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憧れ
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新人の研修期間はあくまで仮採用扱いで正社員とは違う。よって研修が第一優先であり、和太鼓部の練習参加は認められなかった。その為、和太鼓を全く叩いていない。
というより三カ月の研修内容は厳しく、それを乗り越えることに必死だった。恥ずかしながら業務時間外に参加して練習する気力と体力など正直なかった。仕事をしながら和太鼓を叩く事がどれだけ過酷なことか、改めて痛感した。
さらに勤務は長い間立ち仕事が続くこともあるため、足腰に疲労が蓄積する。加えて早番があったり遅番があったりという不規則な生活が、体の健康状態に影響があるかどうか、働き始めた時はとても注意していた。
春香自身が最も心配していた点である。これに関しては実家の両親も同じだった。会社側もそうだったに違いない。
しかし最初は苦痛を感じていた体も、予想していたより早く不規則な生活に慣れた。それは女子寮に入った分通勤時間は数分で済み、駅前周辺に部屋を借りていた他の新入社員達よりも楽だったからかもしれない。
外に部屋を借りている従業員達は、片道三十分程の山道を旅館から定期的に出ているバスに乗って通っていた。通勤時間はかかるがその分周辺が栄えている為、普段の日常生活品が置いてある店や飲食店の数が豊富という利点がある。
旅館や寮の周辺は山の中の温泉観光地の為、それなりに店はあるけれども駅前と比較すれば充実しているとは言い難い。
また飲食店も観光客向けの店が多いせいか、日常生活の中で通える場所は限られる。特に仕事の休みの日となれば、駅前にいる方が圧倒的に便利だ。
しかし特に研修中は休日を満喫している余裕などなかったため、寮生活は想像していた以上に快適だった。
他に女子寮入っていたのは同期ではもう一人、二十歳の片岡真理しかいない。彼女は他県出身で地元の短大を卒業したという。女子寮といっても現在部屋は四つしかなく、しかも使っている新人は二人だけだった。
他には入社二十年目でベテランの独身お局様である榊原由梨絵という料理飲食部門のセクションリーダーと、管理部門にいる入社十年目の小畑妙子がいた。
本来独身寮は新人が優先で、上位職から順番に寮を出てそれぞれで駅前周辺の部屋を借りることが通例だという。
だが元々入寮希望の女性は少なく、入っても比較的早めに駅前へ移ったり辞めたりして出て行く人が多いらしい。その為榊原と小畑は出ていく機会を失ったまま長い間住み続けているそうだ。
今回の新入社員の中では、ちょうど空いていた二部屋分の入寮希望者しかいなかったので今年も彼女達は寮を出なくて済んだという。ちなみに女子寮最上階の四階には榊原、三階に小畑、二階が春香で一階に片岡の部屋となっていた。
対して男性寮は二十四部屋あり、この四月に新しく五人が入り部屋は全て埋まったらしい。
寮は旅館の敷地から少し離れた場所にあり、四階建ての鉄筋コンクリート造りでエレベーターなしの建物が二棟並んでいる。建物中央の階段を挟んでそれぞれワンフロアに四部屋あり、A棟の十六部屋には男性しかいない。
その左隣にあるB棟の半分、階段を挟んでA棟側の半分が男子寮として八部屋があてがわれていた。
そう説明するとB棟の左半分の八部屋が女子寮かと言えばそれがまた違う。八部屋の内、男子達の部屋と隣接する四部屋は現在全て倉庫として使われていた。つまり左半分の一番左端、非常階段が付いている縦四部屋だけが現在女子寮として使用されているのだ。
女子寮の人は元々非常用だった階段を使って部屋を出入りしている。一応防犯のためにセキュリティーカードを通す仕組みがあり、倉庫のある部屋の前の廊下には男子寮から女子寮へ入れないよう、鍵がかかった扉が設置されていた。
しかし非常時の避難経路として、女子寮側からは男子寮側へと抜けられる仕組みになっている。要は同じ建物でも男子寮と女子寮は分離されているのだ。
それでも一部屋分離れているとはいえ、ベランダから身体を乗り出して覗けば男子寮の住んでいる人達が干した下着などは見える。
女性達とは違って男性達は隠すこと無く、時に派手なトランクスやブリーフと判るものがヒラヒラとしている様子を初めて見た時は、ドキドキしたものだ。
しかも前時代的な考えからか、男子寮の方からは女子の部屋には入れないが女子側からは入ることができる。つまり女性から男性を招きいれたり、または女性が男性寮へ侵入したりする事は可能だ。
今は草食系男子、肉食系女子という言葉が生まれているように昔と比べて女性の方が積極的だと言われている。そう考えるとこの寮の仕組みは時代として合っていないように思えた。
そんなことを考えてしまうのは自分もまだ若く、肉食系女子なのだろうか。そうではない。こんなことで胸をときめかせられるようになったのは、心身ともに健康を取り戻しつつあるからだろう。そう解釈した。なぜなら去年の今頃は、異性に興味を持つことなど全く無かったからだ。
そのような欲すら湧いてこなかった。物欲はもちろんのこと、人間の本能とも呼べる食欲や睡眠欲すら不安定なものだったため、性欲などあるはずも無い。そう気付いた春香は喜ばしいのだか恥ずかしいのだか判らない、複雑な感情を持て余していた。
女子寮では四名しかいないこともあり、それぞれの距離が縮まるのは早かった。特に同期の片岡とはすぐに親しくなった。彼女は背がやや低めでショートの髪形に目はクリッとした童顔だ。けれどスレンダーな体とは対照的な大きな胸を持つ女性である。同年代の男が十人いれば、八人から九人は可愛いというだろう。同じ女性ながら彼女の微笑みと、アンバランスな大きな胸に魅了されたくらいだ。
彼女は性格も良く、異性だけでなく同性からも可愛がられていた。笑顔が魅力的で、愛嬌のある彼女はお客様からの反応も上々のようだ。
けれど前の会社でもそうだったが、旅館のように女性が多く働いていて様々な年齢層がいる集団の中では、異性に好かれる女性というのはえてして同性から嫉妬されやすい。
大人数の女性集団で同性に嫌われてしまうと、仕事は極端にしづらくなる。その為決して楽ではない労働環境の中、人間関係で苦しみ辞めていく人は少なくないようだ。
そのような中で片岡は珍しく同性からも異性からも好かれる、この旅館の新しいマスコットガールのようだった。
そんな彼女は三カ月の研修が終わると料理飲食部門に配属が決まった。春香の配属先は管理部門の中の経理を兼ねた総務だ。正直言うとショックを受けたのは事実である。
失敗もあったが対顧客対応としては褒められることも多かった。だから旅館業の表舞台とも言える宿泊部門や、料理飲食部門へ配属されるものだと思っていたのである。例えその部門から外れても、過去の経験から営業部門も面白いとも考えていた。
それなのに大切なセクションだと判ってはいても、地味な印象のある管理部門への配属は第一、第二希望ですらない。そんな表情を察知されたのであろう。最初の管理部門配属の挨拶時に、寮の先輩でもある小畑に言われた。
「あなたは前の会社の経験があるしいい大学を出ていて優秀だから、総務や経理なんて簡単だと思っているかも知れないけど、馬鹿にしちゃいけないよ。ここの管理部門はさすがに営業部門のヘルプはめったにしないけれど、お客様対応に人手が足りない時、緊急時には宿泊部門にだって料理飲食部門にだって助っ人で駆り出される何でも屋だからね。全てができるようでなければ、裏方仕事はできないよ」
小畑の言葉通り、管理部門の新人は何でもやらされた。パソコンを使った数字や管理項目表の作成、管理から、旅館のホームページの更新と管理などとともに、大人数の団体が入るとヘルプとしてフロントや客室係、食事の配膳なども手伝った。またその合間に空いている部屋のチエックや見回りなどまで行ったのである。
この旅館に来た動機であり、大きな目的であった和太鼓部への入部に関しては、管理部門の先輩である小畑を通し一度だけ和太鼓部の部長やリーダーなど幹部が集まる会合に顔を出して挨拶だけはしていた。なぜなら小畑も和太鼓部の一員であり、リーダーの一人だったからだ。
しかし練習日程などは各自の勤務時間の合間を縫って個人的に行うことになっていたため、部としての練習への参加は基本的に個人の意思に基づき、自由参加となっている。
その言葉に甘えて、配属されてからのハードスケジュールに体を慣らすことを優先したため、和太鼓の練習どころではなかったのだ。
現に本来なら十二時間勤務の後に一日休みが入るけれど、六時間の休憩を挟んでそのまま朝から十二時間勤務に入ることも少なからずあった。
さらにヘルプで早番があったかと思うとすぐに夕方から勤務するなど、ただでさえ不規則な勤務体系が滅茶苦茶になったため、もう少し慣れるまで練習への参加は無理というのが実態だった。
そのような勤務は新人だからやらされていたわけではない。同じ部署の小畑もまた、いつ休んでいるのだろうと思うほどの勤務をこなしていた。
それでも彼女は和太鼓部の中心メンバーの一人であるため、個別練習はやっていたし、当然ロビーでのショーに参加している。それに加えて夏の大きなイベントに向けての集合練習も参加していた。
夏のイベントとは毎晩七、八人のメンバーがロビーで三十分程度太鼓を演奏するものとは規模が異なる。
お盆の時期に庭園を使って花火も打ち上げる夏祭りで、最大三十名ほどのメンバーの大多数が揃って和太鼓演奏を一時間ほど繰り広げるショーだ。旅館としても年間を通じ最も重要なイベントといっていい。
他にも年明けの三が日に新年を祝う行事でも、大人数で叩く機会はある。しかし三日限りのために夏のイベントほどの規模では無い。
それでも富士登山をして初日の出を拝むためにやってくるお客様も多いらしい。またお客様へのサービスと同時に、旅館として新しい年を向かるにあたり勢いをつける意味合いも強いという。
そのため旅館の案内用ビデオでも、一部使われているのは夏のショーが中心だ。春香も過去に行われたイベントの動画を見せてもらったことがある。
約三十名が叩く太鼓のリズムがピタリと揃い、大音量で奏でる和太鼓のあまりの迫力に圧倒され、一時間ほどの演奏を初めて観て聞いた時は、余りの感動で鳥肌が立ったほどだ。
もちろん観客も興奮して熱狂している姿が写っていた。演奏はビデオで撮った映像を通して聞いたのだが、生であれば数倍の衝撃を感じただろう。
和太鼓の魅力は何と言っても音によって振動された空気を体全体で直接感じ、心にドシンと響くあの迫力だ。
また自分が演奏する側に置き換えれば、観客達より太鼓に近い場所に立つことを意味する。春香はバチを通して激しく凄まじい波動を受けることを想像するだけで鳥肌が立った。
だからこの夏は無理だとしても来年の夏には是非一員に加わりたかった。だが現状では夏のイベントどころか、毎晩行われるロビーでの演奏にすら参加できない。正直なところ焦っていた。
もともと和太鼓に魅せられこの旅館に就職しようと決めたのだ。ここで働きながら人前で思いっきり叩いてお客様を感動させたいと思ってやってきた。それなのにそれができないことに対する欲求不満が日々募っていたことに気付く。
そこでストレスを少しでも解消するため、いつでも叩けるように時々太鼓のバチだけは部屋の中で握るよう心がけた。また仕事上での体力作りも兼ねて、太鼓を叩くためにも必要な筋力を衰えさせないように勤務で疲れた体に鞭を打って腕立て伏せや腹筋、スクワットなども自主的に行うようにしたのだ。
さらに和太鼓部の演奏するビデオを何度も見ながら、曲目を覚えるために膝を叩いてリズムを覚える。そうしてなんとかモチベーションを保った。それでも太鼓を叩けない日々が続くと、今まで養ってきた勘を失うのではないかという恐怖にかられていたのだ。
そんな悶悶とする日々を過ごしている間に、とうとう夏のイベントが始まった。もちろん叩く側で参加することは無く、日頃の勤務を行いながらイベント会場の外側から、総務の立場で手伝うことしかできない。
それでも生の太鼓の音を聞き、肌で感じられると考えただけで興奮した。何度も映像で見たあこがれの舞台だからだ。
大庭園に設置された特設舞台に数種類の太鼓が並ぶ。演奏時間は約一時間で七曲演奏される。その中に必ず入っているメインの曲、“大霊峰富士”以外は日替わりだ。その中の数曲のリズムだけは覚えている。
イベント初日は勤務時間から外れていたため演奏を聞けなかったが、二日目から旅館従業員として、遠く離れた所からだが眺めることができた。ようやく生で聞く機会が訪れたのだ。早く同じ舞台に立ちたいとの思いがさらに強くなる。
マイクパフォーマーが最初の挨拶を始めた。いよいよ始まる。曲の説明が終わり、会場から拍手が沸いた。
掛け声が入る。
「ハッ!」
和太鼓の音が敷地全体に響き渡る。真夏の夜のパフォーマンスに観客達も一気に引きこまれていく。これでもかと激しく叩かれる和太鼓の轟きは、屋内のロビーで毎晩演奏されるものとは全く異なる。
夏の夜の蒸し暑さを一気に吹き飛ばすほどの高揚感が会場全体を包んだ。五感が研ぎ澄まされ、心拍数が上がる。体中にアドレナリンが駆け巡った。
絶妙の間で気合が発せられる。
「ハッ!」
後半のサビに向けてさらに激しく鳴り響き、空気が激しく振動した。
曲が終わると、大きな拍手が起こった。春香も思わず手を叩いてしまう。次の曲の準備で人が入れ替わる間に、パフォーマーによるMCが流れる。そして二曲目が始まり、三曲目、四曲目と次々演奏は続き、とうとう最後の曲になった。
ほぼ全員が舞台に上がって演奏するメインの曲、“大霊峰富士”だ。
マイクパフォーマーが最後の仕事とばかりに、説明を行う。この曲は言わずと知れた富士信仰から来るものだ。
何度も大爆発を起こしてきた火山である富士の荒ぶる山神を鎮めるために、またその偉大な山自体を崇拝するために創られたものである。
自然の偉大さを認めて崇め、大地の恵みに感謝しつつ噴火により被害を受けた人々の霊を慰める想いが込められているこの曲は、富士の裾野にある富川園にとって、とても大切なものなのだ。
解説が終わると大太鼓の前に立った演奏者がバチを構えた。
「ハッ!」
ここで一斉に二十名余りのメンバーが太鼓を大きく叩きだす。
太鼓の振動が、それまでの曲とは比べものにならないほど凄まじく、胸や腹に直接伝わってくる。そこで花火が打ち上げられ、夜空を明るく照らした。花火の光と音と和太鼓の音が奏でる盛大なショーだ。
花火はまだまだ打ち上げられ、演奏もより激しくなる。その壮絶なコラボレーションに観客が絶叫した。
「ハッ!」
舞台上にいる全員の気合いと同時に最後の大きな花火が打ち上げられ、演奏が終了した。一瞬の静寂の後、割れんばかりの歓声と拍手が鳴り響く。総勢二十数名が叩く“大霊峰富士”の荘厳さに、観客達と同じく春香は感動して涙が滲んだ。
遠目から聞いているだけでこれほど心に響くのだ。だったらあの舞台上ではどう感じるのだろうか。考えるだけで興奮する。そして来年こそは向こう側に立って客を感動させてみせると強く心に誓った。
というより三カ月の研修内容は厳しく、それを乗り越えることに必死だった。恥ずかしながら業務時間外に参加して練習する気力と体力など正直なかった。仕事をしながら和太鼓を叩く事がどれだけ過酷なことか、改めて痛感した。
さらに勤務は長い間立ち仕事が続くこともあるため、足腰に疲労が蓄積する。加えて早番があったり遅番があったりという不規則な生活が、体の健康状態に影響があるかどうか、働き始めた時はとても注意していた。
春香自身が最も心配していた点である。これに関しては実家の両親も同じだった。会社側もそうだったに違いない。
しかし最初は苦痛を感じていた体も、予想していたより早く不規則な生活に慣れた。それは女子寮に入った分通勤時間は数分で済み、駅前周辺に部屋を借りていた他の新入社員達よりも楽だったからかもしれない。
外に部屋を借りている従業員達は、片道三十分程の山道を旅館から定期的に出ているバスに乗って通っていた。通勤時間はかかるがその分周辺が栄えている為、普段の日常生活品が置いてある店や飲食店の数が豊富という利点がある。
旅館や寮の周辺は山の中の温泉観光地の為、それなりに店はあるけれども駅前と比較すれば充実しているとは言い難い。
また飲食店も観光客向けの店が多いせいか、日常生活の中で通える場所は限られる。特に仕事の休みの日となれば、駅前にいる方が圧倒的に便利だ。
しかし特に研修中は休日を満喫している余裕などなかったため、寮生活は想像していた以上に快適だった。
他に女子寮入っていたのは同期ではもう一人、二十歳の片岡真理しかいない。彼女は他県出身で地元の短大を卒業したという。女子寮といっても現在部屋は四つしかなく、しかも使っている新人は二人だけだった。
他には入社二十年目でベテランの独身お局様である榊原由梨絵という料理飲食部門のセクションリーダーと、管理部門にいる入社十年目の小畑妙子がいた。
本来独身寮は新人が優先で、上位職から順番に寮を出てそれぞれで駅前周辺の部屋を借りることが通例だという。
だが元々入寮希望の女性は少なく、入っても比較的早めに駅前へ移ったり辞めたりして出て行く人が多いらしい。その為榊原と小畑は出ていく機会を失ったまま長い間住み続けているそうだ。
今回の新入社員の中では、ちょうど空いていた二部屋分の入寮希望者しかいなかったので今年も彼女達は寮を出なくて済んだという。ちなみに女子寮最上階の四階には榊原、三階に小畑、二階が春香で一階に片岡の部屋となっていた。
対して男性寮は二十四部屋あり、この四月に新しく五人が入り部屋は全て埋まったらしい。
寮は旅館の敷地から少し離れた場所にあり、四階建ての鉄筋コンクリート造りでエレベーターなしの建物が二棟並んでいる。建物中央の階段を挟んでそれぞれワンフロアに四部屋あり、A棟の十六部屋には男性しかいない。
その左隣にあるB棟の半分、階段を挟んでA棟側の半分が男子寮として八部屋があてがわれていた。
そう説明するとB棟の左半分の八部屋が女子寮かと言えばそれがまた違う。八部屋の内、男子達の部屋と隣接する四部屋は現在全て倉庫として使われていた。つまり左半分の一番左端、非常階段が付いている縦四部屋だけが現在女子寮として使用されているのだ。
女子寮の人は元々非常用だった階段を使って部屋を出入りしている。一応防犯のためにセキュリティーカードを通す仕組みがあり、倉庫のある部屋の前の廊下には男子寮から女子寮へ入れないよう、鍵がかかった扉が設置されていた。
しかし非常時の避難経路として、女子寮側からは男子寮側へと抜けられる仕組みになっている。要は同じ建物でも男子寮と女子寮は分離されているのだ。
それでも一部屋分離れているとはいえ、ベランダから身体を乗り出して覗けば男子寮の住んでいる人達が干した下着などは見える。
女性達とは違って男性達は隠すこと無く、時に派手なトランクスやブリーフと判るものがヒラヒラとしている様子を初めて見た時は、ドキドキしたものだ。
しかも前時代的な考えからか、男子寮の方からは女子の部屋には入れないが女子側からは入ることができる。つまり女性から男性を招きいれたり、または女性が男性寮へ侵入したりする事は可能だ。
今は草食系男子、肉食系女子という言葉が生まれているように昔と比べて女性の方が積極的だと言われている。そう考えるとこの寮の仕組みは時代として合っていないように思えた。
そんなことを考えてしまうのは自分もまだ若く、肉食系女子なのだろうか。そうではない。こんなことで胸をときめかせられるようになったのは、心身ともに健康を取り戻しつつあるからだろう。そう解釈した。なぜなら去年の今頃は、異性に興味を持つことなど全く無かったからだ。
そのような欲すら湧いてこなかった。物欲はもちろんのこと、人間の本能とも呼べる食欲や睡眠欲すら不安定なものだったため、性欲などあるはずも無い。そう気付いた春香は喜ばしいのだか恥ずかしいのだか判らない、複雑な感情を持て余していた。
女子寮では四名しかいないこともあり、それぞれの距離が縮まるのは早かった。特に同期の片岡とはすぐに親しくなった。彼女は背がやや低めでショートの髪形に目はクリッとした童顔だ。けれどスレンダーな体とは対照的な大きな胸を持つ女性である。同年代の男が十人いれば、八人から九人は可愛いというだろう。同じ女性ながら彼女の微笑みと、アンバランスな大きな胸に魅了されたくらいだ。
彼女は性格も良く、異性だけでなく同性からも可愛がられていた。笑顔が魅力的で、愛嬌のある彼女はお客様からの反応も上々のようだ。
けれど前の会社でもそうだったが、旅館のように女性が多く働いていて様々な年齢層がいる集団の中では、異性に好かれる女性というのはえてして同性から嫉妬されやすい。
大人数の女性集団で同性に嫌われてしまうと、仕事は極端にしづらくなる。その為決して楽ではない労働環境の中、人間関係で苦しみ辞めていく人は少なくないようだ。
そのような中で片岡は珍しく同性からも異性からも好かれる、この旅館の新しいマスコットガールのようだった。
そんな彼女は三カ月の研修が終わると料理飲食部門に配属が決まった。春香の配属先は管理部門の中の経理を兼ねた総務だ。正直言うとショックを受けたのは事実である。
失敗もあったが対顧客対応としては褒められることも多かった。だから旅館業の表舞台とも言える宿泊部門や、料理飲食部門へ配属されるものだと思っていたのである。例えその部門から外れても、過去の経験から営業部門も面白いとも考えていた。
それなのに大切なセクションだと判ってはいても、地味な印象のある管理部門への配属は第一、第二希望ですらない。そんな表情を察知されたのであろう。最初の管理部門配属の挨拶時に、寮の先輩でもある小畑に言われた。
「あなたは前の会社の経験があるしいい大学を出ていて優秀だから、総務や経理なんて簡単だと思っているかも知れないけど、馬鹿にしちゃいけないよ。ここの管理部門はさすがに営業部門のヘルプはめったにしないけれど、お客様対応に人手が足りない時、緊急時には宿泊部門にだって料理飲食部門にだって助っ人で駆り出される何でも屋だからね。全てができるようでなければ、裏方仕事はできないよ」
小畑の言葉通り、管理部門の新人は何でもやらされた。パソコンを使った数字や管理項目表の作成、管理から、旅館のホームページの更新と管理などとともに、大人数の団体が入るとヘルプとしてフロントや客室係、食事の配膳なども手伝った。またその合間に空いている部屋のチエックや見回りなどまで行ったのである。
この旅館に来た動機であり、大きな目的であった和太鼓部への入部に関しては、管理部門の先輩である小畑を通し一度だけ和太鼓部の部長やリーダーなど幹部が集まる会合に顔を出して挨拶だけはしていた。なぜなら小畑も和太鼓部の一員であり、リーダーの一人だったからだ。
しかし練習日程などは各自の勤務時間の合間を縫って個人的に行うことになっていたため、部としての練習への参加は基本的に個人の意思に基づき、自由参加となっている。
その言葉に甘えて、配属されてからのハードスケジュールに体を慣らすことを優先したため、和太鼓の練習どころではなかったのだ。
現に本来なら十二時間勤務の後に一日休みが入るけれど、六時間の休憩を挟んでそのまま朝から十二時間勤務に入ることも少なからずあった。
さらにヘルプで早番があったかと思うとすぐに夕方から勤務するなど、ただでさえ不規則な勤務体系が滅茶苦茶になったため、もう少し慣れるまで練習への参加は無理というのが実態だった。
そのような勤務は新人だからやらされていたわけではない。同じ部署の小畑もまた、いつ休んでいるのだろうと思うほどの勤務をこなしていた。
それでも彼女は和太鼓部の中心メンバーの一人であるため、個別練習はやっていたし、当然ロビーでのショーに参加している。それに加えて夏の大きなイベントに向けての集合練習も参加していた。
夏のイベントとは毎晩七、八人のメンバーがロビーで三十分程度太鼓を演奏するものとは規模が異なる。
お盆の時期に庭園を使って花火も打ち上げる夏祭りで、最大三十名ほどのメンバーの大多数が揃って和太鼓演奏を一時間ほど繰り広げるショーだ。旅館としても年間を通じ最も重要なイベントといっていい。
他にも年明けの三が日に新年を祝う行事でも、大人数で叩く機会はある。しかし三日限りのために夏のイベントほどの規模では無い。
それでも富士登山をして初日の出を拝むためにやってくるお客様も多いらしい。またお客様へのサービスと同時に、旅館として新しい年を向かるにあたり勢いをつける意味合いも強いという。
そのため旅館の案内用ビデオでも、一部使われているのは夏のショーが中心だ。春香も過去に行われたイベントの動画を見せてもらったことがある。
約三十名が叩く太鼓のリズムがピタリと揃い、大音量で奏でる和太鼓のあまりの迫力に圧倒され、一時間ほどの演奏を初めて観て聞いた時は、余りの感動で鳥肌が立ったほどだ。
もちろん観客も興奮して熱狂している姿が写っていた。演奏はビデオで撮った映像を通して聞いたのだが、生であれば数倍の衝撃を感じただろう。
和太鼓の魅力は何と言っても音によって振動された空気を体全体で直接感じ、心にドシンと響くあの迫力だ。
また自分が演奏する側に置き換えれば、観客達より太鼓に近い場所に立つことを意味する。春香はバチを通して激しく凄まじい波動を受けることを想像するだけで鳥肌が立った。
だからこの夏は無理だとしても来年の夏には是非一員に加わりたかった。だが現状では夏のイベントどころか、毎晩行われるロビーでの演奏にすら参加できない。正直なところ焦っていた。
もともと和太鼓に魅せられこの旅館に就職しようと決めたのだ。ここで働きながら人前で思いっきり叩いてお客様を感動させたいと思ってやってきた。それなのにそれができないことに対する欲求不満が日々募っていたことに気付く。
そこでストレスを少しでも解消するため、いつでも叩けるように時々太鼓のバチだけは部屋の中で握るよう心がけた。また仕事上での体力作りも兼ねて、太鼓を叩くためにも必要な筋力を衰えさせないように勤務で疲れた体に鞭を打って腕立て伏せや腹筋、スクワットなども自主的に行うようにしたのだ。
さらに和太鼓部の演奏するビデオを何度も見ながら、曲目を覚えるために膝を叩いてリズムを覚える。そうしてなんとかモチベーションを保った。それでも太鼓を叩けない日々が続くと、今まで養ってきた勘を失うのではないかという恐怖にかられていたのだ。
そんな悶悶とする日々を過ごしている間に、とうとう夏のイベントが始まった。もちろん叩く側で参加することは無く、日頃の勤務を行いながらイベント会場の外側から、総務の立場で手伝うことしかできない。
それでも生の太鼓の音を聞き、肌で感じられると考えただけで興奮した。何度も映像で見たあこがれの舞台だからだ。
大庭園に設置された特設舞台に数種類の太鼓が並ぶ。演奏時間は約一時間で七曲演奏される。その中に必ず入っているメインの曲、“大霊峰富士”以外は日替わりだ。その中の数曲のリズムだけは覚えている。
イベント初日は勤務時間から外れていたため演奏を聞けなかったが、二日目から旅館従業員として、遠く離れた所からだが眺めることができた。ようやく生で聞く機会が訪れたのだ。早く同じ舞台に立ちたいとの思いがさらに強くなる。
マイクパフォーマーが最初の挨拶を始めた。いよいよ始まる。曲の説明が終わり、会場から拍手が沸いた。
掛け声が入る。
「ハッ!」
和太鼓の音が敷地全体に響き渡る。真夏の夜のパフォーマンスに観客達も一気に引きこまれていく。これでもかと激しく叩かれる和太鼓の轟きは、屋内のロビーで毎晩演奏されるものとは全く異なる。
夏の夜の蒸し暑さを一気に吹き飛ばすほどの高揚感が会場全体を包んだ。五感が研ぎ澄まされ、心拍数が上がる。体中にアドレナリンが駆け巡った。
絶妙の間で気合が発せられる。
「ハッ!」
後半のサビに向けてさらに激しく鳴り響き、空気が激しく振動した。
曲が終わると、大きな拍手が起こった。春香も思わず手を叩いてしまう。次の曲の準備で人が入れ替わる間に、パフォーマーによるMCが流れる。そして二曲目が始まり、三曲目、四曲目と次々演奏は続き、とうとう最後の曲になった。
ほぼ全員が舞台に上がって演奏するメインの曲、“大霊峰富士”だ。
マイクパフォーマーが最後の仕事とばかりに、説明を行う。この曲は言わずと知れた富士信仰から来るものだ。
何度も大爆発を起こしてきた火山である富士の荒ぶる山神を鎮めるために、またその偉大な山自体を崇拝するために創られたものである。
自然の偉大さを認めて崇め、大地の恵みに感謝しつつ噴火により被害を受けた人々の霊を慰める想いが込められているこの曲は、富士の裾野にある富川園にとって、とても大切なものなのだ。
解説が終わると大太鼓の前に立った演奏者がバチを構えた。
「ハッ!」
ここで一斉に二十名余りのメンバーが太鼓を大きく叩きだす。
太鼓の振動が、それまでの曲とは比べものにならないほど凄まじく、胸や腹に直接伝わってくる。そこで花火が打ち上げられ、夜空を明るく照らした。花火の光と音と和太鼓の音が奏でる盛大なショーだ。
花火はまだまだ打ち上げられ、演奏もより激しくなる。その壮絶なコラボレーションに観客が絶叫した。
「ハッ!」
舞台上にいる全員の気合いと同時に最後の大きな花火が打ち上げられ、演奏が終了した。一瞬の静寂の後、割れんばかりの歓声と拍手が鳴り響く。総勢二十数名が叩く“大霊峰富士”の荘厳さに、観客達と同じく春香は感動して涙が滲んだ。
遠目から聞いているだけでこれほど心に響くのだ。だったらあの舞台上ではどう感じるのだろうか。考えるだけで興奮する。そして来年こそは向こう側に立って客を感動させてみせると強く心に誓った。
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