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第7章 記憶の旅路

cys:152 重なる姿と愛の記憶

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「ノーティス、貴方なかなか筋がいいじゃない」
「そうか、ありがとう」

 先日遊んだのとはうって変わり、今日は農作業。
 アネーシャから手伝うように言われたので、ノーティスはくわを持って一生懸命畑を耕していた。
 額に汗を流し、とても生き生きとした表情だ。 

 暑い日差しの下に、ザクッ……ザクッ……という土を掘る音が静かに響く。

 そんなノーティスを、優しく微笑みながら見つめるアネーシャ。

「うん、本当に上手ね。貴方もしかして昔……あっ、ごめんね」
「いやいいよ。それにもしかしてキミが言う通り、もしかして俺は、昔こういう事をしてたのかもしれないしさ」

 実際ノーティスは、元々アルカナートの修行時代に畑も手伝っていた事がある。
 体力作りと、アルカナートの趣味の手伝いとしてやっていたのだ。

『師匠、この広さを俺一人で、しかも半日でですか? メチャクチャ広いんですけど……』
『知るか。お前以外に誰がいんだよ』
『だって、師匠の趣味なら師匠がやれば……』
『あっ? さっさとやれ。早くしねぇと、寝る時間無くなるぞ』
『ちぇっ、分かりましたよ。って、師匠どこへ?』
『野暮用だ。帰るまでに終わらせとけよ』
『はい、師匠。あっ、もしよければ……』
『フンッ、いちいち言わなくても分かってる。買ってきてやるから、さっさと終わらせろ』
『ありがとうございます!』

 修業時代の淡い記憶。
 無論それを思い出してはいないが、身体はそれを覚えている。

 なので、ノーティスは生き生きと農作業をこなし、夜になるとみんなと一緒に食事を取って寝る。
 これまでと違い、穏やかで人間らしい生活がしばらく続いていた。

◆◆◆

 そんなある日、畑を耕すノーティスを見てアネーシャは思い出していた。
 今は亡き最愛の人との日々を。

『アネーシャ、ここで採れた野菜、早くみんなで食べたいな。土も凄く滋養があるし、きっと美味いと思う』
『そうね。この畑ならきっと美味しい野菜が出来るわ』
『あぁ……それに本当は戦いなんかせず、キミと一緒にこうして自然と暮らしていきたい』

 脳裏に浮かんだその光景に、アネーシャの瞳に涙がにじむ。

───うぅっ……くっ、泣いちゃダメ。子供たちが心配するわ。でも……

 アネーシャが心で涙をこらえると心が現実に戻り、ノーティスが一生懸命畑を耕している姿が再び瞳に映った。
 そして、それと同時にノーティスが言ってくる。

「アネーシャ……俺は自分が何者かまだ思い出せないけど、キミやライトやマーヤ、エレミア達とこうして自然と暮らしていくとなんかホッとするよ」
「えっ?」
「ここで採れる野菜、早くみんなで食べたいなと思って。土も滋養があるし、きっと美味しいと思う」

 その姿と言葉がアネーシャの愛する人と重なり、アネーシャは思わずノーティスをキッと睨んでしまった。
 
「なんで……なんで貴方がそんな事を……!」

 アネーシャから怒りのこもった眼差しを向けられ、思わずドキッとしたノーティス。
 こんな貌、今まで向けられた事がなかったから。
 もちろん、以前戦った時に恨みの籠った眼差しを向けられた事があるが、今はその記憶も無い。

「ア、アネーシャ? ど、どうしたんだ急に……」

 戸惑うノーティスにハッとしたアネーシャは、その綺麗な瞳に涙を浮かべ、自分を責める。

───分かってる、分かってるわよ。この人は覚えてないんだし、伝えた事も無いんだから。それに……

 アネーシャはもう充分に感じ取っていたのだ。
 ノーティスが決して悪い人ではなく、むしろ、誰よりも心が綺麗で真っすぐな人だという事が。
 
 そう……かつてノーティスと戦い命を散らした、アネーシャが愛する、あのシドのように!

 だからこそアネーシャの心は苦しかった。
 ノーティスは自分の最愛のシドを奪った憎き仇であり、決して許せない相手だ。
 シドが殺された後、身を引き裂かれるような悲しみを胸に、復讐を遂げる為極限にまで、いや、極限を超えて修行した日々を忘れる事は決してない。

───でも、ノーティス……貴方は優し過ぎる。もし貴方がスマート・ミレニアムなんかじゃなく、最初からここでみんなと一緒に暮らせていたなら……

 アネーシャの脳裏に、自分とシドとノーティスが仲良く過ごす幸せな幻影が浮かぶ。

 けれど、アネーシャはそれを振り払った。
 決して訪れる事のない未来だからだ。
 そして、ノーティスを哀しく凛とした瞳で見つめる。

「ごめんなさいノーティス……なんでもないわ」
「いや、でもアネーシャ」
「いいの! 気にしないで。なんでもないから……」

 アネーシャがそう言ってスッと背を向けると、ノーティスはくわを畑に置いてアネーシャにそっと近寄り声をかける。
 ノーティスに背を向けたまま、瞳から涙を流すアネーシャに。

「アネーシャ、これを……」
「えっ」

 アネーシャがスッと振り向くと、そこにはノーティスがハンカチを差し出してる姿が。

「うっ……くっ。い、いいわよ、別に」
「いいからアネーシャ。このハンカチ、なぜか分からないけど気持ちが落ち着くんだ」

 ノーティスがアネーシャに差し出したハンカチは、メティアからもらったあのハンカチだ。
 もちろん、ノーティスはそれを覚えてはいないが魂はそれを覚えている。
 メティアから、あの時に教えてもらった温もりを。

 だだ、当然だがアネーシャはそれを知らないので、軽く疑った顔を浮かべた。

「気持ちが落ち着くって、なによそれ」
「いや、分からないけど不思議なんだ。俺は勝手に魔法のハンカチって呼んでる」
「魔法のハンカチって。貴方、ずいぶんロマンチストなのね」
「いや、別にそんなんじゃないけど、なんかさ……」

 恥ずかしそうに、ちょっと顔を火照らし視線を逸らしたノーティス。
 アネーシャは、そんなノーティスを愛おしく感じてしまった。
 ノーティスの今の仕草が、シドのそれに重なったから。

 それは同時に哀しみを感じる事でもあったが、アネーシャは思った。
 いや、感じたのだ。
 まるでシドが、ノーティスを通じて会いに来てくれたみたいだと。

───シド……

 なのでアネーシャはノーティスが差し出しているハンカチを、そっと手で受け取った。
 そして涙を拭くと、確かに何か不思議な温かさを感じた気がしてノーティスに微笑む。

「フフッ、ありがとうノーティス。確かに魔法のハンカチかもね」
「だろ? そーなんだよ」

 ノーティスは得意げにそう言うと、アネーシャを澄んだ瞳で見つめた。

「アネーシャ。俺の記憶はいつ戻るか分からない。けど、もし戻ったとしても、俺はここで、キミと暮らしていきたい」
「ノーティス……貴方」

 アネーシャには伝わってきた。
 ノーティスが本気でそう言ってる事が。
 それ自体は凄く嬉しくも思う。

───けど……

 胸が苦しいアネーシャ。
 ノーティスが優しければ優しいほど辛くなる。

───私は、どうしたらいいのよ……!

 そんな想いを噛み締めながら、アネーシャはゆっくり口を開く。

「分かったわノーティス。でも、人生は何があるか分からない。だからもし、貴方の記憶の中にここよりも大切なモノがあったら、その時は私は止めないから」
「アネーシャ、そんな事は……」
「無いって言いきれないでしょ。思い出してないんだから。違う?」
「まぁ……それはそうだけどさ……」

 口ごもってしまったノーティスを、アネーシャは一瞬哀しい瞳で見つめた。
 ノーティスの記憶が戻ってしまったら、もうこんな生活は二度と出来ないから。
 何よりそれは、再び敵として戦わなければならない事を意味する。
 しかも今度こそ、どちらかの命を完全に失う事になる戦いを。

───もしそうなったら私は……

 アネーシャは一瞬瞳を閉じると、ノーティスに向かい静かに微笑んだ。

「ノーティス。もう今日はここまでにしときましょ」
「えっ?」
「いつも一生懸命やってるんだから、今日ぐらいは早めに上がってゆっくりしてよ」
「いいのか?」
「うん。私も今日は用事あるの思い出しちゃったし」
「そうか……分かった」

 ノーティスがそう答えるとアネーシャは畑からスッと立ち去り、夕日を浴びながらどこかへ消えた。
 そんなアネーシャの後ろ姿を見て、ノーティスは想いを巡らせる。

───アネーシャ……あの涙はもしかして、俺は昔、キミの大切な何かを傷つけてしまったのか……

 けれど、記憶を失っているノーティスに答えは出ない。
 ただアネーシャが危惧した通り、二人の幸せで穏やかな時間は、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。
 静かに沈んでいく夕日のように……
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