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第二章 天翔零と『悪魔の瞳』

D.E.R─32 夢はただのエゴなのか?

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「じ、人格の喪失?!」

震えながら大きな声を上げた翔。
突然、人格を喪失すると言われればそうなって当然だが、悪魔は震える翔に冷徹な眼差しを向けたまま話を続ける。

「はい。悪魔の瞳を宿せば、アナタはルミさんを彼から解放する事の出来る、別人格に変わるからです」
「別人格って、それどういう事だよ?」
「翔さん、アナタの性格や考え方、行動、発言、全てがアナタではなくなるという事です」
「それってつまり、全くの別人格になるって事かよ?」
「その通りです、翔さん。でなければ救えません。残念ながら、決して……」

悪魔の答えに、翔は再び打ちのめされた。
人格の喪失が、イコール自分の死と同義だからだけではない。
全てを見抜く悪魔から、自分じゃ絶対ルミを救えないと言われたからだ。
それはある意味、自分が死ぬ事以上に辛い宣告だった。

「翔さん、これが契約の内容全てです。もちろん、翔さんが今まで書いていたような話は一切書けなくなります。全てが、もう一人の翔さんに委ねられる訳ですから」

悔しさから下をうつ向いて沈黙する翔を、悪魔は静かに見つめ続ける。

「翔さん、いかが致しますか?ルミさんを彼から解放する方法は、これしかありません」

悪魔からそう問いかけられた瞬間、翔は沈黙を破り悪魔の事を真正面からスッと見据えた。

「せっかくだけど、遠慮しとくよ」
「そうですか。でも、なぜ?」

悪魔が一切慌てる事無く冷静に理由を尋ねてくると、翔はギュッと拳を握りしめた。

「俺は、俺の力でルミを取り戻す!じゃなきゃ、俺はアイツに勝った事にならない!」

そう言い放った翔に、悪魔は拍手をしながら静かに笑みを向けてくる。

「翔さん、ますます気に入りました。それに、翔さんが言う事は全くもって正しい」

けれど悪魔はそう告げると、片手で自分の顔の下半分をスッと覆った。
そしてその指の隙間から、翔に冷酷な眼差しを向けてきた。

「ただ翔さん、それは期限がなければの話です」
「なんだと?」

憤る翔に、悪魔は冷酷な眼差しで見下ろすように翔に告げる。

「翔さんは、作家として本当に成功できるのですか?仮に成功出来たとして、それはいつなんですか?」
「うっ……!そ、そりゃ、確実にいつってのは言えねーけど……」
「ですよね。もちろん、翔さんだけの問題ならそれでも構いません。叶うまで、夢を追い続ければいいんです。けれど、それだとルミさんはどうなるんですか?」

翔はそう言われてハッとし、顏をしかめ目を大きく見開いてしまった。
しかも、あまりにも悪魔の言う言葉が的確なので、何も言葉が出て来ない。
そんな翔の心に、悪魔はさらに言葉を刺していく。

「翔さんのいつになるか分からない成功まで、ずっと待たせ続けるんですか?愛するルミさんを」
「それは……そんなつもりじゃねぇけど……でも、確かに」
「ハッキリ言いましょう、翔さん。それはアナタのエゴです」
「エゴ……」
「朝比奈拳武さんに、なんて言われました?」
「うっ……!」

翔は絶望の記憶の中から、必死に言葉を絞り出す。

「……無力な者は、何も出来ない……売れない俺の小説が、俺、そのモノだと……!」

あの時の情景が目に浮かび喉がカラカラになった翔だが、悪魔は容赦なく翔に真実を伝えてくる。

「そうでしょう。彼の言った通り、翔さんの小説と同じなんです。オリジナリティで売れたい。人を元気にさせたい。そして今度は、自分の力でルミさんを取り戻したい。どれも翔さんのエゴなんです。本質からズレてしまっています」
「でも俺は、そうしたくて、今までずっと……」
「翔さん、気持ちは分かりますよ。けれど、残念ながら違うんです」

翔はもう心がグサグサにされているが、悪魔は言葉を止めない。

「作家として成功したいなら、売れる話を書く事が重要です。翔さんが伝えたい事よりも、読者が望むモノを書く事、それは分かっていますよね」
「あぁ……そうだな……」
「ですよね。では翔さん。ルミさんを救いたければ、それを叶える為の最高の力を得る事が必要です。違いますか?」
「そうだ……お前の言う通りだ。でもよ、俺自身の人格が喪失したら、俺はもう、ルミを抱きしめる事が出来ないんだよな?!」

人格が喪失するとかの前に、翔の心は最早砕け散ろうとしていた。
悪魔が自分に本質的に何を尋ねているのか、もう翔は分かっていたから。

「翔さん、もう分かっていると思いますが、私がアナタに尋ねているのは一つだけです」
「あぁ……分かってるよ」
「ですよね。ルミさんを救う為に翔さん、アナタの全てを投げ打ち犠牲にする事が出来ますか?」

すると、翔は目を閉じて心の中を振り返った。

今まで、自分のオリジナリティを出した小説はことごとくボツにされ、小説家として今底辺にいる事。
そんな中でルミと出会い、ルミはボツにされた小説の方が面白いと言ってくれた事。
そのルミと愛し合うようになり、ずっと大切にしていくと誓った事。
そして、朝比奈拳武の圧倒的な力の前に、その全てを踏みにじられた事。

思い返すだけで、心が血を流しそうになる。
けれど、翔はさらに心を見つめると、改めてハッキリと分かった。

このままでは小説を流行らす事はもちろん、ルミを二度と抱きしめる事は出来ない事。
それはルミが、それこそ悪魔のような父親から一生逃れられない事を意味するのだと。

翔はそれら全てを振り返ると、悪魔に真正面から向き合い凛とした眼差しを向けている。
最後の質問をする為に。

「悪魔、最後に一つだけ尋くけどさ」
「何でしょう?翔さん」
「俺が悪魔の瞳を宿した別人格になれば、ルミをあの父親から解放する事は出来るんだな?」
「はい。私悪魔ですので嘘は申しません。別人格であれば、可能です」

そう答えた悪魔と向かい合いながら、翔はルミの最後の言葉を思い出した。

『翔……私、翔と一緒にいれて、本当に幸せだったよ。私と別れても、翔の夢だけは捨てないでねっ……』

けれど同時に、会長のあの時の言葉が蘇る。

『翔くん、力の無いモノは何も出来ない。キミの小説が誰にも認められないように……キミの小説が、キミその物なのだ』

翔は拳にギュッと力を込め、悔しさと共に首を横に何度か振ると悪魔をキッと見据えた。
その瞳に怒りを超えた誓いを宿して。

───ルミ……俺が消えたとしても、今度こそ必ず救い出すからな。

「悪魔……何も生み出せない、そして大切な人を守る事も出来ない、無力な俺の夢やオリジナリティなんて……いらない!俺はルミを取り戻す為に、悪魔、お前と契約する!!」

翔がそう言い放った瞬間、悪魔は両手を天にバッと向けて歓喜の声を上げた。

「素晴らしいっ!翔さん、ディール成立です!」

その瞬間、翔の全身に凄まじい衝撃が走り、翔は自分の全てが塗りつぶされていく事をハッキリと感じた。
そして翔は、自分の意識が漆黒の闇に染まっていき、消えかけていく意識の中で想う。

───俺は消えるのか……でも、これでルミを救えるならそれでいい。ルミ……もう一人の俺が、必ずルミを救うから……こんなダメな俺を、愛してくれてありがとう。ルミ、愛してる……

翔がルミを想いながら闇へと堕ちていく中、悪魔は狂気に満ちた悦びに打ち震えた。

「アハハハハッ!これでもう、邪魔者はいない!そして、私は完全に復活する!」

悪魔は翔に決して嘘は言っていなかった。
けれど、翔の魂と契約し翔の人格を喪失させたのは、実は悪魔の狙いそのモノであったのだ。

「さようなら……忌まわしい光の力を持った、お優しい翔さん。結局、今世では気づかないままでしたね……♪」

闇に沈んでいく翔に向かい、悪魔はニヤリと笑みを零しながら囁いた。
完全なる勝利を味わいながら。

けれど、その時だった。
教会の天井のステンドグラスがバリーンと音を立てて砕け、そこから太く大きい光の柱が悪魔と翔の間にバシュッと凄まじい勢いで降り注いだ!
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