アマノジャク

藍川涼子

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第一部

22 女友達 (飛鳥視点)

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「相変わらず信じがたい子ねえ、飛鳥って。」
 遥香はそう言ってグラスの中の液体を少量、喉に流し込む。
「ほんと。普通彼氏に誕生日言わないなんてこと、ある?」
 一方の千佐都は大皿のサラダを手早く小皿に取り分けている。
「どうせ恋愛偏差値、低いわよ…。」
 今日は学生時代の仲良し3人組で飲み会だ。それぞれに仕事を抱えて忙しく、こうしてそろって集まるのはいつぶりだろう。先月、まあまあ仲の良かった子の結婚式にみんな招待され、顔を合わせたのがこの会のきっかけとなった。
「一真先輩との時もさ、な~んかママゴトみたいだったもんね。」
「いいんじゃないの?お互いがよければ。」
 二人の言葉には容赦というものがない。別にいいんだけど。今に始まったことじゃないし。ただ、貴志さんの画像を見せたときだけは、二人の採点は辛口ではなくなった。
「へーえ…いい男じゃないの。本物の彼氏?」
「なにそれ。本物よ。」
「どうしてこんないい男を捕まえられるわけ?」
「知らないってば。」
 言いつつ、ちょっと気を良くしたりなんかして。でもそれはほんのつかの間だ。
「どうしてって、千佐都みたいにすぐに男の上に乗っかったりしないんでしょ、飛鳥は。大人しく、慎ましく。」
「ちょっと、遥香…!」
「うるさいわね。ていうか、飛鳥って男の上に乗っかるなんてしたことなさそうよね。常に下?」
「もう、どうしてそういうこと平気で言うのよ…。」
 この2人の恥じらいのなさには呆れてしまう。いくら女同士だからって。2人にしてみれば、私のほうこそ‘澄ましてんじゃないわよ’っていうところらしいけど。
 でも、今のやり取りでこの間の出来事を思い出してしまった。
 この間、貴志さんに‘執拗に’要求されてしてしまった自分の行動。死ぬほど恥ずかしかった。本当に、死ぬほど恥ずかしかった。
『なあ、今、すっごい恥ずかしいだろ。』
 唇をかんで睨みつけた先にはそれはもう意地悪く笑う彼の瞳があって、思わず肩をつかんでいた手に力をこめてしまった。彼の表情がほんの一瞬微かに歪んだ。
「赤くなってる~。」
「なに思い出してんの~。や~らし~。」
「うるさいってば!遥香こそ、最近はどうなのよっ。」
 ウーロン茶の入ったグラスを少しだけ乱暴にテーブルに置く。その様子など介さず、遥香は表情を変えてため息をついた。
「気になる人ができたのよね…。」
「えっ…ずっと付き合ってる彼はどうしたの。」
「プロポーズされたわよ。この間。」
「ええ?なにそれ。」
 意味がわからない。
「プロポーズされて、どうしたのよ。」
「保留したわよ。」
「ええ?」
「だって、仕方ないでしょ。気になる人ができたといっても、まだ‘気になる’っていうだけの範囲内だし。彼氏についても、お別れするほど気持ちが冷めたとかいうわけでもないし。」
「でも、保留なんかして、彼氏は怒らなかったの?」
「何で怒るのよ。私は正直に説明したもの。気になる人ができたこと、その気持ちが今後どう変化するかまだ予測がつかないこと、今現在彼氏のことは結婚が考えられるくらいには好きだっていうこと。」
 遥香の思考回路ってどうなってるんだろう。そして、受け入れちゃう彼氏も。恋愛偏差値の低い私には、理解が及ばない。
 ほけーっとしてしまった私の顔を見て、千佐都が笑う。
「とりあえずプロポーズ受けとくとか、そういう選択肢はないのね。」
「そうねえ。それってなんかずるくない?」
「遥香って変なところで真面目よね。」
「真面目っていうか要領が悪いのよ。我ながら嫌になるわ。」
 なんだかずいぶん大変な話のはずなのに、どうしてこう2人とも何気ない世間話と変わらないテンションで話ができるのだろう。
「いっそのこと二股を遂行できるくらいのずるさとエネルギーを持っていられたらと思うわ。そうしたらたまらなく楽しいんでしょうね。」
「良くないよ、二股なんて…!」
「だから、とてもできないから言ってるだけだってば。正真正銘真面目ねえ、飛鳥って。」
「ほんと。」
「どうせ真面目でつまんないわよ。」
「つまんない?それって話のネタとしては、でしょ。私は正直うらやましいわ。いつだってまっすぐに恋愛に向き合ってるあなたが。」
 そう言って千佐都はぱりぱりとサラダを噛む。
「今さら無理に褒めてくれなくてもいいよ…。」
「べつに褒めようと思ってるわけじゃないわ。」
 あけすけに自分のことをしゃべってしまう遥香とは逆で、千佐都は自分からは恋愛の話をしない。そういう主義なのか、話しにくい道ならぬ恋をしているからなのか、わからないけど。
「それにしても、私達いい年なのよね。」
「そうね。間違いなく。」
「プロポーズかあ…。」



「楽しかった?友達との食事会は。」
 数日後のおうちデート。貴志さんはワイシャツにスラックスだけの姿になって、私のエプロンの紐をもてあそぶ。
「楽しかった…ですよ。多分。」
「多分、て、何だよそれ。」
 この間買った厚手の鍋つかみを両手に装着し、オーブンからシンプルなグラタンを取り出す。テーブルに置いたそれは、もうもうと湯気を立てる。
 サラダを間に挟みながら、2人して熱々のグラタンと格闘する。あらかた片づけると、貴志さんはビールからワインに切り替えて、再度食事会の話を促した。
 当日一番の驚きだった遥香の保留話を、私は話してみた。‘プロポーズ’という単語を口にするのは少々はばかられる思いもあったけれど、意識しすぎるのも恥ずかしい気がして。
「面白い人だなあ、遥香さんて。」
「面白い?私にとっては理解の範疇を超えてるわ。彼氏に全部正直に言っちゃうなんて。」
「……じゃあ、飛鳥さんなら嘘をつくっていうこと?」
 急に貴志さんの声のトーンが変化して、びっくりする。
「え?」
「正直に言わないってことは、そういうことでしょ?」
「いや、あの、嘘をつくっていうか…。なにも全部言わなくてもいいでしょう?」
「そうかあ…。そうだよね。飛鳥さんはそういう主義だっけ。星川のことも、すぐには言わなかったし。」
「星川くんのことって…。いつまで言うの?そんなこと。」
「‘そんなこと’?君の中では終わった話でもあいつにとってはまだ現在進行形だよ。気配に気づいてないの?」
「気配?そんなのわからない。…私、鈍感だし。」
「ふーん?」
 いつものからかっている様子とはちょっと違う感じ。うーん、困ったな。
「星川くんのことなんて、気にしてる暇、ないもの。」
「仕事で頭がいっぱいで?真面目だからね、飛鳥さんは。」
「もう、いやみっぽく言わないで。それもそうだけど、それだけじゃなくて…。」
 促すように、貴志さんが首を傾げて見せる。
 恥ずかしいな。恥ずかしいけど、きっと、言ったほうがいいのよね。えいっ。
「貴志さんの余韻が強くて星川くんのことなんて意識する余裕、ないのっ。」
 思い切って言ってしまった。ぎゅっとつぶった目を、恐る恐る開けてみる。貴志さんは目元を覆って、ゆっくりとワイングラスをテーブルに置いた。
「あー……そう。」
 ひとことそう言って、あぐらをかいている自分の足の上に頬杖をつく。
「冗談じゃないよなー、本当に。」
 そしてゆっくりとあぐらを崩し、膝立ちの姿勢でこちらに近づいてくる。ぐっと左手を握られた。
「もう少し自分の言葉の影響力の大きさに責任を持ったらどうなんですか。」
「せ、責任?」
「そう、責任。…つまりね?」
 左手が引っ張られ、私はあえなくバランスを崩す。
「むやみやたらとこちらをとんでもなく刺激しないでくださいっていうこと。」
 そうして押し当てられた貴志さんの唇は予想以上に熱かった。
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