パンドラは二度闇に眠る

しまおか

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駒亭へ~①

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 今年のGW、来音心きねしんは下宿先で過ごした。父のいる名古屋の実家に帰れば変に気を使わせる。父一人での自宅療養も始まってまだ日が浅く、生活のリズムを乱してはいけないと思ったからだ。
 シンが通う私立若竹学園は、名古屋から少し離れたM県の県庁所在地のM市にあり、三年制高等部とは別に進学コースの中高一貫六年制を併せ持っている。シンは中学受験して入り、現在四年目を迎えたところだ。
 中高一貫校など今時は別に珍しくない。全国には私立だけでなく公立でも多数あり、若竹と同じM県の端にある井畑中学、高校なども公立の中高一貫校だ。特に井畑は僻地で生徒数が年々減少している地区の為生徒を一か所に集めて効率化し、かつ過疎化した土地の将来を支える人材を作る名目で、公立の中高一貫校が作られたと聞いている。
 だが若竹学園の存在と設立の意義はレベルが違う。六年制はM県で東大、京大をはじめ全国の有名大学へ一番多く送り込む、全国でも東大合格者数の高校トップ三十に入る名門だ。
 そこで休み明けは高一になって最初の中間テストがあると言い訳し、テスト勉強に時間を費やすからと帰省しない旨をメールで連絡した。父からはしばらく経って、無理をし過ぎないように、駒亭の女将達にも宜しくとの短い返信があった。 
 しかしその理由もまんざら嘘ではない。高一最初の中間テストの範囲はすでに高二の教科書を使っていて中身も高度だ。普通校の高三までのカリキュラムを高二で全て終え、高三では大学受験用の授業内容となるのが六年制のスケジュールである。その為中等部から高等部に無試験で進級したシン達に、教師達は口を揃えて発破をかけた。
“高校一年は、本格的な受験モードに切り替わる大事な節目の時期だ。今後の進学先を成績によって具体的に決め始める、大事な一年になるからな”
 シンは自らの意思で、父もかつて過ごしたこの学園で学ぶことを選んだ。小学校を卒業した後、父のように有名国立大学へ入る為親元を離れての下宿生活を始めた。よって父を満足させる成績をとらなければいけない。無理して家を出たのではないと信じて貰う為にも必要なことだった。
 そんなプレッシャーのかかった中間テストを終え、ホッとして昼食を食べていた時だ。近くで救急車のサイレンの音が聞こえた。窓の外を覗いて音がする方角を確認すると駒亭の近くだと気が付いたが、その時は余り重大な事だと思っていなかった。
 ホームルームを済ませ下宿に帰ろうと教室を出た際に、そういえばあの音はなんだったのだろうと気になり、まさかと思いながら帰宅を急いだ。シンはかつて父が自宅近くで倒れたあの時の事を思い出していた。
 保険会社で働くシンの父、修二しゅうじが本格的に体調を崩し始めたのは、福岡への転勤を機に父子二人で暮らし始めて一年が過ぎた頃だ。シンが小学四年生になった梅雨明けの頃、朝起きても疲れが取れないのか、だるそうな顔をした父は会社を休みがちになっていた。
 しばらくして福岡支社の上司に伴われ心療内科に通い始めるようになり、課長に昇進して最初の配属先で力を発揮できないまま、やがて一年余りで休職することになった。また医師からは、休職と同時に一度入院した方がいいと勧められたのだ。
 そこで一人息子のシンと二人きりの生活だったことも考え、父は精神治療の専門家がいる名古屋のN大病院へ転院することが決まった。名古屋は福岡へ転勤する前の勤務地であり、父の実家がある場所だったからだ。
 福岡に来る前の五年間に及ぶ名古屋支社勤務時代、最初は実家で父の養父である徳一とくいち、養母のふみ、そしてシンの母の麗美れみとシンの五人で住んでいた。しかし名古屋に来て三年が過ぎた頃、徳一が癌により七九歳で亡くなった。さらに修二が福岡への転勤が決まったと聞いた母は、一緒に行くことを拒んだ挙句に埼玉の大宮の実家へと帰ってしまったのだ。
 別居生活が一年経った後に父と母は離婚したが、父は休職して名古屋に入院した年の冬、母は大宮駅近くの線路に飛び込んで自殺した。
その上父が名古屋の病院に入院している間、シンは実家で養祖母と二人で生活していたが、彼女も昨年八十四歳で亡くなったのだ。その為、現在名古屋の家には父一人しか住んでいない。
 父が入院している間、シンはふみと二人で二年弱暮らした。その後シンはM県の若竹学園の中等部を受験し合格したため、家を離れての下宿生活が始まった。よってふみは入院している父の世話をしながら一人で生活していたのだ。
 シンが若竹に入学してしばらく経った後、父は二年余りの入院治療を終えて退院し再びふみと共に暮らし始めた。その後半年間の通院をしながらの自宅療養を経て、名古屋の支社に復職したのだ。
 しかしそんな父の姿を見て安心したのか、ふみは病にかかりあっという間にあの世へと旅立った。この世から去る時には父が傍にいたため、一人孤独なままで無かったことだけが幸いだったと思いたい。
 だが養母の死を機に父は再び体調を崩し、二度目の休職をすることとなった。今回入院の必要は無いと診断を受けたため、名古屋の家で自宅療養をしている。二週間に一度、自宅からの通院し治療しながら、ストレスを溜めないよう日々穏やかな生活を心掛けているようだ。
 父が救急車で運ばれたのは、大手保険会社に入社して十九年目に入った春先だった。それまでは東京本社で五年、埼玉の川口で五年、大宮で二年、名古屋で五年と転勤を繰り返し、五か所目の異動先の福岡に着任して一年余り経った頃である。
 ちょうど五年前のGWが開けた時、父はすでに疲れ果てていた。前任地の名古屋でも多忙を極めていたが、その甲斐あって課長として着任した当初は、とても張り切っていたのだ。しかしその前から体調を崩しがちだった。
 ただそれは母との確執や離婚問題が重なっていた為、単なる過労だとシンや父自身も思っていた。それが大きな過ちだったのだ。多忙であった原因の一つは、福岡への転勤と同時に管理職である課長への昇進の辞令が出たにも関わらず、母が福岡に行かないと宣言したことから始まった。
 しかも当時小学二年生だった一人息子のシンの世話さえ拒否したのだ。そして母は一人埼玉の大宮の実家へと戻ったため、父とシンは止む無く二人で福岡へと引っ越した。
埼玉は父が川口支社に赴任していた時、母と知り合い結婚した出会いの場所だ。そこでシンが生まれたため、父とシンにとっても第二の故郷だった。しかし両親が離婚した今となっては苦い思い出の場所へと変わった。
 福岡では父が一人でシンの面倒を見ていた。普通なら独り身となったふみを連れて行けば良かったのだが、そういかない事情があった。父と母との関係は、徳一が生きていた頃までとても良かったが、こじれ出したのは徳一が亡くなってからだ。
 最初はふみと母の関係がおかしくなった。父は仕事で忙しい為、家の事を母に任せっきりだった。その代わりに徳一がどんと構えて姑と嫁の間を取り持ち、孫のシンの面倒もよく看てくれていたのである。
 しかしその存在が亡くなった途端、バランスが崩れたのだろう。ふみは徳一がいた時は父達の生活に余計な口を挟まなかった。だが寂しさからか元々の気性が出たのかは不明だが、母のシンへのしつけや父への接し方など今まで全てが気に入らなかったと言い出し、辛く当りだしたのだ。
 そんな急変した姑に戸惑った母は、間に入ってとりなす役目の父が仕事の忙しさにかまけて役に立たないことに苛立ったらしい。ともすれば父はふみの肩を持ったため、体調を崩して精神を患い心療内科へ通いだすようになったのだ。
 そんなところへ福岡への転勤が決まった父は、その際ふみも一緒に連れて行きたいと言い出した。そこでそれまで堪えていた母の感情が爆発したのだろう。それならば私は出ていくと言い出すと、ふみも福岡へは行かないと父の申し出を断った。しかし話はそれで治まらなかった。
 ふみは友人が沢山いる長年住み慣れた土地から離れる気など初めからなかったようだ。それなのに父が勝手に高齢になった養母を一人にしたくないと、母に相談もなく言いだしたのだ。
 メンタルを患っていたこともあり、それが我慢ならなかったのだろう。母は父達の説得も全く聞かなくなった。そこで一度距離と時間を置こうと二人は別居を決めたのだ。
 しかしシンの世話をする人が必要なのも明らかだった。と言って母に対する遠慮もあり、ふみを福岡へ連れて行くこともできない。結果論かもしれないが、その判断が仇となった。父は慣れない土地での仕事に加え初の管理職として四苦八苦する中、子育てもこなさねばならない。その上母との関係改善に向けての話し合いで疲労は蓄積していき、日に日に父の口数は減っていった。
 多忙であった原因は会社そのものにもあったらしい。福岡の上司が仕事に専念できない父に対し、厳しく当たっていたようだ。早く結果を出さなければというプレッシャーも、心理的な疲労に繋がったのは間違いない。
 シン達は福岡に来た最初の連休はもちろん、夏休みも含めてどこかへ観光するような余裕は無かった。会社が休みであっても休日出勤で朝早く出て夜遅く帰ってくる。家に居ても疲れて眠り続けるか、普段できない家事をこなす為忙しい生活を過ごしていたのだ。
 シンは父の負担を減らそうと架空の友達と外へ遊びに出かけるか、部屋で静かに勉強し家事も手伝ったりもした。
 しかし体調を崩した父は病院の診察を受けたが特段悪い所はない、ストレスや疲れが原因だとしか診断されなかったらしい。色んな検査でも異常な数値は出なかったようだ。それでも体調が優れず、年明けには月に一度のペースで会社を休むようになった。
 そんな状態が続いていたあの日、限界がきたのだろう。帰宅途中にマンションへ着く直前で、崩れるように道端へ座り込んでしまった。その様子を近くで見ていた通行人が父に声をかけ、応答しないその様子から救急車を呼んでくれたのだ。
 近くでサイレンが聞こえ、もうすぐ帰ってくるはずだと夜遅くまで待っていたシンは嫌な予感が走り、禁じられていた玄関の扉を開けて外の様子を伺った。
すると道端に倒れている人の姿と、その周りを数人が取り囲む様子が見えた。胸騒ぎが収まらないシンは部屋を出て人垣に近づいた。そこで倒れて運ばれようとしている父を見たのだ。
「お父さん!」
 そう声をかけたことは覚えているが、その後の記憶は未だに定かで無い。後に聞いた話では泣き叫びながら救急隊員に息子だと名乗ったらしく、父と一緒に救急車へ乗り込んだという。
その日の夜遅く父と一緒に、病院から無事帰ることができたことは覚えている。その道中でまだ泣いていたシンの頭を撫でる父の手が痩せたと感じていた。
 その時も結局過労と診断され点滴を打たれて帰されたのだ。しかしその後も体調は治らず別の病院で詳しく診察を受けた所、過労と心労から来るうつ病ではないかと言われたそうだ。
 うつ病といっても様々な症状があり、父の場合は疲労やストレスからくる倦怠感に堪え切れず、時折過度な睡眠が必要で頭痛や動悸がひどく血圧が高くなるなど、身体自体に異常がでるタイプだったという。
 そして最終的にはこれ以上働いては危険だと診断され、入院した方がいいとまで言われたのだ。そこまで酷くなっていることに上司達も驚いたようで、慌てて本社の人事部や関連する部署と連絡を取り。医者とも相談したらしい。
 その結果治療に専念させる為休職させ、養母がいる名古屋へシンと一緒に戻そうと結論付けたのだ。その相談をしていた人達の中の一人に、父の若竹学園時代の同級生だった医師がいたという。名古屋ならふみがいるのでシンの面倒を見る人がいるという点も大きな判断材料になり、その人の紹介で名古屋の病院へ入院することが決まった。
 父はふみとは血が繋がっていない。赤ん坊の頃、M県の若竹山の神社に捨てられていたからだ。そこで拾われ養護施設に入っていた所、四歳になった父を名古屋に住む子供のいない来音夫妻が養子として引き取った。シンの養祖父である来音徳一が四十五歳、養祖母のふみが四十二歳の時だったと聞いている。
 父は割と裕福であった来音夫妻の元で育ち、その後縁のある若竹学園の中等部を受験して合格。駒亭に下宿して中高の六年間を過ごした後、東京の有名国立大学へ現役で合格し、大学卒業後に大手保険会社へ就職した。
 シンが今お世話になっている女将とご主人である料理長の小間田こまだ拓馬さんは、父が下宿していた時の顔見知りで、年も近かったせいか仲が良かったらしい。そんな父の影響を受けてシンは若竹学園を受験し、駒亭の世話になっているのもそうした縁があったからだ。
 ただ親元を離れ下宿すると決めたのも、病気の父と高齢の祖母の負担を減らす為だったことは否めない。父が名古屋の病院へ移った当時、ふみは八十歳で自身の体調も崩しがちだったからだ。
 シンの気使いも後から思えば無駄では無かった。名古屋に戻ってきた頃はまだ元気だったふみも、シンが名古屋を離れて二年余り経った昨年の夏に亡くなった。あのまま名古屋にいたら再びシンの世話をする人が必要となり、父の負担となっていただろう。
 ちなみに小高い若竹山の南側の麓に若竹学園があるが、頂上にその経営母体の宗教法人若竹山神社が建っている。若竹地区の象徴的存在でありシンボルだ。そして若竹山の北側にもう一つ小高い丘がある。その麓の無頼寺ぶらいじという場所に、来音の養祖父母が眠っていた。
 養祖父母は資産家でありながら親しくしている身寄りも無かった為、徳一の遺言で無頼寺へ墓を建てることなく永代供養された。そのためふみが亡くなった時も徳一と同様にされたのだ。
 その時の法事は体調の悪い父に代わって駒亭の女将が取り仕切ったという。父はもし自分が死んだら養父母同様、ここに供養して欲しいと言っている。捨て子だった父にとっては、育ててくれた養父母が唯一の身寄りだからだ。
 
 救急車のサイレンをきっかけに昔の事を思い出していたシンは、気付けば駒亭の近くまで来ていた。道路には規制線が張られ、周りを人垣が取り囲んでいる。その中に見知った人を見つけたので、その子の肩を軽く叩いて声をかけた。
「何があったの?」
 振り向いたのは駒亭で下宿している釜田だった。若竹学園の高校一年だが彼女は三年制で、駒亭にはこの春に来たばかりだ。よって同級生で同じ下宿生でも別の家に間借りしているシンとは、食事の時に少しだけ喋ったことがある程度の仲だった。
「あ、来音さん。えっと、なんか事故があったみたいで、」
 その様子で状況を理解できていないと悟り、すぐ周りを見渡す。そこで規制線の向こう側に白谷の姿を発見した。彼女と目が合うと手を振られた。こっちに来なさいと呼んでいるようだ。
 つまり駒亭の関係者ならテープを越えられると判断し、要領を得ない釜田の腕を掴み、人垣をかき分け中へと入った。するとすぐ警官に止められかけたが、
「駒亭の関係者です!」
と、すかさず白谷の方を指差した。警官は手招く彼女の姿を見て振り返り、呼ばれているのがシン達だと確認できたようで軽く頭を下げ通してくれた。
そこで彼女の元に駆け付け釜田の腕を離す。ここまでくれば彼女に用は無い。
「白谷さん、どういう状況なのか判ります?」
 彼女は二つ年上で駒亭に来て三年目だから、今いる駒亭の下宿生の中では最も古株だ。駒亭の世話になって四年目になるシンにとっては、最も話しやすい下宿生の一人だった。
「うちの下宿に車が突っ込んだらしいの」
 彼女はシン達より早く戻っていたようで、事故が起こった状況を把握していた。釜田と二人で説明を頷きながら聞く。釜田は自分の部屋に問題ないと判ると、良かったぁと呑気な声を上げた。
「あなたは良かっただろうけど、和多津さんは大変よ。幸い駒亭では怪我人が出なかったけど、下宿の一部が壊れたのは確かだから、あんまり不謹慎なことを言わないように」
 白谷は先輩らしく彼女を叱った。釜田は小さな声で謝り、首をすくめる。要は大事にならず済んだらしい。ただ釜田同様この春に来たばかりの和多津さんは、壊れた部屋を工事している期間中、別の家に間借りすることになったという。
 興味深い話ではあったが、シン達が利用する駒亭の食堂部分は被害を受けていないので、今後煩わされることはなさそうだ。それならこれ以上用は無いため駒亭を後にし、細い脇道を通れば徒歩一分とかからない、間借りしている立花家へと向かった。
 木造二階建ての築ウン十年といった、古い民家が建ち並ぶ一角に辿り着く。その端から二番目の木戸を開け、直径二十センチほどの石畳を二つ超える。そこにある扉を軽く横に引くと少し開いた。鍵はかかっていないようだ。
「ただいま」
 今度は玄関の扉を大きく横に引いた。古いので大きな音が響く。
「お帰り」
 玄関脇の部屋から、障子を開けて立花のお爺ちゃんが顔を出した。そこでもう一度、ただいまと声をかけて三和土たたきを通り過ぎ、突き辺りの右にある階段を登ろうとした。二階に上がれば六畳と四畳半の広さを持つ畳部屋がある。そこがシンの部屋だ。いつもならそうするが、今日は呼び止められた。
「駒亭さん、大変だったようだね。聞いているかい?」
 立ち止って彼の開けた障子の部屋に腰を下した。三和土と段差があり、腰かけるには丁度いい高さだ。一階に住む彼はいつも障子を開け、三和土で靴を脱ぎ部屋に上がる。昔ながらの作りでバリアフリーなどとは無縁で、もう十分後期高齢者の部類に入る彼の事を考えると少し心配だ。
「はい。車が突っ込んだようですね。でも駒亭の人に怪我人はいなかったようですよ」
「でも運転していた人は、救急車で運ばれたらしいじゃないか」
 どうも彼は野次馬に混ざり、一通りの情報を得ているらしい。
「みたいですね。でもたいしたことはないと聞きましたけど」
「危ないねえ。ブレーキとアクセルの操作を誤ったらしいが、そんな間違えをするような年寄りでもなかったみたいだな。まだ若かったようだが」
「若いと言っても四、五十代の中年の男の人だったらしいですよ」
「四、五十代なんて若い、若い。世間で言えばまだまだ働き盛りだろう。私みたいな八十に手が届く爺さん婆さんだと、ブレーキの踏み間違いで事故を起こすニュースはよく聞くさ。しかしこんな近所で同じような事故が起こるなんてな。驚いたよ」
「そうでもないと思いますよ。女性の方や若い人でも、たまにそういううっかり事故を起こす人っていますから。咄嗟の誤りだから年配の方が多いでしょうけど、年齢関係なく起こる時は起きちゃうものじゃないですか、自動車事故って」
「そんなもんかね」
「でも食堂は無事だったので、僕の方には何も影響が無いと思います」
「でも二階の部屋の、新しく来たばかりの人が引っ越すことになっちゃっただろ?」
「よく知っていますね。僕もさっき聞きました」
「そりゃあ、耳に入るさ。だってここの隣の隣にある渡辺さんの家に入るらしいから。あそこも折角二世帯住宅を作ったっていうのに、娘さんが急に病気で亡くなって長い間空いたままだったからね。でも最近人に貸すかもしれないとは聞いていたけど、今回の件で被害を受けた下宿生がそこに入るらしいと向かいの畳屋が言ってて驚いたよ」
「そうですか」
 引っ越すとは聞いていたが、新しい下宿先がこの家の近くだとは思わなかった。白谷も場所までは知らなかったのだろう。渡辺さんの事も良く知っていたが、一応確認してみた。
「隣の隣にある渡辺さんって、向こうの新しい家ですよね?」
「そうそう。逆側はうちみたいに古い家が続いているけど、渡辺さんの家から向こう側は新築住宅に変わったり、二世帯住宅に建て直ししたりしている家が多いだろ」
 そこまで説明してお爺ちゃんもまずいと思ったのか、話題を変えた。
「今日も試験かな。毎日遅くまで勉強しているみたいだけど、大丈夫かい?」
「大丈夫です。中間テストは今日で終わりましたから」
「そうか。じゃあしばらくはのんびりできるね」
「そうですね」
 それではという形で立ち上がり、彼は部屋の奥へと引っ込んだ。普段ならこれほど余計なお喋りをしない。どちらかというと無口なほうだ。いつもは顔を合わせても挨拶するくらいだが、何かあった時やシンが話しかけた時には話をする。
 それも最近になってからだ。本当は寂しくて話し相手が欲しいのかもしれない。今後はもっと声をかけようかとも思ったが、気を遣いすぎだろうか。シン自身もお喋りではない。友達も多くないし、無理せず自然体でいるのが好きだ。
 変に気を使う方が失礼だろうと思い直し、二階へ上るために奥の階段の下まで進み靴を脱いだ。そこで先にトイレへ行っておこうと階段と逆側の廊下を歩き、突き当たりの扉を開けた。二階にはトイレが無いので、一度部屋に上がってしまうと降りるのが面倒なのだ。 
 トイレは彼と共同で使っている。洗面台は二階にもあるため洗顔や歯磨きは上で出来るが、一階のお風呂は彼だけが使っていた。シンは銭湯を利用している。
 立花家にはつい最近までお婆ちゃんもいた。一階のお風呂は夫婦で使う為下宿生は銭湯を利用するというのが間借りする時の条件だった。他の間借りでもそういう所が多いと聞いていたので、別に構わなかった。それどころか毎日広い銭湯のお風呂に入れると、最初の頃は喜んでいたくらいだ。
 しかし立花のお婆ちゃんは、去年の暮れに亡くなった。彼女はとても優しく、無口なお爺ちゃんと違ってよく話しかけてくれた。孫のように可愛がってくれ、よくシンのことをハンサムだ、今で言えばイケメンと言うのかねとこちらが赤面することを、真面目な顔で褒めてくれる、大好きな人だった。
 彼も良い人だが、彼女の元で下宿できて良かったと何度も思ったことがある。そんな彼女が亡くなったのは、お爺ちゃんと同い年だから七十七歳の時だ。実は本来なら、彼の方が先に亡くなってもおかしくない状態だった。
 彼女が亡くなる前の年、彼はもう長くないとまでいわれるほどの大病にかかり、長い間入院していたからだ。しかし容態が改善して退院した途端、今度は彼女が倒れあっと言う間に亡くなった。突然のことで立花家はしばらく騒がしかった。
 その後息子夫婦がそれほど遠くない所に住んでいた為、お爺ちゃんを引き取ると言い出したのだ。大病にもかかり、彼女のいない一軒家に一人住まわすのは忍びないから一緒に住まないかと提案されていたらしい。
 実際彼が倒れた時に、お婆ちゃんもそう言われていたようだ。それでも彼女は、彼と下宿しているシンがいる間はこの家を出ないと言い張ったらしい。今はその逆だ。息子夫婦は彼を引き取り、この古い家を取り壊して売却するつもりだという。そうなるとシンは別の下宿先へと移らなければいけない。
 お婆ちゃんの時は、シンのことはともかくお爺ちゃんがいる間はこの家にいるという言葉に息子夫婦は折れていた。しかしそう言っていた彼女が亡くなり、残されたのは自分一人で食事も作れず家事などまともにしたことの無い彼だ。そこで今度こそは彼を引き取り、家を売りに出したいと本気で考えていたらしい。
 息子夫婦の言うことは間違っていない。お婆ちゃん一人ならともかく、残ったのはお爺ちゃんだ。今まで家事は彼女一人がやり、彼の面倒を見ていた。食事の用意も洗濯も家の掃除も全てだ。この世代の夫婦なら特に珍しいことでは無いだろう。
 しかし彼は彼女の意思を尊重し、少なくともシンが大学へ進学して下宿を出るまでは家を手放さないと息子夫婦に断言したらしい。猛烈な反対を押し切りこの問題を蒸し返さないようにと彼は日々の食事を駒亭の仕出し弁当に頼り、他の家事も何とか自分一人でやり始めたのだ。
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