17 / 62
再会(正男の視点)~⑧
しおりを挟む
その精神は並いる男子を押しのけてレギュラーを獲得し、活躍していた小学生の頃と全く変わらない。
それでも当初は相手選手との接触も多く、恐怖心が取れるには相当な時間がかかったようだ。しかし千夏は自分の低い身長を長所として利用し、重心を低くして男性選手の足元をするすると素早く動いて抜き去る術を学んだという。
関西遠征時に正男が撮影した動画を、巧と一緒に見たりした。そこでは相手選手の気配を察知してスペースを見つけ、走り込んだりする彼女の姿からはやはり天性のセンスが感じられると、彼は言っていた。
また彼女は味方のパスを絶妙なトラップで受けたり、逆に味方へパスを通したり、鋭いシュートでゴールを狙った。現在練習に参加させてもらっている関西のチームにおいても、一躍トップクラスの選手へと上り詰めるまでには、実際あまり時間はかからなかったようだ。
残念なのは、まだ日本におけるブラサカの競技人口が多くなかったことである。その為多くのチームが東京を中心とする東日本リーグ、大阪を中心とする西日本リーグ、そこに福岡を中心とする九州・四国リーグや、東北北信越リーグが最近加わった程度だった。
八千草のチームも、まだリーグ戦に出られるほどの体制が整っていない。つまりブラサカを本格的にやろうとするならば、今住んでいる地域は環境的にハンデがあったのだ。
もしもっと上手く強くなろうとするならば、トップリーグの選手達としのぎを削る機会を増やさなければならない。本気で将来の日本代表に選ばれる存在になり、世界と戦っていくためには、少なくとも男子も含めた国内チームで認められなければならなかった。
近い将来パラリンピックの切符を手に入れようとするならば、今の内にできる限り恵まれた環境でいた方が望ましいことは明らかだ。
だからこそ初めて千夏の壮大な夢を聞かされた正男は、今の日本のブラサカを取り巻く環境を調べた時、彼女に恐る恐る尋ねた。
「本当に日本代表レベルを目指しているのか? もしかして千夏は、東京か大阪の方へ引っ越すことを考えているのか?」
実際にブラサカ男子日本代表に選ばれる選手達の中では、環境のいい場所に移り住む人も少なからずいるようだ。土曜日の夕方、巧を含めた公園での練習の合間の休憩で、ベンチに座っていた千夏はその質問に少し首を傾げながら答えた。
「考えんことも無いけど、今の生活環境からしてそれは難しいかな。だってここから引っ越すんなら、さすがにお爺ちゃんやお婆ちゃんは連れていけんやろ。それだと一人暮らしになるやん。まだ私はそこまでできる勇気はあらへん」
それを聞いて胸を撫で下ろした。横にいた巧も同様だったらしい。ホッとした顔をして聞いていた。彼もまた、千夏が再び遠く離れてしまうのではないかと心配していたようだ。
しかし彼女は続けて言った。
「行くとしても東京は無いな。良い思い出は無いし。そしたら大阪がええかも」
ギョッとした正男は、もう一度確認した。
「おいおい、本当に行くつもりじゃないよな」
「行くとしたら、やて。今は無理。でもずっとここでおるかと言われたら、将来的にはそういう選択肢もありかなとは考えるよ。だって私もお爺ちゃんやお婆ちゃんに、いつまでも甘える訳にはいかへん。それにお母さんにはもう頼られんと思うから、いつかは一人で生活できるようにならんといかんし、それなりの覚悟はしとかんとね」
千夏は努めて明るくそう言ったが、正男は思わず俯いてしまった。一緒に聞いていた巧も悲しそうな表情をしている。確かにそうだ。まだ夫婦で元気な間はいい。だが遠くない将来、正男達自身が介護される立場に変わるのも時間の問題だ。
そうなれば、千夏が正男達の面倒を看ることはできない。経済的に余裕がある今の正男達なら、どこかの介護付き老人ホームに夫婦で入居することが現実的だろう。
「そうなる時まで、千夏が少しでも一人でやっていけるよう準備するのが、私達の役割だからな。それまでは今まで通り、やりたいことをやっていればいい」
寂しさに堪えながらもそう言った。こうした問題は、正男達に限ったことでは無い。世界中の障害者や病気を持った子を持つ親や保護者達なら、皆が抱えていることだ。自分達が死んだり、面倒を見られなくなったりした後のことを考えると、心配でならないだろう。
千夏の場合は、経済的に恵まれていることが何よりの安心材料ではある。正男達も基本的には、自分達が必要なお金は最小限手元に置いておくつもりだ。しかしもし自分達に万が一のことが起こったら、遺産は彼女の為に少しでも多く残したかった。
お金の問題は決して小さくない。障害者に対する国からの補助はあっても、全てが無償である訳もない。必ず自己負担というものが出てくる。その為サービスを受けたくても、自己負担分のお金を支払う余裕が無いので断念せざるを得ない人達は少なくないらしい。
ただでさえ今は少子化と高齢化により、社会福祉費に国が多く負担している。自己負担という制度は将来的にみて、割合が多くなることはあっても無くなることは難しいと覚悟した方がいい。そうした厳しい社会の現実に対し、思わず憤り妻にぼやいたことがあった。
今のところ、千夏は自分でお金を稼ぐ行為自体をせずに済んでいる。しかし資産があるといってもいずれは自分で働き、少しでも蓄えを持って万が一に備えておいた方がいいことは確かだ。
そこで正男は話の流れで聞いてみた。
「将来的には一人になった時のために、何かやりたい仕事はあるのか?」
するとその時は、はっきりとした答えを教えてくれなかった。だが後になって考えた時、千夏はその頃からあるビジョンを持っていたと思われる。その考えが途方もなく、また後に大きな問題を引き起こすことになったのだ。
それでも当初は相手選手との接触も多く、恐怖心が取れるには相当な時間がかかったようだ。しかし千夏は自分の低い身長を長所として利用し、重心を低くして男性選手の足元をするすると素早く動いて抜き去る術を学んだという。
関西遠征時に正男が撮影した動画を、巧と一緒に見たりした。そこでは相手選手の気配を察知してスペースを見つけ、走り込んだりする彼女の姿からはやはり天性のセンスが感じられると、彼は言っていた。
また彼女は味方のパスを絶妙なトラップで受けたり、逆に味方へパスを通したり、鋭いシュートでゴールを狙った。現在練習に参加させてもらっている関西のチームにおいても、一躍トップクラスの選手へと上り詰めるまでには、実際あまり時間はかからなかったようだ。
残念なのは、まだ日本におけるブラサカの競技人口が多くなかったことである。その為多くのチームが東京を中心とする東日本リーグ、大阪を中心とする西日本リーグ、そこに福岡を中心とする九州・四国リーグや、東北北信越リーグが最近加わった程度だった。
八千草のチームも、まだリーグ戦に出られるほどの体制が整っていない。つまりブラサカを本格的にやろうとするならば、今住んでいる地域は環境的にハンデがあったのだ。
もしもっと上手く強くなろうとするならば、トップリーグの選手達としのぎを削る機会を増やさなければならない。本気で将来の日本代表に選ばれる存在になり、世界と戦っていくためには、少なくとも男子も含めた国内チームで認められなければならなかった。
近い将来パラリンピックの切符を手に入れようとするならば、今の内にできる限り恵まれた環境でいた方が望ましいことは明らかだ。
だからこそ初めて千夏の壮大な夢を聞かされた正男は、今の日本のブラサカを取り巻く環境を調べた時、彼女に恐る恐る尋ねた。
「本当に日本代表レベルを目指しているのか? もしかして千夏は、東京か大阪の方へ引っ越すことを考えているのか?」
実際にブラサカ男子日本代表に選ばれる選手達の中では、環境のいい場所に移り住む人も少なからずいるようだ。土曜日の夕方、巧を含めた公園での練習の合間の休憩で、ベンチに座っていた千夏はその質問に少し首を傾げながら答えた。
「考えんことも無いけど、今の生活環境からしてそれは難しいかな。だってここから引っ越すんなら、さすがにお爺ちゃんやお婆ちゃんは連れていけんやろ。それだと一人暮らしになるやん。まだ私はそこまでできる勇気はあらへん」
それを聞いて胸を撫で下ろした。横にいた巧も同様だったらしい。ホッとした顔をして聞いていた。彼もまた、千夏が再び遠く離れてしまうのではないかと心配していたようだ。
しかし彼女は続けて言った。
「行くとしても東京は無いな。良い思い出は無いし。そしたら大阪がええかも」
ギョッとした正男は、もう一度確認した。
「おいおい、本当に行くつもりじゃないよな」
「行くとしたら、やて。今は無理。でもずっとここでおるかと言われたら、将来的にはそういう選択肢もありかなとは考えるよ。だって私もお爺ちゃんやお婆ちゃんに、いつまでも甘える訳にはいかへん。それにお母さんにはもう頼られんと思うから、いつかは一人で生活できるようにならんといかんし、それなりの覚悟はしとかんとね」
千夏は努めて明るくそう言ったが、正男は思わず俯いてしまった。一緒に聞いていた巧も悲しそうな表情をしている。確かにそうだ。まだ夫婦で元気な間はいい。だが遠くない将来、正男達自身が介護される立場に変わるのも時間の問題だ。
そうなれば、千夏が正男達の面倒を看ることはできない。経済的に余裕がある今の正男達なら、どこかの介護付き老人ホームに夫婦で入居することが現実的だろう。
「そうなる時まで、千夏が少しでも一人でやっていけるよう準備するのが、私達の役割だからな。それまでは今まで通り、やりたいことをやっていればいい」
寂しさに堪えながらもそう言った。こうした問題は、正男達に限ったことでは無い。世界中の障害者や病気を持った子を持つ親や保護者達なら、皆が抱えていることだ。自分達が死んだり、面倒を見られなくなったりした後のことを考えると、心配でならないだろう。
千夏の場合は、経済的に恵まれていることが何よりの安心材料ではある。正男達も基本的には、自分達が必要なお金は最小限手元に置いておくつもりだ。しかしもし自分達に万が一のことが起こったら、遺産は彼女の為に少しでも多く残したかった。
お金の問題は決して小さくない。障害者に対する国からの補助はあっても、全てが無償である訳もない。必ず自己負担というものが出てくる。その為サービスを受けたくても、自己負担分のお金を支払う余裕が無いので断念せざるを得ない人達は少なくないらしい。
ただでさえ今は少子化と高齢化により、社会福祉費に国が多く負担している。自己負担という制度は将来的にみて、割合が多くなることはあっても無くなることは難しいと覚悟した方がいい。そうした厳しい社会の現実に対し、思わず憤り妻にぼやいたことがあった。
今のところ、千夏は自分でお金を稼ぐ行為自体をせずに済んでいる。しかし資産があるといってもいずれは自分で働き、少しでも蓄えを持って万が一に備えておいた方がいいことは確かだ。
そこで正男は話の流れで聞いてみた。
「将来的には一人になった時のために、何かやりたい仕事はあるのか?」
するとその時は、はっきりとした答えを教えてくれなかった。だが後になって考えた時、千夏はその頃からあるビジョンを持っていたと思われる。その考えが途方もなく、また後に大きな問題を引き起こすことになったのだ。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
回胴式優義記
煙爺
大衆娯楽
パチスロに助けられ 裏切られ 翻弄されて
夢だった店のオープンを2週間後に控えて居た男
神崎 中 は不思議な現象に遭遇する それは…
パチスロを通じて人と出会い 別れ 生きていく 元おっさんの生き様を是非ご覧下さい
要注意
このお話はパチスロ4号機の知識が無いとあまり楽しめない内容となっております ご注意下さい
推奨年齢30歳以上
※こちらの小説は小説家になろう様でも投稿しています
※フィクションです
Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説
宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。
美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!!
【2022/6/11完結】
その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。
そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。
「制覇、今日は五時からだから。来てね」
隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。
担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。
◇
こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく……
――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――
フットモンキー ~FooT MoNKeY~
崗本 健太郎
現代文学
フットサルのアマチュア選手である室井昴が、
一度は諦めてしまったプロの選手になる夢を叶えるために奮闘する物語。
彼女である瑞希との恋や、チームメイトたちとの友情、
強敵たちとの激戦など、熱い青春を感じさせるストーリーは必見だ。
展開が速くいろいろな要素が盛り込まれており、
特にサッカーと恋愛が好きな人にはオススメの作品である。
笑いと感動を手にしたい人は乞うご期待!!
※毎日19時公開 全46話
下記サイトにて電子書籍で好評販売中!!
Amazon-Kindle:www.amazon.co.jp/kindle
BOOK WALKER:www.bookwalker.jp

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる