アマノジャク

藍川涼子

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第一部

06 最初の結末 (貴志視点③)

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 目を覚ますと、再び天使のような寝顔が目の前にあったので困惑した。
 彼女の告白は、彼女との複数回に及ぶ交わりはまさか夢だったのか。
 いや、そんなことはない。体にも部屋の中にもそれなりの痕跡はある。
 じわじわ喜びが込み上げてきた。
 彼女はあまりにもいつもと様子が違っていた。相当酔っていたのだろう。でも、好きだと言ってくれた。俺を求めてくれた。普段の彼女の清楚な様子からは想像もできない乱れぶりだった。でも決して嫌じゃなかった。彼女にされたありとあらゆることを思い浮かべると、冗談じゃなく耳まで熱くなった。
「なんつーかなー…。」
 しばらくすると、んー…、と、覚醒しかけているらしい声がしたので、声をかけてみる。
「飛鳥さん?」
 そっとキスを落とす。
 彼女は顔をしかめた。
「飛鳥さん…。」
 繰り返しの、キス。
「飛鳥さん…。」
 柔らかい体をぎゅっと抱きしめると、たちまち欲求が再燃する。
 飛鳥さんはつらそうに、ようやく目を開けた。
「起きた?体、つらくない?」
 彼女は俺の顔をまじまじと覗き込んだ。
「ひ、ひゃあああああ!?」
 恐ろしくけたたましい悲鳴。耳が痛い。
「なんで!?なに!?裸!?なに!?」
 昨夜のなまめかしさが嘘のように、飛鳥さんは自分の体をのぞき込んで大慌てだ。
「なんで、って…。」
 ええとさ。
 そんなに驚いているってことはさ。
 …俺、そんなに察しが悪いほうじゃないんだよね。
「ええと、あの、飛鳥さん。」
「はい!?」
「まさかとは思いますけど。」
「はい!?」
「何があったか覚えてませんなんて言いませんよね?」
「覚えてません!」
 即答だよ。
 おい。マジかよ。
 あんなに何度も求めあって、愛をささやきあって、濃密だった時間を、覚えてないだって!?冗談だろ!?
 そう思っても、飛鳥さんの困惑の表情は変わらなくて。
「ああ。そうか。そうですか…。」
 いつもの調子に切り替えないわけにはいかないんだな。
「わかりました。それじゃ、ちょっと失礼。」
 彼女の目に自分の体のあちこちが目に入らないよう、下着とシャツにスラックスを身に着けた。本当はシャワーを浴びて新しい下着と服を身につけたいところだがそうもいかない。
「そちらを向いてもいいですか。」
「はい…。」
 動揺が少しだけ落ち着いた彼女は、明らかに申し訳なさそうな顔をしている。
「あの、課長、ごめんなさい。」
「え?」
「お付き合いしていない方とこんなことをするなんて、私、初めてなんです。でもそんなの言い訳ですよね。きっと、2杯目に飲んだドリンク、アルコール入りだったんですよね。ちょっとアルコールっぽいなと思ったのにスルーしちゃってごめんなさい。それで眠くなって甘えてしまって、課長にご迷惑おかけしちゃったんですよね。すみません。今回のことはどうか忘れて…。」
「迷惑じゃないです。」
 なんだってこの人はそんなに謙虚なんだよ。全く。
「ずっとこうなりたかったです。ちょっと予想外の展開でしたけど。ていうか…。」
 探るように。彼女の瞳を容赦なく見つめる。
「わかってましたよね?俺の気持ち。」
 彼女の肩が揺れた。白い手が布団をつかむ。
「そん…。」
 乾燥のせいか、昨夜上げた嬌声のせいか、彼女はひどくせき込んだ。
「飛鳥さん…。」
 背中をさすってあげるのだが、いいですから、というように手を上げられた。

 ピコン!

 メッセージの着信を告げる音。飛鳥さんのケータイだ。
「栄子さんかもしれません。」
「え?」
「栄子さんがこちらまでついてきてくれたので。まあ、状況を見て気を遣って帰って行かれたんですけど。どうなったか、気にしてると思いますから。」
 彼女はいろいろと思いを巡らしているような反応を見せた後、素早くケータイを取り上げてメッセージを確認した。
 内容はわからないけど。
 息をのんで。強く目を閉じている。
 ごめん、飛鳥さん。動揺しているところ悪いんだけど、どうしても言いたいことがあります。
「正直言うと、もう1回したかったんですけど。いや、それ以上かな。ちょっと落ち着いてから、また会いませんか。今夜。」
「今夜、って…。」
「はい。今夜。」



 家に帰って仮眠をとった。たまらないほど濃密な時間は、俺に大きな疲労感をもたらしていた。
 約束した時間が近づいている。
 何を着ていこうかな。個室居酒屋とはいえ、行き帰りに誰かの目に留まる恐れがないとは言えない。
 ここは、用意周到に。仕事用の地味なスーツを着ていくべきだ。グレーのスーツに無難なシャツとネクタイを選び、家を少し早めに出る。
 俺のマンションから歩いて行けるほどの距離の店を指定したことを知ったら、飛鳥さんはどう思うだろう。
 店内に入って少しすると、飛鳥さんが現れた。
「あ。」
「あ。」
 飛鳥さんはシンプルなネイビーのスーツを身に着けていた。
 同じ気持ちでうれしくなる。
 それに、丁寧に仕上げたであろうナチュラルメイク。俺のために。そう思ったら嬉しい。
「仕事帰りみたいな恰好ですね。」
「課長こそ。」
「そういうところなんですよね。」
「え?」
「女子モード全開の‘おめかし’なんて絶対にしてこないと思ってました。もし誰かに見られてもいいように、そういう格好で来てくださると思ってました。」
「はあ…。」
 自然と落ち着いたトーンの声が出る。チャラくない俺に対し、飛鳥さんは戸惑っているようだ。
「格好はこんなだけど、気持ちは完全にプライベートですから。こんなトーンになりますよ。チャラついてなくて残念ですか?」
「残念てことはないです。」
 いつもの仕方なく出してくる愛想笑いじゃない、遠慮がちな笑顔。
「今日は本当のノンアルコールでどうぞ。」
 メニューを渡すと、さすがに飛鳥さんは申し訳なさそうな顔をした。嫌味を言ったつもりじゃないんだけど。
「もう、ほんと、すみませんでした。」
「いいです。きっと、飲んでみてアルコールっぽいなって思ったけど、飛鳥さんのことだから“本格的ですごい”とか“注意したらお店の人に悪いな”とか思っちゃったんじゃないですか。」
 俺の言葉に飛鳥さんは否定もせずもじもじしている。
 可愛い。
「食事はどうされます?」
「課長はよくこちらにいらっしゃるんですか?」
「まあ、時々。」
「じゃあ、お任せしていいですか。」
 あれこれメニューを吟味する余裕なんてないと解釈していいのかな。
「…初めてお話した時のこと、覚えてますか?」
「え…エレベーターの中でのことですか?」
「やっぱり覚えてるわけないか。そりゃそうですよね。…初めて秘書課にご挨拶に伺った日です。」
 仕方ないけど、やっぱり寂しいな。
「あなた一人だけみなさんからちょっと離れた場所にいて、栄子さんが呼んだんです。‘飛鳥、ちょっとこっち!’って。」
「はあ…。」
「現れたあなたは今時珍しい真っ黒の髪で。メガネをかけた顔が知的に見えて。おまけに薄化粧の肌がすごく綺麗で。印象的でした。」
「はあ…。」
「おまけに‘佐藤飛鳥です’という声がしっとりと耳に染みるような声で。正直女性社員の大半がこびるような声と視線でいるのに、あなたは違った。といって澄ましているというわけでもない。落ち着いた女性らしさを感じたんです。」
「……。」
「それで俺は、もう一度声を聞きたくて。‘飛鳥さんって、名字かと思いました。かわいいお名前なんですね。’と言ったのに、あなたは首を傾げて微笑むだけだった。声が聞きたかったのに。」
 彼女は恥ずかしそうにうつむいている。耳がひどく赤い。
 でも俺は追及の手を緩めない。
「それ以来、あなたのことが気になって。二人きりになるたびに声をかけた。…ふられてばかりでしたけど。」
「だって、塔宮課長は人気がおありになるから。女性社員が更衣室でよく話していましたもの。あそこの居酒屋にいったとか、あそこのバーに連れて行ってもらった、とか。」
「そりゃ、なにごとも円滑にやりたいですからね。社内接待ですよ。誘いをむげに断るのは仕事に影響が出る。それに、いつだって俺は同じ課の連中やとにかく誰か、誘いますよ。」
「え…?」
「二人っきりで、という誘いは気づかないふりをするか、他の誰かを誘うか、しつこければ申し訳ないけど断るか、します。」
 飛鳥さんがかすかに、嬉しそうに、笑った。
 俺はよほど喉が渇いていたらしい。無意識に飲んでいた生中はもう空だ。
「あ、あの…。追加注文します?」
「…そうですね。」
 正直おかわりなんて後でよかったけれど、飛鳥さんの気遣いを無下にしたくはない。
「最初は単純に外見に目をひかれたけれど、次第にあなたがとても真面目で、心くばりが細やかで、仕事熱心な人だということがわかりました。」
「…褒めすぎです。」
「そうかな。…ここまで言ってしまってあらためて言うのもなんですけど、つまり、あなたのことが好きです。」
 好きです、の声がかすれた。
 ああ。かっこ悪い。
 でも、もう、そんなこと構っていられるかよ。
「飛鳥さんは、どうなんですか。」
 彼女の白い手に触れる。しっとりとした白い手。
「…ゆうべ、聞いたんじゃないですか。」
「確かに言ってましたけど、あなたは大いに酔っていた。あれが本心かどうかなんて、わからない。」
 彼女の気持ちを逃がさないように、手に力を込める。
「私……。」
 ためらってためらって、言いよどんで、顔を真っ赤にしながら彼女は呟いた。
「好きになりたくなかったのに…。」
 うわあ。可愛い。
「意地っ張りで、可愛い人ですね。」
 その後は彼女を自分のマンションに連れて行った。
 昨夜の“雪辱を果たす”つもりで自分のペースで抱いた。…つもりだったが、やっぱり彼女は天然で俺の心を弄ぶのでたまらなかった。しかし、ひとつ反省。彼女を泣かせてしまった。
「お願いですから意地悪、言わないでください。」
 意地悪、とはまた可愛い言い方をする。だって昨夜とあんまり違うんだからしょうがないじゃないか。あんなに大胆だったくせに、今度は初めての高校生みたいに恥ずかしがって。演技してるんだろうとか、昨日みたいに大胆になってとか、言いたくなるだろう。
 
 あーあ。
 
 好きな子ほどいじめちゃうって、小学生か、俺は。
「それにしても、もう君にはお酒は飲ませられないな。」
「そうですよ、絶対にダメです。」
「まあ、俺一人の前でならいいけど。大胆な飛鳥ちゃん、たまには見てみたい気もするし。」
 彼女は唇をかんで顔を真っ赤にした。
「好きだよ。…とても。」
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