あなたに伝えたいこと

しまおか

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第四章

三日目~③

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 恵子達が夕食を食べるため邪魔にならないように、と翔太達は着替え等を持って清達の家に移り、先にお風呂へ入ることにした。なんと和子と美咲、翔太と清が一緒に入ることになった。翔太とお風呂に入るなんて十年振り位だろうか。当然のことながら将太はその頃よりずっと大人の体になっていた。和子が後から美咲も十分大人の体になっていたと報告があったが、当たり前のことだ。当たり前のことなのだが、それが清達には恥ずかしくもあり嬉しいことだった。
 お風呂から上がった清達は、布団を敷いて、借りた寝間着を着て寝転がり、まるで修学旅行の時のように行うパジャマパーティーを始めたのだ。将太はいつのまにかウィスキーと氷とお水、ソーダを持ってきていた。
「最近はウィスキーをソーダで割って飲むのに嵌っているんだよな」
 翔太はそう言って、清達の分も用意してくれた。洋酒のラベルを見るとどこかで見たことのあるものだった。そうだ。清が以前貰って来た結構高いウィスキーじゃないか。
「これ爺ちゃんのなんだけど、こないだ体壊してから酒、飲めなくなっちゃったから、婆ちゃんに言ってもらったんだ。結構いい値段がするやつらしいよ」
 清は和子を睨むと、笑って舌を出していた。確かに一本数万円するものだ。
 その代わりと言ってはなんだが、
「未成年だから飲んじゃダメとか固いことは言わないけど、飲みすぎないようにしようね」
 と和子はやんわりと翔太に釘を刺していた。翔太も
「ほんのちょっと飲んで気持ち良くなるくらいがいいんだよ。飲みすぎると次の日気分悪くなるし、酔っ払ってうるさくなったり、泣いたり、すぐ寝ちゃう奴っているけど、そんなんじゃ面白くないからさ。それに体にも悪いってのは知ってるし」
 どうやら分はわきまえているようだ。下手な大人よりお酒の飲み方を知っている。まあこの程度ならいいか、と清も付き合う事にした。
 清達が若い時などは、親戚などが集まると日本酒などを無理やり飲まされたことが多かった。酔っ払って痛い目に会ったことなどを経験し、周りの大人達がしっかり見守っていれば、お酒で問題を起こすようなことはない。
 それにこの年頃は大人の真似をしたがる時期である。頭ごなしに何もかも駄目だ、といっても止められるものではないから、適度にやらせておいて一定の境界線を超えないようにさせておいた方が良いのかもしれない。
 そう言った意味では和子や恵子がしっかり見張っているようなので、この孫達に関しては安心してもいいのだろう。贔屓目だろうか? 孫には甘い爺ちゃんなのかもしれない、と清は心の中で笑っていた。
「そういえば、ジィジ達、大丈夫かな。明日旅行から戻ってくるけど、昨日も一昨日も連絡なかったってお母さんも言ってたよね」
 美咲が四人分のお酒をつくりながら翔太にそう聞いた。
「まあ、いつも旅行に行ったら何かない限りは向こうからも連絡してこないし、こっちからも連絡しないからね。それに今回の旅行もツアーだろう。何かあったら旅行会社から連絡があるだろう」
 翔太は口ではそう答えながらも顔は心配そうにしていた。
「お爺さんがどうかしたの? 何か心配ごとでもあるのかい?」
 わざと清はそう尋ねてみた。おそらく清の体のことは翔太や美咲にも知らされているような気がしたからだ。和子が横で顔をしかめている。
「いや、ちょっと体壊して二か月前に退院してきたばかりだからさ。ちょっと心配しただけだよ」
 将太はそうごまかしたが、美咲は泣きそうな顔をしている。
「どうしたの?」
 清はまたわざと美咲に声をかけた。美咲は少し間を置いて躊躇った後、あのね、と言い出すと、翔太がそれを止めた。
「余計なこと言うな」
 将太の不機嫌そうな声に、美咲は下を向いて、ごめん、でも、と小さな声で呟いている。和子も横から清の腕をつついて、それ以上この話題はやめましょう、と合図を送ってきた。  
 翔太はやはり清の病気のことをうまく受け止められていなくて、その話題を避けるような態度をしている。清が入院してからもそうだった。たいしたことないんだという振りをするために、翔太や美咲は一度しか見舞いに来なかったし、翔太は退院後も妙に清と目を合わせたり、話をしたりすることを避けていた。
 逆に美咲は、見舞いに来なくてもメールで入院中の清に色々連絡をくれて、普段どおりにやってるよ、そっちは暇? などと彼女なりに何でもないような、普段どおりの態度を取ろうと必死だったような気がする。二人の行動は全く違ったものだったが、翔太は翔太なりに、美咲は美咲なりに清の体のことを心配してくれているのだと清は知っていた
 ただ昨日、清のことで誠や恵子が考えていることの一端をこの耳で聞くことで知ることができたため、翔太達からもちょっと聞きたくなったというのが清の本音だ。でもまだ二人は子供だ。こういう事を聞くのは酷だったのかもしれない。
 沈黙が続いて妙な空気が流れたことを恥じ、話題を変えた。
「そうだ、翔太くんはさっき夕飯の手伝いをしていたけど、料理は良くするのかい?」
 清は昔の人間の典型で、全く台所に入ることはせず全て和子に任せてきた。和子が恵子を出産する前やその後の体調を崩した時には少し料理らしいこともやったが、それももう何十年も前の話だ。否定するわけではなく、清は純粋に男が料理をするという事に興味を抱いていた。誠も今は主夫として料理を担当しているから余計にそう思うのだろう。
「まだ、最近始めたばかりで、ちょっと夕飯の手伝いをしている程度だけど、やりだすと結構面白くてさ。でもこいつは女のくせに全然しないんだよな」
「女のくせにって差別~! 何言ってるの。できる人、やれる人、やりたい人がやればいいじゃん」 
 話が変わってホッとしたのか、翔太と美咲は明るく喧嘩し始めた。
「う~ん、男の子が料理できるっていいことだと思うけど、女の子も料理ができたほうがいいけどね~」
 和子が話題に加わった。彼女の本音がちらりと言葉に出ている。実は誠が会社を辞めて家にいるようになってから、主夫になって家のことや料理までやることに、和子は当初、猛反対をしていたのだった。恵子には
「誠さんには家でゆっくり休んでもらいなさい。いくらあなたが働いているからって家事を男の人にやらせるなんてとんでもありません。あなたがやりなさい」
 と叱ったことがあった。
 恵子はそうではない、無理にやらせているのではなく誠が自発的にやり始めたことを止めたくないのだと説明していた。それに家の中で何もしていない方が本人には辛いのだ、何か本人に役割を持たせてあげた方がいい、もちろん無理しない程度に、体の調子が悪い時はいつでも休んでいいからと言ってある、これも体を良くするためのリハビリなんだ、とちゃんとした理由をつけて話をすることで恵子は和子をやっと納得させたのだった。
 清もその説明を聞き、その通りかもしれないから恵子達にしばらく任せてみてはどうか、と和子を宥めたほどである。
「実は俺ってさ、将来そういう道に進みたいって思い始めたんだよね」
 将太がそんな事を言い出した。
「そんな道? そんな道って、もしかして料理っていう事?」
 和子は驚いて翔太にそう聞きなおした。翔太は笑って頷いた。和子が絶句していると
「何か、マナブもケイちゃんも詳しいこと聞いてこないから説明しなかったけど、うちのオヤジって一流の大学出ていてついこないだまで銀行員でバリバリ働いてたのに、心の病ってやつにかかって会社辞めて、今は主夫やってるんだよね。で最初は男が家の中で主夫すんのかよって馬鹿にしてたこともあったんだけど、俺、そんなオヤジの料理の手伝いとかしてたら主夫って馬鹿に出来ないよなって思うようになって。だってさ、毎日食べる人のこと考えて献立考えたりしてすげえ苦労して一時間以上かけて作っても、食べたら一瞬で、下手したら十分で食い終わってたりしてさ。でも食べた人が旨いとか言って笑ってくれたりすると嬉しくってさ、料理って面白いなって思ったんだ」
 将太は熱くなって語り出した。
「それに、俺ってあんまり勉強得意じゃなかったりして、でもオヤジはすげえ頭良くって一流の企業にはいっても今はすげえ苦労してる。そんな姿見たら俺は手に職つけるっていうか、そういう世界でやっていくのもアリかな、って」
 今度は美咲が割り込んできた。
「私はヤダな。勉強して大学ちゃんと出て、お母さんみたいに働けるようになりたい。お母さんがもっといい大学出てもっとバリバリ働いて収入がよかったら、たとえ結婚した人がお父さんみたいになっても十分やってけるでしょ。私が食べさせてあげるのよ、って。だから私は勉強するの」
 恵子はそこそこの短大を出て今の会社に入り、途中で退社してから再入社したため、給料はそれほど高くない。そんな母親を見て高学歴の父を持ち、いい会社に入るにはそれなりの学歴が必要だと思ったのであろう。美咲は誠に似て勉強は確かにできる方だとは恵子からも聞いていた。翔太の亡くなった父親も誠に負けない大学を出ていたはずだが、翔太の頭の方は父親の遺伝子をもらい損ねたようだ。
 和子は孫達の将来の夢を聞いて涙ぐんでいた。清も気持ちは同じだ。こんな本音を孫から聞けるなんて思ってもみなかった。それに親達の背中が、いい意味でも悪い意味でも二人に影響を与えていることが判り、祖父母としては複雑な思いがするのは当然である。
「マナブくんやケイちゃんは将来何になりたいの?」
 美咲は無邪気な顔で清達に聞いてくる。和子は涙声で答えている。
「私なんて、そんな真剣に将来のことなんて考えてなんかいない。今のことしか考えてない。凄いよ、二人とも。真面目に将来のことを考えているんだね。ホント、凄い。尊敬する」
「僕も何にも考えてないな」
 清もそう答えながら、自分が翔太達の年頃の時に何を考えていたかを思い出していた。 
 ようやく戦争が終わり、まだ生きていくのが必死な時代で、とにかく働いて働いて裕福になりたいとしか考えてなかったような気がする。そういう時代だからしょうがないといえばそうかもしれない。
 それに比べ、今の時代はあまりにも複雑すぎて将来というものを考えるのは難しい時代なのだろう。かつては働けば働くほど社会は豊かになり、何も考えずにやみくもに走ることができた。今は終身雇用など夢のような話で会社自体、いつ無くなってもおかしくない時代だ。そう考えれば自分達の時代の方がある意味幸せだったのかもしれない。
「そういえば一昨日渋谷で、お父さんのことをからかわれたりしてなかった? あれってイジメ?」
 清は気になっていたことを思い切って聞いてみた。
「あ、あれ。イジメなんてそんな大層なもんじゃないよ。ただ、わあわあ一部のやつが面白がって言ってるだけだから、言わせておけばいいんだよ」
 それが本当なのか、確かめるように翔太の顔をじっと見ていた。
「本当だよ。あの圭太ってやつ、すげえむかつく奴でさ。一回私に告って来たことがあんの。で私が振ったもんだから妙に絡んでくるだけだから。大丈夫、大丈夫」
 告って来た、とは告白されたという事だと清は後で教えてもらった。美咲がそういうならそうなのだろう、とそれ以上は深く追求しなかった。
「でも、マナブくん、あの時すげ~カッコ良かったよね! あれ柔道だよね? 一本背負いっていうんだって? 目の前にあんな綺麗に人が投げられるところなんて初めて見たからさ。すっげえ興奮したんだよね!」
 美咲が思い出したように騒ぎだした。二人の話を聞く分にはいいが、話題が自分達に向いてくるとどうもまずい。和子がなんとか話を合わせて、清が柔道部に入っていて強いんだという事と、実は学校は北海道でそこで清が番長(今の時代にそんな人がいるのかは知らないが)だということと、過去に十人ほどを一人で倒したことがあること、今二人は修学旅行で東京に来ていて先生を無視して自由行動で勝手に遊んでいるという事、明日には帰らなければいけないという事、などと話がどんどん作られていった。
 清はその話に合わせて適当に頷くのに必死だった。そして和子がこんなに嘘の話をつくるのが上手いという事を初めて知る。そして今までいろんな所でこうやって和子に言いくるめられていたのか、と今更ながら理解できた。
 六十年余り連れ添っていても知らない面がたくさんあるのだとつくづく清は感じていた。いや知らないのは自分だけなのかもしれない。和子にはすべてお見通しなのかもしれないのだ。ただ病気に関しては和子を騙せていたことは意外だった。恵子達には、清がガンだと知っていることはうすうす知られていたのに、彼女は判らなかったようだ。ただ怖くてそう考えたくなかったというのが本音なのかもしれないけれども。
「そうだ、今日は美紀って子と透って子の間を取り持つような事やっていたけど、あなた達は彼女とか彼氏とかはいないの?」
 和子が自分達から話題を変えるために翔太達のことを聞いた。うん、うん。それは確かに聞きたいことだ。
 和子はニコニコしながら翔太達の顔を見つめている。清もどうなんだ? という態度で身を乗り出して会話に参加する。
「ちょっと前までいたけど、もう別れた。今は特に好きだと思う奴もいないし、何か女なんかと付き合う気になんないんだよね」
 翔太が答えると、美咲は大きく頷きながら語り出した。
「わかる、わかる。なんかそうなんだよね。私もつい最近まで付き合ってた子がいたんだけど来年受験だし、方向性っていうか考え方が合わなくなっちゃって別れちゃった。何かめんどくさくて」
 もしかして誠のことが関係するのだろうか、いや自分の病気のことが関係するのかと清は不安になった。
「二人とも最近別れたって言っているけど、何かそういう気分にさせることがあったのかい?」
 清は思い切って聞いてみた。自分や親のことで孫の恋愛事情にまで影響するのかと気になってしまう。翔太と美咲は顔を見合わせた後、同時に首を傾げた。こういう仕草が血は繋がっていなくても二人は兄妹なんだな、と思わせてくれる。
「何かあったと言えばあったとも言えるし、別に関係ないっていえば関係ないし」
 翔太がそう言うと、美咲も答える。
「そう言われると直接は関係ないけど、なんとなく影響してるのかも知れないね」
「影響って、何が?」
 今度は和子が二人に尋ねた。しばらく考えていた美咲が言う。
「まあマナブくんとケイちゃん達は違うかもしれないけど、なんか私達の間で男の子と付き合う、女の子と付き合う、ってお互いがすっごい好きでとかじゃなくて、まあ彼氏も彼女もいないっていうのも寂しいからちょっと付き合う? まあ、この子だったらいいか、見たいに付き合い始める事ってよくあるんだよね。いや、中にはすっごい好きで付き合う子達もいることはいるよ」
「そうそう。そう言うところはあるよな。何か最初はそういう付き合いから始まってマジになっちゃうこともあるから別にいいとは思うけど。恋愛とかってしないよりした方がいいとは思うから」
「でもなんか最近、それも違うかな、って思いだして。まだ私も翔太も結婚とかって考えてないからそんな真面目に考えなくてもいいのかも知んないけど、男と女が好きあって二人でいることって、ホントはすごいことなんじゃないかなって思うようになったからかな。そう思うと薄っぺらいなあって。今付き合っているとかの関係がそんなんじゃないなあって。なんかうまく言えないんだけど」
 翔太の言葉に美咲は続けたが、どう表現していいのか判らないようで眉間に皺をよせながら盛んに首をひねっている。
「誰かを見て、誰かの姿を見てそう感じたってことなのかな?」
 気づくと清は真剣な顔でそう尋ねていた。二人から返ってくる言葉が怖いと思った。
「う~ん。やっぱりオヤジ達と爺ちゃん達を見てっからかな」
「そうかもね。やっぱりあの人達を見てるからかも」
 翔太と美咲は二人とも天井を見上げながら答えている。この仕草もまた一緒に長く育った兄妹ならではかもしれない。
「さっきはさあ、ごまかしたけどさあ」
 いつの間にか翔太が真っ赤な顔をしている。少し酔っ払ってしまったようだ。和子がベラベラ嘘の話をしていた時に、誤魔化すためもあってついついいつものように酒をどんどん飲んでいた清に、翔太は対抗して同じペースで飲んでしまっていたようだ。
 清が喧嘩の強い男だという事に美咲がキャアキャアともてはやすのが、同じ同年代の男として面白くなかったのかもしれない。完全に翔太の目は据わっていた。
「翔太、ちょっと飲みすぎだよ」
 美咲が気づいて介抱し始め、翔太が手に持ったグラスを奪おうとするが、翔太は抵抗して美咲を突き放した。
「うるせえ。お前は何で平気に爺ちゃんとメールなんかできるんだよ」
「何よ、急に。いいじゃない。あんたみたいにジィジのことを避けてる方が不自然じゃない。ばれちゃったらどうするのよ!」
 翔太は美咲に怒鳴り返され、急に黙った。突然の二人のやり取りに和子はそわそわとしている。すでに清は本当のことを知っているとはいえ、余計な事をこの孫達が口走らないかと心配のようだ。
「何の話? さっきのお爺ちゃんの話の続きかい?」
 清はとぼけて翔太に聞いた。酷なような気もしたがやはり孫達が自分の死が近いという事に対して、どういう思いを持っているのかが気になってしまったのだ。
 翔太は肩を震わせながら喋りはじめた。
「爺ちゃんはこないだの入院でガンだって言われて。もう長くないって言われて」
 泣いているようだ。翔太は飲みすぎると泣き上戸になるのか、と妙な所に関心を持って清は続く言葉を待った。
「本人にはその事を知らないって、ただの胃潰瘍だって事にして皆で黙ってるんだ。婆ちゃんが爺ちゃんには本当のことを知らせたくない、っていうから」
「あんただって納得したじゃない。みんなで話し合って、バァバの思うようにしてあげようって、協力しようって決めたんじゃない。何をいまさらそんなこと言い出すのよ!」
 美咲が翔太にまた怒鳴っている。なるほど、そうだったのか。和子がいいだしたからなのか、と清はやっと合点がいった。
 どうしてガンのことを内緒にすることに決めたのか理解しづらかったのだが、和子自身が清に告知をする勇気が持てなかったのだろう。告知されたら取り乱すと和子が思っていたのだろうか、いや和子なら清のことを良く判っているから普通ならちゃんと告知するはずだと清は思っていた。
 それなのになぜ、家族は黙っているのかという意図がはっきりしなかったため、清はしばらく知らない振りをして様子を見ることにしていたのだった。
 和子は横で下を向いて清から目をそらしていた。恥ずかしかったのだろう。
「でもすげえんだよ、婆ちゃん。今まで思ったこと無かったけど、そんな状況になってもいつもと変わらず、爺ちゃんの面倒見ててさ。オフクロに聞いたら婆ちゃんも裏では時々辛そうな顔しているらしいけど、そんなの爺ちゃんの前では絶対見せないし。爺ちゃんも婆ちゃんのことをすげえ信用してるって言うか頼りにしててさ。そんな爺ちゃんと婆ちゃんがもう六十年以上も一緒に暮らしてきたんだよな。その間に心臓の悪い婆ちゃんが命がけでオフクロを産んだって話を思い出して。で、オヤジもオフクロもそんな二人はお互いが思い合ってるって、心が通じ合ってるって。そういうオヤジ達もすげえんだ。オヤジがすごい辛い思いしてるのを、オフクロが支えているって言うかさ。ドンと構えているって言うかさ。で、オヤジもそんなオフクロに凄い助けられているって感謝してて」
 酔った翔太の声が完全に涙声に変わっていた。美咲も首を縦に振っている。
「翔太もそう思ってたんだね。私もお母さんとお父さんのことを見てたら、凄い愛しあってるなって思ったの。支え合ってるな、信じあってるなって。でもその二人がジィジとバァバのことを見て、あの二人はもっとすごいっていうの。でも私もそう思う。そしたら自分が彼氏だとかって連れて歩いてるのが恥ずかしくなって。そこまで自分が相手のこと思いやってるかって言われたら絶対無理。できてるって言えないもの」
「俺だってそうさ。彼女のこと好きかって言われたら好きだって言えるけど、ただそれだけなんだって思っちゃってさ。俺って何やってるんだよって。相手にすげえ失礼なんじゃないかって。俺ぜってえ無理だもん。爺ちゃんがあんな風になって婆ちゃんと同じようにしろって言われたらぜってえ無理だもん」
 翔太は徐々に興奮してしまっていた。
「黙っているのが辛いのかい?」
 清の言葉に翔太は頷いた。美咲も、私だって辛いに決まってるじゃない、と、とうとう泣き出してしまった。美咲もお酒に酔って感情が露わになりやすくなっていたのかもしれない。
「だったら、明日にでもお婆ちゃんを含めて家族でもう一度話し合ってみたらどうかな。そんな苦しい思いをしていることが判ったら、君のお爺ちゃんだって喜ばないと思うよ」
 清は翔太にそう言った。横で和子も一緒に泣きはじめた。とんでもない夜になったものだ。三人が自分のことを考えて涙を流してくれている。清には複雑な思いだった。嬉しいという思いと、悲しい思いをさせて申し訳ない、という思いが入り混じった。
 いつしか泣き疲れ酔いがまわった翔太は、布団に横たわりいびきをかいて寝てしまった。それを合図に部屋の電気を消し、清達も布団にもぐりこんで寝ることにした。美咲もすぐに軽く寝息を立てて寝てしまっている。
「おい、起きてるか?」
 清は和子を小声で呼んだ。小さな声で、はい、という声がする。
「明日の朝はどうなっているだろう。お前の話だと明日は元の姿に戻っているんだよな」
「そうね。でも間違いなく酔っ払っているこの子達より私達の方が早く起きるわ。そしたらまた昨日みたいに手紙だけ置いて、こっそり抜け出して集合場所に戻ればいいわよ」 
 そんなたいしたことじゃないわよ、と言わんばかりの口調が可笑しかった。和子にとっては昨日も今日の夜も不本意な時間を過ごしたと思っているのかもしれない。清にとってはそんなことはなかった。貴重な時間を過ごすことができた。恵子や誠、翔太や美咲だけでなく、まだ知らなかった和子の隠された気持ちを知ることができたのだ。心残りはもうほとんどないと言っていい。このまま一生眠りについてもいい、と思えるほど清はこの日の夜も安らかに眠ることができた。
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