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告白と告発~①
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学園の終業式に出席することを決めてから、眠れない日々が続いていた。そんな美樹を気遣ってくれたシンは、何度も声をかけてくれた
「止めてもいいですよ。無理はしないでください」
その度に首を横に振り答えた。
「もう覚悟したことだから」
そんなやり取りを何度か繰り返している内に、とうとう明日が決行日という日の夜だけは、何故かぐっすりと眠ることができた。
それまでの疲れが出たのか、それともやるしかないと腹を括って開き直ったことが良かったのだろうか。それでもその日の朝は、かつてないほどにぱっちりと目が覚め、おかげで朝食も引き籠る前と同じ分量を食べることができた。
だが食事場所は変わらず自分の部屋である。学園に顔を出すことなく、引き籠り生活は続けていたからだ。ただ大きく変わった点がある。
当初は部屋に入ったのはシンと千夜までだったが、その後は駒亭の女将や両親、最近では正担任である早坂や瀬川、真壁の訪問に対応できるまで回復していた。そして学園との話し合いにより、三学期の終業式に美樹も出席することが決まったのだ。
それでもまだ他の人達には、引き籠っていると思われていた方が作戦の上で好都合だった。その為これまで通り過ごし、直接学園に行く計画を立てたのである。時間も生徒達とは合わないように遅れて登校し、職員室へと向かった。
学園に着いても脇にある打ち合わせ室へ入り、生徒達とはもちろん教師達とも最小限の人達にのみ顔を合わせるだけで済むよう配慮されていた。部屋の中では真壁と瀬川、早坂の三人とだけで、最終打ち合わせをすることになっている。
中身は二学期の途中から休んでいた美樹が、三学期の終業式をもって学園を去ることになった為、最後の挨拶をすることについてだった。そこで式の最後に少し時間を割いて頂くことを改めて確認する。
その話を切り出した時、真壁も含め他の教師もいい顔をしなかったが、美樹の強い希望が通り実現することとなったのだ。
「長い話は困るからね」
今日も真壁からはそう念を押され、表向きはしおらしく頷いた。だが実際はちょっとどころでは済まない為、心の中で舌を出していた。そう思えるほど冷静でいられた。
美樹の心はこれでやっと解放されるという安堵感と同時に、井畑の山と町で生活する人達の暮らしを守る使命感とが、入り混じった状態だったからだろう。簡単な確認を終え、各教師は体育館で行われる式に出席するため、先に出て行った。
美樹の出番は式が終了する予定の、十二時より少し前の三分間だ。その十分前まで打ち合わせ室で待機し、早坂が呼びに来るまで待つことになっている。彼が来れば一緒に体育館へ向かって舞台袖の控室に入り、壇上に立つ時間まで待機するという段取りだ。
一人きりになった部屋で、今日述べる内容を頭の中で整理する。冒頭の挨拶は簡単だ。本日付で学園を去る挨拶をし、感謝の意を述べればいい。問題はその後だ。何故この学園を去らなければならなくなったか。その理由に触れない訳にはいかない。
真壁達との打ち合わせでは事実関係の説明は濁し、ただ噂が立ち学園に混乱を招いたことをお詫びするに留めると予定となっていた。だが実際は違う。
そこで改めて晶の死を思い出す。何故死を選んだのか。それまでの過程を包み隠さず発表するつもりだが、そのことを考えると涙が溢れそうになる。だが泣いている場合では無いと思い直す。震える手で取り出したハンカチを、溜った涙に押し当てた。
しばらくして早坂が呼びにやってきた。
「時間です。行きましょう」
頷いた美樹は先を行く彼の後を歩いた。廊下を一歩一歩と進み、体育館へ近づくにつれて緊張感が増す。軽い動悸もしだして、頭もじんわりと痛みだした。それでも歩みは止めなかった。体育館の脇にある入口から生徒達には見えないよう、予定通り控室へと入る。
早坂は美樹を部屋に入れた後、すぐにドアを閉め、
「時間になったらまた呼びに来ます」
と声をかけてから、持ち場へと戻って行った。彼も正担任としての立場があり、二年生へと無事進級する生徒達を見届けなければならない。美樹の相手ばかりはしていられないのだ。
先ほどよりさらに狭い部屋で再び一人になり、聞き耳を立てて式の進行具合を確認した。既に終えた三年生の卒業式や新入生を招き入れる入学式とは違い、終業式は定期行事の一つにすぎず、それほど段取りは多く無い。うっすらと聞こえるマイクの音から、学園長の話が続いていた。そろそろだ。
本来なら学園長の話を最後に式は終わるが、今回例外としてその後に美樹が最後の挨拶をして解散という流れになっている。ドアがノックされて今度は真壁が顔を出し、手招きされた。素早く席を立ち、黙って彼の後ろに付いて舞台袖まで到着した。
「学園長のお話が終わりましたら、私がマイクで生徒達に対し簡単に説明した後あなたを呼びます。その後壇上に上がってお話し下さい。長くならないよう、お願いしますよ」
彼が説明している間に、もう締めの言葉を述べ始めていた。目でそろそろですよと合図される。美樹は頷き震える足を軽くつねってから、まっ直ぐに立って背筋を伸ばした。
学園長の話が終わったと同時に、真壁が舞台の端から一歩前に出て話し出す。
「ええ、本来ならここで今年度三学期の終業式は終わりですが、最後に今日で学園を去ることになった一年五組の副担任である和多津美樹さんから、皆さんにご挨拶があります。それでは和多津さん、よろしくお願いします」
一部の生徒達の間でざわざわと話声がしだした。主に美樹の英語授業を受けた生徒や五組の生徒達だ。それ以外にも下宿生である釜田や石川、以前に顧問補佐をしていた陸上部の面々や、同じく顧問補佐をしていたIT部の生徒達も驚いていることだろう。さらに美樹の噂を耳にした生徒達も騒いでいるに違いない。
「静かに! 式はまだ終わっていない! 私語は止めなさい!」
美樹が壇上に上がるまで、真壁がマイクを使い大きな声で注意し続けていた。
しかしそのざわめきも、舞台中央の壇上に立ち生徒達に目を向けた瞬間、水を打ったかのような静けさへと変わった。おそらく何を口にするのかと皆が注目し聞き耳を立て始めたからだろう。 彼らの刺すような痛い視線を浴びながら口を開いた。
「一年五組副担任の和多津美樹です。本日を持って私は学園から去ることとなりました。昨年の四月に着任し、一年も経たない内にこのような事態となったことをお詫びいたします。大変申し訳ございません。短い間でしたがお世話になりました」
そこで一旦言葉を切って頭を下げ、息を整えた。再び各所でざわつく声が聞こえ始める。気にせず頭を上げて話を続けた。
「学園を去る理由は、私が以前勤めていた井畑中学で起こった事件により、教師として皆様を混乱させる噂が飛び交い、不審感を持たせ不安にさせたことが第一です。この場をお借りして改めてお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした」
再び頭を下げると、一部の女生徒からヤジが飛んできた。
「レズで、しかも自分の教え子に手を出したあの噂は、本当だったんですね!」
真壁がすかさずマイクで注意をする。だが声がした方向を見て答えた。
「噂がどのように伝わったか分かりませんが、井畑中学で私が受け持った生徒の一人が自殺したことは事実です。また亡くなった女生徒と私が恋人関係にあったことも事実です。そうです。私は同性愛者であり、教師でありながらも担任をしていた未成年の生徒と、不適切と呼ばれても言い訳できない関係があったことを認めます。さらにその生徒の自殺は、私との関係を知った同級生による苛めを苦にしたものですが、それだけではありません。苛めを知りながら、守ることのできなかった私への抗議を含めた自殺であったことを認めます。このような者が皆様の前に教師として立つことは適切でないと私自身が判断し、学園を去ることを決断しました。改めてお詫び申し上げます」
ここで一気に体育館全体が揺らぐほどざわめいた。噂を知らない、または関心が無かった生徒、詳しい事情を知らされていない教師達までもが騒ぎだしたからだ。真壁でさえ驚き、騒いでいる生徒達を注意することすら忘れ、茫然と美樹の方を見ている。
話すことはまだまだあった。途中で話を止められる前に、全てを伝えきらなければならない。ここで真実を明らかにしなければいけなかった。なぜならここからが本番であり、どこかでシンが私の話を動画で撮影し、生で世界中に発信しているからだ。
この衝撃の告白を突破口として、井畑で隠蔽されてきたものを明らかにし、世に問わなければならない。マイクを左手で握りしめた。その手はぶるぶると震え、なかなか止まらない。それでも右手で震えを抑えるようにし、なんとか告白を続けた。
「私はこの事実から目を逸らし、井畑では半年余り家に籠っていました。しかし若竹学園の教師になる為の試験を受けて合格したことをいいことに、この場所へと逃げてきました。しかしそれは間違いだったようです。私がここへ来たことにより、井畑で蓋をされていた噂が独り歩きし、結局は関係の無い学園の皆様にまでご迷惑をかけることになりました。ですから私は逃げることを止め、ここで全てを告白します。まず井畑で自殺した西木晶という当時中学三年生だった女生徒は、当時同級生だった三人の女生徒から担任教師と付き合っている、しかもそれが男性では無く一回りも年上の女性だと酷い苛めを受けました」
「話が違います、これ以上は、」
我に返った真壁がマイクで注意しながら止めようと近づいた時、その動きを遮った教師がいた。陸上部の顧問である北上だ。さらに彼の周りで数名の体育教師が壁を作り、美樹の話を邪魔させまいと構えていた。
これは事前にシンを通じて北上へ相談をし、協力の承諾を得ていたからだ。時間が無いため彼には視線だけでお礼をし、話を続けた。
「苛められていた西木晶は私に助けを求めました。私達は真剣に付き合っていました。しかし二人の関係が周りに広がることを恐れた私は、結果的に逃げたのです。苛めをしていた女生徒達に私は教師として注意しましたが、逆に脅されて全く役に立ちませんでした。幸い私の実家は井畑では有名な家で、さらに親戚の田口家が地元の実力者だったため彼女達は恐れたのでしょう。私には口で抵抗するだけに留めていました。ただその分西木晶に対して殴る蹴るの暴力に加え、金銭の要求もしていたのです」
「どうしてそんな酷いことがあったのに、ニュースにはならなかったのですか?」
質問の声が飛んできた方向を見ると、シンの姿があった。彼は何の撮影道具も持たず、ただ六年制の生徒達が並んでいる列に立っている。彼がこの告白を撮影してくれていると思っていたが、そうではないらしい。
では誰がと不安になったが、今はまず自分の知る限りの事を全て言い尽くすことが先だと思い直して質問に答えた。
「それは井畑という小さな田舎町全体で圧力をかけ苛め自体を認めず、進学等について悩んだ結果の自殺と嘘をついたからです。また苛めていた女生徒の一人の家も井畑の名家だったことと、彼女の母親が私の親戚の田口家の経営する会社で働いていた事とも関係します。なぜなら事実が露呈すれば苛めていた女生徒の家の名に傷が付くだけでなく、私の家や田口家にも影響するからです。そこで全国に恥で名を広めることを恐れ、町全体で事実を隠蔽しました」
「どうやって隠蔽したのですか? 自殺した子の親が黙っていたのは何故ですか?」
再び彼が質問を投げかける。周りの生徒も聞きたい点を突く内容だった為、そうだそうだと頷いた。騒いでいた生徒や教師達も徐々に話の成り行きが気になり、見守るよう黙り始めたため答えた。
「自殺した彼女の家庭は母子家庭でまだ下に幼い弟と妹がおり、経済的にも裕福ではありませんでした。しかも田口家で働いていましたから、騒ぐことで町に迷惑がかかりクビになっては生活ができません。井畑のような小さい町では、実力者を敵に回して生きていくことなどできないのです。その為周囲の人達や苛めていた女生徒の実家、雇い主の田口家から雇用を保証するからと説得し、さらにお金を渡して口を封じたのです」
「ひどい話ですね。それで和多津さんはどうされましたか?」
彼がまた尋ねてきた。こういう事前打ち合わせは無かったが、質問通りに答えた方が話を進めやすい。また周りも聞きやすいことが分かり、その流れに乗った。
「私は苦しみました。彼女が自殺したのは中学三年の三学期が始まる始業式の日でした。二年余り前の事です。私はその後、本来ならば中高一貫校である井畑中学三年の担任からそのまま高校一年の担任へと繰り上がる予定でしたが、心を病み家に引き籠り、三学期の末で教師を辞めました。その後も心療内科に通院しながら部屋に籠る生活を続けていました。ここ最近の私と全く同様です」
「そんな状況でどうやって立ち直りましたか? なぜ若竹学園の教師になったのですか?」
「完全に立ち直った訳ではありません。私は逃げたのです。地獄のような井畑から逃げたかった。その逃げ場所として若竹学園を勧めてくれたのが私の父であり、兄でした。兄といっても血は繋がっていません。父が母と結婚する前に付き合っていた女性が別の人と結婚して生まれた子です。ですが兄の実父は、妻や子に暴力を振るう男でした。そこで兄達はDVから逃れるため、この若竹へと逃げてきました。兄を産んだ母親に身寄りがなく、当時市役所の福祉課にいた私の父の助言により、若竹のシェルターに身を寄せたそうです。しかしそれまでの心労が祟ったのか、母親は兄が二歳の時に亡くなりました」
先程まで騒がしかった体育館全体が、いつのまにか静まり返っていた。若竹には全国各地から同様な体験をして逃げ込んだ人々が大勢住んでいることは、学園の生徒達なら全員が知っている。
ここにいる生徒達の中にもそうした家庭環境で育ち、通っている者も少なからずいた。だから兄の話は決して遠い話では無く、容易に想像できてその苦しみがどんなものかを、我が事のように感じられる生徒、教師達が大勢いたからだろう。さらに話を続けた。
「二歳で一人になったその子を、養子として引き取ったのが私の父です。基本的には私の祖父母が面倒を看ていましたが、当時高校生だった私の母が兄を弟のように可愛がりました。その縁で父と母が関係を持ち、母が十六の時に妊娠したことを機に二人は結婚したのです。そこで生まれたのが私です」
当時二十八歳で独身の身でありながら他人の子供を引き取った父は、閉鎖的な井畑の地では異端児として扱われ白い目で見られていた。それなのに、当時高校生だった母と男女の仲になり子供まで産んだため、さらに酷い扱いを受けたのだ。
しかし和多津家や田口家の両親だけは違った。昔から祖父の忠雄を兄のように慕っていた正明は、その息子である一のことも幼い頃から可愛がっていた。そして名古屋の大学を卒業して農家を継がなかったにしろ、地元の市役所に勤めるため戻ってきたことをとても喜び誇りに思っていたという。
洋子も和多津家との関係を大事にしなくてはと考え、母が妊娠した時も和多津家と親戚になることは喜ばしいことだと応援してくれたのだ。そこには別の意図があったと最近になって知ったが、両親や兄を受け止めてくれた事は今でも感謝している。
母も父と結ばれたのは、完全に自分の意思だと言っていた。昔は一回り離れた父を幼い時から可愛がってくれる隣のお兄さんとして見ていたらしい。中学に入り学校の事務員をしていた三原という女性と、地元に戻った父が交際していることも知っていたという。
三原と母は仲が良く姉のように慕っていたという。後に父と別れた事を残念に思っていたが別の男性と結婚して子供を産んだことをとても喜び、彼女の家に遊びに行って幼子を可愛がったりもしていた。それが兄の実だ。
しばらくして彼女が夫のDVで苦しみ、まだ幼い実にも危害が及んでいることを察知し、福祉課に所属していた父に相談したのは他でもない母だった。その後彼女を若竹に逃亡させ、DV夫と別れさせるために尽力している父の姿を母はよく知っている。
無事彼女との離婚が成立した後DV夫は井畑では住み辛くなり東京へ出たらしいが、彼女が死亡した数年後に交通事故を起こして亡くなったそうだ。
父が彼女の子を引き取ったと聞いた時、母は真っ先にその子の面倒を看ると言って、足繁く和多津家へと通ったそうだ。と同時に父へ向けていた尊敬の眼差しが、日々を重ねる間に男性としての想いへと変わったという。
積極的だったのは母だと聞いている。その想いに押された父は母と関係を持ち、美樹をお腹に宿したことで夫婦となり、兄とも養子縁組をして育ててきたのだ。その後妊娠しによい高校を中退せざるを得なかった母は、出産後しばらくしてから高校卒業資格を取り、佐知子伯母さんも卒業した名古屋の短大へと進学した。
ある程度の学歴と一度家から離れることも必要だから子育ては自分達に任せなさいと勧めたのは和多津と田口の両祖父母である。そんな理解のある人達の後押しで母は一生懸命勉強し短大を卒業して、再び井畑に戻りミカン畑を手伝うようになったのだ。
しかし田舎町でも特殊な家族を作った両親やその子供達を良く思わない人々は沢山いた。和多津家は名家として扱われていたので、妬みを持つ者も少なく無い。そこに加えて昔ほど力のない和多津家は、地元に戻ってきたとはいえ農家を継がない父を筆頭に、攻撃材料には事欠かない存在へと変わっていく。
対して田口家は益々力をつけ、井畑で逆らえる人がいない程の地位を得た。その為表だって田口家の血を引く母への風当たりが少なくなった分、兄や美樹には容赦ない苛めが待っていた。薄汚れた嫉妬心を持つ田舎町の親達は、子供を使い攻撃することで憂さを晴らしていたようだ。
その為美樹は昔から井畑が嫌いであり、地獄だと思っていた。よって早く抜け出したいと思い続けたため、頑張って父と同じ大学に合格し家を出たのだ。それは尊敬する父の後を追いたい気持ちと、井畑から早く離れたい想いが強かった結果である。
そんな美樹とは異なり、兄は高校を卒業すると市役所へ就職した。実家が近いこともあって、出先機関である井畑出張所に配属され今に至っている。
兄が大学に進学をせず井畑に留まることを選択したのは、おそらく早く自立することで父や母に恩返ししたいと考えていたからだろう。また地元に戻った父と同じ仕事をしたいとの強い思いもあったかもしれない。
四つ上の兄が井畑に留まると聞いた時は、当時中学生だった美樹には信じられなかった。そう思って井畑から出たはずだったが、大学生活が終わりに近づき就職先を考えた時、何故か父や兄と同じく地元に戻って役に立ちたいとの想いが湧いていたのだ。
それが父から受け継いだ血なのかは判らない。だが地元に戻るなら、井畑の子供達への教育から変えなければと考えるようになった。自分がしたような辛い思いを他の子達にさせたくないという気持ちが、当時公立の中学高校の一貫教育を開始して間もない井畑の教師として教壇に立つという目標へと変わったのだ。
そうして大学在学中に中学と高校両方の教員免許を取得し、大学卒業後に井畑中学へと赴任することが決まった。しかしそれが結果的に大きな過ちとなった。
災いを呼んだのは美樹の持つマイノリティとしての人格である。中学時代からうすうす感じてはいたが、自分が異性に全く興味が持てず、同性に対する愛情が人よりも強いと完全に知ったのは、大学に入学してからだった。井畑の地から解放されたために、それまで鬱積していた感情が噴き出してしまったのだろう。
異性とはあくまで友達以上の関係にはなれず、付き合うのは同性の子ばかりだった。そして教員免許を取るために行う、教育実習先での女生徒と触れ合う機会を持ったことで、自分は年下好きだということが段々と理解できるようになっていた。
そんな自分に歯止めをかけたいという一方で、自分の好きな女生徒達と触れ合える場所を探した結果、井畑中学を選んでしまったのが不幸の始まりだった。井畑にいた頃陸上部に所属し好成績を出していたこともあり、赴任してから二年目で中一のクラスを担任し、同時に陸上部の顧問にもなった。
専門はハードルだが、一〇〇、二〇〇Mの短距離走や走り幅跳びも経験していたことから重宝され、生徒達にも信頼されるようになり有頂天になったのだろう。担任している女生徒の中で西木晶と出会い、彼女が美樹を特別慕ってくれたことから悲劇が始まった。晶もまた同性愛に目覚めて、二人は付き合うようになったのだ。
井畑のような狭い世界では同性愛など認められるはずもない。だから自分の理性で抑えられると甘い考えを持っていた。そんな美樹の理性を失わせたのが晶の存在だ。しかし当然どんなに隠そうとしても気付く人間は必ずいる。やがて一部の生徒にばれて、二人は追い詰められたのである。
「自分が学生時代に苛められ、嫌っていたはずの井畑へ戻った私は、教師として子供達の教育を通し、父や兄のような将来の町作りの為に貢献したいと思っていました。それなのに同性愛者としての個人的な思いを優先させ、自らが受け持つ生徒と付き合ったのです。糾弾された私の逃げ場所は、似た思いを持つ人々が少なからずいるこの若竹地区がいいと兄や父に提案され、自立し直す為にも教師の資格を活かして、学園の教師になれば良いと説得されました。私はそこに光を見出したのです。井畑から逃げたとしても、若竹学園であればこんな私でも生きることが許され、役に立てるのではないか。そう思い必死に勉強し直し、採用試験を受けて昨年の四月から英語教師として赴任したのです。女生徒も住む駒亭に下宿したのは、一人暮らしより私の性癖を知っている女将の監視があれば安心だと両親達が考えたからです」
「そんな思いまでしたのに、どうして学園を辞めるのですか? また逃げるのですか?」
もし彼からの問いがなく一人喋り続けていただけでは、途中で他の教師から止められていたかもしれない。その前に体が痛み出し、苦しみで言葉が詰まって話せなくなっていただろう。そう考えると彼はそんなリスクも考慮し、最初からこういう形式で進めるつもりだったと思われる。彼が質問を重ね、それに答えることで話を続けた。
「逃げると思われても仕方ありません。でも井畑からここへ来た時のように、ただ逃げるだけでは済まされないと思い、告白することを選びました。私がただの同性愛者では無く、担任していた生徒と付き合い死に追いやった教師です。そんな私が学園に居続けてはいけないと考えました。いくら寛容なこの学園でも、そのような教師がいては親御さん達も安心して生徒を預ける訳にはいかないでしょう。実際にそういうクレームを頂いています。ですから私は過去の過ちを告白し謝罪してここを去ります。それで許されようとは思いません。これが私なりのけじめであり、様々な噂が飛び交ったことで学園にご迷惑をかけ、生徒の皆様にも不信、不安を感じさせたことへのお詫びと、真実の告白をして去ることが最良だと考え、このような行動をとりました。勝手な言動を深くお詫び致します」
ここで再度深く頭を下げた。その間体育館はまだ静寂を保っていた。顔を上げると、それを待っていたかのように彼が次の質問を投げかける。
「でも採用試験を受けて合格したのであれば、学園は和多津さんの過去を知らずに採用したのですか? それとも知った上で採用されたのですか?」
「止めてもいいですよ。無理はしないでください」
その度に首を横に振り答えた。
「もう覚悟したことだから」
そんなやり取りを何度か繰り返している内に、とうとう明日が決行日という日の夜だけは、何故かぐっすりと眠ることができた。
それまでの疲れが出たのか、それともやるしかないと腹を括って開き直ったことが良かったのだろうか。それでもその日の朝は、かつてないほどにぱっちりと目が覚め、おかげで朝食も引き籠る前と同じ分量を食べることができた。
だが食事場所は変わらず自分の部屋である。学園に顔を出すことなく、引き籠り生活は続けていたからだ。ただ大きく変わった点がある。
当初は部屋に入ったのはシンと千夜までだったが、その後は駒亭の女将や両親、最近では正担任である早坂や瀬川、真壁の訪問に対応できるまで回復していた。そして学園との話し合いにより、三学期の終業式に美樹も出席することが決まったのだ。
それでもまだ他の人達には、引き籠っていると思われていた方が作戦の上で好都合だった。その為これまで通り過ごし、直接学園に行く計画を立てたのである。時間も生徒達とは合わないように遅れて登校し、職員室へと向かった。
学園に着いても脇にある打ち合わせ室へ入り、生徒達とはもちろん教師達とも最小限の人達にのみ顔を合わせるだけで済むよう配慮されていた。部屋の中では真壁と瀬川、早坂の三人とだけで、最終打ち合わせをすることになっている。
中身は二学期の途中から休んでいた美樹が、三学期の終業式をもって学園を去ることになった為、最後の挨拶をすることについてだった。そこで式の最後に少し時間を割いて頂くことを改めて確認する。
その話を切り出した時、真壁も含め他の教師もいい顔をしなかったが、美樹の強い希望が通り実現することとなったのだ。
「長い話は困るからね」
今日も真壁からはそう念を押され、表向きはしおらしく頷いた。だが実際はちょっとどころでは済まない為、心の中で舌を出していた。そう思えるほど冷静でいられた。
美樹の心はこれでやっと解放されるという安堵感と同時に、井畑の山と町で生活する人達の暮らしを守る使命感とが、入り混じった状態だったからだろう。簡単な確認を終え、各教師は体育館で行われる式に出席するため、先に出て行った。
美樹の出番は式が終了する予定の、十二時より少し前の三分間だ。その十分前まで打ち合わせ室で待機し、早坂が呼びに来るまで待つことになっている。彼が来れば一緒に体育館へ向かって舞台袖の控室に入り、壇上に立つ時間まで待機するという段取りだ。
一人きりになった部屋で、今日述べる内容を頭の中で整理する。冒頭の挨拶は簡単だ。本日付で学園を去る挨拶をし、感謝の意を述べればいい。問題はその後だ。何故この学園を去らなければならなくなったか。その理由に触れない訳にはいかない。
真壁達との打ち合わせでは事実関係の説明は濁し、ただ噂が立ち学園に混乱を招いたことをお詫びするに留めると予定となっていた。だが実際は違う。
そこで改めて晶の死を思い出す。何故死を選んだのか。それまでの過程を包み隠さず発表するつもりだが、そのことを考えると涙が溢れそうになる。だが泣いている場合では無いと思い直す。震える手で取り出したハンカチを、溜った涙に押し当てた。
しばらくして早坂が呼びにやってきた。
「時間です。行きましょう」
頷いた美樹は先を行く彼の後を歩いた。廊下を一歩一歩と進み、体育館へ近づくにつれて緊張感が増す。軽い動悸もしだして、頭もじんわりと痛みだした。それでも歩みは止めなかった。体育館の脇にある入口から生徒達には見えないよう、予定通り控室へと入る。
早坂は美樹を部屋に入れた後、すぐにドアを閉め、
「時間になったらまた呼びに来ます」
と声をかけてから、持ち場へと戻って行った。彼も正担任としての立場があり、二年生へと無事進級する生徒達を見届けなければならない。美樹の相手ばかりはしていられないのだ。
先ほどよりさらに狭い部屋で再び一人になり、聞き耳を立てて式の進行具合を確認した。既に終えた三年生の卒業式や新入生を招き入れる入学式とは違い、終業式は定期行事の一つにすぎず、それほど段取りは多く無い。うっすらと聞こえるマイクの音から、学園長の話が続いていた。そろそろだ。
本来なら学園長の話を最後に式は終わるが、今回例外としてその後に美樹が最後の挨拶をして解散という流れになっている。ドアがノックされて今度は真壁が顔を出し、手招きされた。素早く席を立ち、黙って彼の後ろに付いて舞台袖まで到着した。
「学園長のお話が終わりましたら、私がマイクで生徒達に対し簡単に説明した後あなたを呼びます。その後壇上に上がってお話し下さい。長くならないよう、お願いしますよ」
彼が説明している間に、もう締めの言葉を述べ始めていた。目でそろそろですよと合図される。美樹は頷き震える足を軽くつねってから、まっ直ぐに立って背筋を伸ばした。
学園長の話が終わったと同時に、真壁が舞台の端から一歩前に出て話し出す。
「ええ、本来ならここで今年度三学期の終業式は終わりですが、最後に今日で学園を去ることになった一年五組の副担任である和多津美樹さんから、皆さんにご挨拶があります。それでは和多津さん、よろしくお願いします」
一部の生徒達の間でざわざわと話声がしだした。主に美樹の英語授業を受けた生徒や五組の生徒達だ。それ以外にも下宿生である釜田や石川、以前に顧問補佐をしていた陸上部の面々や、同じく顧問補佐をしていたIT部の生徒達も驚いていることだろう。さらに美樹の噂を耳にした生徒達も騒いでいるに違いない。
「静かに! 式はまだ終わっていない! 私語は止めなさい!」
美樹が壇上に上がるまで、真壁がマイクを使い大きな声で注意し続けていた。
しかしそのざわめきも、舞台中央の壇上に立ち生徒達に目を向けた瞬間、水を打ったかのような静けさへと変わった。おそらく何を口にするのかと皆が注目し聞き耳を立て始めたからだろう。 彼らの刺すような痛い視線を浴びながら口を開いた。
「一年五組副担任の和多津美樹です。本日を持って私は学園から去ることとなりました。昨年の四月に着任し、一年も経たない内にこのような事態となったことをお詫びいたします。大変申し訳ございません。短い間でしたがお世話になりました」
そこで一旦言葉を切って頭を下げ、息を整えた。再び各所でざわつく声が聞こえ始める。気にせず頭を上げて話を続けた。
「学園を去る理由は、私が以前勤めていた井畑中学で起こった事件により、教師として皆様を混乱させる噂が飛び交い、不審感を持たせ不安にさせたことが第一です。この場をお借りして改めてお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした」
再び頭を下げると、一部の女生徒からヤジが飛んできた。
「レズで、しかも自分の教え子に手を出したあの噂は、本当だったんですね!」
真壁がすかさずマイクで注意をする。だが声がした方向を見て答えた。
「噂がどのように伝わったか分かりませんが、井畑中学で私が受け持った生徒の一人が自殺したことは事実です。また亡くなった女生徒と私が恋人関係にあったことも事実です。そうです。私は同性愛者であり、教師でありながらも担任をしていた未成年の生徒と、不適切と呼ばれても言い訳できない関係があったことを認めます。さらにその生徒の自殺は、私との関係を知った同級生による苛めを苦にしたものですが、それだけではありません。苛めを知りながら、守ることのできなかった私への抗議を含めた自殺であったことを認めます。このような者が皆様の前に教師として立つことは適切でないと私自身が判断し、学園を去ることを決断しました。改めてお詫び申し上げます」
ここで一気に体育館全体が揺らぐほどざわめいた。噂を知らない、または関心が無かった生徒、詳しい事情を知らされていない教師達までもが騒ぎだしたからだ。真壁でさえ驚き、騒いでいる生徒達を注意することすら忘れ、茫然と美樹の方を見ている。
話すことはまだまだあった。途中で話を止められる前に、全てを伝えきらなければならない。ここで真実を明らかにしなければいけなかった。なぜならここからが本番であり、どこかでシンが私の話を動画で撮影し、生で世界中に発信しているからだ。
この衝撃の告白を突破口として、井畑で隠蔽されてきたものを明らかにし、世に問わなければならない。マイクを左手で握りしめた。その手はぶるぶると震え、なかなか止まらない。それでも右手で震えを抑えるようにし、なんとか告白を続けた。
「私はこの事実から目を逸らし、井畑では半年余り家に籠っていました。しかし若竹学園の教師になる為の試験を受けて合格したことをいいことに、この場所へと逃げてきました。しかしそれは間違いだったようです。私がここへ来たことにより、井畑で蓋をされていた噂が独り歩きし、結局は関係の無い学園の皆様にまでご迷惑をかけることになりました。ですから私は逃げることを止め、ここで全てを告白します。まず井畑で自殺した西木晶という当時中学三年生だった女生徒は、当時同級生だった三人の女生徒から担任教師と付き合っている、しかもそれが男性では無く一回りも年上の女性だと酷い苛めを受けました」
「話が違います、これ以上は、」
我に返った真壁がマイクで注意しながら止めようと近づいた時、その動きを遮った教師がいた。陸上部の顧問である北上だ。さらに彼の周りで数名の体育教師が壁を作り、美樹の話を邪魔させまいと構えていた。
これは事前にシンを通じて北上へ相談をし、協力の承諾を得ていたからだ。時間が無いため彼には視線だけでお礼をし、話を続けた。
「苛められていた西木晶は私に助けを求めました。私達は真剣に付き合っていました。しかし二人の関係が周りに広がることを恐れた私は、結果的に逃げたのです。苛めをしていた女生徒達に私は教師として注意しましたが、逆に脅されて全く役に立ちませんでした。幸い私の実家は井畑では有名な家で、さらに親戚の田口家が地元の実力者だったため彼女達は恐れたのでしょう。私には口で抵抗するだけに留めていました。ただその分西木晶に対して殴る蹴るの暴力に加え、金銭の要求もしていたのです」
「どうしてそんな酷いことがあったのに、ニュースにはならなかったのですか?」
質問の声が飛んできた方向を見ると、シンの姿があった。彼は何の撮影道具も持たず、ただ六年制の生徒達が並んでいる列に立っている。彼がこの告白を撮影してくれていると思っていたが、そうではないらしい。
では誰がと不安になったが、今はまず自分の知る限りの事を全て言い尽くすことが先だと思い直して質問に答えた。
「それは井畑という小さな田舎町全体で圧力をかけ苛め自体を認めず、進学等について悩んだ結果の自殺と嘘をついたからです。また苛めていた女生徒の一人の家も井畑の名家だったことと、彼女の母親が私の親戚の田口家の経営する会社で働いていた事とも関係します。なぜなら事実が露呈すれば苛めていた女生徒の家の名に傷が付くだけでなく、私の家や田口家にも影響するからです。そこで全国に恥で名を広めることを恐れ、町全体で事実を隠蔽しました」
「どうやって隠蔽したのですか? 自殺した子の親が黙っていたのは何故ですか?」
再び彼が質問を投げかける。周りの生徒も聞きたい点を突く内容だった為、そうだそうだと頷いた。騒いでいた生徒や教師達も徐々に話の成り行きが気になり、見守るよう黙り始めたため答えた。
「自殺した彼女の家庭は母子家庭でまだ下に幼い弟と妹がおり、経済的にも裕福ではありませんでした。しかも田口家で働いていましたから、騒ぐことで町に迷惑がかかりクビになっては生活ができません。井畑のような小さい町では、実力者を敵に回して生きていくことなどできないのです。その為周囲の人達や苛めていた女生徒の実家、雇い主の田口家から雇用を保証するからと説得し、さらにお金を渡して口を封じたのです」
「ひどい話ですね。それで和多津さんはどうされましたか?」
彼がまた尋ねてきた。こういう事前打ち合わせは無かったが、質問通りに答えた方が話を進めやすい。また周りも聞きやすいことが分かり、その流れに乗った。
「私は苦しみました。彼女が自殺したのは中学三年の三学期が始まる始業式の日でした。二年余り前の事です。私はその後、本来ならば中高一貫校である井畑中学三年の担任からそのまま高校一年の担任へと繰り上がる予定でしたが、心を病み家に引き籠り、三学期の末で教師を辞めました。その後も心療内科に通院しながら部屋に籠る生活を続けていました。ここ最近の私と全く同様です」
「そんな状況でどうやって立ち直りましたか? なぜ若竹学園の教師になったのですか?」
「完全に立ち直った訳ではありません。私は逃げたのです。地獄のような井畑から逃げたかった。その逃げ場所として若竹学園を勧めてくれたのが私の父であり、兄でした。兄といっても血は繋がっていません。父が母と結婚する前に付き合っていた女性が別の人と結婚して生まれた子です。ですが兄の実父は、妻や子に暴力を振るう男でした。そこで兄達はDVから逃れるため、この若竹へと逃げてきました。兄を産んだ母親に身寄りがなく、当時市役所の福祉課にいた私の父の助言により、若竹のシェルターに身を寄せたそうです。しかしそれまでの心労が祟ったのか、母親は兄が二歳の時に亡くなりました」
先程まで騒がしかった体育館全体が、いつのまにか静まり返っていた。若竹には全国各地から同様な体験をして逃げ込んだ人々が大勢住んでいることは、学園の生徒達なら全員が知っている。
ここにいる生徒達の中にもそうした家庭環境で育ち、通っている者も少なからずいた。だから兄の話は決して遠い話では無く、容易に想像できてその苦しみがどんなものかを、我が事のように感じられる生徒、教師達が大勢いたからだろう。さらに話を続けた。
「二歳で一人になったその子を、養子として引き取ったのが私の父です。基本的には私の祖父母が面倒を看ていましたが、当時高校生だった私の母が兄を弟のように可愛がりました。その縁で父と母が関係を持ち、母が十六の時に妊娠したことを機に二人は結婚したのです。そこで生まれたのが私です」
当時二十八歳で独身の身でありながら他人の子供を引き取った父は、閉鎖的な井畑の地では異端児として扱われ白い目で見られていた。それなのに、当時高校生だった母と男女の仲になり子供まで産んだため、さらに酷い扱いを受けたのだ。
しかし和多津家や田口家の両親だけは違った。昔から祖父の忠雄を兄のように慕っていた正明は、その息子である一のことも幼い頃から可愛がっていた。そして名古屋の大学を卒業して農家を継がなかったにしろ、地元の市役所に勤めるため戻ってきたことをとても喜び誇りに思っていたという。
洋子も和多津家との関係を大事にしなくてはと考え、母が妊娠した時も和多津家と親戚になることは喜ばしいことだと応援してくれたのだ。そこには別の意図があったと最近になって知ったが、両親や兄を受け止めてくれた事は今でも感謝している。
母も父と結ばれたのは、完全に自分の意思だと言っていた。昔は一回り離れた父を幼い時から可愛がってくれる隣のお兄さんとして見ていたらしい。中学に入り学校の事務員をしていた三原という女性と、地元に戻った父が交際していることも知っていたという。
三原と母は仲が良く姉のように慕っていたという。後に父と別れた事を残念に思っていたが別の男性と結婚して子供を産んだことをとても喜び、彼女の家に遊びに行って幼子を可愛がったりもしていた。それが兄の実だ。
しばらくして彼女が夫のDVで苦しみ、まだ幼い実にも危害が及んでいることを察知し、福祉課に所属していた父に相談したのは他でもない母だった。その後彼女を若竹に逃亡させ、DV夫と別れさせるために尽力している父の姿を母はよく知っている。
無事彼女との離婚が成立した後DV夫は井畑では住み辛くなり東京へ出たらしいが、彼女が死亡した数年後に交通事故を起こして亡くなったそうだ。
父が彼女の子を引き取ったと聞いた時、母は真っ先にその子の面倒を看ると言って、足繁く和多津家へと通ったそうだ。と同時に父へ向けていた尊敬の眼差しが、日々を重ねる間に男性としての想いへと変わったという。
積極的だったのは母だと聞いている。その想いに押された父は母と関係を持ち、美樹をお腹に宿したことで夫婦となり、兄とも養子縁組をして育ててきたのだ。その後妊娠しによい高校を中退せざるを得なかった母は、出産後しばらくしてから高校卒業資格を取り、佐知子伯母さんも卒業した名古屋の短大へと進学した。
ある程度の学歴と一度家から離れることも必要だから子育ては自分達に任せなさいと勧めたのは和多津と田口の両祖父母である。そんな理解のある人達の後押しで母は一生懸命勉強し短大を卒業して、再び井畑に戻りミカン畑を手伝うようになったのだ。
しかし田舎町でも特殊な家族を作った両親やその子供達を良く思わない人々は沢山いた。和多津家は名家として扱われていたので、妬みを持つ者も少なく無い。そこに加えて昔ほど力のない和多津家は、地元に戻ってきたとはいえ農家を継がない父を筆頭に、攻撃材料には事欠かない存在へと変わっていく。
対して田口家は益々力をつけ、井畑で逆らえる人がいない程の地位を得た。その為表だって田口家の血を引く母への風当たりが少なくなった分、兄や美樹には容赦ない苛めが待っていた。薄汚れた嫉妬心を持つ田舎町の親達は、子供を使い攻撃することで憂さを晴らしていたようだ。
その為美樹は昔から井畑が嫌いであり、地獄だと思っていた。よって早く抜け出したいと思い続けたため、頑張って父と同じ大学に合格し家を出たのだ。それは尊敬する父の後を追いたい気持ちと、井畑から早く離れたい想いが強かった結果である。
そんな美樹とは異なり、兄は高校を卒業すると市役所へ就職した。実家が近いこともあって、出先機関である井畑出張所に配属され今に至っている。
兄が大学に進学をせず井畑に留まることを選択したのは、おそらく早く自立することで父や母に恩返ししたいと考えていたからだろう。また地元に戻った父と同じ仕事をしたいとの強い思いもあったかもしれない。
四つ上の兄が井畑に留まると聞いた時は、当時中学生だった美樹には信じられなかった。そう思って井畑から出たはずだったが、大学生活が終わりに近づき就職先を考えた時、何故か父や兄と同じく地元に戻って役に立ちたいとの想いが湧いていたのだ。
それが父から受け継いだ血なのかは判らない。だが地元に戻るなら、井畑の子供達への教育から変えなければと考えるようになった。自分がしたような辛い思いを他の子達にさせたくないという気持ちが、当時公立の中学高校の一貫教育を開始して間もない井畑の教師として教壇に立つという目標へと変わったのだ。
そうして大学在学中に中学と高校両方の教員免許を取得し、大学卒業後に井畑中学へと赴任することが決まった。しかしそれが結果的に大きな過ちとなった。
災いを呼んだのは美樹の持つマイノリティとしての人格である。中学時代からうすうす感じてはいたが、自分が異性に全く興味が持てず、同性に対する愛情が人よりも強いと完全に知ったのは、大学に入学してからだった。井畑の地から解放されたために、それまで鬱積していた感情が噴き出してしまったのだろう。
異性とはあくまで友達以上の関係にはなれず、付き合うのは同性の子ばかりだった。そして教員免許を取るために行う、教育実習先での女生徒と触れ合う機会を持ったことで、自分は年下好きだということが段々と理解できるようになっていた。
そんな自分に歯止めをかけたいという一方で、自分の好きな女生徒達と触れ合える場所を探した結果、井畑中学を選んでしまったのが不幸の始まりだった。井畑にいた頃陸上部に所属し好成績を出していたこともあり、赴任してから二年目で中一のクラスを担任し、同時に陸上部の顧問にもなった。
専門はハードルだが、一〇〇、二〇〇Mの短距離走や走り幅跳びも経験していたことから重宝され、生徒達にも信頼されるようになり有頂天になったのだろう。担任している女生徒の中で西木晶と出会い、彼女が美樹を特別慕ってくれたことから悲劇が始まった。晶もまた同性愛に目覚めて、二人は付き合うようになったのだ。
井畑のような狭い世界では同性愛など認められるはずもない。だから自分の理性で抑えられると甘い考えを持っていた。そんな美樹の理性を失わせたのが晶の存在だ。しかし当然どんなに隠そうとしても気付く人間は必ずいる。やがて一部の生徒にばれて、二人は追い詰められたのである。
「自分が学生時代に苛められ、嫌っていたはずの井畑へ戻った私は、教師として子供達の教育を通し、父や兄のような将来の町作りの為に貢献したいと思っていました。それなのに同性愛者としての個人的な思いを優先させ、自らが受け持つ生徒と付き合ったのです。糾弾された私の逃げ場所は、似た思いを持つ人々が少なからずいるこの若竹地区がいいと兄や父に提案され、自立し直す為にも教師の資格を活かして、学園の教師になれば良いと説得されました。私はそこに光を見出したのです。井畑から逃げたとしても、若竹学園であればこんな私でも生きることが許され、役に立てるのではないか。そう思い必死に勉強し直し、採用試験を受けて昨年の四月から英語教師として赴任したのです。女生徒も住む駒亭に下宿したのは、一人暮らしより私の性癖を知っている女将の監視があれば安心だと両親達が考えたからです」
「そんな思いまでしたのに、どうして学園を辞めるのですか? また逃げるのですか?」
もし彼からの問いがなく一人喋り続けていただけでは、途中で他の教師から止められていたかもしれない。その前に体が痛み出し、苦しみで言葉が詰まって話せなくなっていただろう。そう考えると彼はそんなリスクも考慮し、最初からこういう形式で進めるつもりだったと思われる。彼が質問を重ね、それに答えることで話を続けた。
「逃げると思われても仕方ありません。でも井畑からここへ来た時のように、ただ逃げるだけでは済まされないと思い、告白することを選びました。私がただの同性愛者では無く、担任していた生徒と付き合い死に追いやった教師です。そんな私が学園に居続けてはいけないと考えました。いくら寛容なこの学園でも、そのような教師がいては親御さん達も安心して生徒を預ける訳にはいかないでしょう。実際にそういうクレームを頂いています。ですから私は過去の過ちを告白し謝罪してここを去ります。それで許されようとは思いません。これが私なりのけじめであり、様々な噂が飛び交ったことで学園にご迷惑をかけ、生徒の皆様にも不信、不安を感じさせたことへのお詫びと、真実の告白をして去ることが最良だと考え、このような行動をとりました。勝手な言動を深くお詫び致します」
ここで再度深く頭を下げた。その間体育館はまだ静寂を保っていた。顔を上げると、それを待っていたかのように彼が次の質問を投げかける。
「でも採用試験を受けて合格したのであれば、学園は和多津さんの過去を知らずに採用したのですか? それとも知った上で採用されたのですか?」
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