バックタイムペーパー 料理人 進士明政

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バックタイムペーパー

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始まり
俺は、バックタイムペーパーの停止ボタンを押して現代に戻った。
ベッドの方へ行くと夏子は静かに寝息を立てている。
彼女を起こさない様にそっと脇に潜り込んで布団をかぶった。
俺の名前は進士明政、二六才日本料理の板前で、実家桃山亭で妻の夏子(仲居)と共に働いている。
刺身を切ったり天麩羅をあげたり煮物を煮たりの仕事だ、しかし俺の仕事は、それだけではない、祝いの席や法要の席で包丁式を行い、日本料理の作法や決まり事をお客様に伝える事もしている。
父、忠政は進士流包丁式の家元で、父の後は進士流包丁式を俺が受け継ぐのだ。
包丁式?聞き慣れない言葉だが板前ならば誰でもできる訳では無い、板前として料理の修行プラス包丁式の稽古もしなくてはならない。
つまり俺は、若くして板前であって、包丁師なのである。
偉そうであるが、包丁式などしなくても味が良ければ店は繫盛する、商売と包丁式は別なのだ。
しかし俺には父から受け継ぎ進士流包丁式を後世に残す使命がある。
日々日本の歴史、それにまつわる料理と包丁式を研究している俺に、ある日思いかけない出来事が起きたそれは、バックタイムペーパーとの出会いだ。
夢のような話だがバックタイムペーパーは、過去に戻れるタイムマシーンなのだ。
日本の歴史を資料や文献で読み想像しなくてもバックタイムペーパーで過去へ行って確認できるのだ。
俺だけが経験、見る事の出来る過去の料理と包丁式、それは、俺にとってこの上もないチャンスである、何度もバックタイムペーパーを使って過去の日本の歴史、料理、包丁式を見てきた、歴史書や文献に書かれている史実と同じ物のあれば違う物あるので、過去へのタイムトラベルは面白い。
しかし面白いだけでは後世に残す事は出来ない。
この不思議な経験を記録して未来の子孫へと伝えて行きたい。
バックタイムペーパーとの出会いは二年前の・・・・・・・・・

  一、上杉君との再会
「加藤君、鮪引いてしまえ、今日は予約が多いからな」「安藤君、前菜のだし巻きを切って置いてくれ」
「柴田君、鯛のかまは、大きめに切り取って兜焼きにするぞ」
「今井君、海老の殻を剥いて細かく叩いて置いてくれ真丈にする」
と、俺は板場の皆にする指示を出した板場の仕事は仕込みが七割で、客が入ってからの仕上げが三割である。
昼席のお客様が入ってからでは、仕込みをする時間が取れない、お客様が入る前の朝の時間帯に仕込み七割を終わすのである。
十一時、昼席、桃山亭開店、客が次々と入って来る、席がいっぱいになる。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」仲居たちの声が交差する。
桃山亭昼席のランチは竹籠膳一五〇〇円と京風会席二五〇〇円が人気でどちらも刺身や天婦羅、八寸物、ご飯、味噌汁、最後に葛切り抹茶が付いてお得である。俺が日本料理の修行に行った京都翠光亭より五百円安く設定した事が当たって女性客にばかうけだ。
昼席のピークが終が終わりほっとしていた時、仲居の五十嵐さんが
「明政さん、お客様です」と調理場に呼びに来た。
「俺?」
「明政さんにお会いしたいと、お客様がいらしています」
「お客様?誰かな」
「板場離れます」と言うと帽子を取り前掛けをはずした。
「おう、行って来い」親方は、自分の椅子から立ち上がり前掛けを直した。
「お願いします」軽く礼をすると調理場の暖簾をくぐりホールに出るとジーンズにTシャツ姿の男性が立っていた。
「明政君ご無沙汰、覚えている?」男性はペコリと頭を下げた。
彼は小学校の同級、上杉陽一君だった。
「いやー、上杉君久しぶりだね」俺が挨拶をすると、
「今、ランチいただいたよ、すごく美味しかった」
「そう、食べに来てくれたの、ありがとう」
「京風の素晴らしい料理だね」
「褒めて貰ってうれしいよ、コーヒー飲んでいきなよ、こちらへどうぞ」カウンターへ招いた。
「ごめん忙しいのに」
「大丈夫、親方が調理場を見てくれているから、久しぶりだね、元気でいた?何年ぶりかな?」と子供の頃の面影を思い出していた。
「僕達が高校一年生の時以来だから八年ぶりだ、覚えているかな高校一年の時、明政君と同じクラスだった」
そうだ、彼は小学校の同級生だったが中学は、俺と違い特別勉強の出来る子しか入学できない東京の大地中学校。
その中学校もトップ成績で卒業した。
そんな優秀な子が、地元栃木県の高校調理科に入学した、と話題となり当時の新聞にも取り上げられた。
「思い出したよ」
「あー僕、板前になりたかったから、でも一年の一学期で辞めてしまったけど」と寂しそうな顔をした。
頭が良くその事で新聞にも出た上杉君は、先輩、同級生、先生からも注目され、入学早々僻んだみんなにいじめられていた。
先輩からは屋上に呼び出され、「頭のいい奴は料理人にならないで、学校の先生か政治家にでもなれ、料理人は頭の悪い奴が、包丁の腕と味付けで勝負するのだ」と上杉君の胸倉を掴み、拳を振り上げた。
俺は、「やめろー頭の良い悪い関係ない」と、上杉君をかばい、先輩を止めた。
「進士!てめえ」と先輩に殴られた事がある。そんな事が何度かあり一年の夏休みが終わると、彼は学校に来なくなりその後、会っていなかった。
「うちの家族、食べるのが好きでさ、子供の頃は父が色んな店に食べに連れて行ってくれた。綺麗、美味しいと褒められてご馳走様って礼まで言われてお金までもらえる。僕、料理人になりたいと思った」
上杉君は本気で料理人になろうと思っていたのだ、俺は言葉を失って「む・・」と唸って静かにコーヒーを飲んだ。
「僕、今岩本電子工業研究所の主任をやっている、若くして主任に抜擢されたから、皆からの風当たりが強くて辛いハハハー」と上杉君は、物寂しそうに笑って話を続けた。
「ずっと大学時代から研究していた機械がやっと完成した、過去に戻れる機械だぜ」
笑顔で言った。
「過去に戻れる機械?」
「高校辞めた後、ライブハウスで髪を伸ばしてディープパープルのコピーバンドでベースを弾いている明政君を見た。あの時のお礼を言いたくて声をかけたけど気付いてくれなかった。修行から帰って来て、お店を手伝っていると聞いたから、明政君!僕をかばってくれて有難う」上杉君は真面目な顔をして頭を下げた。
「おー」俺は頭の後ろをかき照れくささをごまかした。
帰りぎわに上杉君は名刺をに差し出した。
岩本電子工業研究所主任、裏には帝東大学物理工学科客員教授と書かれていた。
 
   二、バックタイムペーパー
板場で事故が起きた、俺が移動させようと持ち上げた鍋が、隣の揚場の天ぷら鍋にぶつかり天ぷら鍋をひっくり返してしまったのだ。揚場の谷口が足に火傷をして、病院に運ばれた。
「谷口、ごめん」俺は、谷口君に何度も謝った。
「大丈夫です、これくらい・・」と谷口君は強がっていた。
幸い前掛け下の足だけで済んだが、足首から下が大火傷で緊急手術となった。
俺は、なんであの時鍋なんか動かしたのかと悔やんだ。病院の椅子に一人座り頭を垂れながら、「時間を戻せれば・・」と、つぶやいた。
「時間を戻す?」そんな事出来ないと思った瞬間、上杉君の顔が浮かんだ。
確か、過去に戻れる機械って言っていた、ひょとしたら・・・その足で、上杉君の研究所を訪ねる事にした。
岩本電子工業は病院の近く、車で十分の所にある。
研究棟の受付で上杉君の名前を言うと受付嬢が研究室まで案内してくれた。チャイムを鳴らしドアを開ける。
「いやー、よく来てくれたねどうぞ、どうぞ」と、彼は笑顔で部屋に案内してくれた。
部屋は綺麗に整理されている、と言うよりも部屋の中央に応接用の椅子とテーブルがあるだけで余計な物が無いと言うのが正解だ、椅子に座ると隣の部屋のキッチンから入れたてのコーヒーを持って来てくれた。
「明政君元気でいた。この間はごちそうさま。桃山亭の料理うまかった」笑顔で嬉しそうだ。
「ありがとう、研究の方は進んでいる?邪魔しちゃ悪いからすぐ帰るよ」
「ぜんぜん平気だよ、邪魔なんかじゃないよ僕の研究は完成して今は後輩の研究の指導をしているから、どちらかと言うと暇だ、せっかく来たのだから研究室でも案内する?」
彼は、又嬉しそうに言った。
「俺が見ても分かるかな?」
「面白い物がたくさんあるよ、ハハハー」と笑った。
俺は来てすぐで悪いと思ったが本題を切り出そうとコーヒーを一口飲んで思い切って言った。
「上杉君この間、店に来たときに過去に戻れる機械の話をしていたよね、それって?」言葉を詰まらせた。
「うん、簡単に言うとタイムマシーンの研究」と、上杉君が答えた。
「え、タイムマシーン?」顔を上げ彼を見た。
「あれ?明政君興味ある?」と、声のトーンを下げた。
「完成している?俺過去に戻りたい」
「え、何かあったの?」上杉君はコーヒーカップを持ったまま驚いた顔をしている。
「先日、鍋を動かした俺の不注意で、揚場の谷口君に火傷をさせてしまった、過去に戻れるなら、事故を阻止したい、それって、出来るのかなと思って」と、弱々しく言った。
「桃山亭で有った時の明政君と雰囲気が違うなと思ったら、大変な事があったのだね、それで火傷の具合は?」
「結構ひどい、谷口君に、すまない事をした」俺は下を向いた。
「明政君元気出して、出来るよ、過去に戻る事」
「本当?」俺は目を丸くした。
「完成したタイムマシーンを使えば出来るよ、でもどうやって事故を回避したいの?」
上杉君は俺を見詰めた。
「どうやる?えーと、その日に戻って、鍋を動かすのをやめさせる」
「今の明政君が過去の明政君の行動を止めるということだね、残念だけどそれは出来ないんだ」
「え、過去に戻れるけど、今の俺は、過去の俺のに会えないの?」首を傾げた。
「うん、ちょっと難しいけど説明するね。完成したタイムマシーンの名前は、バックタイムペーパーと言う、普通タイムマシーンと言うと、自分自身が過去や未来にタイムトラベルする事をイメージするけど、僕のは、薄い紙みたいな機械を体に貼り、過去の自分以外の人物に乗り移ることしか出来ないんだ」と上杉君は説明をした。
「過去の他人に乗り移る?」
「明政君の場合、過去に戻り、その時その場に居た誰かに乗り移って、鍋を動かそうとしている明政君をやめさせる。バックタイムペーパーは、誰かに乗り移っる事しかできないんだ」
「でも、その誰かは俺が見えているのだよね?」
「そうだよ!乗り移られた誰かは、普通に明政君が見えている、今回の場合明政君は乗り移った人の目で自分を見る事になる」
「うむー・・・」俺は、普通のタイムマシーンとの違いを必死で理解しょうと腕を組んで考えた。
「このバックタイムペーパーを使った事により出来事が変わってしまう事がある。
誰にとっても良い方に変わればいいのだけれど、個人的な金儲けや欲の為には使わせたくない。明政君昔僕をかばってくれたよね、先生ですら僕を変な目で見て江田先輩には、明政君も一緒に殴られた。そんな明政君だから使ってもらいたい」
俺は、「いや・・」と頭をかいた。
「バックタイムペーパー見る?」
上杉君は立ち上がり、部屋の奥のドアを開けた、そこは研究室だった。
「明政君、こっちへどうぞ」
数台のコンピューターと、TVモニター、何に使うのか、難しそうだ。
研究室の机に向かい合って座ると
テーブルの上に電卓のような数字と文字が書かれた、薄い紙のような物が数枚置かれている。紙の上の方には窓のような物がある。
上杉君は、その中の一枚を取り上げ、
「これがバックタイムペーパー、紙の様に薄いコンピューターだ、これを体に貼るだけで、タイムトラベルが出来る」と言った。
「これで?」俺は上杉君が持つ紙のような物をじっと見た。
「このバックタイムペーパーで、明政君の行きたい、過去の時代の乗り移りたい人へ移動できる」
俺は、「・・・」と言葉がでない。
「使い方を説明するよ」と、話を続けようとした。
「ちょっと待って、分かった様な狐につままれた様な心の準備が・・・」
「ハハハー理解できないよね。でも、使い方は簡単だし、安全装置も万全だ。
まず、使ってみて覚えた方がいいよ。
この数字で行きたい年代日時を入れる。
乗り移りたい人の名前を入れる。
場所を入力する。
年代日時に乗り移りたい人がいない場合は、エラーが出る。
バックタイムペーパーを腕に貼る。
この青い(スタート)ボタンを押す。
一瞬で過去の人物に乗り移る現代に戻りたい時は赤い停止ボタンを押す。一瞬で現代さ簡単だろう?」と、上杉君は自慢げに説明した。
「でも、危なくないの?このバックタイム何とかが故障して、行ったきりって事はない?」
「大丈夫だよ、安全対策も万全さ、万が一何らかのトラブルが有ったら剥がせば瞬時に現代に戻れる、電源は人間の心臓、血流の流れ、体温、筋肉の動きから取っているから、死んでいる人には、乗り移れない」
「少し分かってきたけど、俺、谷口君を助けてあげたいから今から使ってみてもいいかな?」と無謀だが、思い切って言ってみた。
「ああ勿論だよ、タイムトラベルする前に誰に乗り移るか、年代日時、場所をきちっと確認してね、はい、これ」とバックタイムペーパーを俺に渡した。
俺は、事故のあった年代日時、場所、そして親方の名前を打ち込んで、上杉君を見た。
「上杉君、じゃ行ってくるね」
「明政君!頑張って」
俺は、青いボタン(スタート)を押した。
ふわりと出汁のいい香りがする。
俺は、桃山亭調理場の親方に乗り移って献立を書いている。
手を止め、調理場を見ると刺場の加藤君が鯛の皮を引いている、その向こう側で揚場の谷口君が鯧の切り身に打紛をしている、その隣で明政が芋を焚いて紙蓋をして、追い鰹をしているのが見えた。
いつもと同じ見慣れた風景だ、しかしこの後事故が起きるのだと思いながら時計を見た
「そろそろだな」親方に乗り移った俺は、つぶやいた。
親方(俺)は椅子から立ち上がり
「明政、追い鰹したら鍋の火を止めておけ、冷めるまで動かすな!それから、事務所へ行って献立のコピーを取ってこい」
親方(俺)は、今書いていた来月の献立を明政へ差し出した。
「はい、親方」と返事をして鍋の火を止め、明政がこちらへ来た。
自分で自分の姿を見るのは、変なものだ、こちらに歩きながら明政が「何枚とりますか?」と聞いた。
「板場全員分だ」と親方(俺)は、答えると、献立を明政に渡し、事務所に行くのを見届け、行動に出た。
「谷口、手伝うから鯧早く揚げてしまえ」と谷口君をせかしながらも、自ら谷口君を手伝い、揚げ物を終わらせ、揚げたての鯧を南蛮酢に付け込んだ。
「谷口、油の火、止めておくぞ」と油鍋の火を止めた。
「あ、親方ありがとうございます。助かりました」と谷口君は頭を下げた。
そこに、明政がコピーを持って帰ってきた。
「親方、コピー終わりました」と、献立を差し出した。
「おう、ご苦労、皆に来月の献立を渡すから、全員わしの所へ集めなさい」と、いつもの親方の言い方を真似て言った。
明政が全員に声をかけ親方(俺)の前に集まった。
「皆仕事頑張っているな、早いが、来月の献立を渡すから目を通しておいてくれ。
切り替え時に材料が無駄にならない様に各部所で調整してくれ。
解らない事が有ればわしか、明政に聞きいてくれ以上だ!」と、全員に来月の献立が配られ皆は自分の部所に戻って行った。
「ふうー、これで事故が回避できた」と小声で言った。
事故が回避出来たなら長いは無用、ぼろを出す前に自分に戻る事にしようと、左腕の袖をそっとめくりバックタイムペーパーの停止ボタンを押した。
「おかえり、どうだった?」上杉君の顔が見えた。
「うん、ばっちりうまくいったよ、過去に戻れるなんて夢の様だ、親方に乗り移っても違和感全く無かった、凄いねこのバックえーと何だっけ?」
「バックタイムペーパーだよ、使い方も、簡単だろう」
「ありがとう、思ったより簡単に事が進んで良かった。明日店に行くのが楽しみだこれ、返しておくね、今度は、遊びに来てもいいかな?」と俺は、今までの悩みが晴れたかの様に元気になっていた。
「もちろんだよ!いつでもどうぞ」
俺も上杉君も笑顔だった。
帰り道、谷口君が運ばれた病院の前を通りすぎた、慌てて引き返して病院へ行った。
「あのー足の火傷で運ばれた谷口宏明はどちらに行けば会えますか」と聞いた。
受付の事務員の女性は、「はい只今確認致しますので少々お待ちお待ちください」と言うと書類を探し、電話で確認をしていた、
「申し訳ございません。谷口宏明様と言う方は当病院には来院されていません、何処か違う病院とお間違えでは御座いませんか」と言った。
俺は、「有難う御座いました」とお辞儀をすると足早に病院を出て「ヤッター」とガッツポーズをとった。

   三、タイムトラベルの始まり
翌日、桃山亭に行くと谷口君は元気に天ぷらを揚げていた。
何故か谷口君の足もとに目が行ってしまう。
「おはよう」と谷口君に声をかけると、
「あ、明政さんおはよう御座います」と元気に返事が帰ってきた。
良かった全てうまく行ったのだと思いながら、つい「足、大丈夫?」と言ってしまった。
しまった!と思ったがもう遅い。
すると谷口君は何を思ったか俺の足を見た。
「足?駄目ですよ、明政さんそれでは、仕事がやりづらいのでは?」と谷口君は俺の足を指差した。
ハッと俺は、自分の足を見みると右は雪駄、左はシューズを履いていた、
慌てて「いや、あの、これ、鍋を持つとき左足を踏ん張れると思って、左も雪駄だと滑るし」と訳の分からない事を言いごまかした。
すると谷口君は、不思議な顔をしたが、
「そうか、鍋を持つときはその方がいいのか?」と言って、天然さを出して俺のでたらめを真に受けている。
そこへ親方がやってきた、「明政二人で何をごっちゃ、ごっちゃ、話している?今日は、昼の予約もいっぱいだ、早く仕事には入れ、あれ?その足どうした?なんで右足と左足違う物履いているのだ?」と不思議な顔をして言った。
すると谷口君が「親方知らないのですか、煮方は鍋を持つとき足が滑るから踏ん張れる様に右に雪駄左にシューズを」そこで俺は、谷口君の口を塞ぎ会話を止めた。
これ以上谷口君がしゃべるとまずい。つかさず俺は、「すいません直ぐに履き替えて来ます」と言った。
「調理場に入ったら身なりをビシッとしろ、ビシッとビシビシだ!」と言って親方は、戻って行った。
親方はビシット、ビシ、ビシと言う言葉が出ると機嫌が良い。
俺は、着替え室に戻り左足を雪駄に履き替えた。
その夜、桃山亭の営業が終わると、板場の皆と一緒に庖丁式の練習をした。
包丁式とは、古来より伝わる日本料理の食の儀式で右手に真魚箸を持ち左手に包丁を持って魚や鳥の食材に直接手を触れずに切り裁く日本料理の作法の一つである。
大俎板に向かい直垂、狩衣を纏い祝いの時の作法として行われる。
日本料理の板前なら誰でも出来る訳ではなく流派に入門して作法を習得して初めて出来るので有る。
食の儀式で有る包丁式を執り行う流派は、数多く存在したが、残念な事に現在に残っているのは、天皇流、進士流、大草流、五十間流、四條流、と数流派になってしまった、この流派の集団を包丁家と呼ぶ。
包丁家、には、包丁師と呼ばれる人間がいる。
包丁師とは、日本料理を極め包丁式を執り行う料理人の事で調理方法、調理技術、儀式作法まで極めた人間しかなれない。
俺の家系は、進士流と言われる包丁家で、
その歴史は古く、室町時代までさかのぼる
初代進士譜長、その子孫から、進士清蔵、進士蔵人、進士その子供に進士という人物がいる、藤延の姉、小侍従は、室町幕府足利義輝の側妾、父の進士晴舎は、室町幕府足利家の料理長で有った。
進士家は、足利家との繋がりや、天皇流の高橋家との繋がりも深く、出身地美濃の斉藤道三の娘が信長の嫁になる時にも、藤延の功績による物とされる。
その進士藤延を信長が見逃すはずもなく家臣として召し抱える。
信長に仕える様になって母方の明智の姓を名乗り明智光秀と名前をかえた。
主に信長の食事料理を担当していたが、鉄砲隊の武将としても優れていた。
つまり明智光秀は、包丁家進士流の包丁師で俺の祖先なのである。
日本の歴史書によると織田信長は、長篠の勝戦祝として徳川家康を安土城に招き接待役に進士流の明智光秀を使命、光秀は進士流の秘事をもって、接待を行ったと有る。
進士流祝い料理、作法も当時では、最高の接待のはずだが、何故か信長は、突然怒り出し、光秀に殴る蹴るの暴行を行なう。
信長怒りの理由としては、料理が腐っていたとか、味が不味いとか、逆に料理が良すぎたとか、面白い所では、進士流秘伝の鶴の式庖丁を披露したからだとか、天皇よりも上位にいる自分は、こんな素晴らしい接待を受けた事もないというみからだと言われている。
本能寺の変には、料理、包丁式が絡んでいたのだ。
桃山亭では俺が、板前達に進士流包丁式の稽古を付けている。
魚を三枚におろし、すだれ骨を引き、食べられる身、捨てる骨、真魚箸と包丁で切り分け
祝いや、法の型に俎板に並べる。
俎板には、名前があり
箸や包丁を置く五行、
頭や鰭を置く宴酔、
食べる身を置く朝拝、
捨てる身を置く四徳、
作業をする所を式、と言う。
真魚箸は、左手で使う、中指と薬指を内側に入れ、人差し指と薬指を挟んで突き刺すように使う。
この包丁と箸の動きには、現代日本料理の庖丁使いの技術が全て入っている。
数日を桃山亭の仕事と包丁式の稽古で過ごしていた。
しかしバックタイムペーパーの事を忘れた訳ではない、上杉君にお礼しなくちゃ、明日は店休みだからお菓子でも持って行こうと考えていた。
翌日、ケーキを買って妻の夏子と、車で上杉君の岩本電子工業所へ向かった。
妻の夏子は京都翠光亭の娘であり従妹でも有る。
俺が、翠光亭での修行中は、従妹と言う事もありよく京都を案内してくれた、その頃に二人は恋人同士になり従妹同士だが、俺が栃木桃山亭に帰えたら結婚すると決めていたのだ。俺(二十三歳)夏子(二十歳)の時に結婚した。
現在夏子は桃山亭で仲居として俺と一緒に働いて居る。
「俺、今から友達の所へ行くけど、夏ちゃん時間あれば一緒に行く?」と、俺は、妻の夏子を誘った。
「うん、行く行く」夏子は、嬉しそうに車に乗り込んで来た。
岩本電子工業は桃山亭から車で二十分、途中でケーキを買った。
研究室のチャイムを押すと、上杉君は、ドアを開け笑顔で迎えてくれた。
さっそく俺は、「これ、うちの家内夏子です」と、紹介した。
「初めまして、夏子です」と、ペコリと頭を下げた。
「初めまして、上杉です、どうぞお入りください」俺と夏子を部屋へ案内してくれた。
「明政君結婚していたの、僕まだ独身だと思っていた」と上杉君が言うと
「はい、一年前に結婚しました」と元気よく夏子が言った。
「そうだったの、知らなかった。ごめんね」
昭和五十九年の夏、俺はプロポーズをした。
決行の日いつも会っていた喫茶店で
「夏ちゃん僕と結婚してください」と言った。
「噓、明政さん噓言っているでしょう、明政さん噓言うと、右眼がパチパチして、頭くると回すから」
「何、俺そんな癖があったの?」
俺が驚くと、ペロっと舌を出した夏子が、
「冗談!そんな癖ないわよ、いつ言って来るか待っていたのよ、了解です明政さんと結婚します子供の時から明政さんと結婚すると決めていたから」と涙ぐんだ。
「夏ちゃん幸せにするね」と、用意していた婚約指輪をはめた。
隣の席のサラリーマン風のおやじが、こんな所でプロポーズするなと、変な顔をして煙草を吸っていた。
俺は、立上り夏子を抱きしめた。
おやじは、目を丸くして煙草を膝の上に落した。「あっちー」
夏子の成績は常に学年でトップクラス、運動が得意で陸上部、走り幅跳五メートル四一を飛んで中学校女子、最高記録を持っていた。
一方俺は、勉強はとんと駄目、授業中は居眠りの常習犯で、社交ダンス、バンド活動にのめり込んでいた。
バンドコンテスト、で全国大会にも出場したが、物にはならなかった。
高校は調理科に進学した、特に調理に興味が有った訳では無く、桃山亭を、次ぐと言う考えが何処かに有ったのかもしれない。
二人を思うと駄目男と美人で勉学運動に優れた夏子の変な夫婦で有る。
しかし夏子には、三つ程欠点がある、一つ目は、何処にいても、眠くなると寝る、トイレの中で尻を出したままでも、寝るので有る。
二つ目は、説明するのが下手なところだ。
三つ目は、周りを気にせず思った事をズバっと言う。
こんな事が有った。
桃山亭に初めて来た、お客様を、夏子が座敷に案内した。
注文は一万二千円の会席料理、板場も気合が入る、すると夏子が変な事を言い出した。
揚場の谷口君に吸物の当たりを付けてもらいたいというのだ。
「はあー煮方の俺か、親方が吸物の当たりを付けなくてはお客様に失礼だよ」と俺は、夏子に言った。
その時、「おーい」パン、パン「おーい」パン、パンと手を叩く音がする。
「あ、やっぱり、谷口君吸物の当たりお願いね、ハーイ只今」と夏子はお客様の所へ行った。
「親方いいのですか?」
親方は、「夏子の言う通りにしなさい」と静かに言った。
「俺、揚場だから吸物の当たり付けた事ないす」と谷口君が言うと。
「いいのだ、お前が付けろ」
「よしや、俺の神の舌で当たりをビシット決めたるで!」と谷口君は、ガッツポーズをしている。
その後の煮物も揚物の天出汁の味も谷口君が付けた。
お客様は、大変な喜び様で板場にチップまで置いて上機嫌で帰って行った。
俺は、夏子に聞いた。
「谷口君の当たりで良かったの?」
「私が座敷に入るとお客様は、床の間に向かって正座をしていた、直ぐに座布団を進めたわ、そしたら又正座で座ったの、あぐらが楽ですよと言うと、あぐらになった。
床の間に向かって下座に座って居るから、誰か来られるのですかと聞くと、一人だと言うの。
背広を着ているけどネクタイが曲がてる、腕時計のデジタルが消えているの、手はガサガサで農作業でもしていたかの様、ご注文はいかがなさいますかと聞くと一番高いのをくれ、とメニューも見ない、お飲み物は、と聞くと水をくれて、お茶でもいかがですかと聞くと、あ、それでいいと震えながら、言うの、只今ご用意致しますのでしばらくお待ちください、と言って調理場に戻ったの。
そしたら、おーいパンパン、おーいパンパンと仲居を呼ぶ声と、手を叩く音がしたの、あ、やっぱりと、思って谷口君に吸物の当たりを頼んだわけ、わかった」
俺と板場の皆は、目を丸くした。
谷口君が、手をパンと叩くと、
「わかった、そうだったのか、つまりお客様は、俺の神の舌に度肝を抜かれたてことか」と、ガッツポーズを取ろうとした。
「馬鹿かお前、まだ料理食べてねだろう」と加藤君が言うと、
夏子が、「親方、出しゃばった。事をしました。申し訳ありませんでした」と、親方の方を向き深々と頭を下げた。
親方は腕を組んで「本来ならば店の味付けを楽しんでもらうのが筋だが、今の話を聞くと、これで良かったと思う、夏子は流石に公治の娘だな」と、言った。
「夏子ちゃん、ちゃんと説明して」と、俺が言うと、
「ちゃんと詳しく説明したよ」と夏子は自分の説明に納得している。
すると親方が、「夏子はきちんと説明した、皆わからんのか?」と全員を見渡した。
「ならば、わしから説明しょう結果から言うと今日のお客様は、田舎者だから味付けを濃くしてくれという事だ。
田舎者と言っては、失礼だが、座敷に通されたお客様は下座に座り畳に正座で座っていた、日本料理のお店に行った事が無かったのだな。
メニューも見ず一番高いのを注文した、普段行く店は、壁にお品書きが貼ってある、メニューの見方が解らなかった。
お飲み物を聞くと、水をくれと言った。今まで入ったことのある店では最初に水が出てくるからだ。
服装だが、背広を着ていたが、ネクタイが曲っていて腕時計のデジタルが消えていた、時間を気にする仕事ではない様だ、そして手はガサガサだった。お客様の職業は何だと思う」親方は皆の方を見て聞いた。
「農家の人」「山師」
「あ、おれ大工さんじゃ無いかと思う」と
皆は、口ぐちに思い当たる職業を言った。
「お客様が座敷から仲居、を呼んだとき、夏子は、やっぱり!と言った。
わしも違和感を感じた。
普通、人を呼ぶときは、おーいパン、おーいパンと手叩きは一回だ、しかしお客様はおーいパンパン、おーいパンパンと二回手叩きをしていた。
二回手叩きをするのは、柏手、神社にお参りする時だ。
何の職業かはわからんが、背広で、静かに、する事務仕事ではなく、汗をかく仕事の様だ、どんな食事を好むと思う?」
「かつ丼、豚カツ、唐揚げ、ラーメン、塩辛い物かな」と谷口君が言うと、
「そうだな、谷口お前が良く作る賄いだ、しかし日本料理店でそんな料理は無い、せめて吸物や煮物の塩味だけでも濃くしてあげたいと夏子は思い。
谷口に当たりを頼んだ、人を呼んだ事が無い為に、神社で打つ柏手を打った、夏子は間違いない田舎者だと思った、わしも柏手を聞いた時このお客様は田舎者だと思った」
すると夏子が、「明政さんの味付けは上品で薄味で、美味しい料亭の味よ、でも今日のお客様の様な田舎者の好む味ではないわ、谷口君が作る賄いはいつも塩辛く、丁度いい不味さだから今日のお客様には谷口君の味付けだ!と思ったの、お客様は美味い、美味いて大変喜んで緊張がほぐれたみたい」
夏子は本人がいてもズバっと言う。
谷口君は、夏子の言った事を理解したのか、小さくなって「俺の神の舌がー」と言いながら指遊びをしていた。
夏子の味をとらえる感覚記憶力は素晴らしいが説明をする力と雰囲気を考えずズバズバ言う所が欠点である。

「先日は大変お世話になって助かりました、お礼も言わずご無沙汰してしまって、これケーキです」と俺は、上杉君にケーキを差し出した。
「ありがとう、今、コーヒー淹れてくね」とコーヒーとケーキを持って戻ってきた。
「上杉君、この間はありがとう。谷口君も何もなかったように毎日元気に仕事しているし親方も全然気づいてない」と俺は、礼を言った。
「良かった、上手くいって、また使いたくなったらいつでも使ってバックタイムペーパー」と上杉君は笑顔で言った。
「ありがとう。何かの時は、是非使わせてください。コーヒーいただきます」三人は、コーヒーを飲んだ。
「わぁー、おいしい」夏子は、元気に言った。
三人はケーキとコーヒーを飲みながらしばらく雑談をしていた、すると上杉君は何かを思い出したのか突然立ち上がり
「そういえば、明政君に見てもらいたい物があるのだけど」と言うとキッチンの冷蔵庫から小さな包みを持ってきた。
「明政君、これ何だか分かる?めちゃおいしいんだ」と言いながら包みを開けた。
中には焼いた魚の切り身が入っていた。
「これは、鯧だな。食べてもいい?」と言いながら一口食べると、脇から夏子が、
「この焼き目を見ると、炭で焼いているわ!しかも、身が厚いし良い仕事をしている。私も一口いいかしら?」と言うと焼魚を手でちぎってポンと口の中へ入れた。
「フム、この仕事ぶりだと、京都嵯峨野の貴船山かも。あそこの親方の味に似ているわ。でも味噌が少し違うような気がするけど」と口をもぐもぐさせている。
「奥さんそこまで分かるの?明政君はどう?」
「大きめの鯧の切り身を西京漬けにして、炭で焼いている事は分かるけど、作った店や味噌の味まではちょっと・・」
「上杉さん京都へ行かれたのですか?焼いてからそんなに時間がたってないわ」
「いやー、夏子さん正解です、実は昨夜京都で・・」と言ったがその後の言葉を濁した。
「じゃあ今朝、栃木に戻られたのですか?」
上杉君は頭を掻きながら、「実はバックタイムペーパーで信長の祝いの席の魚を持ってきた」と言った。
「はあ?」と俺と夏子は口を開け固まった。
「上杉君タイムトラベルしてきたの?」と俺が聞くと、
「バックタイムペーパーで色々な時代の晩飯を食べに行くのが今の僕の楽しみだ」と、ぶきらぼうに言った。
俺には、彼の言っている事が理解できるしかし夏子には無理だ。
「上杉さん、えーと、バ、信長、魚?」
夏子は、パニックをおこしている。
「夏ちゃん、俺がよく説明するから落ち着いて」と、詳しく説明をした。
しばらく黙って俺の話を、聞いたが、
「そんな事が本当に出来るなら、明政さんにとって最高の事ね。いつも日本料理や庖丁式の勉強をしているから昔に行って、見ててこられるじゃない」と、タイムトラベルの事を理解した様である。
「昔の料理を食べたり、庖丁式を見に行ったりするのは、バックタイムペーパーがあれば簡単だ、でも歴史に詳しくないと、失敗やトラブルに巻き込まれたりするよ」
夏子は、上杉君の方に向きを変えると、
「任せてください、主人は進士流の庖丁師ですから日本の歴史は誰よりも詳しいです」と、自慢気に言った。
「上杉君、俺、日本料理や庖丁式の過去を見てみたい。その時はバックタイムペーパーを貸してください」と、頭を下げた。
脇では夏子も俺と一緒に頭を下げている。
上杉君は二人の態度に戸惑ったのか両手を振りながら、
「わー、そんなかしこまって二人とも頭を上げて!了解だからいつでも使えるように、これ持って行って」と、上杉君はバックタイムペーパーを、差し出した。
帰りの車の中で夏子が口を開いた。
「明政さん私を上杉君の所へ一緒に連れて来たのはバックタイム何とかを私に教える為だったの?」
「いや、バックタイムペーパーの事を、教えようとして連れて来た訳ではないよ、谷口君の火傷を回避出来たお礼をと思って」
「二人は噓を付かない、秘密を持たないと約束したのに」と夏子は頬を膨らませている。
「ごめん、バックタイムペーパーの事を夏ちゃんに説明して無くて、怒っている?」と、夏子の方を見た。
「前向いて運転しなさい!」と夏子は強い口調で言った。
「谷口君の火傷を阻止する為に過去へタイムトラベルしたのでしょう?優しいのね」と今度は、優しい口調で言った。
「うん、谷口君の火傷を見たら、申し訳無くて」とハンドルを握りながら謝った。
「明政さんは、ちゃんと謝るし、子供頃からいつも私や周りの人に優しくしてくれた。今回のことは、許します」と夏子は静かに言った。

  四、川中島
市場にはいつも、新鮮な魚が多く並んでいる。
「へい、いらっしゃい」と、田中魚店の田中社長は元気だ。
「おはようございます。今日は、鰤を仕入れるつもりで来ました」
「あいよ!何匹欲しいの?」と田中社長は見た目が怖そうだが気は優しく人は良い、栃木県独特のなまりで喋る、桃山亭親方、俺の父と同い齢で、自分の子供の様に俺に接してくれる。
「はい、三匹ほどもらいたいのですけど」と俺が言うと、「あいよ!鰤の季節だから活のいいのが、入っている、ほれ、そこら辺の箱見てみな」と指を差した。
見ると鰤が入った発泡スチロールが山の様に積んで有る。
鰤は出世魚で一般的には三十センチ位を関西では、つばす、関東では、わかしと呼ぶ。
五十センチ位の物を関西では、はまち関東では、いなだと呼び、八十センチ位の物を関西では、めじろ、関東ではわらさ、と呼ぶ。
八十センチを超えた物を関西でも関東でも鰤と呼ぶのだ。
そして北陸、九州、東北など地方によって呼び名が変わる面倒な魚なのである。
体が大きくなって、出世すると考えた昔の人は呼び名を変えて季節を感じた、それが出世魚の呼び方の始まりで有る。
「明政さん、いらっしゃい!今日は、鰤の仕入ですか?」と後ろで声がした、振り向くと田中魚店従業員の青木君だ。
魚の配達が専門だが、インテリで魚の事は勿論、政治や経済、スポーツと何でも詳しく異色の魚屋だ。
「あ、青木君、おはようこの位の大きさだと何て呼ぶのかな?」と手を広げると、
「その大きさだと、わかしかな、でも出世魚だからと言って大きさによって名前を変えて呼ぶ必要は無いですよ、僕らは魚のプロだから知っているけど、仕入れに来るお客さんだって知らない人が多い、下手に大きさで名前を言うと、こんがらがって面倒くさいから全部鰤と呼んでいるんです」と青木君が言った。
なる程、鰤は関東、関西で呼び方が違うし、板前達は皆修業した場所の名前で呼ぶから、こんがらがる。
「明政さん、出世魚と言えば鯔の卵が唐墨だって知っていますよね、普通は唐墨用に卵だけ取って身は捨ててしまうけど、新鮮な鯔は刺身で食べると、抜群に美味いと知っていました?鯔も出世魚で、十センチ以下をおぼこ、いなっこ、すぱしり、いな、三十センチから五十センチをボラ(鯔)と呼び、そこまでなら刺身で食べても焼いても美味い、それより成長すると、とど、と呼ばれてとても食べられたもんじゃない。
昔の人は、とどのつまりは、煮ても焼いても食えない、と言った訳です」
頷きながら腕を組んで聞いていると、他のお客様と話をしていた田中社長が、
「どうだい気に入った鰤は見つかったかい」と言いながらこちらに来た。
「はい、この三匹、もらいます」と俺は、鰤の入った箱を指差した。
田中社長は箱の蓋を開けて、
「どれどれ、ふーむ、明政君も目利きが出来てきた!どの鰤も身の張り具合最高だ。
氷見産の鰤だからどれを選らんでも悪くないけどな、ワハハー」と豪快に笑った。
「所で何に使うのだい。刺身、照り焼き、それとも大根と煮て鰤大根?桃山亭さんなら先ずは包丁式でこの鰤を、お客様に見せて、から料理しないと勿体ないな。
お客様も丸のままの鰤など見た事が無いだろうから、ワハハー」と又笑った。
包丁式の切汰図の中に鰤があったかな?帰ったら切汰図を確認して見てみょう。と鰤を軽トラに積み込み早々と桃山亭へ向かった。
「親方、仕入れから帰りました」と親方に声を掛けると、椅子に座って新聞を読んでいた親方がメガネを外して調理場に入って来た、
「おう、ご苦労良い鰤あったか?」と発泡スチロールの脇の重さの書かれている数字を見た。「おお、でかいな」
「今日は、鰤三匹仕入れてきました」
「そうかどれ、おっ、氷見の鰤だな重さも大きさも申し分ない」
親方は、鰤のエラを開き、エラの色を見ている。エラの色が鮮明な赤であるほど新鮮なのだ。
「親方、この鰤を包丁式で切ってお客様にお見せしても良いですか?」
「ああ素晴らしい鰤だ、包丁式を見せても良いな、派手な切り方が良いな、明政!鰤の切汰図を持って来い」と、鰤の包丁式に賛成の様である。
切汰図とは、鳥や魚の包丁式の切り方を記録した絵の事である。
鯉、鯛、鱸、真名鰹、鮒の五魚と鶴、雉、鵠の三鳥が基本となるが流派によっては、海老、蟹、鰹、鰤、鮟鱇、河豚など数多く有る。
鯉の切汰だけでも三十六数種の切り方があるので全ての鳥、魚の切汰を数えると数百種類となる。
「親方、切汰図の中に上杉流ってありますけど?」
「上杉流?越後だな」切汰図をじっと見た親方は、
「あーこれは上杉謙信の武将の村上義清が行っていた庖丁式の切汰図だ。
上杉家の料理番だが料理だけでなく、作戦伝達庖丁式も行う武将だ、謙信からの秘事の作戦を義清が、包丁式によって家臣の武将達へ伝えるのだ、この包丁式の作法は、上杉流独特で他の流派には無い」
上杉謙信のもとの名前は、長尾景虎と言う、越後の龍、軍神とも言われた戦国時代最強の武将である。名前を長尾景虎、上杉政虎、輝虎、と変え晩年に上杉不職庵謙信と名乗り北陸を、支配したのである。
「斐の武田信玄と戦った川中島の戦いがあるよね、どっちが勝つたのだっけ?」
「勝敗に関しては、人によって色々な見方があるので、どちらとも言えないが、上杉軍は強く鉄の壁と言われた。
毘沙門天から取った、毘の旗を見ただけで敵の兵士達は震えあがったそうだ」
「この切汰図の中に謙信が強かった秘密があるかも知れない俺、鰤を切って見ます」
「それなら仕事終わってから板場の皆にも見せてあげなさい。切った身は鰤大根にするから一口大に切っておいてくれ」
その夜、俺は板場の皆を集めて鰤の包丁式を始めた。
の鰤、の鰤、の鰤、の鰤、の鰤、の鰤、の鰤、の鰤、の鰤、横の鰤と数種類の中から簡単そうな切り方を選び切汰図を見ながら身を細かく切り並べた。
「なにを表しているかな?誰か親方を呼んで来てくれ」
「はい、只今」と、焼場の柴田君が親方を呼びに行った。
しばらくして親方が座敷に入ってきた。
「親方、忙しいところすみません。これ、何かの形を表しているのですか?」
親方は何かを食べていたのか口をもぐもぐ、させながら俎板の上の切り分けられた鰤をじっと見ていた、おもむろに俎板の上を指差しゴクリと、今食べて物を飲みこむと
「こ、これは、魚鱗の陣だ!」と言った。
「戦の時の陣形だ、明政の切った形は、魚鱗の陣を表した物だ」と口をとがらた。
「これ戦の時の形なのですか?」
「ああ、明政切汰図を見せなさい」親方は、
切汰図へ目を移すと
「ま、間違いない戦の陣形を表した上杉流秘伝の形だ、有力武将達に見せ作戦を実行させたのだ。
明政!でかしたぞ、この陣形を絵や切汰図で見た事はあったが・・・」親方は俎板を指差し
「鰤の頭が本陣で、口の先が敵いる方向を表している、小さい切身の上に、より小さい切身が乗っているのが騎馬隊、細く少し長い切身は槍隊だ、普通の切身は歩兵隊だ、そして本陣を表した頭の奥に置かれた子守り之鰭これが上杉謙信を表している。
骨を細かく切り並べてあるが、これは敵の部隊を表していて尾が、敵の大将だ。
こうやって並べて見ると、リアルだ実際に切って見ないと切汰図を見ただけでは、わからん」と、腕を組んだ。
その時、谷口君が口を開いた、
「親方質問しても良いですか」
板場の皆はどんな事を質問するのか谷口君に注目した。
「さっき食べていたのは何ですか?」
「カステラだ」と親方は、腕を組んだまま俎板の上の鰤を見つめながら答えた。
皆は「ワー」と声を出し一斉にひっくり返った。
作戦伝達の包丁式か、実際に見てみたい、戦の始まりは、食い物の取り合いと聞いた事がある、食い物と戦は、切っても切れない関係なのだろうか、バックタイムペーパーで見て来ようと思った。
部屋に戻り「夏ちゃん俺、タイムトラベルして村上義清の行う、上杉流の庖丁式を見ようと思うのだけど?」
「あら!タイムトラベル、行きたい所は危なくないの?」
「文献できちんと年代と乗り移る人物名を調べたから」
「誰に乗り移るの?」
「上杉謙信」と俺は、元気に答えた。
「えー危ないでしょ!戦国時代の越後の虎よ!そんな人に乗り移るの?」
「大丈夫だよ、今回のタイムトラベルの目的は、謙信の部下の村上義清が行う包丁式を見るだけだから危なくないよ、それと上杉謙信は越後の虎じゃなくて越後の龍だよ」
「明政さん!上杉謙信は、名前を変える時景虎、政虎、輝虎といつも虎の字を使っていたから越後の虎とも呼ばれたの、だから謙信の事を越後の虎と言っても、龍と言ってもどちらも正解なのよ。
武田信玄と川中島で五回戦っているけど、四回目の川中島の戦いが龍虎の戦いで一番有名ね、村上義清は北信濃の大名だったのだけど、武田信玄に追われて越後の上杉謙信を頼って謙信の傘下になった、川中島の戦いは、村上義清の北信濃の奪還が目的と言う説もあるわ」
「夏ちゃんは歴史も詳しいんだね。俺、上杉謙信に乗り移って戦を見てくよ」と、名前、年代、地名を入力してバックタイムペーパーの実行ボタンを押した。
越後の国、山の雪はとけ春が訪れようとしていた。ここは、越後春日山城である。
「信玄奴!」上杉謙信は、苦虫を潰したような顔をしている。
永縁三年(一五六〇)俺は、上杉謙信に乗り移った。
「酒を!酒をつげ」と謙信(俺)は大声で言った。
「はっ、ただ今」武将で、料理番でもある村上義清は、大徳利から酒を注いだ。
謙信(俺)は、で酒をあおっている。
馬上盃は、大きな盃の形をしているが、こう台が棒のようになっていて、膳の上に置くことが出来ない、転がってしまう。
馬の上で酒を飲む時に使う盃なので、置く必要はなく、手で持ったままで良いのだ。
つまり、注がれた酒は、全部飲み干す。
「親方様、そんなに飲まれては、身体に毒でございます。雪はもうほとんどありませぬ、いつでも出陣できます」と村上義清が否めるが謙信(俺)は教卓をはじき飛ばして
「信玄、今度会ったときがこの世の別れと思え、この謙信が成仏させてやるゆえ、首を洗って待っておれ」と、目を大きく見開いた。「義清、明日の軍議の庖丁式は、分かっておるな」
謙信に乗り移った俺は、義清を見た。
同時に、謙信の頭の中の記憶を探った。
越後の内乱を押さえ北陸に、もう敵はい無い関東もすべて我の配下だが、天下に号令をかけるには、まず目の上の邪魔者をつぶさねばならない。
これまで七十あまりの戦で勝利して来たが、武田だけは取り逃がしておる、三度、川中島で対戦しているが、明らかな勝負は決していない。
次は四度目となるがこれをしくじればもう天下を狙う事はかなわぬ。と、頭の中は武田を潰す事でいっぱいである、次の戦略も出来上がっており、村上義清に伝えてある。
次の日
春日山城の座敷に上杉政虎、直江実綱、柿崎景家、甘柏景持、中条藤資、色部勝長、高橋政頼が集まった。
笛の音が響く中、村上義清が裃にて現れ、上杉流の鰤の庖丁式が始まった。
懸り、水撫と進み、作戦伝達の鰤の包丁式切汰が始まる。
鰤の頭が切り落とされ、水口をこちらに向け、宴酔に置かれた。武将達は、まな板に釘付けだ、なぜなら謙信の作戦が村上義清に伝えられこの切汰に表現さるからだ。
鰤の身は細く細かく切られ、頭の水口に向かって丸く置かれた。
「こ、これは、車掛かりの陣」と、直江実綱が言った。
「実綱、声に出すな」と柿崎景家誰が否めた。
密令の作戦や陣形が武将達以外の者に漏れてはならないので有る。
厳重な警備の中の軍議であるが、武田の間者(すっぱ)が忍びこんでいるかもしれない。
「うー」武将達は、声に出さないで唸る者、黙って下をむく者、腕を組んで上をむく者と様々で有る。
何故なら車懸かりの陣は、下手をすれば全滅しかねないのだ。
どの武将もその事を良く知っている、そして車懸かりの陣を使うと言う謙信の意気込みも感じていた。
車懸りの陣は、一つの部隊を数百人ずつに分け、円を作る様に、数百人が一体となり回りながら敵と戦う、上杉軍独特の戦法なのだが、一人一人は大変な労力が必要になる。
敵と戦った後は、勝負にかかわらず円に戻り、引くのである。そして、円を回り、また敵と戦う、これを繰り返すのである。
つまり、戦った後は、ずっと走りっぱなしの過酷な戦法なのである。
円を大きくしてしまっては、兵は疲れてしまい、小さくては、通常の突撃と同じになってしまう、ただし敵にとっては、これほど恐ろしい戦法はない。
今の敵を防いでも新たな敵が次々とぶつかってくるからだ。
この恐ろしい戦法は、村上義清の行う上杉流庖丁式で伝えられた。
謙信は、今回の出陣で決着をつけるという覚悟なのである。
しばらく沈黙が続いた後に、「親方様、賛同いたしかねます」「味方の損害が・・」と、武将たちが口々に言った。
兼信(俺)は、馬上盃の酒をまた一口で飲み干し立ち上がり
「わしが、車掛かりの先陣に立ち、武田を全滅させる。異論は許さぬ。作戦終了後は、善光寺に全軍引く」と、言うと、兼信の決意を理解したのか、謙信の戦略は絶対間違いないのか、あっさりと「了解いたしました」と、武将たちは、礼をした。
俺は、今回のタイムトラベルの目的村上義清の行う鰤の包丁式を見る事が出来た、しかしこれから起こる川中島四度目の戦いを見たくなった。
一度現代に帰りこの川中島の戦いが
どの様なものか記録を歴史書で確認しようと、謙信の腕をまくりバックタイムペーパーの停止ボタンを押した。
「あら、随分早いのね」と白い顔が目の前に有った、思わず「わあー」と声を上げて飛び起きた、それは顔にパックをした夏子だった。「夏ちゃん!」俺は、ビックリして夏子の顔を確かめた。
「あら、ごめんなさい、どうだった上杉謙信に乗り移って村上義清の包丁式見られた?」と夏子は、白い顔のまま聞いてきた。
「ああ、村上義清の鰤の包丁式の技、素晴らしかった、でも目的は、包丁の技より切った後の身の置き方の方が重要で、謙信の作戦は、上手く伝わったよ」
「フーン」と夏子は、パック中の口をとがらせた。
歴史書を見ると、永縁四年(一五六一)武田軍、二万、上杉軍、一万三千、は、川中島で対戦した。
に、一万三千の軍を引いて、登った上杉軍は、二日経っても下りてこない。
業をにやした。武田軍は、兵を二手に分け、戦法を取る。啄木鳥が木の裏側をつつくと驚いた虫が表の穴から出て来るそれを、食べるという事から、啄木鳥戦法と名付けられた。
武田軍の山本、高坂、馬場の率いる一万二千の部隊が妻女山に向い、山から追い出す作戦だ。しかし、それを未然に察知した上杉軍一万三千は、ひそかに山を下りてしまう。
川中島八幡原に、八千での陣を敷いた武田軍に対し、妻女山から下りてきた一万三千の上杉軍は、作戦通りの車掛かりの陣で、武田軍に襲い掛かる。
武田軍八千は、世にも恐ろしい車掛かりの陣をまともに受け、全滅と思われた時、やっと妻女山から下りてきた一万二千の武田軍が、後方から援護に入った。
信玄は、九死に一生を得た。
武田軍が山から下りた事を知った上杉軍は、予定通り、善光寺へと引いたのである。
これを見ると、上杉軍は、すべての作戦が予定通り成功したと言える。
それに対して、武田軍は、啄木鳥戦法の失敗により、山本勘助が討ち死にし、さんざんたるものとなったが、善光寺に引き上げる上杉軍を逃げたとみなし、武田軍は勝利したとを上げた。
どちらが勝ったかは、人によって見方は違う。
死者は、武田軍、四千、上杉軍、三千、となり、両者とも、有能な武将を含め、大きな損失を負った。
俺は、作戦通りに全て進んだ上杉謙信の勝利と見るが武田側はどう見ていたのだろう?
「ははん、直ぐに又タイムトラベルする気ね」と後で夏子の声がした。
振り向くとさっきと同じく白い顔の夏子が言っている。
「料理や包丁式と関係ないけど四回目の川中島の戦いが見たくて、今から武田信玄に乗り移って、みょうと思う」
「やっぱり!そうなるだろうと思った、でも川中島の戦闘中は駄目よ、四回目の川中島戦が終わってからにしなさい、その方が安全だし上手く行けば武田流の包丁式も確認出来かも知れないから」
「武田流の包丁式か・・・」と、納得した俺は、バックタイムペーパーを永禄四年(一五六一)躑躅ヶ崎館、武田信玄と打ち込んで実行ボタンを押した。
ドンドンドン 太鼓が鳴り、皆酒を飲み、中には踊りだす者もいる。
では宴が盛り上がり、戦勝祝最高潮である。
武田信玄に乗り移った俺は信玄の記憶を確認した。
四回目の川中島戦いは、啄木鳥戦法を実行した後、残った八千の兵で鶴翼の陣をしいた。息を、凝らして妻女山から啄木鳥軍に追われ逃げ下りて来る上杉軍を待っていた。
川中島は闇夜で、一寸先も見えない、目をさらの様にして前方を見る、半時もすると少し明るくなって来た。しかし靄が深くやはり何も見えない。
小さな地響きの音が聞こえる様な気がする、気のせいだと自分に言った。
上杉軍は、啄木鳥戦法の武田軍が山を登り攻めて来るとは思わないだろう。
謙信奴!これで最後だ、山を下りた上杉軍は、鶴翼陣にて包み込み皆殺しだ。
そんな想像していると虫の鳴き声がピタリと止まった。
脇には武田軍二十四将達、十一名が控えている。
「虫の音が止まった・な・何か変だ、気持ちが落ち着きません」と武田二十四将の内の真田弾正忠幸綱が言った。
すると、「実は、私も先ほどから嫌な予感がしてなりませぬ」と飯富兵部少輔虎昌も言い出した。
そこへ「大変でございます」と、板垣信方が飛び込んできた。
「何事じゃ信方あわてるな」と信玄が板垣信方をいなめた。
「大変でございます。謙信、上杉軍が現れました」板垣信方が言うと、そこにいた武将達は一斉に立ち上がった。
今まで黙っていた多田淡路守満頼が、「そんなはずは無い、武田啄木鳥軍はもう上杉軍を山から追い出したのか?」と大声で叫んだ、「いえ百足衆によると武田啄木鳥軍は、まだ山を登っており上杉軍とは、遭遇しておりません」と板垣信方が言うと。
武将達皆は上杉軍を確認しょうと前方にかけ寄った。
しかし霧が深く上杉軍を確認出来ない、目を見開いて確認しょうとしていた小幡豊後守昌盛が、「上杉軍は何処だ」と叫んだ。
「前方半里ほど前に布陣しております」と信方が叫んだ。
前方を見る、明るいが靄で何も見え無い。
その時風が吹き霧が晴れてきた、前方を見ていた武将達の目の前に、毘の一文字の旗が数百枚風に煽られ翻っているのがはっきりと見えた。
「な!なんだこれは」と、言うと同時に秋山虎繫はひっくり返った。
他の武将達は、踏みとどまってはいるが腰が抜けている。
百足衆の報告が入る。
「申し上げます上杉軍は隊を、数百名ずつに分けて大きな円を作っています。
上杉の部隊は攻めては引き、攻めては引き、を繰り返し、こちらに攻めて来る様子は御座いません」と、百足衆が言うと、
「馬鹿者!あれが、世にも恐ろしい車懸りの陣だ!」と信玄が叫んだ。
上杉一万二千の車懸かり陣に対し我が軍は八千の鶴翼の陣、駄目だ、到底防ぎきれるものではない。
わしもここまでか死を覚悟せねば。
それからの戦闘は凄まじかった武田軍の鶴翼の陣は、あっという間に飲みこまれ武田軍は総崩れとなった、しかし上杉軍は手をゆるめない、もはやこれまでかと思われた時、上杉軍車懸かりの陣から白頭巾をかぶった一人の若侍が馬に乗り武田軍本陣へ一直線に突進して来た。
その若侍は、馬の上で刀を抜くと、
「我、上杉謙信なり、信玄覚悟」と叫びながら信玄に襲い掛かって来た、軍配で振り下ろした刀を受けた。
しかし若侍は二度三度と刀を振り下ろした。その気迫はすさまじく、軍配で受けてはいるが限界と思われた時、近くにいた味方の兵が、若侍の乗っている馬の尻を槍で突き刺した、「ヒヒン」と驚いた馬は前足を上げ若侍は馬から落ちそうになりながらも体制を立て直すと、上杉軍の方へと引き上げていった。
わずか数分の出来事だが信玄は肝を冷やした。
「今のハ、誰じゃ、上杉謙信と言っていたが、まさか」と青ざめた顔で言った。
「親方様!後ろへお引き下さい」と脇で誰かが叫んだ側近の武将達は、チリチリになっていて誰が言ったかわからない。
その時「啄木鳥軍が来た!啄木鳥軍が戻ったぞ」と誰かが叫んだ。
山本勘助率いる部隊を先頭に、武田軍一三〇〇〇がこちらに一直線に進んで来るのが見えた。
「今しばらくもちこたえろ」信玄の叫びとも言える命令がとんだ、「もちこたえれば我らの勝利だ!」と信玄は泣きながら部下達に叫んだ。
上杉軍は一三〇〇〇の武田軍に後方より追撃され車懸かりの陣が崩れはじめた、それを見た謙信は、「ここまでじゃ、全軍善光寺まで進め」と言うと車懸かりの陣は速やかに解かれ武田軍本陣を突っ切り善光寺方面に向かった。
悠々と突っ切る上杉軍の先頭に、白頭巾をかぶった先程の若侍がいた。
真っ直ぐ前を向き上杉全軍の先頭を行く、その乗る馬の尻からは血が流れていた。
奴が上杉謙信かと思った瞬間、信玄は、足が震え、尿を漏らし、とうのく意識の中で、完全にやられた、風林火山の武田軍は完敗だと叫びながら気を失った。
俺がそんな信玄の記憶を辿っていると、
「親方様、どうぞ」と、声がした高坂昌信が酒をすすめたのだ。
信玄(俺)は盃を手に取ると立ち上がり、
「皆の者聞いてくれ今までに、三度、上杉とは戦ってきたが、四度目の今回は上杉謙信を完全に叩きのめした、皆の者良くやってくれた礼を申す」と、上機嫌で言って見せたが、心の中は穏やかではない。
四千もの兵と軍師、山本勘助を亡くしてしまった事は大きな損失だ、もう謙信とは戦いたくない、それが本音だ。
戦は喰うか食われるかだ、つい最近まで敵の大将の首を酒の肴にして酒を飲んでいたわしも、危うく謙信の酒の肴になるところだった、そんな事を思いながら信玄(俺)は、箸を取った。
目の前に出された膳料理は、馬のたて髪の肉の塩漬、鯉甘露煮、辛子酢味噌を掛かけた鯉の洗い、どんぐりを粉にして作った太麵を味噌味の汁で煮たほうとう煮、南瓜、隠元豆、大根、人参、青菜の煮物、鹿の丸焼きである。
古来より伝わる甲斐の郷土料理である。
ドンドンドンと諏訪太鼓の音が大きくなった。武田流包丁式がはじまる躑躅ケ崎館の料理頭は武将の馬場晴信で有る。
会場中央に据えられたまな板の上には、武田菱の旗が置かれている。
若侍が、四人出てきた、背中には風林火山の旗を差している。俎板を覆う様にかけられた武田菱の旗の端を四人が持ち、下って行った。
間をおいて、大三宝の上に、鯉を乗せた若侍が、ギシギシと甲冑の音を響かせ、ドカドカと歩いて来た、立ったまま片手で鯉をつかむと、ドンと俎板に叩きつけ、大三宝を俎板の脇へ投げ捨てた、おもむろに腰の刀を抜き「えい!いや!」と武田流居合の型をした。
その姿は鯉を、食べ物として清めていると言うよりも、敵を威嚇している様に見える。
居合の型を三度繰り返すと、俎板の前でくるりと回り、現れた時と同じ様に甲冑の音をギシギシさせながらドカドカと音をたて去っていった。
場内からは、「うおー、やあー、」と声が上がり盛り上がっている。
諏訪太鼓の音が一層大きく打ち鳴らされると、
赤兜に赤甲冑を着た馬場晴信が現れた、左手には羽の付いた矢を二本持っている、ドカドカとまな板の前まで来ると、立ったまま腰の刀を抜き、左手の矢と刀で十字を組んだ
「えぃえぃおー」と、勝鬨を上げた。それを見た全員が一斉に「えぃえぃおー」と勝鬨を上げ俎板の鯉に向かい「謙信覚悟!」と叫ぶと、矢を二本付き刺し、振り上げた刀で「エイ」っと、背中を二つに切った。」
「えぃえぃおー」と勝鬨を上げると、見ていた全員が一斉に「えぃえぃおー」と、勝鬨を上げる。
上杉謙信を一振りで切り捨てたという意味である。
「えぃえぃおー」、「えぃえぃおー」と集まった武将達は、全員で勝鬨を上げ、酒を飲んだ。
馬場晴信は料理が出来る訳ではない実際に料理を作っているのは、武田家の料理奉公衆達で有る。
奉公取りまとめ役として武将の馬場晴信が料理頭の役を命ぜられているのだ。
包丁式の終わった場内は飲めや歌えと盛り上がっている。
その宴を見ながら武田信玄は席を立ち縁側にでた、満月の光が躑躅ケ崎館を明るく照らしている。
信玄は一人静かに謙信の事を思っていた。
俺は、信玄の腕に張ってあるバックタイムペーパーの停止ボタンを押した。
目を開け時計を見ると午前五時、俺の想像していた包丁式とは、違っていた、天皇が食べる物と一般庶民が食べる物を区別する為の清めの儀式として作られたはずだが、武田流の包丁式は、敵を威嚇、戦気を盛り上げる為の余興の様に思えた。
一方上杉流では戦略、作戦を秘密に伝える為で、食や料理とは関係なく包丁式の儀式は色々な使われ方をしているのだ。
酒や食事の席の楽しい場合もあれば、苦しい、悲しい真剣な場合も有る、昔の包丁式や料理をもっと見たくなった。
と俺は、一人事を言い布団を被った。

   五、本能寺の真実
「上杉君、ありがとう。本当感謝している」と上杉君に礼を言った。
「明政君が喜んでくれれば僕も本望さ」と上杉君は嬉しそうだ。
バックタイムペーパーで川中島の戦いの事実を知った俺は上杉君への報告の為、研究室に来ていた。
二人は応接の椅子に座り向かい合って話を、している。
「明政君は料理人だから、昔の料理を食べればどんな調理法か、どんな味付けか、解るから羨ましいよ。
僕の日本料理好きと意味が違うね、昔の料理は、野菜でも、魚でも、素材の味が濃い、そして塩味が強いね、現代の方が薄い味だと思った。
そう言えば大名の宴の料理を食べに行くと庖丁式見るけど、昔は宴の前に普通にやっていたの?」
「うん、位の高い人の宴の席では、必ず、庖丁式はやっていた。お客様をもてなす日本料理の作法だから。おもてなしの作法としてその家の主人自ら包丁家に入門して庖丁式を習い、来客の前で魚を捌いて接待した、と言う記録も残っている」
「えー主人自ら包丁式?料理は?」
「料理までは出来ないから包丁式で切った魚を厨房に下げて、お抱えの料理人達が、料理にしてお客様に提供したんだ」
「お抱えの料理人が居るくらいじゃ大名家などの位の高い人達だね」
「うん一般庶民では、無理かな」
「確かに包丁式を見たのは大名家ばかりだった。
「大名の料理ばかり食べてたから、一般庶民はどんな物食べていたかと、江戸の町を散策していたら、寿司の屋台とか蕎麦の屋台とかが沢山あって、一般庶民でもけっこういいもの食べてたなて思うけど、寿司は、おにぎり
見たいで三個も食べたらお腹いっぱい。
江戸時代の飯屋は、お酒もあって現代で言うと居酒屋かな、ご飯と、とろろ芋と、焼いためざし三匹、沢庵二切れに菜っ葉の味噌汁と質素だ」
「旦那さんいい反物着ているね、この辺じゃ見ない顔だけど吉良屋敷の人かい?」と相席のおじさんが話しかけてきた
「上杉家の者です」と答えると、
「ひえー、上杉江戸屋敷の人けー」と額に手を当てて驚いた。
俺は、おじさんが驚いたリアクションに驚いた。
「はい、上杉進治憲と申します」と僕が名乗るとさっきより、甲高い奇声で
「なんと!上杉家の当主様けーこいつは参った、道理でいい着物着ていると思った。
こんな所で飯なんざ食って、御新造様(奥さん)おらんのけ?」と言うから、
「はい、一人身です。三年江戸詰めです」と答えた。
おじさんは酒、僕は、飯を食いながら会話をしていると。
突然おじさんが立ち上がり後ろを振り返ると「おやじ何時でえ!」と店の主人に時間を聞いた。
「暮れ六つで」と店の主人が答えると。
「いけねーおやじ勘定」と、言ってごそごそと懐を探して
「アイヤーまいったなー銭入れ(財布)忘れちまったー」と言うと僕を見て
「旦那さん、あっしやー東町の仙蔵てんだ、あいにく銭入れ忘れちまったんで、後で上杉の屋敷まで届けるけ、勘定頼むよ」と、言うと返事も聞かないうちに、
「おやじ!そう言う、こった。ご馳走さん」と急ぎ足で店を出て行った。
「僕は、おじさんの分も支払って店を出たけど江戸の人達はせっかちであわてんぼうだ」と上杉君は、楽しそうに言った。
「上杉君、喧嘩とかに巻き込まれたのでは無いから良かったけど、所で誰に乗り移ったの?」と俺は上杉君を見た。
「先祖の上杉治憲だよ」と答えた。
俺は飲んでいたコーヒーを思わず吹き出した。
「う、上杉治憲、それ上杉鷹山の若い時の名前だよ、越後の龍、上杉謙信の末裔だよ、上杉君の先祖は上杉謙信?」と思わず叫んでしまった。
「そうなの、僕の先祖は確かに越後の出身だけど。
長尾景虎と言った、その後上杉と言う名前に変えたらしいけど、明政君知っているの?」
「ウーン」と俺は声にならない声をだした、上杉君は、歴史には詳しく無いのだ。
「越後の上杉謙信とその末裔の上杉鷹山も知っているよ!」
上杉謙信と武田信玄の川中島合戦のタイムトラベルの事を報告しょうと思って来たが、上杉謙信の末裔とは、驚いた。
「そのおじさん、上杉君が立て替えたお金返しに来てくれたの?」と話題を変えた。
「次の日、戦国時代へタイムトラベルして、しまったからわかんないけど、たぶん返しに来てくれたと思うよ」と上杉君はあっけらかんとしている。
武田信玄と上杉謙信の話をすると長くなりそうなので上杉君の話を先に聞く事にした。
「なんでまた戦国時代へ」と聞くと
「うん、江戸時代の庶民の食べ物と、戦国時代の庶民の食べ物の違いを見たくてさ、信長の政策、楽市楽座で経済がうるおったと学校で習ったのを思い出して、庶民もさぞかし美味しい物を食べていただろうと思って、戦国時代の京都、千利休へタイムトラベルした。既に利休は、豪商で茶人、大名との付き合いもしていたから庶民とは言えないが、変装して庶民の食べ物を食べに行った。
町中は、楽市楽座で人は沢山いるけど、江戸時代の様に屋台などは無い、飯屋に入ると飯、味噌汁、漬物だけ、飯は、玄米に芋と青菜と豆が、入っていてぱさぱさしていて、釜で焚いたというより蒸した様な感じ、味噌汁で流し込まないと喉につかえてしまう。
お腹を満たすだけの貧疎な食べ物だ。
数百年の違いでこんなに食べ物や料理が違うなんて驚いたよ。
そこで何か美味い物はないかと、利休の頭の中を、たどったら安土城の信長の祝いに、招かれて居る事を知って、安土城へ行った」
「上杉君随分大胆だね」
「利休に乗り移っているから平気さ!安土城の料理は凄く豪華だった素材、味付け、盛付は現代の会席料理以上だ、偉い人の食べ物と庶民の食べ物とは雲泥の差があるんだ。
煮物の味が桃山亭で食べた味と同じだった、あの煮物の作り方難しの?」と上杉君は興味深々だ。
「料理は、本膳料理だね、会席料理は現代になって出来た料理だから、調理方法や味付けは、変わらないけど、料理の出し方が違う、会席料理は、先付け一献、前菜一献、吸い物一献立、刺身一献、と全部で八から九献が順番に出て来る。
本膳料理はお膳に数種類の料理を乗せて出すんだ一汁五菜が一の膳、一汁三菜が二の膳、一汁二菜が三の膳、台の物が与の膳、とね。
信長の宴はこの膳が七膳出て料理の品数を数えると十九献も有ったというから驚きだ。
桃山亭の煮物と同じと言ったのはきっと、かしわの味噌煮だ、戦国時代は鶴の肉で作っていたけど、今は鶏肉で作るんだ。
作り方は、簡単で、味噌汁より少し濃い目の汁に葛粉をまぶした鳥肉を落とす、鳥肉に火が通れば出来上がり。
葛のつるとした食感と肉汁がジワとでて美味い、それ鶴の肉かな?戦国時代のいつ頃になるのか詳しく教えて」
上杉君は上を向き腕組をして思い出す様に
「たしか、徳川家康を接待していた、年代はえーと一五五十年頃だと思う、宴中に突然信長が、暴れだして部下の人を殴って、騒がしかった、こちらにとばっちりは来なかったから良かったけど」
上杉君の話しを聞いている中で俺はある事件を思い出していた。
「ひょっとして天正十年(一五八二)の安土城で行われた戦勝祝いの宴の事かな?その時鶴の庖丁式やっていなかった?」と、俺が聞くと上杉君は、顎に手を当て考えながら、「庖丁式?あ、やっていたでも、鶴じゃないと思う。首が長くて、アヒル、いや白鳥だな。
庖丁式が終わって白鳥が料理されて出てきた、から」
間違いない明智光秀が謀反を起こす原因となった宴だ。白鳥?確か鶴の包丁式だったはずだが?
「上杉君ありがとう。俺、次のタイムトラベル先が決まった」
「明政君、そこにタイムトラベルするなら、徳川家康が良いと思うよ。
信長に殴られている人と、友達だったみたいで、殴られていた人を助けて信長に何か言っていたから」と上杉君はアドバイスをくれた。
俺はコーヒーを一気に飲み干すと
「上杉君ありがとう。徳川家康に乗り移って見る、コーヒーご馳走様でした」と、研究室を出て軽トラに乗り込みアクセルをふかした。家に帰った俺は早速に、安土城で行われた宴を調べた、織田信長は長年の宿敵だった武田家を長篠の戦の戦いで打ち破り。
その戦勝祝いとして同盟を結んでいた徳川家康を招き、宴を模様したとある。
長篠の戦いとは、天正三年(一五七三)三河の設楽原にて武田信玄亡き後、家督を継いだ武田勝頼軍一五〇〇〇と織田信長、徳川家康の連合軍三八〇〇〇が激突した戦の事で、織田軍の三〇〇〇丁の鉄砲隊が火縄銃の三段打ち、によりわずか二時間余りで武田騎馬隊を、含めた一二〇〇〇名を殺して織田、徳川連合軍が大勝利をおさめた戦いである。
この戦いの敗退により武田家は後に滅亡した。信長はこの長篠の戦に勝った祝いの宴を安土城にて開いたので有る。
祝い料理と包丁式を見ようと、俺は上杉君の助言の通り天正十年(一五八二)六月の徳川家康に乗り移った。
石川数正、井伊直政、酒井忠次、本多平八郎、榊原康政、達と馬に揺られながら安土の城下町へ入ると前方に巨大な安土城が見えてきた。近づくに連れ見上げる様になり安土城の巨大さに圧倒される。
石作りの坂道を上がって行くと右手に琵琶湖が見え城とのコントラストが、美しい、藤の花や紫陽花が咲みだれ戦国の世とは思えない、誰でも城を見学する事が出来る平和な風景で有る。
馬からおりて四つ足門をくぐると、「長旅お疲れ様でございました」と、明智光秀がお辞儀をしたまま迎えてくれた。
「これは明智殿。安土城からの琵琶湖の眺め、素晴らしいですな、旅の疲れもいっぺんに吹き飛びます」と徳川家康(俺)は晴ればれとした気持ちで言った。
「ありがとうございます。この光秀、徳川殿の接待役を命ぜられておりますので何なりと、お申し付けください」と、お辞儀をしながら言った。
「明智殿は、武将で有りながら、進士流庖丁家の本家とお聞きいたしました。本日の宴の料理と共に宮中由来の式庖丁も見られると聞いて楽しみにしております」と、家康(俺)も深々とお辞儀をした。
「それは、ありがたき幸せこの光秀そその無い様に心よりご接待申し上げます、まずは、湯にでもつかりごゆっくりとおくつろぎ下さいませ。さ、こちらへ」右手を開き城内へ案内してくれた。
家康(俺)と一同は「うおー」と声を上げた。そこは、黒漆で仕上げられた広間で中央は三階までの吹き抜けになっている、戦国の世にこんな建築技術があったのか、と驚かされる。来賓用の間には、鳥をはじめ龍や虎などの絵が壁、襖、天井に描かれている。
昭和の人間で本物の安土城を見たのは、俺だけ、いや上杉君と俺だけだ。
しかし俺が家康に乗り移ったのは、信長の戦勝祝い料理と鶴の包丁式を見る為だと目的を確認した。
露天の岩風呂に素裸で首までつかり安土城を見上げる、話には聞いていたが天守閣の天守が八角形をしている壁は白い漆喰で塗られているが表に出ている柱は朱で塗られ、瓦は透明感のある青で、一枚一枚に金箔で織田木瓜の家紋が入っている、何という贅沢な造りだこの露天の岩風呂も、家康(俺)の浜松城や岡崎城では、部屋の中の蒸し風呂だ、この様に裸で入る不防備な風呂に入った事が無い。
家康(俺)の家臣達も戦の疲れを癒している、「岡崎の兵達も入れてやりたいな」と顔を湯でこすりながら言った。
「殿それは出来ません、我らでこそ殿と裸で湯に浸かる事など、最初で最後の事で御座います」と石川数正が家康(俺)を否めた。
戦国時代まだ現代の様に、裸で湯船に浸かると言う風呂はない、風呂は薄い着物を着て一人で入るもので、家臣達と一緒に入るなどはない、特に兵となると尚更で有る。
日は傾き暮六つ半時、光秀の家来の案内で宴会場に入る、雅楽が流れ勝戦祝いの宴が始まろうとしていた。
床の間に設置された金屛風の前に膳が三つ置かれている、信長、家康(俺)、そしてもう一人武田家臣から織田に寝がえった、穴山梅雪の三名用の席で有る。
梅雪は右の座についている。俺は左の座にすわる。家康の家臣数十名と織田家の家臣数十名は皆、座に付いている。
「親方様御成」と声がかかると、信長が現れ中央の座に座った。
雅楽の音楽が止まった。
「進士流式包丁式」と声がかかると、再び雅楽が流れ出した、曲は越天楽の舞いである。
側に据えられた幕が、落とされると、俎板が現れた。
一人の若侍が、小刃を抜き、四方裁きで絹を清めると、取った絹を右手に抱え下がっていった。
次に、持ち出しの儀、庖丁、真魚箸、板紙が所定の位置に置かれた。
最後は、組付の儀、若侍が三宝の上に白鳥を乗せて現れた。
文献では鶴のはずだが、本当は白鳥だったのだ。
下座の端の方に千利休がいた、じっと、包丁式を見ている。
組付の儀が終わると光秀が現れた。
垂直に烏帽子、すり足で入って脇刺しを抜き俎板の右に置いた。
身繕いをして一礼をし、手で両足の膝を押さえ、膝行で俎板一寸前まで寄った。
右手、親指で、まな板中央を押さえ、右端四徳まで動かし俎板を開いた。
真魚箸、包丁に手をかけ、大きく両手を開き、頭の上で交合わせ、真魚箸、包丁を十文字に組み、胸の前に右手で持ち、左手で右の肩から二度、肘から一度真魚箸の柄まで撫で、真魚箸、包丁を清める。
真魚箸に、左指二本を入れ、真名箸、包丁を大きく左右に開いた。
真魚箸は、五行へ降り、包丁は四徳へ降りながら、その松葉先は、五行まで滑っていき、板紙の下へ入った。
真魚箸、包丁で板紙を三つに折り持ち上げ、白鳥の上を、の字を書くように三度回し清めた。水撫を三度行い、切汰に入った。
真名箸をくずし、素手にて白鳥の足を取り、筋を切る。
両羽を開き、左右と切り離し、上を向け、まな板中央へ置く。首のもとを切り、両羽の間に頭を上に向け置く。胴から、足を切り離し、羽の下に並べて置き、切った胴は五行へ置いた。
「あれ?」これは、祝の白鳥では無いと俺は家康の頭の中で思った。
光秀は、仕舞庖丁をし膝行で下がり、身繕いを解き一礼をした。
「ワー、お見事」前の席の男が手をたたき大声で騒いでいる。
「羽柴様、殿の御前でございます」騒いだ男の隣の男が戒めた。
「良いではないか、今日は、無礼講だ」と羽柴秀吉は、はしゃいでいる。
俺は、秀吉を無視して信長に言った「信長様、明智殿の庖丁式、大変ご立派でありました」
信長は「そうか」と真っ直ぐ前を見て不機嫌そうに言った。
包丁式が終わり宴に入ると、一の膳と酒が運ばれてきた。
一献目は、蛤の真砂和えである、蛤は酒で蒸し殻を剥き当たりを付けた昆布出し汁で軽く炊いてある、真砂は鯛の子で、炊く時に生姜汁が少々入っている。
二献目は、うるか和えで、鮎を三枚に卸し身を塩しめた後、焼酎で洗って細切りにして、うるかで和える、煎った米を天に散らしてあるパリパリとしたアクセントが良い。
三献目は、山独活の芽の白和えだ、さっと茹でた独活を昆布ではさみ一日置く、豆腐は絞って水気を切り、馬の毛のこし器で三度漉して糖と塩で味付けをしてある。
何という仕事だ、手前と時間がかかるだろう。
この三品を式三献と言う、海の食材を使ったもの一献、山の食材を使った物一献、川の食材を使った物一献の計三献である。
家康(俺)は既に九杯の酒を飲んでいる。
四献目は、与献と言う、四は死をイメージして縁起が悪いからだ。二の膳上に今包丁式で切った白鳥の煮物が出てきた。
あれ?三の膳も出ない内に随分早いな、通常祝い料理の場合、式三献の後、大菜(前菜)、吸物、鰭刺しの身(刺身)後に煮物(羹)のはずだが、この時代では違うのか?
一口食べると上杉君が言っていた様に桃山亭かしわの味噌煮と同じ味だ、美味い。
白鳥は水上で生活をする渡り鳥、身は鶏より生臭い、しかし濃い味噌で煮ているので臭みを感じない。
三年以上経った熟成した味噌にかつお節と切り昆布を入れ弱火でほんのり焦げ目がつくくらい煎る、そこに熱い湯をたっぷり入れ漉す、糖で味付けをして火にかける、白鳥は足の肉より、胸の肉、の方が発達していて美味い、むね肉を一口位の薄切りにして酒で洗う水気をきり更科粉に小麦粉を混ぜた粉で打ち粉をして沸いた味噌の汁に落しこむ、肉は少々生が良い、火の通しすぎは禁物である、椀に盛ったら味噌の汁を少し張り、青み、蒜の擦った物を天に盛る。
「完璧だ!」と思わず言葉が漏れてしまった。
隣の信長を見ると、家康(俺)の声に反応したのか信長はこちらを見て言った。
「そうか家康殿も、包丁式の意と、この与献目は完璧と申されるか!」と信長は不機嫌な顔で言った。
「え、包丁式の意と?与献目?ああそうですね、ああ」と、しどろもどろだが答えた。包丁式と与献目に何か意味があるのか?信長の不機嫌に関係するのか?
しばらくして、光秀が直垂から狩衣に着替え俺と信長の所へ来た。
家康(俺)は、「明智殿、見事な祝い料理そして、包丁式、この家康感銘いたしました」と光秀の方に座り直しお辞儀をした。
すると後ろから「この、戯けが!」の声と共に箸と茶碗が光秀めがけて飛んできた。
後を振り向くと隣に座っていた信長が立ち上がっていた。
「光秀、なんじゃあの庖丁式は、お前たちの考え通りにはいかん」そう言いながらお膳を蹴とばし、つかつかと光秀の所まで出て来て光秀の髷をつかみ、殴る蹴るの暴行が始まった。驚いた家康(俺)は「信長様、お待ちください」と信長を止めようと立ち上がり信長の後ろから腕を掴んだ。
腕を掴まれた信長は光秀を睨みながら
「家康殿、庖丁式と与献目の料理、見たであろう」
と振り返りもせず家康(俺)の腕を振り払い今度は、光秀の胸倉をつかみ、拳で殴っている。
これ以上信長を止める事は出来ない、光秀は逆らいもせず、ただ殴られている。
誰も止めない、誰か止める者はいないのかと秀吉を見ると知らぬ顔をしている。
仕方なしに家康(俺)はもう一度「信長様、おやめください。明智殿の庖丁式、立派でございました。祝い料理も、完璧きです何卒おやめくださいませ」と信長と光秀の間に割って入った。
信長の動きは止まり両手をさげ家康(俺)を見て静かに言った「そうか、庖丁式、与献目の白鳥の煮物(羹)どちらも理解したのか?」と聞いて来た。
「はい、この家康、明智殿の式庖丁、与献目大変感銘いたしました」と真剣な顔をして信長に言った。
すると信長は、家康(俺)の顔をしみじみと眺め本当に理解したのかと言う様な、不思議な表情を見せ「是非に及ばず」と言うと、くるりと回って宴の場を出て行ってしまった。
是非に及ばずとは、是は良い、非は悪い、及ばずとは、達して無い、つまり良くも悪くもない。(仕方ない)と言う意味だ。
「明智殿、大丈夫ですか?」と光秀に声をかけた。
光秀は、うずくまったまま「徳川殿、お恥ずかしい所をお見せいたしました。申し訳ございません」と言った、家康(俺)は、畳にうずくまる光秀の腕を取り、持ち上げ、立たせた。
すると後から「いつもの事ですよ」と声がした、見ると秀吉が、にゃにゃと薄笑いを浮かべて立っていた。
「羽柴殿、なぜお止になりませぬ」と大声で言った。
「いつもの事ですよ、この秀吉も皆の前で何度叩かれたか数えきれませぬ」と言うと、
立ち上がった光秀が「徳川殿、お気にせず、羽柴様の言う通り、いつもの事です」とよろけながら家康(俺)を見た。
「分かりました、光秀殿口から血が出ておりますが、大丈夫ですか?」と静かに言った。「所で羽柴殿、備中高松城、毛利輝元との戦に、出陣なさっておると聞いておりましたが何故ここにおられます?」と強い口調で言った。
「おー怖いですなぁーそんな顔をされても、まあ毛利ごときの攻めは、黒田官兵衛と竹中半兵衛だけで十分でござる、わしが出るまでもない訳で、ワッハハー」と馬鹿にした様に笑った。何ともいけ好かない男である。
歴史上では徳川家康、安土城接待の日は、羽柴秀吉は安土城におらず、備中毛利輝元と戦闘中で、毛利輝元の居城高松城を囲み水責めをしていたはずなので有る。
しかし一般に知られている歴史とは違う。「ほう黒田殿だけで毛利を、それで状況はいかがなのですか?」と聞くと、秀吉は勝ち誇った様な顔をして
「官兵衛から、毛利輝元強し、御見方の軍は危うい、よって羽柴秀吉様の援軍を要請しますと連絡がきておる。つまり、当軍の勝利は間違いないという事じゃ、わしを援軍として呼び寄せ、わしの手柄とするために!出来た男である、ワッハハー、ワッハッハハー」と、秀吉は大声で笑いながら扇子で頭の後ろを叩きながら何処かへ行ってしました。
黒田官兵衛と竹中半兵衛は、羽柴秀吉の二大軍師で有る。特に黒田官兵衛は、戦略に優れ信長亡き後は秀吉よりも、先に天下を取るのではないかとまで言われていた。
官兵衛は、兵法家黒田家の嫡男で子供の頃から兵法戦略を叩きこまれ今は、秀吉の軍師まで登り詰めているのだ。
中国魏普南北朝時代の兵法を元に勝戦計六、敵戦計六、攻戦計六、混戦計六、併戦計六、敗戦計六、合計三六の計略が有る。
この兵法を取り入れたのが黒田三六計と言い黒田家の家訓なのである。
有名なのは敗戦計六つの中の最後の、黒田三六計逃げる事を最上の作となすで有る。
意味は、到底勝てない敵と出会った時は逃げてしまえということである。逃げるが勝ちだーなどと言う人もいるが、戦っていないのだから勝ってはいない。しかし負けてもいない。
つまり勝つ事が出来ない戦いなら逃げてしまえ、それが最高の作戦であるとの教えなのである。
秀吉は、黒田官兵衛の様な軍師がいることにより信長の信頼を得たので有って官兵衛無くして秀吉はあらず、なのである。
秀吉が何処かへ行ったのを確認した光秀が口の血をぬぐいながら言った。
「信長様より羽柴様には、備中毛利攻めの命が下り毛利攻略も決着が付きそうです。この光秀には、四国土佐の長宗我部攻めの出陣の命が出ました。先ほどの庖丁式で出陣の事、そして、与献目で信長様の危険を、お伝え申しました。信長様は理解いたしたと思います」と、真剣な表情で家康(俺)を見た。
光秀は、何を言いたいのだ?俺は家康の頭の中で考えた、庖丁式で何かを伝えた?何を?あの切汰は祝の白鳥ではない、帰陣の白鳥に似ていたけど、「あ、」思い出した、陰の出陣の白鳥だ、陰の出陣だとすると、陰は断るとか、やめる、つまり出陣を断るという意味だ。
光秀は、信長の土佐長宗我部攻めの出陣要請を、庖丁式を通して断ったのだ。
それを理解したから信長は怒り出した。
与献目の白鳥の煮物(羹)も出るのが早すぎる、早く出たという事は、余り時間が無い、と伝えたのだ。悪い事とはなんだ?と考えていた時、光秀の後ろから、すうーと秀吉が現れた。
居なくなる時は扇子で頭を叩きどかどかと足音をさせて居なくなり、現れる時は、音も立てず現れる。
予測出来ない奴だと思った時、ピンと来た、こいつだ秀吉が悪巧みを考えていると直感した。
二人の会話が気になる様で音もたてずに現れた。光秀は、秀吉が後にいる事に気が付いていない。
「あー、羽柴殿どちらへ行かれておりましたか?」と光秀が気付く様にわざと大声で言った。
光秀が振り向くと、慌てた様に秀吉は「は、憚りでござる、徳川殿、明智殿、何か秘密の相談事でもおありですか?宴も幕となりますぞ、何かお困りごとでもあればこの羽柴秀吉がお聞きいたしますぞ」と言ったかと思うと声に出さない笑みを浮かべた。
間違いないこいつは、何かを企んでいる。「いやいや、羽柴殿、ありがとうございます。何でもございません。この家康本日、少し疲れただけでございます」と笑顔で言った。
「そうですか徳川殿ご協力お願いしますぞ」と意味ありげな顔した。
「協力?なにをしたらよろしいのでしょうか」と聞くと、
「何も、しないで欲しい。それが協力です、少人数の来城ですから何も出来ないでしょうがワハハー」と笑ってみせた。
その顔を見ると背筋に悪寒が走る。
「解りました何か起きても、この家康何もいたしませぬ」
二人の会話を聞いていた光秀が口を手で押さえながら声をかけた。
「徳川殿、お部屋の方へご案内申し上げます」家康(俺)の袖を掴んで退席を促した。
二人が宴の場を後にするのを見た、秀吉は、「徳川殿、明智殿、協力お願いしますぞ!」と大声で言った。
二人は後を振り向かず宴場を出て今宵の寝室柳の間へ向かった。
廊下で、家康(俺)が口を開いた。
「明智殿、先ほどの白鳥の庖丁式、出陣をお断りしたと理解いたしました、そして与献目の白鳥の煮物(羹)で余り時間が無いと伝えたのですね」と思い切って言った。
光秀は、驚いた顔で顔で家康(俺)を見た。
「ほうー徳川殿は包丁式、料理の事、お詳しいのですね、さようでございます羽柴様謀反を起こします、恐らくここ数日内に」
「な、何と、羽柴殿が謀反!しかも数日の内!信長様は、知っておられるのですか?」
「勿論です前々から羽柴殿の謀反の計画は、信長様もご存知です、今日の包丁式で、四国長宗我部出陣をお断りしました。
今は出陣などしている場合では無いのです、そして与献目で謀反が起きるまでもう時間がない事をお伝えしました」と光秀は、世間話をしているかの様に静かに誰にも聞こえない様に言った。
二人の会話を秀吉の間者が監視しているかも知れないからだ。
家康(俺)も世間話をするかの様に笑顔を作り「信長様はご理解なさいましたかワッハッハー」とわざと大声で言った。
光秀も「ハハハー」と笑うと声を小さくして、「信長様は全て理解されました、秀吉が謀反を起したら何かの策をお考えかと思いますのでご安心ください、誰も包丁式と料理に重要な意味があるとは思っていません。信長様が皆のいる前で私を殴ったのは、いつもの気まぐれではなく光秀よくやった、とほめてくれたのです」と光秀は説明した。
「でも、信長様は明智殿を本気で殴っていました」
「それでなくては、駄目なのです、信長様は誰にも気付かれない様に配慮したのです。
羽柴様より四国長宗我部征伐は、いつ頃ご出陣するのか?と打診がありました。私は軍備が整い次第出陣しますと噓を言いました。
この光秀の出陣の間に謀反を起こす考えです。そして羽柴殿が謀反を起した場合徳川殿にも命の危険がございます。明日の大阪堺の見学は中止なさって下さい。既に伊賀、甲賀、と話を付けて有りますゆえ伊賀の山を越え白子より船で三河へお戻りください」
「明智殿は、どうなさるおつもりで?」
「信長様や徳川殿へ危険をお知らせした後、羽柴殿の謀反を待ちます、信長様は、ご自分の危険はご自分で対処なさると思いますが、万が一の場合この光秀がお助け致します。
そして決着が付きましたら、徳川殿の所へ身を寄せたいと思います何卒宜しくお願い致します」と光秀は、言った。
「了解致しました是非とも三河へお越しください、お待ちしております。ご検討をお祈り申し上げます」と言うと光秀の両手を握り、深くお辞儀をした。
柳の間に入り、本多平八郎を呼んだ。
「明日、大阪堺を見学せず、三河に戻る」と短く言った、平八郎は表情を変えず両手を膝の上に置き「はっ、何か不都合でも?」と言った。
「事情は説明出来ぬが、明智殿が手配してくれた伊賀を超え、白子海岸から船で三河へ帰る」と言うと、「船ですか、尾張を通った方が安全かと」と平八郎が何かを察したのか少し緊張気味に言った。
「いや、それは出来ん。何か大事が起こる伊賀の山を抜けて白子に行く。伊賀衆、甲賀衆共に明智殿が話を付けて居るが、かなり危険じゃ」
「かしこまりました。皆に伝えます」と平八郎は言うと一礼をして柳の間から出て行った。
平八郎が部屋から出たのを確認し布団に入り布団の中で、バックタイムペーパーの停止ボタンを押した。
包丁式と祝い料理を見に行ったのだが、どうやらこの後起こるであろう本能寺の変に巻き込まれてしまった様だ。
明智光秀が謀反を起こし織田信長を、本能寺で殺した歴史書とは、実際は違う様だ、二人は生きていたとしても不思議は無い。
しかし秀吉は本能寺で信長を殺す気でいるだろう、助ける方法はないだろうか?と考えたとき名案が浮かんだ。
そうだ秀吉に乗り移っれば信長を助けられると、俺はバックタイムペーパーに天正十年(一五三二)六月二日午前四時羽柴秀吉とセットしてスタートボタンを押した。
お尻に何か当たっている、そして高い所に座っている「あ!」馬の上に乗っているのだ。
目の前には、甲冑を来た武将が整列している。
「秀吉様いかがなさいましたか?」と蜂須賀正勝が聞いてきた。
「いや何でもない準備は出来たか?」と秀吉(俺)は、言った。
早速秀吉の頭の中の記憶を確認すると、
「はげ鼠」と馬鹿にされながらも信長の筆頭家臣となった秀吉だが、許せない事があった。それは後から家臣となった明智光秀が、信長の信頼を一手に集めた事だ。
このままでは、いつの日か明智光秀の家来にされてしまう、信長を抹殺して天下を我が物にすれば明智や徳川は秀吉の家来となる。
明智は明日には四国へ出陣する、徳川はわずかの兵を連れて浪花、堺見物。信長もわずかな手勢と本能寺で宿泊だ、信長を抹殺する絶好の時だ、秀吉は嬉しさのあまり震えていた。
本能寺前に羽柴軍一万五千の兵は明智軍の桔梗の旗を掲げ整列した、本能寺の館の門は、開いたまま静かで警護の者も無く全くの無防備である。
馬の上から秀吉(俺)は「敵は本能寺にあり」と声高々に叫んだ。
すると脇にいた蜂須賀正勝が、驚いた顔をして「秀吉様何と申されました?我々は明智軍としてここ本能寺にご宿泊の信長様の護衛に来たのでは?」と目を丸くしている。
「ここ本能寺の中に信長様のお命を狙う者が居るのだ、信長様をその者達から救い出す良いか信長様を確保せよ敵は本能寺にあり」ともう一度大声で言った。
意味がわからない蜂須賀正勝は、頭の中が混乱しているが「第一隊突入致します」と答えた。
第一隊二百名が明智軍の旗を背中に差して意味もわからず突入して行った。
ここ本能寺には信長の手勢は五十か六十名しか居ない、秀吉の第一隊二百名だけで事は足りてしまう。残った一万五千の兵は信長を確保した後で、亀山城の明智光秀を打ちに行くつもりなのである。
信長は、秀吉の謀反を知っている、何処かへ避難してここ本能寺には、いないかも知れない「よし!」ならば安心だ、しかし万が一と言う事あるかも知れ無い一応念を押して置かなくてはと、秀吉の中の俺は大声で全員に聞こえる様に叫んだ。
「敵は、少人数だ。信長様は、必ず生け捕りにしろ、自害させたり死なせさせたりしてはならぬぞ、解ったか!」と馬の上で両手を上げ叫んだ。
蜂須賀正勝を始めそこにいた兵達は、生け捕り?自害?と意味の分からない言葉に不思議な顔をしたが「ハイ承知いたしました」と言った。
兵達の中にはこれはへんだ明智光秀に罪を着せた秀吉の謀反だと気付いた者もいた。
屋敷内が、騒がしくなってきた。数人の僧侶や女人が屋敷から逃げ出して来た。
その者に聞こえるように、「我は明智光秀なり、織田信長を成敗いたす」と叫んだ。
兵達は、明智光秀に罪をなすりつけた秀吉の謀反の手先になってしまったと気ずいたが後戻りは出来ない、自分達が出来る事は秀吉の謀反を成功させるしか無いので有る。
屋敷から逃げ出してきた、僧侶、女人は、蜘蛛の子を散らすように、四方八方へと逃げて行った。
「秀吉様逃がしてしまって良いのですか?」
と、蜂須賀正勝が聞くと、
扇子でぽんぽんと、ほほを軽く叩きながら、「よいよい、逃がしておけ。逃げた奴らが明智光秀の謀反だと言いふらしてくれるわ」と嬉しそうに言った。
半時がずぎたころ腕が真っ赤に染まった白衣の侍が、数人の甲冑を着た侍に抱えられ、出てきた。
何と信長は何の対策も取らずここ本能寺にいたのである。
光秀の伝達を理解していただろうに?
秀吉の謀反を自分の目で確かめる為に?わざと策略にはまったのか?
慌てて馬から転げ落ちる様に降りた秀吉(俺)は、「あー信長様御無事で何よりでございました」と信長にかけ寄った。
余りにも下手な秀吉の演技に乗り移っている俺は思わず吹き出しそうになった。
「おーはげ鼠、何とも騒がしいな、これは茶の湯のさそいか?」と腕を怪我しているのに笑顔で言った。
「明智光秀の謀反にございます。光秀が徳川と結託しての謀反で御座います」と秀吉(俺)は噓を並べ立てた。
「あいやーそうであったか、光秀と家康が結託しての謀反か?光秀も家康もわしに謀反を致しますと言わんから気付かなかった、わしは、はげ鼠お前が謀反を致すとばかり思っておった」と怪我した腕を抑えながら言った。
命の保証もなしに秀吉の謀反を自身で証明して見せたのである。
信長は全てを知っていると思った秀吉(俺)はそれ以上なにも言わなかった。
いや、信長のあっぱれな行動になにも言えなかったと言うのが正解であろう。
「よし、信長様は無事助け出した正勝!火を放て」と大声で叫んだ。
本能寺の北側と南側から火が放たれ静かに燃え上っていった。
「全軍引くぞ」との声と共に秀吉軍は本能寺を後にした。
俺は、馬の上の秀吉の甲冑の左手を外しバックタイムペーパーの停止ボタンを押した。
現代に戻り自分の頭の中を整理した。
本能寺に、宿泊中の信長を襲ったのは、明智光秀ではなく、羽柴秀吉だ。
歴史では、本能寺で信長は自害したことになっているが、信長は死んではいない、遺体が見つかるはずがない。
秀吉に拉致された信長を救い出せるのは、明智光秀しかいない、今度は光秀に乗り移って織田信長を助けだそう。
怪我した信長の為に消毒液と塗り薬を握りしめ丹波の亀山城にいる明智光秀に乗り移った。
既に光秀は、秀吉謀反に備え五千の兵を集め準備を整えていた。
そこに伊賀の忍びから報告が入る。
「申し上げます桔梗の旗を掲げた羽柴軍本能寺より丹波方面こちらへ向かっております。その数はおよそ一万五千、未確認はございますが・・・」と伊賀の忍びは言葉を詰まらせた。
「なんだはっきり言え」と斉藤利三が言うと
「秀吉軍の中に信長様がおられるもう様です」
「な、何と申した信長様がいると?」
光秀は驚いた、信長様には、秀吉の謀反を伝えたはずだが、何の対策も取っていなかったのか?ならば秀吉から救いだすまでだ。
報告から数分もしない内に、「明智軍だ!」と誰かが叫んだ。
光秀から秀吉の謀反の事を聞いていた斉藤利三は、「馬鹿者!明智軍は我らだ、あれは羽柴秀吉軍だ、明智の旗を掲げているのは、我らに謀反の罪をなすりつける為だ、亀山城の方へ向かってくる!我が軍はこのまま左へ迂回して山崎にて迎え撃つぞ」と叫んだ。
「親方様羽柴軍と戦いますか?羽柴軍一万五千に対し我らは五千です」
「撃破しなくても良い、信長様を救い出すだけじゃ、幸いにして山崎の道は狭い待ち伏せ 奇襲を仕掛ければ数の少ない我らの方が有りだ」と光秀は、言った。
「親方様、信長様には、羽柴秀吉の謀反の意をお伝えしてあるはずなのに秀吉に囚われてしまったのですか?」と聞いてきた。
「ああ、その様だ、おそらく信長様は、命がけで秀吉の謀反を自分で確認したのだ。そして必ずこの光秀が助けに来ると信じている。山崎にて信長様を救い出す。山崎の山中に鉄砲隊の伏兵を忍ばせよ、羽柴軍がひるんだすきに信長様を救い出し退却するのだ」と光秀(俺)は軍配をひるがえした。
羽柴軍は、明智軍の桔梗旗を翻して山崎の山道を上がり始め細い道を登って来た。隊列は細く三列となり山の中ほどに差し掛かろうとした。
その時明智軍鉄砲隊が奇襲をかけた、驚いた羽柴軍は、退却する兵と、進軍する兵が入り乱れ大混乱を起こした。
それに準じて光秀の兵が羽柴軍に侵入した。羽柴軍は、明智軍の旗を兵に持たせていた為本当の明智軍が入って来ても見分けが付かず、信長の救出に成功したのである。
歴史では、これを山崎の戦いと言う。
救出された信長は明智軍の兵に抱きかかえられ光秀(俺)の所までやって来た。
「信長様」と光秀に乗り移った俺は、馬から飛び降り声をかけた。
信長は胸で息をしながら目を閉じて石の上に腰を下した。
「信長様、傷の手当てをいたします」信長は顔を上げ、光秀(俺)を見た。
「おー、光秀大義で有った、この信長、しかとはげ鼠の謀反を見届けたぞ」と大声で言った。
その言葉を聞いて光秀(俺)はほっとしたが事前に秀吉の謀反を知りながら何の対策もとらずに、部棒過ぎると思った。俺が本能寺で秀吉に乗り移っていなければその時に殺されていたかも知れない。
日本の歴史では、信長は、本能寺で死んでいる、しかし本能寺の変の真実は違っているのだ、俺はその事を伝えたく
「信長様、ご無事で何よりで御座います。お話したい事が御座います。この様な時で申し訳ございませんが聞いて頂けますか」
俺は、バックタイムペーパーで未来から来ている事を信長に話そうと思った。
そして、バックタイムペーパーで明智光秀に乗り移っている事、
本能寺での謀反の首謀者は未来では明智光秀になっている事、未来の日本の様子などを話した。
この時代いや、現代人でも理解できる話ではない。
しかし信長は黙って俺の話を聞いていた。
しばらくして、信長が口を開いた。
「お前は、光秀ではないのだな?」
「はい、明智光秀に乗り移った未来から来た人間で進士明政と申します」と言った。
「そうか、進士と言うと光秀の子孫か?どの位の未来から来た?」
「今より四百年未来の明智光秀の子孫です」と答えた。
「お前の話は、奇天烈だが、つじつまが合う」
なんと信長は俺の話を理解し、信じてくれた。
「どこでわしは死んだ」
「はい、未来では本能寺で、自害したことになっています」
すると信長は頷きながら「だろうな、わしのなき後はどうなるお前や、家康はどうなるのじゃ?」
「はい、未来の歴史では、明智光秀が信長様を本能寺で自害に追い込んだとして、山崎で羽柴秀吉と戦います。しかし敗れて光秀は敗走し落武者狩に合い死んだことになっています。
徳川様は、伊賀の山越えをして無事岡崎城まで帰還致します。
明智光秀を討った羽柴秀吉は、豊臣秀吉と名前を改名し浪花を本拠地として大阪城を築城し天下を統一ます。
豊臣秀吉が没すると、徳川様が江戸に本拠地を置き天下人となり、江戸に幕府を開きます」と説明した。
「なるほど、時の流れはそうなるのか、良いも悪いもないな。是非に及ばず」と言った。
「はい、その通りでございます」
信長は下を向くと静かに「時の流れが変わってしまってはまずいな、本能寺で自害した事になっているのに今更のこのこ出ていく訳にもいかんな、ここで自害でもするか?」と冗談を言った。
「誰にも知られずに、ご隠居なされることをお勧めいたします、この先、世にお姿を表わせなければ、誰もが信長様はお亡くなりになったと思います」
「なるほど、わしは、美濃の稲葉山城にて隠居したいが・・」と上を向いた。
「それでは誰かに見つかりかねません、後に影響が出ます。料理の神を祀った神社が、下野国の高橋にございます。そこがよろしいかと」提案した。
栃木県出身の俺に思い付く信長の隠居先は延喜式にも登録されている高橋神社位しか思い当たらなかった。
延喜式とは、朝廷が各地の神社仏閣を、登録した書物の事で、一五〇〇年の戦国時代には既に存在し、しかも四〇〇年後の昭和、明政(俺)の生きている時にも存在しているので有る。
四〇〇年後の未来に戻った俺が、高橋神社で信長の痕跡を辿る事が出来るかも知れないと一部の望みを託し薦めた。
すると信長は「あい、わかった」とあっさり光秀(俺)の提案を受け入れたので有る。
「もう一度聞くそちの名は」
「進士明政と申します」
「進士藤延つまり明智光秀の子孫だな」と確認をした。
俺は、頷きながら「その通りでございます」と言うと、「明智光秀には代々世話になるな」と言うと立ち上がり光秀の用意した馬にまたがると護衛の兵数名と共に、下野の国高橋へ向かった。
明智光秀は、その数日後三河の徳川家康のもとへ行き、天海と名前を変え家康側近となるのである。
織田信長も明智光秀も死んでいない。
本能寺の変のミステリー、織田信長の遺体、そして明智光秀の遺体が発見されなかった事情は、俺だけが知る事なのである。
京都から下野の国まで戦国時代では恐らく一ヵ月はかかるであろう、光秀(俺)は、着替えと、食糧、そして未来から持って来た塗り薬と消毒液を護衛の兵に持たせ、馬にまたがた信長にお辞儀を深々として見送った。
「さあ現代へ戻ろう」と光秀の袖をめくりバックタイムペーパーの停止ボタンを押した。
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