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白雪姫のままで
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春休みの教室、誰もいなくなったはずのその場所に桜子はいた。
彼女はこの学校の卒業生だ。五年前に卒業したが、恩師が定年退職となると聞き、卒業以来初めて挨拶に来たのだった。
窓辺に立ちながら、彼女はぼうっと昔のことを思い出していた。
中学生時代、桜子は有望な陸上部の短距離走選手だった。しかし、練習中に靭帯を損傷。手術をしたが、以前のようなタイムが出せなくなってしまった。そのまま地元の高校に入学した桜子は、新入生歓迎会である運命的なものと出会いをする。
それは、演劇との出会いだった。その学校の演劇部は県内でも有数の実力を持つ部活だった。短い劇ではあったが、桜子の心を掴むには充分だった。
彼女の心はこの時決まり、入部した。陸上部時代に作り上げた身体は意外にも役に立った。桜子はめきめき頭角を現し、三年時には副部長を任される程にまでなったのだった。
「桜子、みて、文化祭の新しい台本ができたの」
無邪気に駆け寄ってきたのは部長の雪。彼女は、地元の劇団にも参加している生粋の演者だった。白い肌が印象的で、クラスメートからは白雪姫とも呼ばれている人気者だった。
「どんな話なの?」
「白雪姫をベースに現代劇にアレンジしてみたの」
「白雪姫か……」
この時、桜子は次の公演の主役は雪なのだろうなと悟った。
ストーリーは、実の父親の愛情を巡って継母とうまく関係を築けず、虐待をされていた少女が、成長して学校で演劇と出会いのめり込んで行く。しかし、楽しそうな娘の様子が気にくわない母親にまた虐待をうけ、家を飛び出す。彼女は持ち前の努力で役者として大成してゆくが、活躍を妬んだ母親にもられた毒によって絶命してしまう。というものだった。
「かなり悲劇な内容なんだね、今回の台本」
「そうだね。白雪姫は王子さまのキスで目覚めるかもしれないけど、それは出来ないからね。悲劇にしてみたよ」
「それはそれで面白いかもね」
役の配分は?と聞きたかったが、どうせ確定だろうと思い止めた。
その日の配役ミーティングで、雪が順当に主役に決まった。桜子は母親役だった。
雪の演じる白雪姫は華があった。仕草、振る舞い、全てにおいて桜子にとっては格上といっていいものだった。完璧な演技に桜子は、母親役を忘れかけて見いってしまうほどだった。
十月三日──
文化祭最終日。午後一番に演劇部の公演が行われる。
「最高の舞台を届けましょう」
「はい!」
部長の雪の掛け声とともに、部員が返事をして円陣を組んだ。いよいよ幕が開ける。
「最後の舞台だから華々しく飾らないとね」
雪は桜子に小さな声で告げた。
「最後?卒業公演が残ってるじゃない」
「ふふ。いいのいいの気にしないで」
意味深な会話のあと、劇はすぐに始まった。
観客は生徒、父兄合わせて三百人ほどだった。年間通しての行事でもここまで大規模な公演はこれしかなかった。
雪と桜子の演技が観客を魅了する。白雪姫と呼ばれるほどの美しさを持つ雪と、継母を迫真の演技で演じる桜子。
観客たちは息を飲んで二人の演技に集中していく。
物語はどんどん進んでゆき、雪が毒をもられた飲み物を知らずに口につけるラストのシーンまでやって来た。
一口。口に含むと、悶え出すシーン。そして、決め台詞。
「私、死ぬの?」
練習以上のリアルな演技。と、演者達すら感じた時だった。
雪の口からたらっと血が流れる。
そんな演出あったっけ──
違和感が桜子の胸に走った。雪の演技は続くが様子がおかしい。
「虐待されて、演劇も取り上げられて、私には生きる価値がない。せめて、せめて一糸酬いてやる!」
「あなただけは許せない」
やはり台本にない、辻褄の合わない台詞をアドリブで入れた雪。おかしい、これは演技じゃない。
「幕を降ろして!いいからすぐに !」
桜子が舞台スタッフに大声で指示をだす。唐突に幕が締まる。
桜子は雪に駆け寄った。職員も異変を感じて駆け寄ってくる。明らかに顔色がおかしい。
「桜子、ごめんね……舞台壊しちゃったね」
「そんなことはいい!なんでこんなこと」
「ごめん……」
そのまま桜子は戻ってこなかった。グラスからは致死量の毒が検出された。
雪は日頃から母親に虐待を受けていたそうだ。顔は虐待が分かってしまうから避けられていたものの、身体には無数の傷があったという。虐待の原因は、父親との不仲によるストレスを雪に向けていたと言うことだった。雪はそんなことを一言も桜子に告げたことはなかった。
なぜちゃんと教えてくれなかったのか、当時桜子は悶々と悩んだ。結果たどり着いた結論は、雪は雪を演じていたのではないかというものだった。明るく、美しく、みんなの白雪姫である雪という人物を。
「やあ、桜子さん。元気にしていたかい?」
「先生、お久しぶりです」
「卒業以来だね」
「ええ。なかなか地元に帰るのも久しぶりで」
「いまや、売れっ子舞台女優さんだからなぁ」
「そんなことはないですよ」
「雪くんの事を考えていたのかい?」
「そうですね。忘れられませんから」
「彼女は、君は自分より才能があるといつも言っていたよ」
「雪が?」
「ああ、最初あの時の劇も君を主人公にといったんだがね。部長という立場もあるから自分を主人公予定に台本を書いてみろといったのは私だったんだ」
「そうだったのですか……」
もしかしたら、自分が主役を演じていたら雪は死ななかったかもしれない。ただそれはあくまでも可能性しにか過ぎない。二人とも僅かな間ができる。
「先生もお元気で」
桜子は教室から出ると、足早に校舎を後にした。演劇部の部室に立ち寄らなかったのは、今でも雪がそこで稽古をしているような気がしたからだった。
彼女はこの学校の卒業生だ。五年前に卒業したが、恩師が定年退職となると聞き、卒業以来初めて挨拶に来たのだった。
窓辺に立ちながら、彼女はぼうっと昔のことを思い出していた。
中学生時代、桜子は有望な陸上部の短距離走選手だった。しかし、練習中に靭帯を損傷。手術をしたが、以前のようなタイムが出せなくなってしまった。そのまま地元の高校に入学した桜子は、新入生歓迎会である運命的なものと出会いをする。
それは、演劇との出会いだった。その学校の演劇部は県内でも有数の実力を持つ部活だった。短い劇ではあったが、桜子の心を掴むには充分だった。
彼女の心はこの時決まり、入部した。陸上部時代に作り上げた身体は意外にも役に立った。桜子はめきめき頭角を現し、三年時には副部長を任される程にまでなったのだった。
「桜子、みて、文化祭の新しい台本ができたの」
無邪気に駆け寄ってきたのは部長の雪。彼女は、地元の劇団にも参加している生粋の演者だった。白い肌が印象的で、クラスメートからは白雪姫とも呼ばれている人気者だった。
「どんな話なの?」
「白雪姫をベースに現代劇にアレンジしてみたの」
「白雪姫か……」
この時、桜子は次の公演の主役は雪なのだろうなと悟った。
ストーリーは、実の父親の愛情を巡って継母とうまく関係を築けず、虐待をされていた少女が、成長して学校で演劇と出会いのめり込んで行く。しかし、楽しそうな娘の様子が気にくわない母親にまた虐待をうけ、家を飛び出す。彼女は持ち前の努力で役者として大成してゆくが、活躍を妬んだ母親にもられた毒によって絶命してしまう。というものだった。
「かなり悲劇な内容なんだね、今回の台本」
「そうだね。白雪姫は王子さまのキスで目覚めるかもしれないけど、それは出来ないからね。悲劇にしてみたよ」
「それはそれで面白いかもね」
役の配分は?と聞きたかったが、どうせ確定だろうと思い止めた。
その日の配役ミーティングで、雪が順当に主役に決まった。桜子は母親役だった。
雪の演じる白雪姫は華があった。仕草、振る舞い、全てにおいて桜子にとっては格上といっていいものだった。完璧な演技に桜子は、母親役を忘れかけて見いってしまうほどだった。
十月三日──
文化祭最終日。午後一番に演劇部の公演が行われる。
「最高の舞台を届けましょう」
「はい!」
部長の雪の掛け声とともに、部員が返事をして円陣を組んだ。いよいよ幕が開ける。
「最後の舞台だから華々しく飾らないとね」
雪は桜子に小さな声で告げた。
「最後?卒業公演が残ってるじゃない」
「ふふ。いいのいいの気にしないで」
意味深な会話のあと、劇はすぐに始まった。
観客は生徒、父兄合わせて三百人ほどだった。年間通しての行事でもここまで大規模な公演はこれしかなかった。
雪と桜子の演技が観客を魅了する。白雪姫と呼ばれるほどの美しさを持つ雪と、継母を迫真の演技で演じる桜子。
観客たちは息を飲んで二人の演技に集中していく。
物語はどんどん進んでゆき、雪が毒をもられた飲み物を知らずに口につけるラストのシーンまでやって来た。
一口。口に含むと、悶え出すシーン。そして、決め台詞。
「私、死ぬの?」
練習以上のリアルな演技。と、演者達すら感じた時だった。
雪の口からたらっと血が流れる。
そんな演出あったっけ──
違和感が桜子の胸に走った。雪の演技は続くが様子がおかしい。
「虐待されて、演劇も取り上げられて、私には生きる価値がない。せめて、せめて一糸酬いてやる!」
「あなただけは許せない」
やはり台本にない、辻褄の合わない台詞をアドリブで入れた雪。おかしい、これは演技じゃない。
「幕を降ろして!いいからすぐに !」
桜子が舞台スタッフに大声で指示をだす。唐突に幕が締まる。
桜子は雪に駆け寄った。職員も異変を感じて駆け寄ってくる。明らかに顔色がおかしい。
「桜子、ごめんね……舞台壊しちゃったね」
「そんなことはいい!なんでこんなこと」
「ごめん……」
そのまま桜子は戻ってこなかった。グラスからは致死量の毒が検出された。
雪は日頃から母親に虐待を受けていたそうだ。顔は虐待が分かってしまうから避けられていたものの、身体には無数の傷があったという。虐待の原因は、父親との不仲によるストレスを雪に向けていたと言うことだった。雪はそんなことを一言も桜子に告げたことはなかった。
なぜちゃんと教えてくれなかったのか、当時桜子は悶々と悩んだ。結果たどり着いた結論は、雪は雪を演じていたのではないかというものだった。明るく、美しく、みんなの白雪姫である雪という人物を。
「やあ、桜子さん。元気にしていたかい?」
「先生、お久しぶりです」
「卒業以来だね」
「ええ。なかなか地元に帰るのも久しぶりで」
「いまや、売れっ子舞台女優さんだからなぁ」
「そんなことはないですよ」
「雪くんの事を考えていたのかい?」
「そうですね。忘れられませんから」
「彼女は、君は自分より才能があるといつも言っていたよ」
「雪が?」
「ああ、最初あの時の劇も君を主人公にといったんだがね。部長という立場もあるから自分を主人公予定に台本を書いてみろといったのは私だったんだ」
「そうだったのですか……」
もしかしたら、自分が主役を演じていたら雪は死ななかったかもしれない。ただそれはあくまでも可能性しにか過ぎない。二人とも僅かな間ができる。
「先生もお元気で」
桜子は教室から出ると、足早に校舎を後にした。演劇部の部室に立ち寄らなかったのは、今でも雪がそこで稽古をしているような気がしたからだった。
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