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山塚と三十五年前の事件①ー2
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今回のターゲットは三人組の老女達だ。バブル景気のおかげだろう。それぞれの夫または自分自身が、多額の収入を得ているのだろうと一見して分かる。
彼女達の目当ては、目の前の演舞場に出演する若手の歌舞伎役者らしい。先程から周囲の迷惑など顧みず、ピーチクパーチクと彼らの話題で盛り上がっていた。
他の客だって似たようなものだ。開場までの時間潰しなのか、下世話なネタに花を咲かせている妙齢のご婦人達や、セレブ気取りの輩がひしめいていた。
中には一人静かに佇んでいる者もいたが、どうせ大したことなどしていない。平日の真昼間から、決して安くない料金を支払い集まっている者達ばかりだ。
時間帯から考えれば、館内で値段の張る弁当を食べるのだろう。圧倒的に有閑マダム達の比率が高い。それでも時折夫婦揃って並んでいる者や、子供連れの若い女性達も少しだけ見かけた。
私達は周辺の客から浮かない様に、それぞれフォーマルな服装をしている。少数派の人達を装い、じりじりと標的に近づく為だ。同じく正装した頭領や幹部達も近くにいる。彼らの指示を見落とさないよう注意しながら、私やギョロは持ち場を確保した。
彼女達は話に夢中で、全く気付いていない。周りの客も、他人には基本的に無関心だ。ようやく時間が来たらしく、係員が出て来てドアを開けた。すると皆が一斉に、入り口へと近づきだす。人が密集している今がチャンスだ。
標的の三人を取り囲んだ頭領達の手が動く。人混みに押された老女達のバックから、素早く財布等を抜き出す。と同時に、近くの仲間へ手渡した。それを別の仲間へと、次々送り渡される。その間袋に小分けされ、さらに仲間が分散して受け取った。
奪った品々が次々と流れていく中、最終アンカー役の小学生だった私とギョロがそれらを回収する。子供なら盗人に加わっていると疑われにくいからだ。
全てが揃ったところで、私達は会場入り口へ雪崩れ込む人波の合間を縫い、逆方向へと歩く。ゆっくりと慌てずに離れ、五分後には人気のない所へと辿り着いた。
もちろん辺りを見渡し、誰も追って来ていないか確かめる。問題ないと分かり、そこでギョロと顔を見合わせ笑った。その後指定された集合場所へ向かうと、あの場にいた仲間達が全員揃っていた。
「出せ」
頭領に言われ、私達は預かった財布等を手渡す。彼は一つ一つ中身を確認し、札束と小銭の他に宝石らしき物を取り出した。知らぬ間にそうした物もバックから抜き取っていたようだ。
私達に与えられていたのは、怪しまれないよう少しでも早く現場から離れる役目だった。その為何を受け取ったか等、いちいち確認はしない。だから全く気付かなかった。
もう一人の男が彼の出した物を受け取り、再度金額等を数えながら持っていた巾着袋の中へと無造作に入れていく。それを仲間達がじっと見守っていた。
今回の収穫を出し終えた財布が、頭領から別の仲間の手にポンッと投げられる。
「捨ててこい」
頷いた彼はすぐその場を離れ、どこかへと消えた。カード類等、換金に手がかかる物を残して捨てる為だ。もちろん仲間の指紋等を拭き取ってから処分される。しかもそう簡単に見つかるような場所には置かないはずだ。
「今日の取り分を渡す」
頭領が隣にいた男に、軽く耳打ちする。頷いた彼は巾着の中から金を出し、一人一人に分配し出した。年齢や役割等で渡される金額は、それぞれ違う。だが文句を口にするものは誰もいない。
受け取った者から、次々と場を離れる。ギョロも分け前を手にすると、そのまま繁華街へと消えた。恐らく買い物でもするつもりだろう。しかし私は真っすぐ家へと向かった。
道中では、先程まで集まっていた仲間の顔もちらほら見かけた。同じく家路に着く人達だろう。私達が住んでいる家は、ほぼ似通った場所にあるからだ。類は友を呼ぶともいうが、実態は少し違う。
貧しい者達が住む場所は、まだ壊れていないと感心される程の古い家やアパートだ。そうした地域は比較的治安も悪い。生活する為。犯罪に手を染めるしかない者達が少なからずいるからだろう。
通称、山塚と呼ばれる街の長屋周辺がそうだ。貧困は大人から子供へと連鎖する。抜け出せるものなど、ほんの一握りだ。殆どの住民が親やその上の時代から、そうした生活を引き継いでいる。片親などは当たり前で、両親すらいない者も多い。
生まれながら天涯孤独な境遇や、様々な事情で止む無くこの街に住み着く奴らがいた。私や年が一つ違いのギョロも例外ではない。よっていくつかある窃盗集団の中で、スリを専門とする仲間に入ったのだ。
生きる糧を得る為、集団で標的を狙う際の手伝いをした。また相手の懐やバックなどから奪う練習を、毎日のように繰り返していたのである。
今回はスリ師の頭領を中心に目をつけた三名から、財布などを奪う仕事だった。その為現行犯逮捕されないよう仲間達に盗んだ獲物を次々と手渡し、その場から離れる手法を取っていたのだ。
こういう時、スリ師として未熟な私やギョロは見張り役だったり、途中や最後の受け取り役を担ったりする場合が多い。
街には他にも空き巣、車上荒らし、車両盗難等の窃盗を主とする集団や強請り等の恐喝を専門とする者、詐欺や横領の得意なグループ等があった。幼い頃から人の物を盗んで生活するのが常識、という環境だったからだろう。今思えば、世間と全く異なる価値観を持っていたのは確かだ。
他の人と自分達は違うと気づいたのは、かなり大きくなってからである。それでも間違っているとは思わなかった。先生といった肩書や偉いと崇(あが)められている大人達が、碌でもないと知っていたからだろう。
教師や医者や政治家等がそうだ。警察だって暴力団と何ら変わらない。強力な権力を持っているだけに、質が悪い集団としか思っていなかった。
私達を守ってくれる存在等と、想像した覚えもない。それどころか、敵との認識を常に持っていた。もちろん自分達が法を犯しているとの自覚は、ある年齢を過ぎた頃から持ち始めていた。
それでも権力を利用し、堂々と嘘をつく大人達を多く見て育ったからだろう。勝手気ままに振る舞い、時には暴力や窃盗、殺人すら犯す者だっている。
そんな彼らが逮捕されず野放しでいられるのなら、私達の罪など可愛いものだ。特別悪い罪など犯していない。しかも街の大人は、ごく一部を除いて親切な人達ばかりだった。そう心から信じ込んでいたのである。
それどころかスリ師は人を怯えさせず、傷つけず殺しもしない。持っている者から、少しばかりの金を頂戴するだけだ。しかも貧乏人からは取らないので、世の中の金の回りをよくするまともな集団との自負すら持っていた。
しかし特殊な生活環境や体験をしているからか、街には奇妙な行動をする者が何人かいた。当時も今も、知的障害や適応障害を持つ児童や大人達が一定数いたからだろう。中には乱暴な行動を起こす奴もいる。その一人がギョロだ。ほっそりとした顔に大きな目が特徴だった為、周りからそう呼ばれていた。
彼女は幼い頃に虐待されていた反動からか、自分より弱い者に強く当たる性格をしていた。またそれだけでは済まず、ある時から異常な行動をし始めたのだ。
きっかけは、如何にも金を持っていそうな犬を連れた老婦人を彼女が見つけ、一人でスリをしようと近づいたことで起こった事件だった。
まだ不慣れだとの自覚や、慎重さが欠けていたのだろう。相手を侮り警戒も怠った為に失敗した。その上標的の飼い犬に噛まれる失態を犯したのだ。
幸いその場から逃げだせたので、警察沙汰にはならなかった。噛まれた腕も、大した怪我ではなかったらしい。だがそれ以降の彼女は、金持ちへの憎しみが増しただけでなく、犬に対する嫌悪が激しくなった。
その結果目をつけた飼い犬を、片っ端から手持ち花火で襲い始めたのである。「すすき」と呼ばれる細長い筒状の紙管に火薬を入れ、竹の棒などに紙で巻き付けたものを使ったらしい。着火するとススキの穂のように、シューッという音を出しながら火花が前方に吹きだす花火で、子供達もよく使う商品だ。
これを庭に紐で繋がれた犬を見つけては、周囲に人がいないと確認して火傷させて逃げた。そうした行為を何度も繰り返していたようだ。しかしそれが徐々にエスカレートし、わざと目を狙うようになったという。更には首を紐で締め、殺された犬も出たのである。
こうした行動に気付いた周囲の大人達は、さすがにやり過ぎだと彼女を諭したらしい。それは当然だ。下手をすれば警察が動き出す。目をつけられれば、街の他の住民達にも影響が出るからだ。
理由は様々だが、脛に傷を持つ者が多く集まっているのがこの街である。よって目立った行動は、厳に慎むことが掟だった。
しかしそれ以上に懸念されたのは、動物虐待が凶悪犯罪の予兆と考えられていた点だ。そうした行為が続けば、いずれ人をも傷つけるようになりかねない。やがては殺人を犯すだろうと思われていたという。
攻撃的な振る舞いが外に向いている間は、時にそうした狂気を仕事上で活かせる見込みもあるだろう。しかし内に向かえば、仲間が傷つく恐れがある。つまりは家の中で、爆弾を抱えるようなものだ。
いつ爆発し、被害に遭うかもしれない。そのような恐怖を抱いたまま、ごく限られた閉鎖的な範囲で生活する状況程、恐ろしい事は無かった。
仲間内にも、暴力で金を奪う乱暴者が何人かいる。それでも身内には手を出さないとの暗黙の了解があった。しかもそうした輩は山塚の規則にそぐわないと判断され、やがて街から出て行くよう促されるのだ。
罪を犯して生活を維持する集団にとっては、固い結束こそが命綱である。密告者等の裏切りが起これば、瞬く間に全員が堀の中へ入れられてしまう。そこにきて制御不能なシリアルキラーがいるとなれば、大問題だ。
よって彼女は、次第に仲間から遠ざけられるようになった。それが彼女の乱心に拍車をかけたのかもしれない。
ある日私の大好きだった一彦が、花火で目を焼かれた上で首を絞められ殺される事件が起こったからだ。とうとう自分達のテリトリーから被害が出た為、仲間は騒然とした。といって当然警察は呼べない。
幸いこの事件を知り得たのは、第一発見者も含め樋口家が所属する集団だけだった。ギョロがその集団の管理下にいたからだろう。そこで他の住民達には内密とし、頭領と幹部達だけで対策を話し合った。
その結果亡き骸は、私達が住んでいた場所から遠く離れた山中に埋められた。一彦は幼い頃に捨てられ、仲間が拾い育てたという生い立ちもあったからだと思われる。この街では昔から、そのようなケースが散見されたと聞いていた。
当然犯人は彼女だと集団の皆が疑った。一彦の首には紐が巻かれた跡があったからだ。しかし本人は頑としてそれを認めなかった為、彼女を一時的に隔離部屋へと閉じ込めたのである。
そこは盗品等を隠す為に、街が土地付きで買い取った古い土蔵の一つだった。防音や耐震はしっかりしており、災害時の避難場所としても利用されていたらしい。
その中には仲間内で何か悪さをした時に使われる、木と鉄の枠で作られた座敷牢まで設置されていた。彼女はそこへ放り込まれたのだ。
どうしようもなく酷い環境で育っていたのは、彼女だけではない。私も恵まれていたとは言えない中で生きて来た。そんな中で一彦は唯一と言って良い程大切な存在であり、心の拠り所でもあったのだ。
その命を奪ったギョロを私は決して許せず、復讐を誓った。その為こっそり周辺の大人達から話を聞き証拠を集め、犯人はギョロだと確信を得たのだ。
首に巻かれた紐で引っ張られ窒息したのが、一彦の死因だったとも耳にした。それならば、彼女にも同じ罰を与えなければならない。
そう考えた私は、花火と紐を懐に忍ばせ夜中にこっそりと隔離部屋へ近づいた。そこで外にいる見張り役が居眠りをしている隙を狙い、事前に入手していた合い鍵を使って忍び込んだ。
座敷牢は壁から離れた部屋の中央付近にあり、周囲をぐるりと一周できるよう設置されている。恐らく逃げ出し難く、監視しやすいからだろう。
私は足音を立てないよう注意しながら、木枠の角に体をもたれて寝ていたギョロの頭を叩いて起こすと、寝ぼけ眼でこちらを向いた。その瞬間、手持ち花火を取り出して火を点け、格子の隙間から彼女の顔をめがけて火の粉を飛ばしたのだ。
本当なら同じように目を焼き切ってやりたいところだったが、そこまでは至らなかった。咄嗟に彼女が避けたからだ。それでも首筋にはかかったらしい。だがさすがに激痛が走ったのだろう。大声で悲鳴を上げた為、見張り役の男達や周囲からも人が大勢駆け付けた。
計画では目を覆いうずくまる、または反対側に逃げたなら彼女の背後へと回り込み、首に紐をかけ絞め殺す予定だった。しかし予想以上に早く捕まってしまった為、そこまでには至らなかったのだ
その後紐を持っていた状況から、殺害まで企てていたと知られた。よって私は彼女と同じく危険人物扱いされ、別の蔵にある同じような座敷牢へと閉じ込められたのである。
どれくらいの期間、そこにいただろうか。毎日のように入れ替わる見張り役の人達から、様々な酷い仕打ちを受けた。
私達が固まって暮らす意味を滔々と説教する人もいれば、暴力を振るう者もいた。しかし最も酷く後々にまで影響した扱いは、罰と称して体を弄ぶ男達がいた事だろう。
閉じ込められているとはいえ、牢の中だと手足は自由だ。口も塞がれていなかったので、何とか抵抗を試みてはみた。
それでも力の強い奴や、複数人が鍵を開け牢の中に入ってきて襲われれば、なす術もない。そうやって私は服を脱がされ裸となり、好き勝手にされたのである。
そんな監禁生活が続く中、私は色んな事を考え気付いた。ギョロも同じ目に遭っているに違いない。しかも彼女の首は今、私のせいで大火傷を負っている。そんな状況なら、抵抗する力も出ないはずだ。
そう思うと、これまで持っていた彼女に対する強い憎しみが薄らぎ、とんでもない事をしてしまったと後悔の念に駆られた。だが一彦を失った悲しみは癒えない。ただ彼女に謝罪したい気持ちも、同時に生れた。
その相反する思いが入り混じり苦悩した私は、ようやく牢屋から解放された後、同じく外へ出されていた彼女と顔を会わせた。そこで自分の過ちを認めて頭を下げ、同じ苦しみを味わった同志と認識して貰った為に、再び彼女との交友関係を続けられるようになったのだ。
しかしそれぞれの心の奥底と体には、決して消せないしこりと醜い傷が残ったのは間違いなかった。
彼女達の目当ては、目の前の演舞場に出演する若手の歌舞伎役者らしい。先程から周囲の迷惑など顧みず、ピーチクパーチクと彼らの話題で盛り上がっていた。
他の客だって似たようなものだ。開場までの時間潰しなのか、下世話なネタに花を咲かせている妙齢のご婦人達や、セレブ気取りの輩がひしめいていた。
中には一人静かに佇んでいる者もいたが、どうせ大したことなどしていない。平日の真昼間から、決して安くない料金を支払い集まっている者達ばかりだ。
時間帯から考えれば、館内で値段の張る弁当を食べるのだろう。圧倒的に有閑マダム達の比率が高い。それでも時折夫婦揃って並んでいる者や、子供連れの若い女性達も少しだけ見かけた。
私達は周辺の客から浮かない様に、それぞれフォーマルな服装をしている。少数派の人達を装い、じりじりと標的に近づく為だ。同じく正装した頭領や幹部達も近くにいる。彼らの指示を見落とさないよう注意しながら、私やギョロは持ち場を確保した。
彼女達は話に夢中で、全く気付いていない。周りの客も、他人には基本的に無関心だ。ようやく時間が来たらしく、係員が出て来てドアを開けた。すると皆が一斉に、入り口へと近づきだす。人が密集している今がチャンスだ。
標的の三人を取り囲んだ頭領達の手が動く。人混みに押された老女達のバックから、素早く財布等を抜き出す。と同時に、近くの仲間へ手渡した。それを別の仲間へと、次々送り渡される。その間袋に小分けされ、さらに仲間が分散して受け取った。
奪った品々が次々と流れていく中、最終アンカー役の小学生だった私とギョロがそれらを回収する。子供なら盗人に加わっていると疑われにくいからだ。
全てが揃ったところで、私達は会場入り口へ雪崩れ込む人波の合間を縫い、逆方向へと歩く。ゆっくりと慌てずに離れ、五分後には人気のない所へと辿り着いた。
もちろん辺りを見渡し、誰も追って来ていないか確かめる。問題ないと分かり、そこでギョロと顔を見合わせ笑った。その後指定された集合場所へ向かうと、あの場にいた仲間達が全員揃っていた。
「出せ」
頭領に言われ、私達は預かった財布等を手渡す。彼は一つ一つ中身を確認し、札束と小銭の他に宝石らしき物を取り出した。知らぬ間にそうした物もバックから抜き取っていたようだ。
私達に与えられていたのは、怪しまれないよう少しでも早く現場から離れる役目だった。その為何を受け取ったか等、いちいち確認はしない。だから全く気付かなかった。
もう一人の男が彼の出した物を受け取り、再度金額等を数えながら持っていた巾着袋の中へと無造作に入れていく。それを仲間達がじっと見守っていた。
今回の収穫を出し終えた財布が、頭領から別の仲間の手にポンッと投げられる。
「捨ててこい」
頷いた彼はすぐその場を離れ、どこかへと消えた。カード類等、換金に手がかかる物を残して捨てる為だ。もちろん仲間の指紋等を拭き取ってから処分される。しかもそう簡単に見つかるような場所には置かないはずだ。
「今日の取り分を渡す」
頭領が隣にいた男に、軽く耳打ちする。頷いた彼は巾着の中から金を出し、一人一人に分配し出した。年齢や役割等で渡される金額は、それぞれ違う。だが文句を口にするものは誰もいない。
受け取った者から、次々と場を離れる。ギョロも分け前を手にすると、そのまま繁華街へと消えた。恐らく買い物でもするつもりだろう。しかし私は真っすぐ家へと向かった。
道中では、先程まで集まっていた仲間の顔もちらほら見かけた。同じく家路に着く人達だろう。私達が住んでいる家は、ほぼ似通った場所にあるからだ。類は友を呼ぶともいうが、実態は少し違う。
貧しい者達が住む場所は、まだ壊れていないと感心される程の古い家やアパートだ。そうした地域は比較的治安も悪い。生活する為。犯罪に手を染めるしかない者達が少なからずいるからだろう。
通称、山塚と呼ばれる街の長屋周辺がそうだ。貧困は大人から子供へと連鎖する。抜け出せるものなど、ほんの一握りだ。殆どの住民が親やその上の時代から、そうした生活を引き継いでいる。片親などは当たり前で、両親すらいない者も多い。
生まれながら天涯孤独な境遇や、様々な事情で止む無くこの街に住み着く奴らがいた。私や年が一つ違いのギョロも例外ではない。よっていくつかある窃盗集団の中で、スリを専門とする仲間に入ったのだ。
生きる糧を得る為、集団で標的を狙う際の手伝いをした。また相手の懐やバックなどから奪う練習を、毎日のように繰り返していたのである。
今回はスリ師の頭領を中心に目をつけた三名から、財布などを奪う仕事だった。その為現行犯逮捕されないよう仲間達に盗んだ獲物を次々と手渡し、その場から離れる手法を取っていたのだ。
こういう時、スリ師として未熟な私やギョロは見張り役だったり、途中や最後の受け取り役を担ったりする場合が多い。
街には他にも空き巣、車上荒らし、車両盗難等の窃盗を主とする集団や強請り等の恐喝を専門とする者、詐欺や横領の得意なグループ等があった。幼い頃から人の物を盗んで生活するのが常識、という環境だったからだろう。今思えば、世間と全く異なる価値観を持っていたのは確かだ。
他の人と自分達は違うと気づいたのは、かなり大きくなってからである。それでも間違っているとは思わなかった。先生といった肩書や偉いと崇(あが)められている大人達が、碌でもないと知っていたからだろう。
教師や医者や政治家等がそうだ。警察だって暴力団と何ら変わらない。強力な権力を持っているだけに、質が悪い集団としか思っていなかった。
私達を守ってくれる存在等と、想像した覚えもない。それどころか、敵との認識を常に持っていた。もちろん自分達が法を犯しているとの自覚は、ある年齢を過ぎた頃から持ち始めていた。
それでも権力を利用し、堂々と嘘をつく大人達を多く見て育ったからだろう。勝手気ままに振る舞い、時には暴力や窃盗、殺人すら犯す者だっている。
そんな彼らが逮捕されず野放しでいられるのなら、私達の罪など可愛いものだ。特別悪い罪など犯していない。しかも街の大人は、ごく一部を除いて親切な人達ばかりだった。そう心から信じ込んでいたのである。
それどころかスリ師は人を怯えさせず、傷つけず殺しもしない。持っている者から、少しばかりの金を頂戴するだけだ。しかも貧乏人からは取らないので、世の中の金の回りをよくするまともな集団との自負すら持っていた。
しかし特殊な生活環境や体験をしているからか、街には奇妙な行動をする者が何人かいた。当時も今も、知的障害や適応障害を持つ児童や大人達が一定数いたからだろう。中には乱暴な行動を起こす奴もいる。その一人がギョロだ。ほっそりとした顔に大きな目が特徴だった為、周りからそう呼ばれていた。
彼女は幼い頃に虐待されていた反動からか、自分より弱い者に強く当たる性格をしていた。またそれだけでは済まず、ある時から異常な行動をし始めたのだ。
きっかけは、如何にも金を持っていそうな犬を連れた老婦人を彼女が見つけ、一人でスリをしようと近づいたことで起こった事件だった。
まだ不慣れだとの自覚や、慎重さが欠けていたのだろう。相手を侮り警戒も怠った為に失敗した。その上標的の飼い犬に噛まれる失態を犯したのだ。
幸いその場から逃げだせたので、警察沙汰にはならなかった。噛まれた腕も、大した怪我ではなかったらしい。だがそれ以降の彼女は、金持ちへの憎しみが増しただけでなく、犬に対する嫌悪が激しくなった。
その結果目をつけた飼い犬を、片っ端から手持ち花火で襲い始めたのである。「すすき」と呼ばれる細長い筒状の紙管に火薬を入れ、竹の棒などに紙で巻き付けたものを使ったらしい。着火するとススキの穂のように、シューッという音を出しながら火花が前方に吹きだす花火で、子供達もよく使う商品だ。
これを庭に紐で繋がれた犬を見つけては、周囲に人がいないと確認して火傷させて逃げた。そうした行為を何度も繰り返していたようだ。しかしそれが徐々にエスカレートし、わざと目を狙うようになったという。更には首を紐で締め、殺された犬も出たのである。
こうした行動に気付いた周囲の大人達は、さすがにやり過ぎだと彼女を諭したらしい。それは当然だ。下手をすれば警察が動き出す。目をつけられれば、街の他の住民達にも影響が出るからだ。
理由は様々だが、脛に傷を持つ者が多く集まっているのがこの街である。よって目立った行動は、厳に慎むことが掟だった。
しかしそれ以上に懸念されたのは、動物虐待が凶悪犯罪の予兆と考えられていた点だ。そうした行為が続けば、いずれ人をも傷つけるようになりかねない。やがては殺人を犯すだろうと思われていたという。
攻撃的な振る舞いが外に向いている間は、時にそうした狂気を仕事上で活かせる見込みもあるだろう。しかし内に向かえば、仲間が傷つく恐れがある。つまりは家の中で、爆弾を抱えるようなものだ。
いつ爆発し、被害に遭うかもしれない。そのような恐怖を抱いたまま、ごく限られた閉鎖的な範囲で生活する状況程、恐ろしい事は無かった。
仲間内にも、暴力で金を奪う乱暴者が何人かいる。それでも身内には手を出さないとの暗黙の了解があった。しかもそうした輩は山塚の規則にそぐわないと判断され、やがて街から出て行くよう促されるのだ。
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よって彼女は、次第に仲間から遠ざけられるようになった。それが彼女の乱心に拍車をかけたのかもしれない。
ある日私の大好きだった一彦が、花火で目を焼かれた上で首を絞められ殺される事件が起こったからだ。とうとう自分達のテリトリーから被害が出た為、仲間は騒然とした。といって当然警察は呼べない。
幸いこの事件を知り得たのは、第一発見者も含め樋口家が所属する集団だけだった。ギョロがその集団の管理下にいたからだろう。そこで他の住民達には内密とし、頭領と幹部達だけで対策を話し合った。
その結果亡き骸は、私達が住んでいた場所から遠く離れた山中に埋められた。一彦は幼い頃に捨てられ、仲間が拾い育てたという生い立ちもあったからだと思われる。この街では昔から、そのようなケースが散見されたと聞いていた。
当然犯人は彼女だと集団の皆が疑った。一彦の首には紐が巻かれた跡があったからだ。しかし本人は頑としてそれを認めなかった為、彼女を一時的に隔離部屋へと閉じ込めたのである。
そこは盗品等を隠す為に、街が土地付きで買い取った古い土蔵の一つだった。防音や耐震はしっかりしており、災害時の避難場所としても利用されていたらしい。
その中には仲間内で何か悪さをした時に使われる、木と鉄の枠で作られた座敷牢まで設置されていた。彼女はそこへ放り込まれたのだ。
どうしようもなく酷い環境で育っていたのは、彼女だけではない。私も恵まれていたとは言えない中で生きて来た。そんな中で一彦は唯一と言って良い程大切な存在であり、心の拠り所でもあったのだ。
その命を奪ったギョロを私は決して許せず、復讐を誓った。その為こっそり周辺の大人達から話を聞き証拠を集め、犯人はギョロだと確信を得たのだ。
首に巻かれた紐で引っ張られ窒息したのが、一彦の死因だったとも耳にした。それならば、彼女にも同じ罰を与えなければならない。
そう考えた私は、花火と紐を懐に忍ばせ夜中にこっそりと隔離部屋へ近づいた。そこで外にいる見張り役が居眠りをしている隙を狙い、事前に入手していた合い鍵を使って忍び込んだ。
座敷牢は壁から離れた部屋の中央付近にあり、周囲をぐるりと一周できるよう設置されている。恐らく逃げ出し難く、監視しやすいからだろう。
私は足音を立てないよう注意しながら、木枠の角に体をもたれて寝ていたギョロの頭を叩いて起こすと、寝ぼけ眼でこちらを向いた。その瞬間、手持ち花火を取り出して火を点け、格子の隙間から彼女の顔をめがけて火の粉を飛ばしたのだ。
本当なら同じように目を焼き切ってやりたいところだったが、そこまでは至らなかった。咄嗟に彼女が避けたからだ。それでも首筋にはかかったらしい。だがさすがに激痛が走ったのだろう。大声で悲鳴を上げた為、見張り役の男達や周囲からも人が大勢駆け付けた。
計画では目を覆いうずくまる、または反対側に逃げたなら彼女の背後へと回り込み、首に紐をかけ絞め殺す予定だった。しかし予想以上に早く捕まってしまった為、そこまでには至らなかったのだ
その後紐を持っていた状況から、殺害まで企てていたと知られた。よって私は彼女と同じく危険人物扱いされ、別の蔵にある同じような座敷牢へと閉じ込められたのである。
どれくらいの期間、そこにいただろうか。毎日のように入れ替わる見張り役の人達から、様々な酷い仕打ちを受けた。
私達が固まって暮らす意味を滔々と説教する人もいれば、暴力を振るう者もいた。しかし最も酷く後々にまで影響した扱いは、罰と称して体を弄ぶ男達がいた事だろう。
閉じ込められているとはいえ、牢の中だと手足は自由だ。口も塞がれていなかったので、何とか抵抗を試みてはみた。
それでも力の強い奴や、複数人が鍵を開け牢の中に入ってきて襲われれば、なす術もない。そうやって私は服を脱がされ裸となり、好き勝手にされたのである。
そんな監禁生活が続く中、私は色んな事を考え気付いた。ギョロも同じ目に遭っているに違いない。しかも彼女の首は今、私のせいで大火傷を負っている。そんな状況なら、抵抗する力も出ないはずだ。
そう思うと、これまで持っていた彼女に対する強い憎しみが薄らぎ、とんでもない事をしてしまったと後悔の念に駆られた。だが一彦を失った悲しみは癒えない。ただ彼女に謝罪したい気持ちも、同時に生れた。
その相反する思いが入り混じり苦悩した私は、ようやく牢屋から解放された後、同じく外へ出されていた彼女と顔を会わせた。そこで自分の過ちを認めて頭を下げ、同じ苦しみを味わった同志と認識して貰った為に、再び彼女との交友関係を続けられるようになったのだ。
しかしそれぞれの心の奥底と体には、決して消せないしこりと醜い傷が残ったのは間違いなかった。
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三人の運命を変えた過去の事故と事件。
彼らには思いもかけない縁(えにし)があった。
巨大財閥を起点とする親と子の遺恨が幾多の歯車となる。
誰が幸せを掴むのか。
•剣崎星児
29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。
•兵藤保
28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。
•津田みちる
20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われ、ストリップダンサーとなる。
•桑名麗子
保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。
•津田(郡司)武
星児と保の故郷を残忍な形で消した男。星児と保は復讐の為に追う。
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