アマノジャク

藍川涼子

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第一部

11 来客 (貴志視点)

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 今日は飛鳥さんのマンションで手料理をご馳走になる。
 仕事をきっちり切り上げてきた俺は、弾んだ気持ちで玄関の呼び鈴を鳴らした。

 ピンポーン…

 間もなく勢いよく歩いてくる音がして、ドアが開いたのだが。
「どうも、こんばんは。」
 予想外の低い声と、背の高いシルエット。
 目の前にいるのはどこをどう見ても20代の男性だ。間違いなく、飛鳥さんではない。状況が理解できない俺はかたまってしまった。
「ちょっと仁(じん)!勝手に出ないで……やだ、課長!」
 おい。‘やだ’ってなんだよ。
「連絡したのに~。見なかったんですか?」
「え?」
 私用のケータイを取り出すと、確かにメッセージの着信を知らせるランプが点灯していた。バイブにしていたので気づかなかったようだ。

<課長、ごめんなさい!急に弟が部屋に来ちゃったんです。すぐに追い返すのでどこかで時間をつぶしててもらえませんか?>

 20代男性はケータイから顔を上げた俺の様子を、ニコニコしながら見ている。
「彼氏さんですよね。はじめまして。飛鳥の弟の仁です。」
 すっと右手を出してきたので、あわてて応じる。
「申し訳ない、ちょっと驚いて…塔宮貴志といいます。」
 まさか弟さんだとは。さっきはひどい顔をしてしまった気がする。なぜなら…。
「いや、本当に申し訳ない。…間男かと思った。」
 そんなことを正直に告げるのもどうかと思うが、ろくに挨拶もできない印象の悪い男、と思われるよりマシだろう。
 ‘間男’などという古臭い言葉の言い回しに、仁君は軽く噴き出した。
「ちょっと、何笑ってるのよ。課長に失礼でしょ。」
「良かったじゃん、ヤキモチ焼いてもらえて。成長したなあ、あーちゃん。」
‘あーちゃん’?
なんて可愛い呼ばれ方だ。こっちも笑うと、飛鳥さんはますます不機嫌そうな顔になった。
「…とにかく上がってください。」
 追い返す、なんていうメッセージを打ってはきたけれど、結局仁君も一緒に飛鳥さんの手料理を食べることになった。
 正直、俺としては大歓迎だ。お兄さんならともかく弟さんなら、なんとなく気が楽という面もあるし。
 なにより、子供の頃の飛鳥さんの話を聞いてみたい。仁君は3歳違いで、今は会社員をしているという。
「へえ、塔宮さん、その年であんな大きい会社の課長なんですか。すごいですね。」
「とんでもない。まわりの環境に恵まれてるから。」
「でも営業って大変でしょ。うちの会社も…。」
 仁君はよくしゃべった。やかましくない程度に。大変好印象な人物だ。飛鳥さんの弟さんだけあって食事のマナーもちゃんとしている。
「よかったなあ、あーちゃん。こんなにいい人つかまえて。」
「つかまえて、とか言わないで。人聞きの悪い。」
「昔から男っ気なかったもんなあ。時々告白してもらえるくせに選り好みして。」
「もう、そんな話やめてよ。」
 チラリと飛鳥さんの視線がこちらにくる。
「へえ。慎ましかったんだね。」
「慎ましい…。なるほど、そういう言い方もありますね。」
「そうよ。言葉を選んでちょうだい。」
「親父達に報告しないとなあ。あーちゃんはとてもとても紳士的な男性をつかまえました、って。」
「だからやめてってば。」
 その後も仁君の飛鳥さんに対する他愛もない攻撃は続き、和やかに夜は更けていった。



 飛鳥さんがキッチンのほうに洗い物に立つと、ずい、と仁君が身を乗り出した。
「実は軽く心配してたんです。」
「え?」
「最近、姉貴のやつ家に帰ってくる頻度が減ったんで、どうしたのかな、って。」
「ああ…。」
 なるほど。彼女の実家がそう遠くはないということに安心して、ちょっと気遣いが足りなかったかもしれない。
「でも安心しました。塔宮さん、いい人そうだし。なにより姉貴が幸せそうなんで。」
「そう見える?」
「はい。マンションに着いて姉貴の顔を見た瞬間、わかりました。すごくいい顔してます。」
 もし自分がそういう顔をさせているのなら、こんなに嬉しいことはない。仁君はビールをあおって話し続ける。
「弟の俺が言うのもなんですけど、姉貴は結構ちゃんとしてる方だと思うんですよね。微妙に天然で若々しさが足りないなあとも思いますけど。」
 褒めてるんだか、けなしてるんだか。
「あんまり重く受け止めてもらいたいわけじゃないんですけど…これからも姉貴のこと、よろしくお願いします。」
「いや、こちらこそ。」
 真面目に頭を下げられて、恐縮してしまった。
 シスコンといってしまえば簡単だが、こうやってあらためて兄弟姉妹のことを素直に話せるというのは素晴らしいことだと思う。普通はもっと恥ずかしくなったり、するものだろう。
 洗い物を一通り終えたらしい飛鳥さんが近づいてくるのに気づいて、仁君が軽く体をひいた。
「お酒、もう少し飲みますか?」
「俺はもういいよ。これだけ飲んで帰る。」
 最後の一口をあおり、仁君は立ち上がった。
「もう帰るの?」
「追い出されないうちにね。」
「何言ってるの、今さら…。」
 玄関まで見送りに出ると、最後までなんやかんやと飛鳥さんをからかって、仁君は帰っていった。
「ごめんなさい。やかましかったでしょ。」
「そんなことないよ。‘あーちゃん’の昔の話がたくさん聞けて楽しかった。」
「もう、やめてくださいよ…。」
 軽く胸を叩く彼女の手を押さえ、そのまま腰を引き寄せる。
「ねえ、2人で何を話してたんですか?」
「気になる?」
「…そうでもないですけど。」
 
 全く。素直じゃないな。
 
 エプロンの紐に手をかけると、飛鳥さんの体に変な力が入る。俺はリビングの向こうの暗がりになっている部屋を指差した。
「その話は、向こうの部屋でしようか。」
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