あなたに伝えたいこと

しまおか

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第二章

一日目~①

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「ミツコさん、昨日話していた旅行の件なんだけど」
 和子が受け付けカウンターに座って奥にいるミツコに声をかけた。奥から丸々と太った、人の良さそうな四十代の女性が席を立って近づいてくる。
「田端さん、もう決められたんですか? やっぱり温泉ですか?」
 まだ汗をかくような時期でもないのに、ミツコの額はじっとりと湿っている。ミツコの周りだけもうすでに夏の季節に入ったかのような湿度と温度を保っていた。
 この季節はまだいいが、夏真っ盛りの時期にミツコに近づくとあまりの熱気に和子は熱中症にかかりそうになってしまうような目眩がする時がある。
「いえ、このチラシのミステリーツアーにしようと思って」
 和子は昨日ミツコからもらったチラシをバッグから取り出し、指をさした。
「え? こ、これですか?」
「そう。このツアーだと出発の日程はいつ頃になるかしら。うちはいつでもいいんだけど」
「え、え~と、それではお調べしますね」
 料金の高いツアーをゲットしようとしていた思惑が外れたミツコは、明らかに動揺しながらも席に戻り、何やらパソコンに打ち込んで調べている。
 画面に映し出されたものをメモしてまたカウンターの前に座ったミツコは
「現在まだ募集中ですが、出発はおそらくGW明け、五月の中旬頃になりそうですね」
と説明してくれた。まだ新しく企画されたばかりのツアーで募集人数がある程度確保されないと、スケジュールが組めないようなのだ。
「じゃあ、それでお願いね。詳細は決まったら連絡貰えるかしら」
「もちろんです。日程が決まりましたらご案内いたします」
 ミツコの返事を立ち上がりながら聞いた和子は、じゃあ、と手を上げて店をでた。
 五月の半ばならちょうど混雑も少なく季節的にも緑が眩しい頃である。退院してから清の体調も悪くないため、気晴らしにはちょうどいい旅行になるだろう。
 それに和子は旅行先でゆっくりと清と二人きりで話をしたいこともある。和子は家に帰る道を気分よく歩いていた。
 
 旅行の日程は結局、五月十三日の水曜日に出発、三泊四日の土曜日までと決まった。参加は二十組四十名だという。
 チラシに書いてあった、「若い人の着る」着替えは、隣の家から和子が借りてきた。旅行は三泊四日だから、と一着は恵子から三十代に着ていたワンピースを、誠からチノパンとシャツ、ジャケットを借りてきて、あと二着を翔太と美咲から渡されたものを和子は持ってきていた。
 正確には恵子達からではなく、和子の話を聞いて面白がった美咲が、内緒で恵子夫妻の分と翔太の分も見繕って和子に渡したのだ。
「バァバ、これなんかどう? ジィジには翔太のこれなんか似合うかも!」
「ちょっとこれは派手だねぇ。あら、こんな服まであるの? いいわね~」
「着替えっていうぐらいだから、下着なんかもいるよね。バァバ、このブラ合うかな?」
「あんた結構、胸あるのね。そうだあの人の下着もいるわ。翔太ってトランクス? ブリーフ?」
「たしかトランクスだよ。お父さんもそう。ジィジもトランクスだからいいんじゃない?」
「そうね。やだ、このアクセサリーいいわね。これも貸してくれる?」
「バァバ若いね~! 超可愛いかも! ジィジにも翔太が持ってるチェーンとか貸そうか?」
「あのひとはそんなの面倒くさがってしないわよ」
 隣の家の美咲の部屋でそんな話が繰り拡げられていることなど全く関知せず、結局旅行の為に和子がどんな服を持ってきていたのかも清は見ることなく、完全に任せっきりでのんびりソファに座って本を読み耽っていた。
 
(旅行一日目)
 その日がやってきた。
「ハイ、みなさ~ん! 時間厳守でお願いしまっせ~!」
 ハイテンションでおかしな関西弁を使うおばちゃんバスガイドが、大きな声を張り上げて朝八時に新宿駅の集合場所へ集まったツアー参加者に呼び掛けている。おばちゃんといっても五十歳代であろう。参加者全員が六十歳以上という中では一番若いのだからお姉さんと呼ばなければいけないのだろうが、どう見てもキャラが“おばちゃん”としか呼びようがない。
 周りには夫婦と思しき人や女性同士の組もある。おばちゃんの声に引き寄せられた高齢者達がぞろぞろと集まり、バスに乗り込みながらそれぞれが名前をチェックされていく。清と和子も列に並んで乗り込む準備をする。
「タバタキヨシとタバタカズコです」
 自分達の番になり、清が名前を言ってバスのタラップを上ると、おばちゃんガイドが
「ハイハイ、キヨっちゃんとカズちゃんね」
 と勝手にあだ名をつけられた。あだ名は自分達だけではないらしい。次の人も、
「ハイハイ、トシさんにカヨちゃんね」
 と呼び名が決められていた。おばちゃんの後ろにいた運転席に座っている男の人がクスクスと笑っている。よく見ると若くて結構なイケ面だ。バスガイドとのギャップに驚かされた。こんな若い男の人が老人相手におばちゃんバスガイドと一緒にいなければいけないのが不憫に感じられる。
 名前のチェックを終えてバスの中ほどに座った清達は、乗ってくる他の人達を眺めた。多くは六十代の夫婦で清達より若い人が多い。女性同士の組もいるので全体では女性の数が多い。男性同士の組はいなかった。
 こういう旅行で男性同士というのはめったにお目にかからない。いないことはないが、大抵の人は女性、いやおばちゃんばかりに囲まれて結構肩身の狭い思いをすることになる。あの姿を見ると清は、とてもじゃないが男性同士では参加したいと思わない。和子と一緒だからこういった旅行も楽しむことができるのだ。旅行先でも出会う人々はやはり女性が圧倒的に多い。ツアーに参加するたびに旅行業界というのは女性に支えられているんだという事を思い知らされる。
「さあ皆さま、お揃いですね! それでは窓側に座っている方々は申し訳ございませんが、カーテンを閉めていただけますか?」
 窓側に座っていた和子と目が合った清は、再びおばちゃんガイドを見る。
「このツアーはミステリーツアーです。行先は誰も知りません。ですから行き先をある程度予想できてしまうと楽しみも半減してしまいますので、こちらから指示があるまではカーテンを閉めてどこを走っているか判らないようにしていただきます」
 おばちゃんガイドは、急に丁寧な標準語に口調を変えて説明しながら、運転席の後ろからカーテンのような布を引き、フロントガラスから覗く前方の景色さえ見えなくした。
「ハイハイ、お願いしまっせ~! 早くせえへんと出発できしませんよ~!」
 またおかしな関西弁に戻ったガイドは、窓側に座っている人に早くカーテンを閉めるよう促す。和子はしょうがなく、面倒くさそうにカーテンを閉めた。他の乗客も何も言わず従っている。
 今日は晴れ間が広がり、朝から明るい日差しが差していたバスの中が一気に暗くなった。そこでバスのエンジンがかけられた。ドドドッという音とともにガイドの声が甲高く響く。
「ハイ、それでは出発しま~す!」
 バスがゆっくりと走り始めると、車内に灯りがついた。バスの中がざわざわと騒ぎだす。
「それでは皆様改めまして、おはようございます! 私は今回のガイドを務めさせていただくゴンドウスズコ、と申します。皆様にはゴンちゃん、と呼んでいただければと思っております。よろしくお願いいたします!」
 ガイドの挨拶に対して、パチ、パチ、とまばらな拍手が起こる。
「何や、拍手が少ないな~。 みんな、青春を取り戻したいか~!」
 突然拳を振り上げたゴンちゃんの動きに、乗客は皆ポカーンとして顔で見つめている。
「何や乗りが悪いでんな~! ここに参加してる人らは青春を取り戻したい人達が集まったんとちゃいまっか? あんたは? そう、そうやんな、青春を取り戻すためにこの『あの時君も若かった』ツアーに参加したんでっしゃろ?」
 ゴンちゃんは前に座っている人にマイクを向けて強引に賛同させようとしていた。マイクを向けられた老夫婦は、ゴンちゃんの迫力に押されて思わず頷いている。老夫婦の反応が気に入らなかったのか、ゴンちゃんは再びマイクを持ち、
「なんとなく乗りが悪いけど、まあええわ。では今回このバスを運転しているナカムラトオルくんを紹介しましょう。ナカムラくん!」
 そう言って後ろを振り向き、閉まっているカーテンを見つめた。そこに乗客の目が集中する。ゴンちゃんはしばらく後ろを向いていたが
「な~んて出てくる訳ないわな、今運転中なんやから。出てきたら怖いわ」
 と一人で笑っていた。残念ながらバスの中は見事に水を打ったような静けさが広がる。
「え~、それでは、今回のツアーについていくつかの連絡事項をお伝えします」
 ゴンちゃんは、何事もなかったように平然とガイドの仕事に戻り、標準語で説明をしだした。
「募集の際の注意事項にも書いてありましたが、四日後の最終日までは皆さん自由です。四日後は午後の二時に先ほどの新宿駅の集合場所に皆さん集まってください。時間厳守です。もし時間から遅れるようなことがあれば、その後に何か問題があっても責任は持てません」
 突然、ゴンちゃんが真面目な話をし出したと思えばあまりにも意味不明な発言にバスの中はざわめいた。先ほどのシーンとした空気を壊すためにゴンちゃんが嫌がらせで言ったのではないかと思ったほどだ。
 集合場所が新宿駅で、これからどこに行くか判らないバスの旅に出て、三泊四日の間、自由行動して、各自が最終日に新宿駅に勝手に集まってこいという事なのだろうか?
 口々に疑問を投げかける乗客の声を無視するかのように、ゴンちゃんは、
「皆さん、お金の用意はされていますか? 若い人が着る服も用意されていますか? しっかりお金やそれらの荷物を持っていないと、これから大変なことになりますからね。お金が無いとどこにも行けないし泊まれないし集合場所にたどり着かない恐れもあります。着る服が若者のものでないと、外を出歩くのに恥ずかしい思いをしますからね」
 ゴンちゃんは早口でまくしたて、通路を歩き、今度は一人一人に何か黒いものを配りだした。清が配られたものを手に取ると、それはアイマスクだった。配り終えたゴンちゃんは、
「ハイハイ、皆さん、今お配りしたアイマスクをつけてくださいね~! 今から音楽を流しま~す。静かにしてくださいね~!」
 有無を言わさぬゴンちゃんのテンポにつられ、言われるとおりに皆がアイマスクを装着する。バスの中にクラシック音楽が流れ始めた。これはモーツアルトだろうか?
 騒がしかった車内が少しずつ静かになっていく。落ち着いた音楽を聴きながら、清はなんとなく眠ってしまいそうになった。朝八時の集合だったため、今日はいつもより早く起きて旅行の準備をしたせいもあるのだろう。
 外からゴーッと大きな音が聞こえる。おそらくバスがどこかのトンネルに入ったようだ。その時、清はアイマスクの中で瞑ったまぶたの奥がチカチカと瞬き、意識が遠くなる感覚に陥った。頭がくらくらとする。耳から聞こえていたオーケストラの奏でる音が少しずつ遠くなっていくのが判る。清はいつの間にか眠りに落ちていった。
 
 クラシック音楽の代わりに、ざわざわと木々の葉が風に揺られて擦れ会う音が聞こえた。鳥がさえずる声もする。清が目を覚ますと、目の前は真っ暗だった。
 しばらくしてまぶたを圧迫する感触で自分がアイマスクをしていたことを思い出す。清は慌ててそれをはずすと、眩しい光が目に飛び込んできた。
 清は薄目を開けて少しずつ明るさに慣らしていくと、徐々に周りの景色が見えてきた。青い空が見え、緑の森と芝生が広がり、噴水や遊歩道がある。やがて清は緑に囲まれた、大きな公園の芝生に寝転がっていたことに気づかされた。
「どこだ? ここは? なぜ公園なんかにいるんだ?」
 木々の向こうには高層ビルも見える。ここは都会の中にある公園だと理解した時、辺りを見渡していた清は、すぐ隣に若い女の子が横になって寝ていることに驚いた。しかもその女の子は清の持っているものと同じアイマスクをしている。
 年の頃は十代後半くらいだろうか。ジーンズに大きなリボンがついていてフリルの水色と白の格子模様、チェックブルーのワンピースを着ていた。今時の女の子、というか孫の美咲が持っていそうな服装だ。目が隠されているので良く判らないが、色が白く、なんとなく病弱で可愛いらしい感じのする子だ。どこかで見たことのあるような気がしながらも、思わず清はその女の子に見惚れてしまった。
 突然、その女の子がムクッと起き上がり、アイマスクを取ってキョロキョロと周りを見渡し始めた。
 あまりに予備動作の無い動きに、清は反応できずに固まってしまう。じっとその子を見つめていた清は女の子と目が合ってしまった。
「あ、あの、いや、私は何も」
 やましいことなど何もないはずなのに、清は慌てて手と首を横に振り、何もしていないことをアピールしたが、女の子はキョトンとして清を見つめている。
 やがて清の姿をジロジロと見ていた彼女の視線が清の胸元に止まると、驚いたような顔をして再び清と目を合わせ、ぷっと吹き出した。
「な、何?」
 清は自分の胸元に何かがついているのかと確認すると、薄い黄色に何やら英語の文字が大きく書かれた身に覚えのないポロシャツが目に入った。腰には大きく派手なバックルがついたベルトが巻かれ、破れたジーンズを穿いている自分の姿に清は目を丸くして
「な、なんじゃ、これは」
 と思わず若くして亡くなった昔の俳優のセリフを叫んでしまった。
 清は今日の朝、和子に用意してもらったうすいグレーの長袖シャツに茶色のスラックスを着ていたはずだ。それがまるで孫の翔太達が着るような若い格好をしている。
 ん? 翔太? 清は横にいる女の子の顔を見る。ケタケタと笑っているその子をもう一度見て、やはり清はどこかで会ったことがあるような気がした。
「あ、あなた、似合うわね」
 清を見てずっと笑っている女の子がそう言った。
 声のトーン、口調。手を叩きながら喜ぶ姿を呆然と眺めながら、今度は清があらためてジロジロと女の子の姿を観察し、まさか、という思いと、もしかして、という直感を頼りに清が恐る恐る聞く。
「も、もしかして、お前、和子か?」
 彼女は声を出して笑いながら頷いた。
「あなた、若くなったわね~! 翔太の服がとてもよく似合ってるわ!」
 若くなった? いやそれは和子の方だろう。美咲の服が良く似合っている。若くなったにもほどがある。見た目はやはり十代だ。干支を五回巻き戻したほどの若返り方だ。
「ちょっと、鏡で自分の顔、見てみる?」
 和子は楽しそうに、横に置いてあるカバンを見つけ、ごそごそと中をあさっている。確かあのカバンは和子が旅行用に持ってきていたバックだ。化粧道具やら何やら女性用の細々としたものを入れてあるブランド物だ。数年前に和子が買ってきたものだった気がする。
 そこで清は、自分の後ろに清が持っていた大きな旅行カバンがあることに気づいた。中身を少し覗き見たが、間違いなく清と和子のものが入っている。
「あら! 私もすごく若くなっちゃって! これは私が十五、六の頃かしら」
 和子は化粧直しに使うコンパクトを取り出し、ついている鏡で自分の顔を先に見て驚きながらもはしゃいでいる。
 十五、六? それなら清が和子と見合いをする六~七年前だろう。和子が二十二歳、清が二十五歳の時二人はお見合いをして、その一年後に結婚、さらにその一年後に娘の恵子が生まれた。
 清は昔の若い和子の姿に頬を赤らめた。
「あなたも自分で見てみなさいよ」
 和子は自分の顔を十分に堪能したのか、やっと鏡を清に手渡した。
 清は和子からコンパクトを受け取ると、思い切って自分の顔を覗いた。鏡に写った顔が、一瞬誰か判らなくなった。
「わ、若い……」
 自分が遠い昔の十八歳の姿になっていることを理解するのにかなりの時間を要した清は、この時やっとこの場所がどこか判った。
「ここは代々木公園か」
 一九六四年の東京オリンピック開催時に選手村として利用され、その後一九六七年に公園として一般に開放されたところだ。
 まだ小さかった恵子を連れて清は和子と一緒にここに来たことがある。そしてこんな所がもっと若い頃にあったらよかったなあ、そんな時に和子とデートができていたらなあ、と二人で話していたことが頭にフラッシュバックした。
 あれから何十年もこの公園に来たことはない。当時より木々に手入れがされて、芝生や遊歩道も人の力で綺麗に保たれている、人工的というものでなく、自然と都会が上手く調和している、そんな雰囲気が清には感じられた。
「これが『あの頃君も若かった』ツアーの意味なんでしょうかね」
 和子が森の向こうをぼんやりと見つめながら
「ビルがありますから、時代はそのままで自分達だけが七十歳ほど若返った状況のようですね。だから若い人の着る服を用意しろってツアーの注意書きに書いていたんだわ。ガイドさんが言ってた、若い人の着る服を持ってないと恥かしい思いをするって、このことだったのね」
 と、一人で納得して頷いていた。
 確かにそうだ。年が一気に七十も若返って服がそのままでは、あまりにも似合わないし、妙に目立ってしまって嫌な思いをしてしまう。しかし、なぜ二人ともこんな昔の姿に戻っているのだろうか。
「あらいやだ、結構ぴったりじゃないの。最初見た時は大きいと思ってたけど、パットが入っているからちょうどいいわ」
 和子はワンピースの胸元を指でひっぱり、自分のブラジャーを覗きこみながらまた一人で頷いている。
「何? 下着まで変わってるのか」
 清はベルトを緩め、ジーンズの腹のあたりから下着を覗くと、色は黒がベースだがやけに派手な柄の入ったトランクスが見えた。ここにも英語の文字がやたらと書かれている。
「あ、それ翔太の持っている下着から借りてきたの。美咲がジィジに似合うって見繕ってくれたのよ」
 と、和子は美咲とのやり取りを思い出しながら面白おかしくその様子を教えてくれた。
「じゃあ、お前のは美咲のやつを借りてきたのか?」
「そうよ。二日分は美咲と翔太から借りてきて、一日分は恵子と誠さんから借りてきているの」
「何? 誠くんの服や下着もあるのか」
「そうなの。だからこれからどうなるのかしらね。最終日の集合時間まで、十代の格好でいられるのか、それとも途中で誠さんや恵子達が着ていた頃の三十代の姿になることもあるのかしら。それだって五十歳ほど若返っているわけだし」
 なるほど、用意してきた服が七十歳ほど若いものだったからそれに合うように姿が変わったという事か。
 それならばもう一日は五十年若返った姿になることも確かに考えられる。一律に七十年若返るのならば、参加している人によっては幼児になってしまう人もいるはずだ。それではあまりにも不便だろう。『あの時君も若かった』といっても若すぎる。 
 ならば、若い人の服を持ってこなかったような人はどうなっているのだろうか。若返りに失敗し、そのままの姿でどこか思い出の地にいるのだろうか。いや、恥ずかしい思いをする、ってあのバスガイドは言っていたから服装に関係なく皆が若返るはずだ。それならやはり何故七十年前なのだろう。しかも二人がお見合いをする数年も前なのだ。
「あなた、何考えてるの?」
 頭の中でいろんな考えを巡らせていた清に和子が心配そうに聞いてくる。
「ああ、いやなぜこんな姿になったのかな、って不思議だったもんだから」
「あら、やっぱり、青春時代って言ったら十代半ばから後半だからじゃないかしら。だって『青春を取り戻したいと思っている六十歳以上の方』が参加するツアーだから、青春時代に戻ったんじゃないの?」
 とあっさりとした解釈をして和子はそれ以上深く考えていないようだ。まあ、確かにそれ以上考えてもしょうがない、と清も思い直した。
 清達はサイズも合わない、センスも合わない服を着させられて不自由な思いをせず、周りの若者の中に混じって楽しめることは幸いだった。やはり和子に任せておいて正解だったのだ。自分で用意していたらこんなにうまくはいかなかっただろう。
「ということはこれから三日後の集合時間まで、この若い格好で自由に過ごせって事よね。ああ、だからお金もちゃんと持ってこないと困るってガイドさんが言ってたんだわ。確かにこれから三泊はどこかで泊まらないといけないし、食事だってどこかで食べないといけないわけだから。クレジットカードはこの格好だと怪しまれるから使えないから、やっぱり現金じゃないといけなかったんだわ。よかった。思い切って三十万ほど用意してあるからどこでも泊まることはできるし何でも食べられるわよ」
 なるほど。和子の言う通りかもしれない。ガイドが言っていた『お金が無いとどこにも行けないし泊まれないし集合場所にたどり着かない恐れもあります』とはこういうことか。確かにお金さえ用意していればいろんなオプショナルツアーができるわけだ。あのツアーはウソをついていなかったことは確かだ。まあお金が無いならキャッシュカードさえ持っていれば銀行からお金をおろす分には問題が無いだろうが。
「だからといって普通に食事してどこかのホテルに泊まるっていうのも芸が無いわね。ただ若い姿をしているってだけで、青春を取り戻したとは思えないから」
「じゃあ、どうする?」
「う~ん、若返ったからこそできる今の遊びを楽しむ、ってことかしら」
 なるほど。その通りだ。八十九歳のお爺さんではできない、この時代の十八歳なりの過ごし方を経験するってことか。
 確かに今なら体も元気に動くだろう。どこにでも行けそうな、なんでもやれそうな気力と体力がみなぎっている。
「あなたは何がしたい?」
 和子は上目づかいで清を見つめて尋ねた。か、かわいい。油断していた清は和子の姿に心臓がバクバクしてしまい、のぼせてしまったように頭が熱くなった。
「あら、あなた大丈夫? 顔が赤いけど風邪ひいたかしら」
 と和子は手を清の額に当てた。ひんやりとした和子の手が気持ちよかった、がますます顔が火照ってくる。
「だ、大丈夫だ。ちょっと暑かったから」
 清はジーパンのポケットに手を突っ込み、ハンカチを探して取り出すと清がいつも使っている紺色のものがでてきた。
「あら、ハンカチまでは用意してなかったわね。翔太達の様な今時の若い子ってどんなハンカチを使ってるのかしら」
 和子がしまった、という顔で自分もバッグから白いハンカチを出している。
「別にこの程度のハンカチなら恥ずかしくないだろう」
 話題がそれてホッとしながら清が言うと
「せっかくだから、若い人達が使うようなハンカチとかを買いに行きましょうよ。そういう買い物なんかいいんじゃない? 旅行から帰ったら美咲や翔太にあげればいいんだし無駄にはならないわ」
 いい考えが浮かんだ、とばかりに和子がはしゃぎだす。なるほど。買い物か。たしかにこの姿ならではの買い物ができるかもしれない。
「私、渋谷って一度行ってみたかったの。表参道とかじゃなく、原宿とかあっちの若い子達が行くような所。五十を超えてからはあの辺りに行くのってなんとなく気が引けたし、人混みに圧倒されて疲れちゃうから行かなかったけど、いまなら体力がありそうだから」
 和子は今にも立ち上がらんばかりに体を揺すって、行こう、行こうと清を誘った。
「そうだな」
 他にどこか行くあても思い浮かばず、清は反対する理由もないため、和子の提案に従った。たしか代々木公園から歩いていけば原宿駅にも行けるはずだ。二人は立ち上がってお尻についた芝生を払い落し、荷物を持って遊歩道を歩き始めた。
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