がむしゃらに

しまおか

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奮闘~②

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 あの時は思わずお客様に謝ったけれど、正直理解し難かった。子供に注意はしたがその前に母親も叱っていたし、言葉は彼女に比べてかなり優しくしたはずだ。
 それに子供には笑顔で接していた。それを急に泣かれてしまい、状況を良く判っていない父親が泣いていると言うだけで怒るなんて理不尽じゃないか。そう考えていた春香を見て先輩は言った。
「天堂はあの家族が来館した時から、煩い子供だと思っていただろう」
 ハッとする。確かにそうだ。あのお客様達が来た時そう考えていた。その気持ちが表情などに出ていたのだろう。先輩はそれを見逃すことなく、あえてあの家族を担当させたらしい。
 何も言い返せないまま額に汗が噴き出す。ハンカチを取り出し額を拭く。しかしどうすれば良かったのかが判らない。黙っていると先輩は続けた。
「天堂は前の会社で色んなお客様と接してきた分、言葉遣いや謝り方などはしっかりできている。さっきも怒鳴られて、咄嗟に頭を下げたタイミングは良かった。ああいう時は思わず呆然としたり怯えたりして、謝るタイミングを逃す場合がある。それは他の二名もしっかり学んだほうがいい」
 先輩が他の新人達を見ると、二人は素直に頷いていた。
「しかし天堂が今まで相手をしてきたのは、煩い大人ばかりだろう。しかも保険に加入する、または検討するといった類の人達で子供を相手にすることはほとんどなかった。違うか? そこが天堂の足りない点だ。旅館には老若男女、いろんなお客様が来館される。そのことを頭に叩きこんで置け」
 視線を春香に移した先輩の言葉には頷かざるをえなかった。煩いお爺ちゃんやお婆ちゃん、良く判らないことをやっているような中小企業の社長等様々なお客と接してきたが、子供を相手にした事は今まで一度もない。その場合どうすればいいかなど経験したことも無く、学ぶ機会もなかった。
 項垂うなだれていると、先輩は教えてくれた。
「ではどうすればいいか。それは客室係が見せた対処方法も良い一例だろう」
 先程の場面を思い出す。あの先輩はどうしていただろうかと考えた時、一つだけ思い当たったことがある。先輩はさらに告げた。
「ああいう場合、子供に注意するなとは言わない。例え相手がお客様でも旅館の従業員として言うべきことは言わなければならない時もあるからだ。しかしその場合、気をつけなければいけない。一つは目線だ。天堂はあの時笑ってはいたが、子供に対してフロントカウンターの中から、子供を見下ろすように注意しただろう。今時の子供は親にさえ注意されたことがない場合もあり、他人から怒られ慣れていない子も少なくない。そういう子供が知らない大人から見下ろされ、注意を受けたらどう思うだろうか」
 その時客室係がしゃがんで子供に話かけていた意味を理解したのだ。
「目線というのは子供だけじゃない。相手が大人でも、自分より背の低い女性の方やお年寄りの場合でもそうだ。上から物を言う事は人に圧迫感を与える。その事を理解しないと、お客様に少しでもくつろいでいただき満足してもらうことはできない。判ったか」
 最後は新人全員に向かって言ったため、皆が大きな声で返事をした。
「はい! わかりました。ありがとうございます!」
 春香は恥じた。今まで少しばかり接客に自信があると勘違いしていた自分だが、まだまだ足らないことが多いという事を身に染みて理解した。たった二年の経験で、何もかも判ったような気になっていた自分が情けない。
 お客様には本当に様々な方がいる。その一人一人が求めるものや満足の仕方もそれぞれ異なるが故に、接客方法も多種多様である事をあらためて学んだのだった。
 それからも色々な失敗をした。外国人のお客様が来られた時、少しだけ自信があった英語で話しかけてみたら全く通じない。右往左往していると相手は良く判らない言葉を話しだしたため、間に入ってくれた先輩が日本語でゆっくり説明したところようやく通じた、という笑い話もあった。
 また予約確認をするため、宿泊予定の二日前にお客様の所へ電話をしたところ、予約時の注意事項にあった文言を見逃した。そのため大騒ぎになったのだ。
 そこには万が一の為に固定電話の番号も記載されてはいたが、予約確認の連絡は必ず予約した本人と携帯で話すようにと書かれていたのである。
 それなのに家の固定電話に出た人が予約した人の奥様だったためそのまま確認を入れると、いきなり関西弁で怒鳴られたのだ。
「そんな予約、入れた覚えなんかないわ!」
 ご主人が奥さんに内緒で、別の人と宿泊する予定だったらしい。要は愛人と浮気旅行を計画していたのだ。それがばれ、予約はもちろんキャンセル料を取ることもできずに取り消され、ご主人には電話口で一時間以上怒鳴られた。
 幸い奥様がこれ以上文句を言うのは恥ずかしいからと止めてくれたおかげで、それ以上被害は広がらなかったが、そのお客は未来永劫この旅館に泊まることはないだろう。
 気に入っていただければ、その後何度も利用してもらえたかもしれないお客様を一人失ったのだ。
 浮気相手の愛人を連れたお客を常連として持つのもどうなのかという道徳的な問題もあるが、お客様には変わりない。利用される方々のプライバシーに関しては、慎重に対応しなければならないと身をもって体験した。
 さらに客室係の研修時には案内する部屋の階を間違え、同じ所をバタバタと走りまわったこともある。
 また宿泊予約時に飲んでいる高血圧の薬の関係で、副作用が起こる可能性があるからグレープフルーツを食事に入れないでくれとの要望を料理飲食部門に伝え忘れた。そのため何も知らない食事係がグレープフルーツの入ったデザートを出してお客が激怒し、何度も頭を下げて謝罪し続けるというミスもやらかした。
 ただ一回、障害者の方が宿泊された際の対応でお客様に大変褒められたことがある。普通ならお客様が障害者だとあれもこれも不自由だろうと思い、接客側として何でも手助けしてしまいがちだ。
 しかし地元で知的障害を持つ人達と和太鼓を叩く機会があったおかげで、必要以上に干渉することは逆に相手が失礼に感じることもあると知っていた。
 障害者達の中には、自分のできることは自分でなるべくやりたいと思う人達もいる。それを健常者の視点からできないだろうと思いこみ、自分勝手な親切心で手を差し伸べると、かえって相手の気分を害してしまうのだ。
 そうした以前の経験から、視覚障害のある女性がお客様として見えられた時、基本的に普通のお客様と同じように接し、少し離れた所でお客様を見守りながら必要な時だけ手を貸すように心がけたのである。
 そのお客様がチェックアウトした後見送りに出た際、お褒めの言葉を頂いたのだ。
「あなたの接客は自然な気配りを感じられて、すごく気持ちが良かった。こういう接客をしてくれる従業員さんがいる旅館なら、自信を持って同じ障害者のお友達にも紹介出来るし、私もまた安心して来られるわ」
 その言葉を聞いた先輩が新人だけでなく、他の従業員の方々にも春香の接客例を上げて褒め、皆も学ぶようにと言ってくれた。自分のした事が認められたことで、仕事に対する喜びをさらに深めることができたのだった。
 二か月で宿泊部門研修と料理飲食部門の研修を終えると、残り一ヶ月は営業部門と管理部門の研修を受けた。最初の三週間は営業部門で旅行会社などへの売り込みや旅行会社のツアーに織り込む企画、旅館の広報に関してどのような事をやっているかを見せられた。
 最後の一週間は管理部門で人事や総務、経理を簡単に教わり、施設管理の手順を学んだ。例えば備品や緊急時の為に用意された物の確認や停電になった場合に備えて自家発電設備があるのでその点検方法を教えられた。
 また備蓄してある非常食の賞味期限などを確認したりする、地味ではあるが大切な作業ばかりだった。このわずかな期間で学んだことが、後々大きな意味が持つことになる。
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