゃんのこと見かけないなあと思ったら、飛鳥さんが夏休み中だって教えてくれたから。」
そう。例によって非常に素っ気なく。
いや、非情に、か?
「良かった~。焦りましたよ~。」
「ちゃんとウチの日焼け止め使ったんでしょ?」
「もちろんです。一番確実なタイプ。」
「じゃあ大丈夫だよね。使い心地もますますアップしてるし。」
「そうなんですよね~!って、塔宮課長、使ってるんですか?」
「使ってるというか、使ってみたよ。やっぱり新商品はね、特性を肌身を持って感じなくちゃ、相手に説明できない。」
「さすが塔宮課長。ファンデも使ってみるんですか?」
「一応ね。」
「彼女にしてもらうとか?」
「お化粧ごっこ?そういうプレイもありか。」
キャーッと悲鳴を上げる理恵子ちゃん。その向こうで、飛鳥さんが渋い顔をしている。
こういうくだらないやり取りに、合わせようっていう気がないんだもんな。
南の島の思い出をおもしろおかしく語る理恵子ちゃんに、タイミングよく笑いを返しながら、俺は飛鳥さんの様子を観察する。
ウーロン茶のグラスを持つ指には、薄いピンクのネイルが施されている。
清楚、という単語がピッタリだ。
いやホント、綺麗な指だよな。
ネイルに限らず、飛鳥さんは全体的にラメが少ない。
今やリップにアイメイク、全てに渡ってラメは進出している。
ある程度流行を外さない飛鳥さんだから、何もかもマット、マットというわけではないけれど、極力落ち着いた印象を得られるようにしている感じがする。
指から顔へと視線をずらすと、ちょっと困ったような顔をした飛鳥さんと目が合った。
やべ。ジロジロ見てたのがバレたかな。
まあいいや。
俺はニッコリと笑いかけるが、飛鳥さんはスッと視線を外す。
ああ。
本当に傷つくよな。仕事であれプライベートであれ、こんな風に女の人から視線を外されるなんてことないのに。むしろ、甘ったるい何かを放出されて嫌になるくらいなのに。
なんつうか、思春期を思い出すんだよな。異性を異性として意識しはじめて、でもあからさまに口説く方にシフトチェンジするには恥じらいがあったあの頃。
でも飛鳥さんは思春期の女の子じゃない。大人の女性として俺の視線をバッサリ切り捨てている。
うわ。
ますますへこむわ。
「……塔宮課長もそう思いません?」
「え?」
やべ。
飛鳥さんに見とれたりへこんだりしてるのに忙しくて、理恵子ちゃんの話を聞きそびれてた。
「飛鳥さんに海で泳ぐイメージはないですよねって話ですよ。」
「え?ああ…ああ、確かにね~。」
飛鳥さんの話か。それなら食いつくぞ、本当に。
飛鳥さんは首を少しかしげながら笑っている。俺には見せてくれない笑顔で。
「あんまり泳ぐの得意じゃないし、今は水着も持ってないわね。」
「バシバシ泳ぐ飛鳥さんは想像できないですよ~。」
「でも、彼氏と海に行ったことはありますよね?」
「うーん、行ったことはあるけど、その時もあんまり海にはつからなかった気がする。」
みんなと一緒に笑っている高橋さんが、口を開く。
「ていうか、彼氏が連れていきたがらなかった感じ、するわ。この白い肌を他の男に見せたくない、みたいな?」
「束縛系ですかぁ。」
「そこまで言ってないわよ、夕子ちゃん。」
「だって~、私束縛系男子大好きです~。」
「ええ~、私なら嫌だわ。」
「栄子さんは大人なんですよ~。」
アブねえなあ、夕子ちゃん。束縛されたい、なんて。
‘プレイ’発言には眉をひそめていた飛鳥さんが、今は笑っている。
なんか。話題じゃなくて、俺には笑ってくんねえのかな、とか思うんだけど。
「塔宮課長は、海とか似合いますよね。」
「ナンパしまくってそう。」
「お?そう?案外逆ナンされるんだけど。」
「わあ~。」
「さすが~。」
ほら。飛鳥さんは笑ってない。
ウーロン茶の入ったグラスに目を落としている。
「まあでも、もうそういうのは腹いっぱいかな。静かな高原で清楚なお嬢さんとノンビリしたいな。」
「ええ~、塔宮課長には似合いませんよ。」
「だったら、飛鳥さんと高原デートはどうですか?」
「いいねえ、付き合ってくれます?飛鳥さん。」
ようやく飛鳥さんは愛想笑いを顔に貼り付けて肩をすくめた。
あーあ。
あからさまな愛想笑いも綺麗だな。
カチッとスイッチが入って、頭が急速に回転する。
白の清楚なワンピースを着ている飛鳥さんと、林の奥の別荘で過ごす風景。
俺はちょっと束縛男になって、飛鳥さんをなかなかベッドから出さないだろう。
キュルキュルと高速回転していた脳の一部が、シュルシュルと音を立てて速度をゆるめる。
…なんか、悲しくなってきた。
高原の別荘どころか、飛鳥さんをベッドに誘うなんて一生出来ないかも。
俺って随分臆病者だったんだな。
ひとり落ち込んでいる間に話題は転換して、夕子ちゃんのちょっと危ない恋愛観が語られている。
どうせ無理なら。こういう場を利用して思いきり見つめてやろう。
見つめるこちらの視線に飛鳥さんはすぐに気づき、サッと顔をふせた。
俺はまだまだ見つめる。それに耐えかねたのか、飛鳥さんは高橋さんに声をかけて席を立った。
トイレに行く気らしい。ちょっと前に行ってたじゃないかよ。
完全に俺の視線から逃げたいだけだ。
こちらも一呼吸置いて席を立つ。
悪いけど。今日の俺はしつこいんだよ。
トイレの近くでウロウロしていると、飛鳥さんが出てきてあからさまに嫌そうな顔をする。
頭を下げてすり抜けようとする彼女の手首をつかんだ。
やり過ぎかな?
ますます嫌われる?
―――でも。
細い手首の感触に胸は震えた。
「今度、いつ、空いてます?」
心臓がバクバク言ってる。ここまで真剣に誘うのは初めてかも。
困った顔で見上げてくる飛鳥さんは綺麗で。
キス、したくなる。
「もう、からかわないでください。」
からかってなんかいないのに。
なのに。
真剣だから、真面目になりきれない。
本気で拒絶されるのが怖いから。
あーあ。重症。
「冷たいなあ、飛鳥さんは。」
ちょっとふざけた調子になると、途端に飛鳥さんは安心して勢いを増す。
「塔宮課長が、からかうからです。」
「そんなことないのにな。」
カツカツと音を立てて歩き出す飛鳥さん。慌てて追いかける。
「本当に、あんまりお酒飲まないんですね。」
「本当に、すごくアルコールに弱いんです。」
「へえ。酔った飛鳥さん、見たいですね。」
寄せた眉とキュッと結んだ唇は、俺と向き合う時の必需セットらしい。
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